第3話 壊し方なら知っている
丘を越えたところで、見えてきた。
鉄屑の山の裾で、一機の騎兵が片膝をついている。
PL-07の初期型だ。ゲーム中でも三十年は前の型になる。くすんだ青の装甲に、剣と歯車を組み合わせた家紋が描かれていた。右膝から下が不自然な角度に曲がり、関節の隙間から作動油が黒く垂れている。
その騎兵に、魔獣が覆いかぶさっていた。
甲殻種だ。大きさは騎兵とほとんど変わらない。平たい楕円の胴体に、節のある脚が六本。原作の図鑑名は鉄喰い。金属を餌にする魔獣で、序盤のフィールドで機体の足に踏み潰されるのが仕事の相手だった。
だがあくまで、機体があれば、の話だ。
鉄喰いの前脚の鋏が、騎兵の肩の装甲を挟んでいた。
バギッ。
装甲板が一枚、留めていたボルトごと根元から剥がれた。鉄喰いはそれを口元へ運んで、噛む。ベコッ、ベコッと、板が奥歯で凹んでいく音がした。
騎兵の左腕が動いて、魔獣の胴を殴りつける。
カァンッ、と甲殻がそれを弾いた。右腕は肩から上がらないらしい。立ち上がろうとするたびに、右膝から油圧の抜ける音が漏れる。
シュコッ。
あの膝は、もう体重を受けられない。シリンダーが割れている。
「――下がって! そこの人、下がってください!」
騎兵の外部拡声器から、若い女の声が割れて響いた。
「ここは危険です! 私がこれを引きつけている間に、町の方へ!」
引きつけている、と彼女は言った。
膝の死んだ機体で、片腕だけで、甲殻種を相手に。
俺は自分の両手を見たが、機体はない。ツギハギは、たぶん一緒には来ていないようだ。あるのは背中のレンチと、腰の工具ベルトだけ。
VGOで、生身のまま魔獣と戦った修理職はいない。
いないが、戦えないわけではなかった。
修理職は、本来は冒険とクエストで稼ぐための職として作られている。解析眼で鉱脈と仕掛けの構造を見抜き、工具術で生身のまま身を守り、掘って、直しながら、何日でも奥へ進む。生身のステータスには、そのための振り先がきちんと用意されていた。
誰もそんな遊び方をしなかっただけだ。機体でダンジョンや資源を探した方が、十倍速く素材が出る。 それに課金アイテムを使えばもっと楽だ。取得素材量を増加させたり、食料や燃料もすべて金で解決できた。
だが、俺は課金をしなかった。だから素材は、全部自分の足で掘った。
正確には、できなかった。三年前にリアルの現場を追われてから、毎月の金は役所から出ていて、ゲーム課金に回す分はどこにもない。だから素材は全部、自分の足で掘った。
俺はツギハギの足元に腰を下ろして、残り時間の表示を眺めた。これが消えたら、俺の一日には何も残らない。三年のあいだ、ここだけが出勤先だった。
これまで十二年分のレベルアップは、すべて筋力と器用の値に注ぎ込んできた。
その数字がこの世界でどう働くのかは、まだ知らない。
だが、あの機体の膝が今どうなっているかなら、知っている。
だから俺は走った。
砂を蹴る。足が、思っていたよりずっと遠くまで前へ出た。三歩で丘の斜面を下りきり、五歩目には鉄屑の山の裾に入っていた。
鉄喰いがこっちに気づいた。六本の脚のうち、後ろの二本が向きを変える。
その瞬間、修理職のスキルが勝手に起動した。
解析眼。
視界の中で、魔獣の輪郭に細い線が走っていく。機体を整備する時に見ているのと同じ表示だ。甲殻の継ぎ目。関節の位置。重さがかかっている向き。
【対象:鉄喰い】
【荷重集中:右後脚・第二関節】
六本の脚は、体重を均等に支えていなかった。前脚の鋏で騎兵を挟んでいる分、胴体が前へ傾いている。その傾きを、右の後ろ脚の二つ目の関節が、一本でまとめて受けていた。
「そこの騎兵、聞こえるか!」
走りながら、俺は怒鳴った。
「左腕、肘から先はまだ生きてるな! そいつの頭を、下から殴り上げろ! 倒さなくていい、前を浮かせるだけでいい!」
「えっ、あなた、何を――」
「前が浮けば、後ろの脚に全部の重さが乗る! 俺はその脚をばらす!」
「ばらすって、生身で、ですか!?」
「肩の装甲、あと一枚剥がされたら次は胴体の外板だ! その奥は炉の冷却管だぞ、そこを噛まれたら機体ごと終わる! いいから殴れって!」
拡声器の向こうで、何かを言い返しかけた気配があった。
それから、騎兵の左腕が持ち上がった。
ゴッ!
鈍い音とともに、鉄喰いの頭が跳ね上がる。前脚の鋏が肩の装甲から外れ、楕円の胴体が後ろへ傾いた。
右後脚の第二関節に、胴体の重さがまとめて落ちてくる。節と節の隙間が開いて、奥に白っぽい腱の束が覗いた。
俺はそこへ、レンチを突き込んだ。
狙ったのは、殻と殻の重ね目だ。節足の関節は、二枚の甲殻が蝶番のように重なってできている。重なりの奥には、殻同士を留めている腱がある。機体で言えば、関節を固定しているボルトと同じ役目だ。
ボルトを外す時は、力任せに叩かない。噛ませて、回す。
レンチの口が、重ね目の奥にガチッと噛んだ。
「分解開始、壊し方なら知っている」
柄を両手で握り、締める時とは逆の向きへ回す。
ブチッ。
腱が一本、切れた。
さらに回す。二本目。三本目。鉄喰いが暴れ出した。残りの脚が砂を掻き、鋏が頭の上をかすめる。風圧で作業帽が飛んでいった。
四本目で、手応えが変わった。
メリメリッ――バキィッ!
重ね目ごと、関節が外れた。右の後ろ脚が付け根から折れ、胴体の右側が砂の上に落ちる。
ズシン。
地面が揺れた。落ちてきた甲殻の縁が、俺の靴の先から拳一つ分の場所に食い込んでいる。
鉄喰いは残った五本の脚で起き上がろうとした。だが、できない。体重を受け持っていた関節を、真っ先に外したからだ。前のめりの姿勢のまま、鋏だけを振り回している。
その鋏の一本が、俺の方へ伸びてきた。避けるより先に、横から青い装甲が割り込んできた。
ガァンッ!
騎兵の左腕が、鋏を下から押さえ込んでいた。右膝をついたまま、上半身だけをひねって。
「その脚、もう一本外せますか!」
拡声器の声は、さっきより落ち着いていた。
「外せる。けど、もう要らない」
「え?」
「そいつの体は、右の後ろ脚で全部を支える作りだった。もう二度と立てない。残りは首の付け根だけだ。その腕で鋏を押さえたまま、三秒持たせてくれ」
「三秒ですね。分かりました」
返事が早い。いい乗り手だ、と思った。
傾いた胴体の縁に足をかけて、甲殻の上へ駆け上がる。
首の付け根に、頭部の殻と胴の殻が重なる継ぎ目があった。さっきの関節と同じ作りだ。レンチを噛ませ、柄に体重を乗せる。
今度は、外すために回すんじゃない。
締める向きへ、全部の力をかけた。
ゴキィンッ。
継ぎ目の奥で、噛み合った殻同士が、締め込まれる力に耐えきれずに割れた。頭部がだらりと垂れ下がり、鋏から力が抜けていく。
「廃棄処分、お前はもう直らない」
鉄喰いの脚が、一本ずつ砂の上へ落ちていった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
谷に、風の音が戻ってきた。
鉄喰いの死骸から、焦げた鉄のような臭いが立ちのぼっている。俺はレンチを砂に突き立てて、自分の手のひらを見た。
震えていない。皮も剥けていない。八十キロの鉄の塊を振り回して、関節を一つと首を一つ外したのに、腕には軽い疲れが残っているだけだった。
筋力に十二年振り続けた数字が、ここでは本当に筋肉になっている。
プシュッと排気の音がして、騎兵の胸部ハッチが開いた。
魔導騎兵から降りてきたのは、十九くらいの若い娘だった。
くすんだ金髪を後ろで一つに束ねている。束ね方が固く、走っても崩れない結び方だ。革の騎乗服は所々に継ぎが当たっていて、当て革の色が三種類あった。三回直して、三回とも布が違ったということだ。
ふと目をやると腰の剣は細身で、鞘の金具だけが新しい。
手袋の指先が、黒く光っていた。作動油だ。
乗り手は、自分で機体を触る人間と、触らない人間に分かれる。
この娘は、触る方だということだ。
彼女は操縦席の縁に手をかけたまま、俺ではなく、自分の機体の右膝を見下ろした。
「……この子、また立てますか?」
礼も言わずに最初に聞くのがそれか。
だが、悪くない。なぜか俺は普通なら怒れるような状況にも関わらず思った。
俺はレンチから手を離し、騎兵の右膝の横にしゃがみ込んだ。装甲の隙間から中を覗く。作動油の匂いが濃い。
「油圧シリンダーが割れてる。根元のパッキンも熱で焼き付いてるな。膝の受け金具には、たぶんクラック……ひびが入ってる」
「直りますか」
「部品があればな。シリンダーは丸ごと交換。受け金具は溶接で埋める。この鉄屑の山を漁れば、パラディオン系の膝くらい一つ二つは出てくるだろ」
「今夜のうちに、町まで歩かせることはできませんか」
彼女は谷の向こうを振り返った。夕日が、もう稜線にかかりかけている。
「町まで二キロほどです。ここに置いていけば、夜のうちに鉄喰いの群れが来て、この子は朝までに骨組みだけになります」
鉄喰いは群れで動く。原作の図鑑にもそう書いてあった。一匹目の死骸の匂いを嗅ぎつけて、次が来る。
「歩かせるだけなら、なんとかする。ただし膝は曲がらなくなるぞ?」
「それで、構いません」
とても気持ちの良い答えだった。
俺は鉄屑の山の裾を見て回り、ランツァーの脚から外れた補強用の鋼管を一本引き抜いた。太さも長さも、ちょうどいい。それを騎兵の右膝の外側に沿わせて、腿と脛の装甲をまたぐように当てる。
腰のベルトから溶接トーチを外し、点火した。
ジジジッ――。
青白い火が鋼管の端を装甲に食いつかせていく。上を三か所、下を三か所。膝を伸ばしたまま、曲がらないように固定する。人間でいえば、添え木を当てた脚だ。
最後に、受け金具の割れた部分へ当て板を噛ませて、ボルトを二本、規定より一段強く締めた。
キュッ。
どうせ明日には全部外す締め方だ。今夜持てばいい。
俺は一歩下がって、騎兵の膝を平手で叩いた。
「修理完全完了、もうどこも壊れていない」
「……あの」
彼女が、ハッチの縁から俺と膝の添え木を見比べていた。
「今の、誰に言ったんですか」
「機体にだが?」
言ってから、俺は膝の継ぎ目を見直した。割れたシリンダーはそのまま。パッキンも焼き付いたまま。添え木と当て板で、無理やりまっすぐにしただけだ。
「……いや、まだ壊れてるな。仮留めだ」
「壊れてるのに、言ったんですか」
「癖だ。十二年言ってると、口が先に動く」
「十二年も、誰かに言い続けていたんですか」
「機体にだ」
「それは、さっき聞きました」
彼女は何か言いたそうに口を開けて、結局そのまま閉じた。それから操縦席の縁を蹴って、俺の前へ飛び降りてきた。
「あなたは……騎士では、ないんですよね。その工具、整備兵の方ですか?」
「元、整備兵だ。さっきクビになったけどな」
「さっき?」
「一時間くらい前」
正確には、もっと前かもしれない。サーバーの時計と、この夕焼けの時刻が、どうつながっているのか分からない。
「クビになった方が、なぜ工具を一揃い背負って、魔獣のいる谷を歩いているんですか」
「置いてく場所がなかった」
彼女は背筋を伸ばして、俺に向き直った。
「はっ、そういえばお礼がまだでした! 助けていただいて、ありがとうございます。私はフィーネ・アストール。この先の町、ザルツを預かるアストール家の者です」
ありがとうございます、と言われた。 なぜか、すぐに返事が出てこなかった。
工場でも、ギルドでも、その言葉を正面から向けられた覚えがない。直して当たり前。壊れたら担当者の責任。十四年、そういう場所で働いてきたのだ。
代わりに、膝の装甲を指で叩いた。
カン、と濁った音が返ってくる。
「……礼なら、こいつをちゃんと直してからにしてくれ。今のは仮留めだけだからな」
フィーネは自分の機体と俺の顔を見比べてから、小さく頷いた。
「ザルツ、って言ったな」
「ご存じありませんか? この谷の向こうにある町です。このあたり一帯は、各国が直せなくなったマギアを捨てに来る場所で……」
「マギア」
「はい。あの、魔導騎兵のことです。言い方が違いましたか?」
「いや。そっちが正式名称だ」
攻略wikiでは、誰もそう書かなかった。十二年、俺たちはただ「ギア」と略していた。この一帯も、ゲームの地図には機兵墓場と出ていた。
この世界では、向こうが本名らしい。
「マギアをきちんと直せる技師は、どこの国でも数えるほどしかいません。王都の工房ですら、炉の調律ができるのは一握りの方だけで。だから壊れたマギアは、使える部品だけを外して、ここへ運ばれてきます」
フィーネは谷底の、鉄の山脈を振り返った。
「私の家は、この墓場の管理を任されています。名ばかりの役目ですけど」
VGOでは、騎兵が壊れて捨てられることはなかった。拠点へ戻せば直るのだから、捨てる理由がない。
ここは、そうじゃないらしい。
フィーネは騎兵に乗り込み、伸びたままの右脚を引きずるようにして、谷の向こうへ歩かせ始めた。
ガシャン、ズッ。ガシャン、ズッ。
曲がらない脚は、前へ出すたびに地面を擦る。一歩ごとに機体が左へ傾き、操縦席の中から小さな声が漏れてくる。それでも、止まらずに歩いていた。
俺はレンチを担いで、その横を歩いた。
谷の縁に出たころには日が沈みきって、星が出始めていた。南の低い空に、明るい星が三つ、斜めに並んでいる。
VGOの夜空にあった星座だ。ログインするたびに、格納庫の窓から見ていた並びと同じだった。
ここは、VGOの世界だ。少なくとも、VGOとよく似た世界だ。
そして俺がここにいるのなら、たぶん俺だけじゃない。サービスが終わる瞬間、サーバーにはまだ何千人もログインしていた。最終レイドの会場には、うちのギルドの全員がいた。
視界の隅で、システムの表示が点滅していた。戦闘の最中からずっと光っていた通知だ。読む暇がなかった。
今、開く。
【お知らせ】
【拠点帰還による全快機能は、この世界では提供されません】
その二行を、三回読んだ。
それから、RX-09の白金の肩を思い出した。放熱翼の三番と四番。三日前から、温度の戻りが遅い。
拠点に戻せば直る、とあいつは言った。
だが――戻す拠点は、もうない。
「……あいつら、気づいてないな」
谷を渡る風が、鉄屑の山を鳴らしていく。
どこかで外れかけた装甲板が、カタン、カタンと、緩んだボルトの音を立てていた。
あれも明日には、締めてやらないといけない。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
同じ夜。グランツ騎士王国の王城、中庭。
篝火の輪の中に、白金と黒の騎兵が並んで立っていた。地下水路の制圧は、夜明けを待たずに終わっていた。
「なあ、レオンハルトさん」
ベヘモスの足元で、ドレイクが膝の装甲を靴の先で蹴った。
「なんか機体が重いんだよな。さっきから」
「重い、とは」
「踏み込んだ時に、左がちょっと沈むっつーか。気のせいかもしれねえけど」
「拠点に戻せば済むことだ」
レオンハルトは城の二階の窓を見上げていた。病床の王の部屋だ。朝になれば、国の全権がこちらへ移る。
「シズク、拠点帰還の登録は」
「この王城で完了しています」
「ならば明朝、全機まとめて実行する。それで戻る」
「……はい」
シズクは端末の画面を一行だけ見つめていた。
【指定された拠点が存在しません】
三度試して、三度同じ文字が出た行だった。
「出力の数字は?」
「全機とも、正常値の範囲内です」
「なら問題ない」
レオンハルトは窓から目を離し、兵の配置を確かめに歩いていった。
シズクは端末を閉じずに、追放通知の記録を呼び出した。昨夜の分の、一番下の行だ。
【反対:1(シズク)/記録済】
記録には残っている、それだけだった。
中庭の隅では、小柄な人影が、ベヘモスの左膝のハッチを開けていた。工具箱を足元に置いて、一人で、誰にも頼まれずに。
カン、カン。
打診の音が二回、篝火の下で鳴った。
【アーク・ヴァンガード 調律誤差1.5%/稼働限界まで、あと14日】




