第1話 お前の修理、もう要らないから
「お前の修理、もう要らないから」
レオンハルトはそう言って、俺が締め終えたばかりのボルトを指先で弾いた。
キン、と澄んだ音が格納庫の天井まで抜けていく。
規定トルクで締まったボルトは、こういう音を返すものだ。緩んでいれば濁り、締めすぎていれば詰まった音になる。このゲーム中、十二年間ずうっと聞いてきた音だ。聞き間違えようがない。
俺は膝をついたまま、トルクレンチを肩に担ぎ直した。
「今、何て言った?」
「聞こえただろう、オサム。今夜の最終レイドに、修理職の枠は用意していない、いやできないんだ」
ゲーム内No1ギルド『アーク・ヴァンガード』のマスターは、白金の装甲を見上げたまま答えた。俺の方は見ない。見る必要がないと思っているのだろう。
彼の背後にそびえているのは、星冠工房製の最上位機、RX-09だ。全高十一メートル。王冠を模した頭部飾りに、肩から背中へ流れる八枚の放熱翼。出力の数字だけなら、このゲームで動いているどの機体よりも上をいく。そしてビジュアルも良いので人気だ。
そのかわり、どの機体よりも手もコストもかかる。俺にはわかっていた。
それに、修理職の枠がない、というのは、このゲームでは正しい言い方なのだ。
ゲーム名は『ヴァルハラ・ギア・オンライン』。通称VGO。全高十メートル前後の人型兵器、魔導騎兵に乗って戦う、ロボットと剣と魔法を混ぜ合わせたフルダイブ型VRMMOだ。今日はサービス開始から十二年。今夜の二十四時ちょうどに、サーバーが止まる予定だった。正式名称はマギアだが、そう呼ぶプレイヤーはいない。タイトルに合わせて、誰もが「ギア」と略す。
このゲームでは、機体は壊れても直る。
拠点帰還さえすれば、どれだけ穴が開いていようと、装甲が溶けていようと、次の瞬間には新品同様に戻っている。運営が十二年間、一度も変えなかった仕様だ。
だから戦場では、誰も整備のことを考えない。
考えるのは、俺たち修理職くらいのものだった。
俺の名前は鍛島修。リアルでは三十五歳。
ハンドルネームもオサムだ。十二年前、アカウントを作る時に名前の欄で三十秒悩んで、諦めた。
現実では無職だ。三年前まで町工場で機械の整備をしていて、今は月に一度、役所に書類を出して暮らしている。
ゲームの中では修理職のレベル九十九。整備技能SSS。通算整備日数、四千三百八十日。
この数字を自慢できる相手は、十二年で一人もいなかった。
「枠、って言ったか?」
「定員の話だよ」
レオンハルトは端末を開いて、画面をこちらへ向けた。
【ギルド『アーク・ヴァンガード』 在籍300/300】
所属する三百人の中で、人のままの種族を選んでいるのは三割もいなかった。
獣人、鬼人、森霊、機人。強そうに見えるか、美しく見えるか、どちらかに寄っている。
俺が人のままなのは、〇・五ミリを指で掴む仕事をしているからだ。機人の指では掴めない。森霊は力が足りん。獣人は爪が引っかかる。鬼人は格納庫で頭をぶつける。整備に一番向いている種族が、たまたま人だった。
「最終レイド『黄昏』の推奨編成は、火力二百四十、盾四十八、補助十二だからな。だが、うちは満席だ。外から人を入れるなら、席を空けるしかないだろ?」
「外からだって?」
「対人戦ランキングの上位二人に声をかけた。向こうも最後の夜だ、乗ってくれるそうだ」
つまり、火力が二枚増える。そのために、二枚抜きたい。
「誰と誰を抜くんだ?」
「一人は三か月ログインしていない。もう一人が――」
画面が一行だけ下がった。
【機体戦闘貢献度 300位/300人中 オサム】
数字はうそをつかない。
俺は十二年、一度も戦場に出ていない。戦闘貢献度は、与えた損害と撃破数で計算される。機体を直した回数を数える欄は、このゲームのどこにもなかった。
その下に、もう一行ある。
【意志指令 看破/不屈/修理/補給/分解 意志力120】
戦闘中に使う指令の欄だ。騎乗職は熱血や必中といった能力も持っていて、意志力は三百を超える。修理職のそれは全部が支援系で、上限はたったの百二十しかない。
攻略wikiの評価は、三年前から一行で止まっていた。『修理職の意志指令は全部ハズレ。取るだけ無駄』。
書いた奴は正しい。拠点へ帰れば機体は全快するし、死んでも戻る。直す指令にも、庇う指令にも、使いどころがない。
「納得できないか?」
「数字は合ってるな」
「そうか。助かる」
助かる、とレオンハルトは言った。どうやら礼のつもりらしい。
「それに、三日だけだ」
聞き返す前に、彼は続けた。
「サービス終了まで四十五分。どうせ全部消える。来月には別のタイトルが始まるようだし、お前も来るだろう。三日ばかり抜けてて、向こうでまた組めばいいさ」
三日か。
サーバーが止まるのが今夜で、次のゲームが始まるのが三日後。そのあいだだけ、俺はギルドの外にいる。彼の頭の中では、そういう計算になっているらしい。
彼には悪意がない。
たぶん、本当に、これっぽっちも。ゲームだからな、そりゃしょうがない。
「正式な通知を読み上げます」
レオンハルトの隣で、ギルド副官のシズクが手元の端末を開いた。眼鏡の奥の視線は、文面から外れない。
「ギルド規約第十二条に基づき、本日二十三時十五分をもって、メンバー『オサム』の所属を解除します。共用格納庫の部品は返却。個人格納庫および私物の機体は、サービス終了まで使用可とします」
「サービス終了まで、って。あと四十五分だろ」
「……規約上は、そうなります」
シズクは最後の一行だけ、読む速さが上がった。
それから端末を閉じずに、付け足した。
「反対票は、私です。記録には残しました」
「記録、な」
「はい。記録には」
それ以上は、何も言わなかった。
「ははっ、いいじゃねえか。最後の夜くらい、隅っこでのんびり鉄でもいじってろよ」
壁際で腕を組んでいたドレイクが笑った。
うちのエースで、重装突撃機RX-07Hの乗り手だ。特徴としては声がでかい脳筋タイプ。メインが騎乗職、サブが砲術職。火力に火力を足した構成で、それ以外の数字はほぼ初期値のままだが、本人はそれを誇りにしている。
「つーかオサムさんよ、前から聞きたかったんだけどさ」
ドレイクは壁から背を離して、俺の前まで来た。
「あんた、メインでリペア取ってんだよな?」
「ああ」
「サブじゃなく?」
「メインだ」
「……うわ、マジかあ」
心から引いた顔をされた。
「リペアってサブで取るやつだろ。クエストとか探索で稼ぎやすいとかいう。誰もやってねえけど」
「誰もやってないな」
「だよな! ダンジョン潜って宝箱の鍵開けるより、資源戦争で機体ぶん回した方が早いんだわ。あんなの実装した意味あったのかって、wikiでも言われてたぜ」
その通りだ。
解析眼は、鉱脈と隠し扉の構造を見抜く。工具術があれば生身でも戦える。採取には補正がかかり、装備も荷車も自分で直せるから、遠征を何日でも続けられる。
修理職は、本来そういう職として作られている。機体を降りて、歩いて、掘って、直しながら進む職だ。
そういう遊び方をする人間が、十二年、ほとんどいなかっただけだ。
「で、そのメインリペアさんが最後の夜にクビってのは、まあ順当っつーか」
「おいドレイク」
「なんすか」
レオンハルトが名前を呼んだが、ドレイクは止まらなかった。
「だってリペアとか要らねえんだわ、実際。拠点に戻りゃ全部直るんだからさ」
言い方は違うが、中身はマスターと同じだ。
違うのは、こっちは言いたくて言っているところだった。
「......お前のベヘモス、左膝のアクチュエータが、踏み込むたびに〇・三秒遅れて沈んでる」
「は?」
「自重を受けるたびにだ。最終レイドは三十分、休憩なしの連戦だろ。全力で踏み込み続けるなら、二十分目あたりで膝が抜けるかもしれんぞ」
「抜けたら戻りゃいいんだよ」
「戻る前に抜けたらどーすんだよ?」
「そん時は予備に乗る。だから修理は要らねえって話をしてんだろうが」
話が一周して、元の場所に戻ってきた。
こういう時、俺はいつも工場の休憩室を思い出す。
――予算がない。お前が直して持たせろ。
古いプレス機の更新を上申するたびに、課長は同じ言葉を返した。俺は直した。持たせた。半年、一年と持たせ続けた。そして三年前の夜勤で、持たなくなった。
あの機械は人を二人巻き込んで、一人は死んだ。会社は操作ミスとして処理し、俺が半年前に出していた上申書は、提出記録なしということになった。整備担当者は処分され、俺はそれから一度も現場に入っていない。
右手が、レンチの柄の上で止まった。
一度指を開いてから、握り直す。
「話は以上だ。最後に確認しておく。ソヴリンの調律は終わっているな?」
「終わってる。調律誤差〇・〇二パーセント。この十二年で一番いい数字だ」
「そうか。助かる」
二度目の「助かる」だった。
「抜ける前についでだから言っとく。左肩の冷却系、三日前から温度の戻りが遅い。放熱翼の三番と四番だ。レイドの前に一度、誰かに見せとけ」
「誰にだ――?」
レオンハルトが、初めて俺の方を向いた。
純粋に不思議そうな顔だった。
「拠点に戻せば直るものを、なぜ誰かに見せる必要がある」
返す言葉なら、いくらでもあった。十二年分ある。
俺は工具箱の蓋を閉めた。
「そうだな。戻る拠点があるうちは、それでいい、か」
皮肉のつもりだったが、レオンハルトはもう端末に目を落として、最終レイドの編成表をめくっていた。
格納庫の出口へ歩きだすと、後ろからドレイクの声が追いかけてきた。
「じゃあな、オサムさん。また別ゲーで会おうぜ!」
手を振っている気配がした。
振り返らなかった。あの声に悪意がないことだけは、この十二年で分かっている。悪意がないまま人の席を外せるというのが、どういうことなのかは、まだ分からない。
扉の手前、作業台の陰に、小柄なアバターが立っていた。
ギルドの修理職見習い、スパナだ。半年ほど前に入ってきて、俺の作業を後ろからずっと見ていた奴だった。手順を一度で覚え、工具の置き場所を一度も間違えない。
スパナは俯いたまま、何か言いかけて、口を閉じた。
俺も何も言わなかった。今ここで俺の側に立てば、こいつまで席を失う。
背中で、格納庫の扉が閉まる音がした。
あと四十五分で、この世界は消える。
消えるはずだった。




