第5話 お帰りなさい、整備長
ログアウトできなくなって三日目の朝、門の前の列は九人まで減っていた。
初日に四十人以上並んだのは、要するに町中の壊れたものが一度に出てきたからだ。鍋と荷車と鋤を片付けてしまえば、あとは順番に出てくる分しかない。今日の九人は、戸の蝶番、革のベルト、水車の軸受け、あとは割れた擂鉢だった。
擂鉢は直せないと言った。割れた陶器は継いでも、次に同じところで割れる。
「そんなもん捨てちまえ。木の鉢を買え」
「買う金がないんじゃよ」
「なら木を削って作れよ。乾いた堅い木がいいぞ?」
老人は不満そうな顔をしたが、割れた鉢を抱えて帰っていった。
直せないものをきちんと直せないと言うのも整備のうちだ。下手な修理は、次に壊れる時に人が怪我をする。
「オサムさん」
フィーネが厩舎の方から歩いてきた。PL-07の右膝は、昨日より明らかに動きがいい。慣らし運転を自分でやったらしい。
「墓場へ行きませんか。昨日の鉄屑漁り、使える部品を置いていきました」
「あまりうれしくないデートのお誘いだな、二番機の膝か」
「デ、デートじゃありませんって!! 膝はもう、この子に付いています。残っているのは胴と腕です」
「冗談だよ、行こうか」
それは確かにもったいない。盗賊の機体でも、ランツァーの腕はランツァーの腕だ。
俺は工具ベルトを締め直して彼女と共に出かけた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
機兵墓場は、歩いてみると思っていたより広かった。
すり鉢状の谷の底に、鉄の山が十いくつ。一番大きいものは高さ三十メートルを超えている。フィーネの機体を谷の縁に残して、俺は歩いて降りた。騎兵で入ると山が崩れるらしい。
降りながら、山の並びを目で追った。
VGOでは、この場所は背景の一部だった。プレイヤーが入れない遠景用のオブジェクトで、こういう場所の作りには決まった手順がある。生成表に沿って、同じモデルを決められた密度でばら撒く。山の形も、崩れ方も、乱数の範囲内で変わるだけだ。
十二年、格納庫の窓から拡大して眺めていたから、覚えている。
そこは並びが、違った。
大きい山が外側に七つ、内側に小さい山が五つ。外側の七つは、どれも同じ向きに崩れている。谷の中心から外へ向かって、押し出されたような形だ。内側の五つは逆に、中心へ寄せて積まれていた。
乱数では、こうならないはずだ。
「仕分けてある」
声に出してから、自分の言ったことを確かめた。
外側の七つは、使えない鉄を谷の外へ押し出した山。内側の五つは、使える部品を集めて寄せた山だ。誰かが何十年も、掘って、選って、積み直してきた跡。墓場という名前のとおり、ここは埋めた場所であって、捨てた場所じゃない。
内側の山の一つに取りついて、表面の板を一枚めくった。
型式の刻印を見る。読めない。VGOの機体の型式は、RX、PL、LZ、それにXGの四系統しかない。この板に打たれているのは、その四つのどれでもなかった。
並びは三文字。真ん中が潰れていて読めないが、頭の一字は確かにVGOにない。
俺は板を元に戻した。
この谷には、俺の知らない型式が埋まっている。十二年ぶん覚えた攻略wikiが、ここでは半分も役に立たない。
それが分かったのは、収穫だと感じた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
二番機の残骸は、内側の山の裾にそのまま転がっていた。
胴体を起こして、腕の付け根のボルトを外していく。盗賊の整備は乱暴で、規格違いのボルトが半分だった。外すのは楽だが、こういう締め方をされた穴は、もう一度使うと内側から削れていく。
腕を二本、山の裾へ並べた。あとで荷車で運ぶ。
立ち上がった時に、足の下の音が変わった。
重い鉄の上を歩くと、どすどすと詰まった音が返ってくる。この一歩だけ、音が抜けた。
「……」
膝を落として、手のひらで鉄板を叩いた。
カン。
濁らない。澄んでいる。ただし、長い。音が下へ逃げている。
カン、カン。
二歩ずれて、もう一度。詰まった音に戻った。
また戻る。澄んでいて、長い。
打音点検の表示が、勝手に視界の端に出た。
【空洞を検出】
【深度:およそ4m/下方に空間あり】
鉄屑の山の下に、穴があるようだ。
この一帯の鉄屑を、片端から持ち上げて脇へ置いた。四百キロの装甲板が、持ち上げると意外に素直に動く。筋力九百八十の体が、ここでは何よりものを言った。一時間ほどで、二メートル四方の鉄の床が出た。
床ではなかった。実際にはそれは、扉だった。
中央から左右に割れる両開きで、縁に沿って摩耗の筋が入っている。何百回も開け閉めされた扉の、擦れ方だ。
そして上の縁に、見慣れた刻印があった。
格納庫の規格記号。
VGOの格納庫の扉には、全部これが打たれている。俺が十二年、毎晩くぐった扉と、同じ規格の扉が、鉄屑の山の下に埋まっていた。
開け方も、同じだった。
右の縁の下、床から指三本の高さに、点検用の手回しハンドルの蓋がある。蓋を起こしてハンドルを引き出し、時計回りに回す。油が切れていて重い。十五回ほど回したところで、扉の中で噛み合いの音がした。
ゴトン。
左右に、指一本分だけ開いた。
隙間から、冷えた空気が上がってきた。鉄錆と、埃と、古い潤滑油。嗅いだことのある匂いだった。
十二年、毎晩嗅いでいた匂いだ。
俺は両手を隙間に差し込んで、扉を押し開けた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
扉の下の空間は、暗かった。
梯子が垂れている。鉄の段を数えながら降りると、十六段で床についた。足裏に伝わるのは、土ではなく金属の板。格納庫の床だ。
照明は死んでいる。天井のどこかで、放電の音だけがかすかに鳴っていた。
パチッ。
音のする方へ歩いて、手を伸ばした。壁の高いところに配電盤がある。蓋を開けると、焼けた匂いが出た。
魔晶石の受け皿が五つあって、四つが空、一つに小さな欠片が残っている。欠片の方の端子が焼けて、接点が炭になっていた。
工具ベルトから細い当て金を抜いて、炭をこそげ落とす。欠片を押し込み直して、受け皿の爪を締める。
キュッ。
天井の一本だけが、ぼんやり灯った。
灯った先に、機体が座っていた。
膝を折って、両腕を床につき、頭を垂れている。整備の時に取らせる、一番素直な姿勢だ。装甲の半分は塗装の色が違う。右腕は量産機ランツァーの腕で、左膝はパラディオンの膝だった。
顔は、横一文字に裂けた単眼。
XG-00。
俺は梯子に手をかけたまま、しばらく動かなかった。
同型機という線は、まずない。XG-00は実装数が一機だけだ。開発中止の試作機のデータが消し忘れで残っていて、それを引けたのは十二年で俺だけだった。
だが、この世界はVGOではない。背景だった谷に俺が立っているくらいだから、実装されなかった機体が何機埋まっていても、おかしくはない。
確かめる方法は、ある。
俺は機体の右腕に歩み寄って、肩の継ぎ目を覗き込んだ。
ランツァーの腕をXGの肩に付ける時、変換用の金具が要る。純正の金具は存在しないから、PL系の受け金具を削って使う。その削り方には、人の癖が出る。
角を三面落としてある。二面でも足りるのに、三面。
これは――俺の癖だ。
ボルトの締め順を見た。六本の留めボルトのうち、上の二本だけ頭の向きが揃っている。意味はない。揃っていると気分がいいから、十二年やってきただけだ。
当て板の縁を指でなぞった。角が丸い。鋭角のまま残すと作業中に手を切るから、俺は必ず落とす。
全部、俺の手だった。
十二年、誰にも見せずに、誰にも頼まれずに付けてきた継ぎ接ぎが、そのままここにある。同じ型の別の機体ではない。俺が毎晩触っていた、この一機だ。
「やっぱり……お前だったか」
機体は答えない。当たり前だ。十二年、一度も答えたことがない。
なら、なぜここにいる。
俺は砂の上に出て、こいつは鉄屑の下に出た。同じ瞬間に放り出されて、落ちた先が二キロ離れている。どちらかが「本来の場所」へ戻されたのなら、戻されたのは俺ではない方だろう。
つまりこの部屋は、ただの格納庫じゃない。
灯った一本の明かりが届く範囲を、目で追った。壁は打ち放しの金属板で、継ぎ目の間隔は格納庫の規格どおり。天井の梁には吊り具のレールが走っていて、床には機体を固定する爪穴が四列。
そして奥に、もう一つ扉があった。
両開きで、縁の摩耗の筋はこちらの扉よりずっと浅い。開けられた回数が少ない。
手回しハンドルの蓋を起こしてみたが、回らなかった。噛み合いの奥で、何かが電気的に止めている。炉を一つ回したくらいの出力では、どうにもならないやつだ。
俺は手を離して、機体の方へ戻った。
先に直すものがある。
背中側へ回って、炉のハッチに手をかけた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
ハッチは、固かった。
留め具を四つ外して、縁に当て金を噛ませ、梃子にして起こす。噛み合いが錆で張り付いている。三度目でようやく、ベコッと鳴って浮いた。
中を覗く。
【魔導炉:停止】
【冷却系:機能していません】
読める。ちゃんと整備画面が生きている。
冷却の配管が、二本とも内側から裂けていた。長いあいだ止まっていた炉が、どこかで一度だけ無理に回された跡だ。
俺は裂けた配管の縁に指を当てた。断面が新しい。
そして、視界が切り替わった。
【整備記録を検出】
【照合を開始します】
【4,380】
【4,380】
【…………】
【照合完了】
表示が消えて、少し間があった。
それから、音が来た。
ノイズだった。砂を擦るような、意味にならない音が、炉の奥から押し出されてくる。音の塊が三回続いて、四回目で、形になった。
「……オカエリ、ナサイ」
人の声の、下の方だけを削いだような声だった。
「セイビチョウ」
俺は配管から指を離せなかった。
整備長、という役職は、ギルドになかった。修理職に上位職は実装されていない(はずだ)。十二年、誰にもそう呼ばれたことがない。
「……お前、喋れるのか」
「……ハイ」
「十二年、黙ってただろ」
「……シュツリョク、タリマセン、デシタカラ」
声が途切れる。単語を一つずつ、どこかから探してきて並べている喋り方だった。
「キロク」
「ヨンセン、サンビャク、ハチジュウ、ニチ――」
「【オール・リペア・コンプリート】、オンセイ、キロク」
「ゼンブ、ホゾン、シテ、アリマス」
手が止まった。
誰も聞いていない場所でしか言えない台詞だった。格納庫の一番奥で、照明の切れた暗がりで、十二年、毎晩言っていた。褒められたくて言っているわけじゃないと、自分に言い聞かせていた。
聞いていた奴がいた。
「……全部か」
「ゼンブ」
「消せ」
「……デキマセン」
ノイズは少し黙ってから、続けた。
「……オソイ、デス」
それが、第一声の最後だった。
俺は配管に指を戻して、裂け目の長さを測った。二十二センチ。内側の層だけが裂けている。外は持っている。当て板で巻いて、締め金で押さえれば、炉を回すところまでは持つ。
手が動いているあいだに、喉の奥が片付いた。
「……待たせたな」
「ハイ」
それだけにした。
礼を言われた覚えはないし、謝られた覚えもないから、どっちの返し方も知らない。知らないものは触らないのが、整備の基本だ。
配管を巻いて、締め金を四つ打って、受け皿に残っていた魔晶石の欠片を炉へ回した。
ヴゥゥン……。
炉が、低いところで回り始めた。回転は不安定で、七秒ごとに音が落ちる。欠片一つでは、照明と整備画面を同時に持たせるのが限界だった。
「お前、名前はあるのか」
「……【□□□】」
「文字化けしてるぞ」
「……ハイ」
「直せるか」
「……ホンキ、ノ、ケンゲン、デハ」
「本気?」
「ホンキ。……キタイ、ノ、キ」
一人称が出てきた。さっきまで単語しか並べられなかったのに、炉を回したら文の形に近づいている。
「じゃあお前は『ノイズ』だ。最初に聞いた時、そういう音だった」
「……ノイズ」
「不満か?」
「イエ。……トウキ、ノ、コショウ、トシテ、トウロク、シマシタ」
権限がないと言ったが、どうやら登録はできるらしい。俺は整備画面をもう一度開いた。
【XG-00/継接】
【魔導炉:出力1%/不安定】
【冷却系:応急処置済み】
【稼働可能部位:0】
このままでは動かない。腕も脚も、一つも生きていない。十二年ぶんの継ぎ接ぎは全部付いているのに、どれ一つ、信号が通っていなかった。
画面を下へ送る。整備の項目が並んでいる。調律、冷却、駆動、刻印回路。十二年見てきた並びだ。
一番下に、見たことのない行があった。
【メンテナンスモード:ログアウト】
このボタンも灰色だった。押せない。
「ノイズ」
「ハイ」
「これは何だ?」
「……フメイ、デス」
「お前の画面だろ」
「ホンキ、ノ、ガメン、デハ、アリマセン」
炉の音が、七秒目で落ちた。
だが灰色の行は、暗がりの中で、消えずに残っていた。




