第6話 ツギハギ整備所、開業
地下格納庫の扉を閉められたのは、夜明け前だった。
炉は回したが、欠片一つぶんの出力では照明と整備画面を同時に持たせるのが限界で、腕も脚も一つとして動かないし、奥の扉も開かない。やれることをやって、鉄屑を元の位置へ戻して、俺は梯子を上がった。
埋め直したのは、見つかりたくなかったからだ。十二年整備してきた機体を、誰かに引っ張り出される前に、俺の手で起こしたい。
梯子を上がりきると、谷の縁にフィーネの騎兵が立っていた。
夜のあいだ、ずっとそこにいたらしい。PL-07は膝を伸ばしたまま、谷底の一点へ胴を向けている。俺が消えた場所だ。
「オサムさん!」
拡声器の声が割れた。朝の空気で冷えた機体が、低い音を立てて膝を折る。操縦席から降りてきたフィーネの目の下には、はっきり隈ができていた。
「どこ行ってたんですか! 六時間です。六時間、待ったんですよ私」
「そんなに経ってたか、全然気づかなかった」
「鉄屑が勝手に動いて、人が一人消えたんです。それから六時間です」
怒っているのではなく、言い方を探している顔だった。
「下に、格納庫があったんだよ」
「格納庫ですって?」
「扉の規格が、俺のいた所のと同じだ。鉄屑は上から捨てられて、埋まってた」
フィーネは谷底を振り返って、俺が掘り返した穴の跡を見た。それからもう一度、俺の方を見る。
「中に、何があったんです?」
「騎兵が一機。俺が十二年整備してた機体だ」
言ってから、説明が足りないことに気づいたが、足りないまま続けた。
「だが動かない。腕も脚も死んでる。炉は回したが、欠片一つぶんだ」
「……オサムさんの、機体——」
「そうだ」
フィーネは少し黙ってから、まったく違うことを言った。
「墓場に捨てられたものは、拾った者のものです」
「掟か?」
「はい。アストール家は管理を任されているだけで、所有はしていません。だから掘り出したものは、掘った人のものになります」
それが言いたくて、六時間も待っていたらしい。勝手に帰ればいいのに、と思ったが黙っておいた。
「埋め直した。見つかりたくない」
「分かりました。誰にも言いませんね。二人だけのひ・み・つです」
彼女が少しいたずらっぽい顔をしながら答えた。この三日で何度か聞いた、あの返事の早さだ。
それから彼女は、懐から黒パンを出して押し付けてきた。
「――とりあえず、ごはん食べてください」
......やっぱり、味はすっぱかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
俺が工房を開くことにしたのは、その日の昼だった。
町の外れに、屋根の落ちた石造りの建物がある。昔は騎兵の格納庫だったらしく、梁に吊り具のレールが残っていた。全高十メートルの機体を入れるには天井が足りないが、腕や脚を寝かせて作業するなら十分だ。
「この掘っ立て小屋、使っていいのか?」
「掘っ立て小屋ではありません。アストール家の第二格納庫です」
「屋根がないじゃないか」
「う……掘っ立て小屋です」
フィーネは認めた。
朝に聞いた掟の、裏側も確かめておいた。捨てられていないものを持っていけば、盗みとして罰せられる。鉄屑漁りが線を越えたのは、町の人間が選り分けて積んだ山から持ち出したからだ。墓場は捨て場であって、無法地帯ではない。
シンプルなルールで分かりやすい。工場の資材置き場と同じ理屈だった。
作業台の板を取りに、墓場へ下りた。
三列目の残骸の下に、使える厚みの装甲板が一枚あった。引き出そうとして、手が止まった。
板の下に、革鎧があった。
騎乗職の胸当てだ。留め具が外れていない。脱いだのではない。
中に、入っていたのだ。――人が。
俺はしゃがんで、十秒ほど見ていた。
それから板を置き直して、上に鉄の破片を二枚かぶせた。掘る道具を持ってきていなかった。
坂を上がると、フィーネが待っていた。
「板は」
「明日取る」
「何かありましたか」
「人がいた」
フィーネの顔から、表情が抜けた。
「……生きて」
「いない」
「転移者の方ですか」
「騎乗職の鎧だ。この世界の騎士は、ああいう留め具を使わん」
彼女は少し黙ってから、谷の方を見た。
「拠点に戻れば、治るのでは」
「戻れない。全快は消えた」
「では、あの方は」
「死んだ。――死ぬと、死ぬんだ。ここは」
言ってから、自分の言葉を改めて考え直した。
俺は、とても当たり前のことを言っている。当たり前のことが、十二年、当たり前じゃなかった。
「掟を一つ聞いていいか?」
「はい」
「確か、捨てられたものは、拾った者のものだったな」
「はい」
「人は、どっちだ」
「……人は、捨てられません」
素早い答えであった。
フィーネは十九で、この町の当主代理をやっている。即答できる理由があるんだろう。
「遺体は――坂の上に、埋める場所があります」
「明日、運ぶ」
「わたしも行きます」
「鋤を二本借りてきてくれるか?」
「二本ですか」
「二人で掘れば、半分の時間で済む」
午後いっぱいで、瓦礫を外へ出し、床を掃き、作業台を二つ据えた。片方は墓場から拾ってきた装甲板を四本の脚に乗せただけの台で、水平は出ていない。出していない理由は、傾いている方が油が一方へ流れて、作業の後片付けが早いから、あえてそうしてある。
看板はフィーネが書いた。板に炭で、大きく。
【ツギハギ整備所】
「なんでその名前なんだよ!?」
「オサムさんの機体の名前だと、昨日おっしゃいましたよね?」
「言ったか」
「寝言で」
「えっ、俺の寝顔見てたのお前」
「......」
つい突っ込んでしまったが、それ以上は聞かなかったことにした。そしてなぜか彼女の顔が赤くなっていた。
工房の最初の客は、七つか八つの子どもだった。
両手で抱えていたのは、井戸の揚水機の部品だ。木の桶を鎖で上げ下げする巻き上げ機の、取っ手の部分。軸が曲がって、途中で引っかかるようになったという。
「おじさん、これ直せる?」
「おじさんじゃない」
「……お兄さん?」
「よし、それなら許す」
俺の顔は二十歳そこそこで止まっている。十二年前にアバターを作った時、対人戦に出る気がなかったから、顔のスライダーは全部中間に置いた。美形のプリセットはどれも戦う癖に妙にイケメン顔で、どれを選ぶ気にもならなかった。
だが、声だけがリアルの三十五のままなので、子どもには余計年寄りに聞こえるらしい。
取っ手を受け取って、軸を指で回した。四分の三回ったところで、ゴリ、と引っかかる。
「曲がってるのは軸じゃない」
「えっ」
「受けの方だ。軸は真っすぐだ。真っすぐな軸が引っかかるなら、入ってる穴が歪んでる」
受けの金具を外して、作業台の上で日に透かした。穴が真円じゃない。縦に伸びて、楕円になっている。
重いものを片側だけで引き上げると、こうなる。
「お前、水を汲む時、どっち側に立つ?」
「こっちだよ」
「いつもか」
「うん。反対側、石が出てて立てないんだ」
原因がはっきりわかった。
俺は墓場から拾った薄い鋼板を切って、楕円になった側に当て板を入れた。これで穴の形が元へ戻る。それから金具を組み直して、取っ手を回した。
キュッ、と最後まで素直に回った。
「修理完全完了、もうどこも壊れていない」
「……え?」
「直ったってことだ」
「かっこいいね!!」
子どもは真顔でそう言って、取っ手を抱えて走っていった。
どうやら子どもにだけは通じるらしい。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
日が傾いた頃、入口に人影が立った。
三日前から毎日見ている老人だった。鉄屑漁りの日に鐘を鳴らした男で、井戸の滑車を最初に持ってきたのもこいつだ。昨日は割れた擂鉢を抱えてきて、直せないと言われて帰っていった。
列が九人に減ってからも、順番を待たずに毎日来ていた。何も持たずに、作業台の脇に立って、俺の手元を見ている。
今日も、手は空だった。
「兄さん。わしを雇わんかね?」
「雇う金がないぞ」
「金は要らん。飯はもう町が持っとるからな」
老人は中へ入ってきて、作業台の上の工具を眺めた。並びを見る目つきが、素人のそれではなかった。毎日立って見ていたのは、俺の手ではなく工具の置き方だったのかもしれない。
「わしゃガウスだ。四十年前、王都の工房で見習いをしとった」
右手を上げて見せた。人差し指と中指が、途中で曲がったまま固まっている。古い傷だ。関節そのものが潰れている。
「三年目に、吊り具の鎖が落ちてな。それで終わった」
「終わってないだろ」
「は?」
俺は工具箱からラチェットを一本抜いて、柄を短い方に持ち替えて、ガウスへ差し出した。
「親指と薬指で挟んで、小指で尻を押せ。中指は添えるだけでいい。それで締まる」
ガウスは半信半疑で受け取り、作業台に転がっていたボルトへ噛ませた。曲がった指を避けて、言われた形で握る。
肩に力が入って、ボルトが半回転した。
キュッ。
老人は、手の中のラチェットをしばらく見ていた。
「……四十年、誰も教えてくれんかった」
「教えるやつがいなかっただけだ。道具は持ち方で百八十度変わる」
顔を上げたら、入口でフィーネがこっちを見ていた。何か言いたそうだったので、先に言った。
「飯ならまだだぞ?」
「今日はちゃんと持ってきました」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
その夜、作業台にパンと干し肉を広げて、ガウスから話を聞いた。
俺が知りたかったのは、今この大陸で何が起きているかだった。
「王都の方はどうなってる?」
「王が倒れられたようでな、半月前から起きられんそうだ。それで、よそから来た騎士が騎士団を預かったと」
よそから来た騎士。この行動の速さを見るに、おそらくレオンハルトだな。
「西はどうだ?」
「ベルクか。国境の要塞に兵を集めとるという話だ。砲の試射の音が、隣の村まで届いたと行商人が言っとった」
「南は」
「機人の国からは、ひと月行商が来とらん。前は三十日ごとに必ず来たんだがのう――」
「森は」
「森霊の国の方で、木が枯れとると。あそこの連中が木のことで慌てるのは、よほどのことだ」
俺はパンを置いた。その出来事は四つとも、知っている。
『ヴァルハラ・ギア・オンライン』のメインストーリーは『七王戦役』という題で、全七章あった。章ごとに一つの国が舞台になり、その国の王が抱えた問題を解決して次へ進む。
第一章、グランツ騎士王国。病に伏せた王が暗殺される。
第二章、機都カルディア。機人の国が一斉に停止する「大停止」。
第三章、ベルク帝国。国境要塞の砲撃から戦争が始まる。
第四章、森霊国シルヴァーナ。大樹海が枯れる。
順番も、合っている。
王が倒れているのは第一章の入口で、残りの三つはこれから起きる予兆だ。行商が来ないのは大停止の前触れで、砲の試射は開戦の前触れで、木が枯れるのは第四章の始まりだ。
「――おい、ノイズ」
腰に下げた小さな受信機に声をかけた。地下格納庫から配線を一本引っ張り出して、炉の出力の端っこを分けてもらっている。声しか届かないが、届くだけでいい。
「ハイ」
「原作のシナリオデータは残ってるか」
「……ザンゾン、シテ、イマス」
「第一章の進行状況を表示しろ」
「……カイシ、チョクゴ。シンコウリツ、ゼロ」
つまり、まだ何も進んでいないということだ。
王の暗殺はレオンハルトが先回りして止めたが、シナリオ上はそれで章が終わったことにならないらしい。王は病のままで、章は開始直後のまま止まっている。
そして第二章から第七章までが、順番待ちをしている。
「……ここは、序盤の世界か」
小さくぼつり、と声に出してから、その意味を噛み直した。
この世界は、原作のとおりに動いている。少なくとも今のところは。マップの地形も、国の名前も、国が抱えている問題も、章の順番も、全部あの攻略wikiのままだ。
だから先が読める。何がいつ起きるか、俺は知っているから。
また七章全部を、俺は通してプレイしている。
それも修理職だったからだ。ストーリークエストを進めないと受けられない修理依頼があって、報酬が整備記録に加算されるから、俺は全部受けた。王城の炉の点検、機人の関節の調整、要塞の砲架の増し締め、大樹海の魔導灯の交換。依頼を受けるために、シナリオを順番に全部読んだ。クエストが終わった後も整備が暇になるとわざわざログを何度も読み返したほどだ。
だが実際には、プレイヤーには読まなかった連中の方が多い。
ゲームコンテンツとしては、対人戦と資源獲得戦争と素材集めが人気で、メインストーリーは飛ばすものという認識が一般的だった。たいていのプレイヤーは章の冒頭の演出だけ見て、あとはスキップボタンを押す。それで誰も困らなかった。
だが、レオンハルトは第一章の暗殺を知っていた。あれは有名だったからだ。初心者が最初に見る演出で、スキップしても結末だけは画面に出る。
だが第二章から先は、能動的にプレイしない限り、画面には出てこない。
ギルドのあいつらは、第一章の入口だけ知っている。
「兄さん。何の話をしとる?それにやけに考え込んでいるようじゃが」
「気にするな、世界地図の事を考えていただけだ」
ガウスは首をかしげた。
俺は干し肉をかじって、もう一つ気になっていることを確かめた。
「ノイズ。表示が出る条件は分かるか」
「……ヒョウジ?」
「転移した日、やたらと案内が出た。【この先に村があります】みたいなやつだ」
「……チュートリアル、リョウイキ、ナイ、デ、ハッセイ、シマス」
「領域内。じゃあ外に出たら?」
「……テイシ、デスネ」
止まる。
谷に出た日、俺のところには案内が一つも出なかった。ここは第一章の領域の外だ。王都の周りにいる連中のところには、まだ出ている。
【クエストを受注しました】。【この先に村があります】。
あれが出続けていれば、どう思うか。
仕様が変わっただけのゲームだと思う。新サービスが始まったと思う。案内の通りに動けば、案内の通りに進むと思う。
俺の視界には、今も一つだけ表示が出ている。
【整備記録:記録中】
整備の画面だけは、最後まで動いていた。炉の数値も、調律の値も、整備記録も、全部読める。
戦闘の案内は出ない。クエストの案内も出ない。
整備だけが、まだサポートされている。
「兄さん、顔色が悪くないか?」
「元からだ」
「そうでもない。……今の顔は、工房の親方が炉の音を聞いた時の顔をしとる」
ガウスは曲がった指でラチェットを握り直して、ボルトを一本締めた。
キュッ。
俺はその音を聞きながら、まだ王都にいる三百人のことを考えていた。
あいつらの画面には、案内が出ているのだ。
それが出ているうちは、誰も気づかない。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
同じ夜。グランツ騎士王国、王都郊外の演習場。
RX-07Hが、的に向かって走った。
四歩目で、左の膝が沈んだ。機体が前のめりに崩れ、肩から地面を削って止まる。砲塔が的を向いたまま、動かなくなった。
ズシン。
「どわっ、おい、何だよ今の!」
ドレイクの声が拡声器から響いた。
シズクは記録を取る手を止めなかった。停止時刻、停止までの歩数、姿勢、復帰までの秒数。四秒で復帰した。昨日は六秒だった。
「乗り手の問題だな......」
演習場の縁で、レオンハルトが言った。
「踏み込みが浅い。重装機は腰から入れと、何度も言ったろう」
「いや、今のは俺のせいじゃねえって!」
「では機体のせいか。整備は済んでいるのだぞ?」
「済んでるって、誰がやったんだよ」
「スパナがやっている」
レオンハルトはそれだけ言って、演習の次の組を呼んだ。
シズクは記録の欄を一行下げて、整備担当の名前を見た。昨日もスパナ。その前もスパナ。三百人のギルドで、整備の記録に名前が載っているのは一人だけだった。
演習場の端の天幕に、作業灯が一つ灯っている。
シズクはそこへ歩いた。
天幕の下で、小柄な人影が|PL-21G《パラディオン・ギルド仕様》の脚部ハッチを開けていた。作業灯は機体の斜め後ろ、少し低い位置に据えられている。手元を直接照らさず、覗き込んだ内側に影が落ちない角度だ。
「スパナさん」
「……はい」
「何日、寝ていませんか」
「寝てます」
「何日ですか」
「……二日です......」
スパナは手を止めずに答えた。工具を握る時、必ず左手を下に添える癖がある。右手だけで持てる軽いラチェットでも、必ず添える。
「全部を一人で見るのは、無理です」
「分かってます」
「では、なぜそうまでしてやるんですか?」
「誰かがやらないと、止まるので」
シズクは端末を閉じた。
開き直して、記録の欄に一行だけ打った。
【整備担当:スパナ(単独)/稼働機数に対し、修理職が著しく不足】
記録には残る。
それだけだった。
【グランツ騎士団 調律誤差2.7%/稼働限界まで、あと12日】




