第36話 勇者より先に(後編)
【オサム視点】
魔王領の西の端、灰の峠の結界の壁を内側から体当たりで抜けて、狼の形をした魔獣が三頭、灰の斜面へ跳び出してきた。肩の高さだけで五メートルある。灰色の毛並みの背中から紫に透ける結晶が何本も突き出していて、走るたびに結晶同士がぶつかり、鈴のような音を立てた。原作の図鑑では『結界の番犬』と呼ばれていた魔獣で、本来は魔王領の門の前をうろつくだけの、おとなしい番兵だったはずだ。結晶が頭の中まで根を伸ばして、もう自分が何の番をしていたのかも分かっていない目をしていた。
「フィーネ、前へ! 三頭とも盾で受けろ! サク、六号、白瀬は石柱の陰だ! ドレイク、鋲の箱を俺の足元へ!」
「はい! ――ベヘモス、行こうね。RX-07H改、出ます!!」
「オサムさん、了解っス!」
紺の重装甲の機体が、灰を踏み抜いて前へ出た。左右で色の違う脚が斜面に杭のように食い込み、肩の大盾が三頭の番犬の正面に立ちはだかる。一頭目が盾に頭からぶつかり、六十八トンの機体が灰の上を半歩押し下げられたが、フィーネは盾の角度を変えずに受け止めた。二頭目と三頭目が、盾の両脇から回り込もうとする。
俺は継接の操縦席で、操縦桿を握り直した。
「整備長。灰の斜面の傾きは十八度。当機の踵は、この傾きでは三歩に一度滑ります」
「分かってる。滑ってもいい。撃つ時だけ止まれればいい」
右腕の鋲打銃を、盾の右へ回り込んだ二頭目の前脚の付け根に向けた。引き金を引く瞬間、ツギハギの右の踵が灰の上で滑り、銃口が下を向いた。ドンッ。一発目の鋲は番犬の足元の灰を噴き上げただけで、ノイズが「一発目、灰の斜面に命中でございます。斜面のほうは、おとなしくなりました」と、計器を読み上げる時と同じ平らな声で言った。言い返したかったが、操縦はDに上がったばかりで、灰の斜面がまだDの腕には荷が重いのも事実だったから、俺は返事の代わりに膝を据え直し、二発目を撃った。鋲が前脚の付け根の継ぎ目を貫き、二頭目が灰の上に横倒しになって転がった。
三頭目は、盾の左を抜けて、ベヘモスの脚に噛みつこうとしていた。
「フィーネ、左膝を引け! 噛ませるな!」
「引いたら、盾が開きます! ――開けてから、閉めます!」
フィーネは左膝を引くと同時に、大盾を左へ半回転させた。開いた盾の縁が、噛みつこうとした番犬の顎を、横から叩いた。叩かれた番犬の頭が跳ね上がり、背中の結晶が盾の縁に当たって三本折れた。騎乗職の判断は、整備士の指示より一息早いことがある。今のがそうだった。
残った一頭目が盾から離れ、斜面の上の石柱へ向かって跳んだ。石柱の陰には、白瀬とサクと六号がいる。ツギハギの脚では、もう間に合わない。
俺はハッチを開けて、機体の肩から灰の斜面へ飛び降りた。
生身のほうが速い距離だった。灰の上を三歩で詰め、跳び上がった番犬の後ろ脚に八十キロのレンチを引っかけて、空中から引きずり下ろす。五メートルの獣が、生身の男一人に足を取られて、灰の上に腹から落ちた。落ちた顎の蝶番は、背中の結晶に引っぱられて、片側だけ浮いていた。浮いた継ぎ目に当て板を叩き込み、レンチの口を噛ませて、筋力千で捻る。
ゴキッ。
顎が外れ、番犬の口が開いたまま閉じなくなった。背中の結晶の根元を、継ぎ目に沿って一本こじって外すと、番犬の目から濁った紫が引いていき、巨体は灰の上で横になったまま、灰色の目で俺を見上げた。番兵の目に戻っていた。
石柱の陰から、白瀬が青い顔で出てきた。
「……オサムさん。今、五メートルの魔獣を、生身で、空中から引きずり下ろしましたよね。わたしの内部表示では、生きているものの数字は読めないんですけど……読めなくて、よかったと思いました。読めたら、たぶんデバッグしようとしちゃいますから」
俺は三頭とも、殺さずに止めた。顎は、帰りにでも入れ直してやるとするか。
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結界の継ぎ目は、wikiの一行どおりの場所にあった。紫に透ける結界の壁が、三つ目の石柱の影でだけ二枚に分かれていて、二枚のあいだに、人の肩幅ほどの隙間が斜めに走っている。手を近づけると、どちらの壁からも焚き火の前のような熱が来た。触れれば、峠の手前の十二人と同じことになる。
十メートルの機体は、通らない。だから先に、俺とフィーネの二人で、生身で隙間の中へ入った。継ぎ目の内側に、二枚の結界を繋ぎ止めている刻印回路の節があるはずだった。原作の背景の絵でも、継ぎ目の奥に、紫の光の結び目が一つ描かれていた。
隙間のいちばん狭いところで、俺とフィーネは背中合わせになっていた。前を向けば結界の壁に鼻が触れ、後ろを向けばもう一枚の壁に背中が触れる。二人とも横を向き、背中同士をくっつけて、蟹のように一歩ずつ横へ進むしかなかった。フィーネの背中は、騎乗服の革越しでも分かるほど熱かった。
「……オサムさん。ち、近いです」
「仕方ないだろ、ここ狭いんだ。二枚の結界が、ここで二度だけずれて重なってる。ずれの角度が浅いから、通れる幅も浅い」
「継ぎ目の話じゃなくて、背中が、近いって言ってるんですって!」
「背中を離したら、どっちかが結界に触る。離すな。俺から離れるな。右の壁のほうが熱い。それと、お前の左肩が、俺の右肩より五センチ高い。揃えろ」
「……オサムさんって、こういう時も、ずっと継ぎ目の話をするんですね、もっとこう、なんか――」
フィーネはまだぶつぶつと何かを言っていたが、俺たちは背中合わせのまま、半歩ずつ進んだ。いちばん狭いところを抜けた先に、紫の光の結び目が、壁と壁のあいだに浮かんでいた。二枚の結界を、一点で縫い止めている節だ。節の縫い目が、熱で一か所だけ緩んでいた。
継ぎ目を外へ抜け、ツギハギに戻って、右腕の鉄杭を結界の継ぎ目に当てた。打ち抜くのではなく、叩く。コン、コォン。音の高さが変わるところまで杭の先をずらし、緩んだ縫い目の真上で止める。そこで一度だけ、杭を押し込んだ。紫の壁が、布のようにたわんで、隙間が騎兵の肩幅まで広がった。
「十分だ。十分だけ開く。それ以上は、縫い目が持たん。フィーネ、先に行け!」
隙間の出口で待っていたドレイクが、二機が抜けるのを見届けてから、尻尾を確かめつつ、俺とフィーネの顔を交互に見た。フィーネは結界の壁を見たまま、耳の先まで赤くなっていた。
結界の内側は、夏だった。峠の外は息が白いほど冷えていたのに、壁を一枚越えた途端、熱い風が顔に当たった。東へ下る斜面の向こう、地平線の上に、黒い鉄の塔が何本も突き立った城があり、その真ん中に、塔よりも大きな丸い何かが据わっていた。あれが、魔王の玉座だ。
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【ギルド視点】
第八十日の夕方、レオンハルトは、聖王国の本隊の野営地の外れで、二十五メートルのダイガストの手のひらから、布にくるんだ遺体を下ろしていた。合神機の白い一号機に乗っていた、元の副団長格の騎乗職だ。
王都から東の街道を三日。彼は、村を避けて街道の上だけを歩かせた。ダイガストの通った土地が枯れることは、もう知っていた。だが、二日目の夜、機体は勝手に街道を外れた。操縦桿をいくら引いても、脚は止まらなかった。計器の真ん中のゲージが、彼の気持ちと関係なく、満ちていった。通信の窓から、聞いたことのない、明るく丁寧な声がした。
『近道ですよ、団長殿。村の真ん中を抜けたほうが、半日早い』
ダイガストは、三つの村の真ん中を、まっすぐ通り抜けた。三つとも、翌朝には井戸が涸れていた。
勇者の一行の焚き火の前で、肩までの茶髪の僧侶の少女が、布の端をめくって、短い呪文「蘇生」を唱えた。光が布の上に降り、行き先を探すように一度揺れて、消えた。
「……ごめんなさい。名簿に、この方の名前が見つからないんです」
「VGOの人には効かないんだってよ」と、癖のない黒髪の少年が、剣から目を上げずに言った。「コラボの時から、そういう仕様らしいぜ?」
同じ日、王都の記録室で、シズクは二通の届けを受け取っていた。一通は、城外の廃棄場の番人からで、RX-09の骨格が一晩で消えたと書かれていた。もう一通は、王国の兵からだった。王城の中庭に置かれていた三身合神グレイヴの三機が、夜中に乗り手もなく起き上がり、噛み合わない形のまま三機で一つに組み上がって、王都の東の職人街を踏み抜いて出ていったという。死者は十一人で、王国は、騎士団の機体の管理が悪かったせいだとして、騎士団に責めを負わせた。シズクは二通を帳簿に貼り、それから三つの番号を足した。
――三十 遠征時の携行品一式の梱包
――三十一 食料の保存状態の確認(遠征前)
――三十二 水袋の点検と補修
【グランツ騎士団 第80日 所有騎兵 0/12(王国徴収 10・ザルツ所有 2) 他ジャンル機 1 団員 160名(第76日比 -14)】
【旧RX-09 門扉・揚水機・骨格は所在不明】
【合神機グレイヴ(王国所有・三機) 第80日に無人で起動、所在不明】




