第4話 三十秒で立たせてやる
朝の五時に目が覚めた。工場の夜勤明けに染みついた時刻で、現場を追われてからの三年も、体だけは律儀に俺を起こした。行く場所がなかっただけだ。世界が変わっても、そこは変わらないらしい。
寝ていたのは、アストール家の屋敷の裏にある古い厩舎だった。屋敷といっても石壁の半分は崩れていて、住んでいるのはフィーネ一人だという。厩舎に馬はいない。代わりに、膝を伸ばしたまま固定された青い騎兵が、窮屈そうに梁へ頭をつかえさせていた。PL-07。アストール家に三十年前から伝わる機体だ。
俺は工具ベルトを締めて、まず昨日の添え木を見た。溶接した六か所はどれも割れておらず、当て板のボルトも緩んでいない。夜のうちに冷えた鋼管が、装甲と同じ温度になっていた。ただし、あくまで仮留めだ。膝は曲がらない。走れない。しゃがめない。戦うなら、片脚が丸太の騎兵で戦うことになる。
「早いですね」
厩舎の入口に、フィーネが立っていた。水の入った桶と、黒っぽいパンを二つ抱えている。
「癖だ。朝一番に機体を見ないと落ち着かない」
「……私も、毎朝この子を見に来るんです。見ても、直せないのに」
フィーネは桶を置いて、騎兵の脛に手のひらを当てた。
朝飯のパンは固く、少し酸っぱかった。かじりながら、町の事情を聞いた。ザルツの住人は二百人ほどで、ほとんどが機兵墓場から使える部品を掘り出し、行商人に売って暮らしている。魔導騎兵の腕一本、炉の冷却管一本が、町の一週間分の食料になる。ところが使える部品はもう残り少ない。何十年も掘り続けて、目ぼしいものはあらかた持ち出された。
「最近は、外から鉄屑漁りまで来るようになりました。町の人が選り分けた部品を、根こそぎ持っていくんです」
「鉄屑漁り?」
「盗賊です。どこかの軍から逃げてきた騎兵乗りが、壊れかけの騎兵を寄せ集めて……」
町の方から、鐘が鳴った。
カァン、カァン、カァン。
三つずつ、間を詰めて。フィーネは食べかけのパンを桶の縁に置き、もう騎兵の昇降梯子に手をかけていた。
「鉄屑漁りが来た合図です。三機以上」
「その脚で出る気か」
「町の騎兵は、この子しかいません」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
谷へ下りる坂の途中で、相手が見えた。
騎兵が三機。どれもLZ-03Bだ。量産機のランツァーを墓場の部品で継ぎ合わせた盗賊仕様の機体で、塗装はまだら、左右の腕の太さが違う機体まである。墓場の入口に積まれた町の選別済みの部品へ、もう鉤爪付きの腕を伸ばしていた。
解析眼が勝手に開く。
【対象:LZ-03B×3】
【二番機・左膝:PL系列の部品を換装】
真ん中の一機だけ、左膝の装甲の形が違った。ランツァーの膝ではない。パラディオン系の膝関節を、無理やり付け替えてある。墓場から盗んだ部品だろう。そしてあれは、フィーネの騎兵の右膝と同じ系列の部品だ。
パラディオンの膝関節は、左右で同じ部品を使う。受け金具の向きを変えるだけで右にも左にも付く、量産を考えて作られた整備性Bの機体らしい作りだった。攻略wikiには載っていない。部品表を自分でめくった人間しか知らないことだ。
止める機体から部品を外して、動かしたい機体へ移す。整備の現場で共食い整備と呼ばれるやり方で、工場では、部品の納期が間に合わない夜に何度もやった。
「フィーネ、聞こえるか」
騎兵の足元を走りながら怒鳴ると、外部拡声器から返事が来た。
「聞こえます!」
「真ん中の奴、左膝だけ形が違うだろ。あれはお前の機体と同じパラディオン系の膝だ。あいつの膝をもらう」
「もらう、って……戦いながらですか!?」
「戦いながらだ。俺が二番機の膝をばらす。外した膝を、そのままお前の右膝に移す。三十秒くれ。その間、膝は伸ばしたまま、腰と肩だけで受けてくれ」
「伸ばしたままなら、右脚を軸にして回れます」
「回れる?」
「曲がらない脚は、地面に刺した杭と同じです。杭を中心に回れば、正面はいつでも敵に向けられます。踏み込みはできませんけど」
騎乗職ならではの発想だった。整備の頭からは出てこない。
「それでいい。三十秒、その場で回り続けろ」
一番機がこちらに気づいた。鉤爪の腕を振り上げ、坂を駆け上がってくる。フィーネの騎兵が、右脚を地面に突き立てたまま、左足で砂を蹴った。
ザリッ。
機体が右脚を軸に半回転し、左腕の盾が、一番機の鉤爪を横から受け止める。
ガンッ!
弾かれた一番機がたたらを踏んだ。その隙に、俺は二番機へ走った。二番機の乗り手は、生身の人間が向かってくるとは思っていなかったらしい。腕で払おうとして、振りが遅れた。
左膝の裏に回り込む。換装された膝関節は、ランツァーの脛とパラディオンの腿を、変換用の金具でつないでいた。金具を留めるボルトは四本で、うち二本は規格の違うボルトが無理やりねじ込んである。規格違いのボルトは、ねじ山が半分しか噛んでいない。
「三十秒修理、三十秒で立たせてやる」
レンチを噛ませて、逆へ回す。
ガチッ――キンッ。
一本目が、ねじ山ごと飛んだ。二本目も同じで、残りの二本は正規品だから手応えが重い。頭の上で、二番機が拳を振り下ろした。
ゴッ!
背後の地面がえぐれ、砂利が背中に降ってくる。
「オサムさん!」
「数えててくれ! あと二十五!」
三本目。四本目。
ゴトン。
換装された膝関節が、金具ごと二番機の脚から外れた。支えを失った二番機が、左へ傾いて膝をつく。
ズシン。
外した膝関節を肩に担ぐ。四百キロはあるだろう。筋力九百八十の体は、それでも普通に走れた。
「あと十八!」
拡声器から、フィーネの声が数字を刻んでくる。騎兵までは二十歩。その間も、フィーネは右脚を軸に回り続けていた。一番機の鉤爪を盾で受け、三番機の体当たりを回転で横へ流し、正面を敵に向けたまま一歩も引いていない。
騎兵の右膝に取りついて、昨日の添え木を溶接トーチで焼き切る。
ジジジッ――。
割れたシリンダーをボルトごと引き抜き、空いた場所に二番機から外した膝関節を差し込んだ。規格は同じパラディオン系だ。ただし年式が三十年違う。取り付け穴の位置が、指一本分ずれていた。
「あと九!」
ずれた穴に、ボルトは通らない。通らないなら、穴の方を寄せればいい。工具ベルトから細い鋼の棒を抜く。ドリフトピン。ずれた穴同士に斜めに差し込み、ハンマーで叩く。
カンッ。カンッ。
打つたびに、二枚の金具が少しずつ寄っていく。穴がそろった瞬間、ボルトを通して締めた。
キュッ。
「あと二!」
「曲げろ!」
フィーネの騎兵が、膝を曲げた。昨日までの、油圧の抜ける音はしなかった。作動油がしっかり乗った、低い駆動音が膝から上がってくる。
ギュイッ。
沈み込んだ機体が、そのまま地面を蹴った。三十年前の型とは思えない踏み込みだった。昨日まで膝の死んでいた騎兵が、一番機の懐へ一歩で入る。盾の縁で鉤爪の付け根を突き上げ、がら空きになった胴へ、剣の柄頭を叩き込む。
バギッ。
一番機の胸部装甲が割れて、炉の冷却管がのぞいた。乗り手が慌てて機体を下げる。三番機はそれを見て、仲間を置いたまま谷の外へ逃げていった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
谷に残ったのは、膝のない二番機と、胸の割れた一番機だった。どちらも、もう戦える状態じゃない。
俺は騎兵の右膝に手を当てた。作動油の匂いは薄い。漏れていない。
「修理完全完了、もうどこも壊れていない」
拡声器から返事が来るまで、少しかかった。
「……今度は、ちゃんと直ってるんですよね?」
昨日の仮留めを、覚えていたらしい。俺はもう一度、膝の継ぎ目を見た。シリンダー、パッキン、受け金具。ドリフトピンで寄せた穴にも、ボルトの頭がきちんと座っている。
「ああ。今度は本当に、どこも壊れてない」
「よかった」
そこは、ありがとうじゃないのか。言いかけて、やめた。言われたら言われたで、また返事に困る。
二番機の操縦席から、盗賊が転がり出てきた。髭面の男だった。フィーネが騎兵の剣先を向けると、両手を上げたまま怒鳴った。
「墓場の鉄は、誰のもんでもねえだろうが!」
「町の境界の内側は、ザルツのものです。それに」
拡声器の声が、一度だけ俺の方を向いた気がした。
「その膝は、もうこの子のものです」
盗賊は、外された自分の膝と、青い騎兵の脚を見比べた。口が半開きのまま、言い返す言葉は出てこなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
町へ戻ると、門の前に人が集まっていた。鐘を鳴らした本人らしい老人が、先頭で俺を待っている。手には、縄の切れたつるべを持っていた。
「兄さん、あんたが膝を付け替えたって聞いたが」
「付け替えた」
「井戸の滑車も、見てもらえんかね」
差し出された滑車は、軸受けが削れて楕円になっていた。縄が片寄って擦れ、そこから切れたのだろう。原因は滑車じゃない。井戸枠の方が傾いている。俺は枠の脚に手を当てて押した。ぐらついた。
「枠が沈んでる。滑車を替えても、三日で同じところが切れる」
「じゃあ、どうすりゃいい」
「石を一枚、こっちの脚の下に入れろ。そのあと滑車の軸を一回転分ずらして、削れてない面を使う」
老人が石を探しに走っていくと、後ろに並んでいた女が荷車を押し出してきた。車軸が曲がっている。その後ろの男は底の抜けた鍋を抱えていて、さらに後ろには、割れた鋤の刃を持った若い男がいた。列が、門の外まで伸びていた。
「おい」
「はい」
「俺は騎兵の整備兵だ」
「鍋も鉄でしょう」
反論が思いつかなかった。荷車の車軸は曲がった方向と逆に支点を置いて体重をかけたら戻り、鍋は底板を一枚打ち直した。鋤の刃は、墓場で拾った装甲の端材から削り出した。気がつくと、日が高くなっていた。
フィーネが騎兵を厩舎へ戻して様子を見に来た時には、列はまだ半分残っていた。
「オサムさん、あの」
「なんだ」
「ご自分の朝食、まだですよね」
「パンを食った」
「それは五時間前です」
フィーネは町の人に向かって手を叩き、明日の朝にまた並ぶよう告げた。誰も文句を言わなかった。言わない代わりに、置いていったものがあった。厩舎の入口に、パンが四つと、干した肉と、卵が三つ積まれていた。
「……払いは、こういう形になるのか」
「ザルツに、お金はありませんから」
卵を一つ手に取る。殻の表面に、まだ藁が付いていた。直せば、飯が出る。十四年働いて、それから三年なにもできずにいて、はじめて釣り合った取引だった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
同じ朝。グランツ騎士王国の王都、その王城の中庭に、白金の騎兵が立っていた。RX-09。昨夜まで、ギルド『アーク・ヴァンガード』の旗機だった機体だ。
シズクは中庭を見下ろす回廊で、手元の端末に昨夜の記録をまとめていた。サーバーが止まった瞬間、最終レイドの会場にいたギルドの全員が、この王都の郊外に立っていた。原作の大陸マップでいえば、物語の第一章が始まる場所だ。
レオンハルトの判断は早かった。原作の第一章は、病に伏せたグランツ王の暗殺から始まる。暗殺者が王城へ忍び込む地下水路の位置も、近衛騎士団の騎兵がすべて型落ちのパラディオンであることも、ギルドの全員が知っていた。暗殺者より先に地下水路を押さえ、近衛騎士団を夜明け前に抑え込んだ。王は命を拾い、命の恩人となったレオンハルトに、騎士団の全権を預けた。
一晩で、国を一つ手に入れたことになる。
「シズク。全機の拠点帰還は」
回廊の奥から、レオンハルトが歩いてきた。
「実行しました。二百九十二機、全機とも」
「結果は」
「……機体の状態に、変化はありません」
シズクは画面を伏せた。伏せる必要はなかった。彼はもう中庭の方を見ていた。
「サーバーの仕様が変わったのだろう。登録先の拠点が、まだ正式に反映されていないのかもしれん。王城の登録名を、原作の表記に合わせて書き換えろ」
「……はい」
「出力の数字は?」
「全機とも、正常値の範囲内です」
「なら問題ない」
シズクが口を開く前に、話は終わっていた。
「なあ、シズク」
中庭から、ドレイクの声が上がってきた。RX-07Hの肩に腰かけて、こちらを見上げている。
「やっぱ機体が重いんだよな。昨日から」
「昨日も、同じことを言っていましたよね?」
「だろ? 一晩寝ても戻ってねえの。踏み込んだ時に、左がちょっと沈むっつーか。気のせいかもしれねえけど」
シズクは端末の記録をさかのぼった。追放の直前、格納庫で、オサムがドレイクに言った言葉が残っている。
――左膝のアクチュエータが、踏み込むたびに〇・三秒遅れて沈んでる。
シズクはその一行を、何も書き足さずに閉じた。
中庭の隅では、小柄な人影が、ソヴリンの左肩を見上げていた。スパナだ。昨夜から着替えていない作業着のまま、点検ハンマーを右手に下げている。
カン、カン。
放熱翼を叩く音が、回廊まで小さく届いた。三番と四番のところで、音がわずかに濁った。スパナはハンマーを握ったまま、そこから動かなかった。
【グランツ騎士団 調律誤差2.1%/稼働限界まで、あと13日】




