第2話 通算整備日数、四千三百八十日
俺の個人格納庫は、共用ドックの一番奥にある。
天井の照明は、二本のうち一本が切れたままだ。わざと直していない。このくらいの暗さの方が、装甲の継ぎ目に溜まった影がよく見える。
その影の中に、俺の機体が座っている。
型式XG-00。
原作の表示名は『ノーネーム』。名前の登録欄が空白のまま実装されたから、そう表示される。攻略wikiでの通称は「スクラップ」。全機体の性能評価で、十二年間、一度も最下位から動かなかった。
初期ステータスは全項目が最低値。パーツを付けるスロットだけは異常に多いのに、そこへはめられる純正パーツが一つも存在しない。改造費は最新機の十倍。開発中止になった試作機のデータを、運営が消し忘れて残したのだろう――というのが、プレイヤーの間の通説だった。
おまけに、顔が悪い。
エース機の多くは、凛々しい二つの目を持つ双眼型だ。みんなご存じのあの白い悪魔みたいな二つ目タイプな。だが、こいつは違う。横一文字に裂けた単眼のスリットに、牙のように並んだ下顎の排熱口。どこからどう見ても敵役の顔で、スクリーンショットに一緒に写りたがるプレイヤーはいなかった。
俺はこいつに、継接と名前を付けた。
ほかの機体から外した部品をつなぎ合わせて、どうにか形にしてきたからだ。右腕は量産機ランツァーの腕、左膝はパラディオンの膝、装甲の半分は塗装の色が違う。乗れば遅く、戦えば負ける。ギルドの誰ひとり、これに乗りたいとは言わなかった。
それでも十二年、毎晩ここへ来て、整備だけはしてきた。
最初の九年は夜勤明けの朝にログインし、ここ三年は、目が覚めた時間にログインした。ギルドの機体を一機ずつ見て回り、最後にこいつの前に座る。それが俺の一日の終わりだった。
ほかに終わらせる一日が、なかった。
【サービス終了まで 00:41:08】
視界の隅に浮かぶ表示を無視して、点検ハンマーを手に取る。
カン、カン。
装甲の継ぎ目を、順に叩いていく。音が澄んでいれば、裏側でボルトが生きている。濁れば、どこかが浮いている。
左の脛のあたりで、一か所だけ音が鈍った。
「……お前もか」
装甲板を外すと、内側の固定ボルトが一本、四分の一回転だけ緩んでいた。ラチェットを差し込む。
ガチッ、ガチッ――キュッ。
締め切った手応えが、手首から肘まで返ってくる。この感触だけは、工場の機械もゲームの機体も変わらない。
関節のグリスを足し、配線の被覆を一本ずつ指でなぞり、魔導炉の調律値を確かめる。誤差なし。冷却も正常。どこにも狂いはない。
格納庫の外で、ファンファーレが鳴った。最終レイドが始まったらしい。
俺の知らない戦場で、俺が調律した機体が、今ごろ全力で走り回っている。左肩の冷却を誰にも見せないまま。
俺はツギハギの膝を、平手で軽く叩いた。
十二年、毎晩同じことを言ってきた。誰も聞いていない場所でしか言えない台詞だ。
「修理完全完了、もうどこも壊れていない」
【整備記録を保存しました】
【通算整備日数:4,380日】
システムの返事は、いつもと同じで素っ気ない。
それでいい。誰かに褒められたくて言っているわけじゃない。
ツギハギの足元に腰を下ろして、残り時間の表示を眺めた。
これが消えたら、俺の一日には何も残らない。この三年、ここだけが出勤先だった。
【全プレイヤーの皆様へ】
【十二年間、ヴァルハラ・ギア・オンラインをご愛顧いただき、誠にありがとうございました】
【サービス終了まで 00:00:10】
ログアウトはしなかった。最後の瞬間くらい、ここにいてやろうと思った。
九、八、七。
格納庫の照明が、一本だけ白く灯っている。
三、二、一。
視界の端から、白く焼けていった。
ツギハギの装甲の冷たさが、最後まで背中に残っていた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
最初に来たのは、鼻をつく匂いだった。
鉄錆と、焦げた油。三年前まで毎晩嗅いでいた、工場の床の匂いだ。VGOにも匂いの表現はあったが、ここまで鼻の奥に刺さる設定ではなかった。
次に来たのは、風だった。乾いた砂が頬を打つ。
目を開けると、空が赤かった。
夕方の色だ。サービスが終わったのは、深夜の零時だったはずなのに?
俺は砂の上に仰向けに倒れていた。体を起こそうとして、背中の重みに引き戻されかける。トルクレンチだ。修理職の初期装備から十二年かけて鍛え上げた、全長二メートル、重量八十キロの大型レンチ。VGOでは、背負っていても重さを感じることはなかった。
今は、肩に食い込んでいる。食い込んでいるのに、重くはない。
手癖でメニューを呼び出すと、見慣れた表示が視界に開いた。
【鍛島修/オサム】
【職業:修理職 Lv.99】
【魔導整備:SSS】
【操縦:E】
ゲームの時と同じだ。
ただ、メニューを一番下までめくっても、ログアウトの項目がなかった。運営への問い合わせも、灰色になって押せない。
灰色の項目は、もう一つあった。
【高速転移】
これも押せない。VGOでは、各地のテレポーターに登録しておけば一瞬で移動できた機能だ。灰色になる条件なんて、聞いたこともない。
「……サ終のあとのおまけステージ、って感じじゃないな」
自分の声が、喉を通って耳へ戻ってくる。VRの音声とは、響き方が違っていた。
立ち上がって、周りを見る。
なだらかな丘の向こうが、すり鉢状の谷になっていた。
谷底を埋めているのは、岩ではない。鉄だ。千切れた腕。大穴の開いた胴体。頭のない脚部。何百、何千という魔導騎兵の残骸が積み重なり、錆の色をした山脈になって、夕日を浴びている。
見覚えがあった。
VGOの大陸マップの、南西の端。名前も付いていない、背景用の鉄屑置き場だ。プレイヤーは入れない。遠景に山の形が見えるだけの場所で、俺は一度だけ、格納庫の窓からそこを拡大して眺めたことがある。
入れないはずの場所に、俺は立っている。
しゃがんで、足元の装甲板を一枚拾い上げた。
VGOの鉄屑は、同じモデルの使い回しだった。角度と大きさが数パターンあるだけで、拡大すれば継ぎ目の模様まで一致する。背景用のオブジェクトに手間をかける理由がない。
この一枚は、違った。
溶接の走りが歪んでいる。右から左へ引いた跡で、途中で一度止まって、また始めている。溶接工の手が疲れた跡だ。裏返すと、製造時の刻印の上に、別の刻印が打ち直してあった。どこかの工房が中古を買って、自分の管理番号に書き換えたんだろう。
そして、重い。
ゲームの部品は、どれを持っても同じ重さだった。重量はパラメータで、手には伝わらない。この板は、厚みと錆の分だけ余計に重い。持ち替えたら、重心が指の間で動いた。
匂いもそうだ。VGOの匂い表現は三種類しかなかった。格納庫、火薬、森。鉄錆と焦げた油と乾いた砂が混ざった匂いなんて、どこにも用意されていない。
俺は板を置いて、谷底をもう一度見た。
誰かが作ったマップじゃない。使われて、壊れて、捨てられた場所だ。十二年、俺はその違いだけを見分ける仕事をしてきた。
――ここは、ゲームじゃない。
そう思った瞬間に、腹が鳴った。
間の抜けた音だった。
手が止まった。視界の隅に、見慣れた横棒が出ている。
【満腹度 62%】
満腹度は、十二年前から実装されていた。
実装されていたが、誰も見ていなかった。食料は露店で一個一ヴァルで売っていて、所持金は数百万ヴァルある。腹が減ったら買う。それで終わる簡単な話だった。
ゲージが半分を割ったのを見たのは、十二年で初めてだ。
俺は自分の腹に手を当てた。薄い。三十五歳の腹のはずなのに、二十歳の薄さだった。
この体は、本物の飯を食ったことが一度もない。
――で、どこで買うっていうんだ。
谷底を見回してみた――露店がない。当たり前だ。ここは第一章の領域の外で、町からも遠い。
ゲームなら、露店は町にあった。町にある露店は、在庫が無限だった。何人が何個買っても減らない。そういう作りだった。それに商人クラスのプレイヤーが商売をしている場合もあった。
NPC露店の在庫が無限だったのは、あれがプログラムだったからだ。
プログラムでなくなったものは、どうなる。
俺はメニューを開いて、所持金を見た。
【所持金 4,210ヴァル】
十二年で四千二百だ。
整備は金にならない。部品代が出ていくばかりで、戦果報酬は前線に出た者に配られる。それでも足りた。足りていたのは、買うものが部品しかなかったからだ。
王都には、三百人がいる。
あの連中は、一人で数百万ヴァル持っている。
そして、ものを買う。
――三日で買い占めるな、あれは。
俺が――最後に飯を食ったのは、いつだ?
思い出した。
昨日の昼だ。二百八十円のカップ麺を半分食って、半分は夜に回した。夜に回した分は、まだ部屋の机に置いてある。
机は、たぶんまだある。
机の前に座っていた体も、たぶんまだある。
どこかで、誰かが見つけてくれないと困る体だ。
俺は背中のトルクレンチを担ぎ直した。
八十キロが、肩に食い込んだ。
キィィ……。
谷の手前から、高い音が聞こえてきた。
耳が勝手にそっちを向く。魔導炉の音だ。それも正常な回転じゃない。冷却が追いつかず、炉心が空回りしている時の音。十二年、格納庫で嫌になるほど聞いてきた。
あの音を出している機体は、あと数分で止まる。
考えるより先に、丘を駆け上がっていた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
同じ夕暮れ。グランツ騎士王国の王都から、北へ二キロの麦畑。
倒れた麦の上に、三百機ちかい魔導騎兵が立っていた。
「おい見ろよ、これ新サービスじゃねえの!?」
ドレイクはベヘモスの操縦席から身を乗り出して、地平線の向こうの城を指していた。
「サ終したと思ったら次のゲーム始まってんじゃん。しかも機体そのままって、神運営かよ」
「静かにしろ」
ソヴリンの肩に立ったレオンハルトは、城壁の形と、その手前に広がる街道の分岐を見ていた。
地図を思い出す必要はない。十二年遊んだマップだ。
「......新しいゲームというわけじゃなさそうだ。これは、VGO第一章の開始地点だ。グランツ王は病に伏せていて、三日後の夜に暗殺される。暗殺者は王城の南、地下水路から入る」
「じゃあ先に押さえりゃ、王に恩が売れるってことッスか」
「そうだ。シズク、近衛騎士団の編成は」
「全機PL-07。原作のデータどおりなら、出力はうちの量産機に劣りますが」
シズクは端末の画面から目を上げずに答えた。指は止まっていない。
「ならば夜明けまでに終わるな」
レオンハルトはそれだけ言って、ソヴリンの操縦席へ降りていった。
麦畑の端で、小柄な影が一つ、ベヘモスの左膝の前にうずくまっていた。
スパナだ。誰にも頼まれていない点検ハンマーを、右手に下げている。
カン、カン。
膝の装甲を叩く音が、風の下で二回だけ鳴った。
音は、濁っていた。
スパナはハンマーを握ったまま、そこから動かなかった。
【アーク・ヴァンガード 調律誤差0.9%/稼働限界まで、あと15日】




