第5話 ワイルドボアのステーキ丼
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昨日、ワイルドボアに追われてこの場所へ逃げ込んできた初心者探索者たち。
今日は息を切らしていない。
装備も昨日より整っているし、顔色も悪くない。
恐らくはちゃんと帰還して、再度ここに戻ってきたのだろう。
ただ、三人とも入口のところで止まっていた。
こっちを見ている。
いや、正確には俺ではない。
俺の手元にある紙皿を見ている。
炊きたての米。
その上に並べた、焼きたてのワイルドボア肉。
にんにく醤油のたれを絡めたせいで、湯気に混じって肉と焦げた醤油の匂いが立っている。
森の中まで届いてもおかしくない匂いだ。
「……あの」
女探索者が、遠慮がちに手を上げる。
「昨日、また来てもいいって言ってもらったので」
「ああ。もちろん」
俺が答えると、三人はほっとした顔をした。
だが、視線はすぐ紙皿へ戻る。
男の一人が、小さく喉を鳴らした。
もう一人の男は、気まずそうに目をそらしてから、また肉を見る。
女探索者はリュックの肩ひもを両手で握ったまま、湯気を追っていた。
「もしかして、匂いで分かったのか?」
「……はい」
女探索者が、正直に頷いた。
「昨日の場所に行ってみようって話してたんですけど、途中からすごくいい匂いがして」
「道、間違えてないって分かりました」
「むしろ匂いの方へ歩いてきました」
最後に言った男が、言ってから恥ずかしそうに口を閉じる。
気持ちは分かる。
俺も、さっきからこの匂いに負けている。
紙皿の上では、ワイルドボアの脂が米に落ちていた。
たれを吸った米粒が、肉の下で少し茶色くなっている。
箸で肉を一切れ持ち上げると、表面についた醤油だれが薄く光った。
「一応、飯を作ってたところだ」
「ですよね」
「昨日のお礼を言いに来ただけなので、邪魔ならすぐ行きます」
女探索者はそう言った。
だが、目は紙皿から離れていない。
離そうとしているのに、湯気が上がるたびに戻ってくる。
その時、誰かの腹が鳴った。
誰の音かは分からない。
男二人が同時に顔を伏せ、女探索者が耳まで赤くなる。
俺は箸を止めた。
肉がタレと絡めたこの匂いは強烈に周囲を刺激している。
そして米も、たれも、『もう完全に食べ頃ですぜ!』、そう告げていた。
「……ちょっと待ってろ」
俺は紙皿をテーブルに置く。
「え?」
「三人分、作る」
「いや、そんな、悪いです」
「お前たちのその顔で言われても説得力が…なぁ?」
三人が黙る。
特に男二人は、反論しようとして口を開きかけたまま、フライパンの方を見ていた。
俺はそれを見て笑いそうになるのをこらえて、作業台へ戻る。
飯盒には米がまだ十分にある。
保冷バッグには、切り分けたワイルドボア肉も残っている。
たれも足りる。
「試食だ。感想をくれるなら、それでいい」
「感想、言います!」
「めちゃくちゃ言います!! めっちゃ匂いがいいです!」
「食べる前から言うのはちょっと反則だろ!」
三人がそんなことを言っているあいだに、俺はフライパンを火に戻した。
ワイルドボアの脂を少し落とす。
すぐに透明な脂が溶け、鉄板の上で薄く広がった。
にんにくを入れると、じゅ、と音がする。
その瞬間、三人の足がそろって前に出た。
さっきまで遠慮していたはずなのに、全員がフライパンをのぞき込もうとしている。
「近い近い」
「あ、すいません」
男が慌てて下がる。
だが鼻だけは、明らかにフライパンの方を向いていた。
肉を入れる。
厚めに切ったワイルドボア肉が、熱い脂に触れて音を立てる。
赤身の表面が一気に焼け、端の脂が小さく跳ねた。
ワイルドボアは、雑に焼くと硬くなり、そして独特の臭みも出る。
だが、それは一般的に流通しているワイルドボアの話だ。
今目の前に焼いているのは獲りたてで、更に知る人ぞ知る部位だけを使っている。
魔力が抜けきる前の魔物の肉という、最高の状態を維持した肉なのだ。
だから強火で表面だけ焼き、すぐ返す。
焼き色をつけたところで、先ほどと同様に弱火に切り替える。
そこから丁寧に焼いていき、焼き上がりの最後に醤油を回しかける。
湯気が上がる。
いい感じで焦げた醤油に肉の油が絡み、そしてにんにくという旨味の王様が鎮座する。
その三種のハーモニーが、タープの下を一気に満たした。
「……これはだめだ」
女探索者が小さく言う。
「何がだめなんだ?」
「……これは探索者をダメにする食べ物です」
思わず吹き出しそうになるも必死に堪える。
「変なこと言うな」
「すいません。…つい」
俺は炊きたての米を紙皿によそう。
白い米の上に、焼いた肉を並べる。
肉を切ると、中はほんのり赤みが残っていた。
その断面から出た肉汁が、下の米に染みていく。
最後にフライパンに残ったたれを、肉の上からかける。
じゅわ、と米が小さく音と汁を吸った。
三つの紙皿を並べる。
さっきまで遠慮していた三人が、同じタイミングで息をのんだ。
「熱いから気をつけろ」
「はい」
女探索者が、両手で紙皿を受け取る。
昨日は震えていた手が、今日は別の理由で少し震えていた。
男二人も紙皿を受け取る。
片方は肉を見ている。
もう片方は、たれが染みた米を見ていた。
「いただきます」
三人の声が重なる。
まず女探索者が、肉を一切れ米ごとすくった。
少し冷ましてから、口に入れる。
数秒、動きが止まった。
「あ、これ……」
言葉が続かない。
けれど、顔で分かる。
頬が緩んでいる。
目が少し開いて、それから細くなる。
噛むたびに、肩の力が抜けていく。
「おいしいです」
声は小さい。
それでも、昨日のスープの時より、ずっとはっきり届いた。
隣の男が、待ちきれなかったように肉を口へ運ぶ。
「なんだこれ! うまっ!!」
そこから一度、箸が止まる。
「え、これワイルドボアですよね?」
「そうだ」
「俺が知ってるワイルドボアじゃないんですけど」
「たぶん焼きすぎてるんだろ。あと、処理が甘いと臭みが出る」
「いや、これ、肉の味が強いのに臭くないです」
「ほう。わかるのか。まぁ企業秘密ってやつだな」
そして三人は無言になる。
ただ、米をかき込んでいる。
肉を一切れ食べ、すぐ米を食べる。
そして、たれの染みたところを狙ってまた箸を入れる。
「おい、感想」
俺が言うと、男は口の中のものを飲み込んでから、真顔で言った。
「米がやばいです」
「ん? 肉じゃないのか」
「肉もうまいです。でも、たれと肉汁が染みた米がやばいです。疲れてると、これ一番だめなやつです」
女探索者が頷く。
「分かります。お肉を食べたあとに、ご飯を食べると、またお肉が食べたくなります」
「それで肉を食べると、また米が欲しくなる」
男が言う。
「終わらない」
もう一人の男が、皿を見ながらつぶやいた。
そこまで言われると、作った側としては悪い気がしない。
俺も、自分の紙皿を手に取る。
少し冷めたが、まだ十分うまい。
肉を噛むと、赤身の濃い味が出る。
脂は重すぎない。
にんにく醤油のたれが、米に絡む。
正直言うと、地上で食べるには少し強い味だ。
だが、探索で歩いて、戦って、疲れて腹が減った体にはちょうどいい。
三人は、ほとんど会話もせずに食べていく。
紙皿の底に残ったたれまで、米で集める。
女探索者は最後の一口を少し惜しむように見てから、ゆっくり食べた。
食べ終わる頃には、三人とも椅子に深く腰を掛けていた。
腹に温かいものが入って、ようやく息を吐けるようになったらしい。
「……これ」
女探索者が、空になった紙皿を両手で持ったまま聞く。
「なんていう料理なんですか?」
料理、か。
そう言われると、少し恥ずかしい気持ちにもなる。
店のメニューみたいに考えて作ったわけではない。
炊いた米に、焼いた肉を乗せて、たれをかけただけだ。
とてもシンプルで、誰にでも出来る男の手料理とも言える。
だが、名前はもう決まっている。
俺は紙皿を見て、それから三人を見る。
「ワイルドボアのステーキ丼」




