第34話 整備ハッチがない(後編)
【オサム視点】
ザルツの北の麦畑で、二十五メートルの鋼闘神ダイガストと向き合ったまま、俺は継接の右腕の鉄杭を確かめた。殴れば相手は強くなるうえに、整備ハッチはどこにもないのだから、叩いて中を聞くしかなかった。
俺は麦畑の切り株の上を、ツギハギでよろめきながら、ダイガストの右の脛へ寄った。そこに奴の二発目の拳が来た。今度は避けずに、膝を曲げてしゃがんだ。拳は頭の上の空を通り過ぎ、後ろの墓場の鉄屑の山に突き刺さって、鉄屑を十メートル向こうまで撒き散らした。
しゃがんだまま、鉄杭の先で、ダイガストの右の脛を軽く叩いた。打ち抜くのではなく、叩く。工場で、配管の詰まりを探す時と同じ力加減だった。
コン―――—。
低い音が返ってきた。脛の外側の装甲は、中まで詰まった鋳物の音だ。杭の先を十センチずつ内側へずらして叩いていくと、脛の内側の、看破の線が縦に走っている場所で、音が変わった。
――――コォン。
中が空いている。太い管が通っていて、その管の中を、何かがすごい速さで流れている音だ。下から上へ、足の裏から胸へ。地面の魔素を足の裏で吸い上げて、この管で胸の神威炉まで運んでいるのだ。やはりこいつは、燃料を食わない機体ではない。この機体は、自分の立っている地面から補給しているのだ。
「フィーネ、右の踵が浮く時を教えろ! 俺の位置からは見えないんだ!」
『はい! ……今、拳が戻りました! 次に右の踵が浮くのは、踏み込みの時です! ――――三、二、一……今です!』
止まったRX-07H改の操縦席の窓から、フィーネの声が外部拡声器で響いた。機体は動かなくても、目は動く。騎乗職の目は、相手の脚の運びを、俺よりずっと正確に数えられる。
ダイガストが右足を踏み込もうとして、踵が麦畑の土から浮いた。足の裏が、一瞬、地面から離れる。俺は鉄杭の先を、右膝の上下の鋳物の継ぎ目、管が膝を越えて上へ抜けていく一点に当てた。
殴らない。叩いて聞いて、見つけた一点に、一度だけ打ち込む。
ガギンッ。
三メートルの杭が、鋳物の継ぎ目を割って膝の内側へ沈み、中の太い管を断ち切った。管の切れ目から、青白い光が噴き出して麦畑の上に散った。浮いた右足は、もう地面から何も吸い上げなかった。ダイガストの右脚から力が抜け、二十五メートルの機体が、右膝を麦畑についた。
『貴様、何をした! ゲージが、ゲージが下がる……!』
左脚だけで体を支えようとして、ダイガストは左の踵に全部の重さをかけた。左の脛を叩く手間は、もう要らなかった。管の通り道は、右と同じ場所にある。俺はツギハギを左脚の内側へ回し込もうとして、回し込みすぎて、自分の機体の肩をダイガストの膝にぶつけた。それでも、ぶつかった勢いのまま、杭の先は左膝の継ぎ目に当たっていた。
バギンッッ。
二本目の管が切れた。両膝の管を断たれた赤と黒の機体は、膝をついたまま上体を後ろへ傾け、ゆっくりと、麦畑の上に仰向けに倒れた。地面が揺れ、格納庫の屋根から砂が落ちた。胸の排熱口の光が、一つずつ消えていった。
格納庫の中で、LZ-03の計器が灯った。次に、ベヘモスの魔導炉が、低く息を吹き返した。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
ダイガストの胸の扉は、内側から開いた。仰向けになった機体の胸は、麦畑の地面から十メートルの高さにあり、開いた扉の縁から、操縦席の熱が陽炎になって立ち上っていた。
レオンハルトは、自分の足で這い出してきた。長身の体が、仰向けの機体の胸の上で、膝をついたまましばらく動かなかった。金髪は汗で額に張りつき、騎士の礼装は三日着たままで、ほどけた飾り紐が胸の装甲の上を風に揺れていた。俺はツギハギのハッチを開けて、機体の肩から地面へ降りた。
降りて振り返ると、レオンハルトの目は、俺ではなく、俺の後ろに立っている機体を見ていた。十二年、ギルドの共用ドックの一番奥で、誰も乗りたがらなかった産廃機だ。左右で塗装の違う装甲に、麦畑の土と、ダイガストの拳の跡がこびりついている。横一文字の単眼のスリットは、まだ赤かった。整備の要らない機体に乗ってきた男は、整備しかされてこなかった機体を、仰向けの胸の上から、長いこと見上げていた。
レオンハルトはバツの悪そうな顔を沈めたまま、言葉を紡いでいた。
「俺を……殺さないのか」
「はぁ?殺す理由がない。お前の機体は、もう歩けない。歩けない機体の乗り手を殺したところで、俺の仕事は一つも減らん」
「お前は、私を恨んでいないのか? お前を切ったのは、私だぞ」
レオンハルトは、俺の顔を見ていた。人の顔を読むのが、この男のいちばんの才だ。読もうとして、読めるものが見つからないという顔をしていた。
「多忙でな、恨む暇などない。整備の順番待ちが長いんだ。……麦が欲しいなら、買え。うちには売る分はある。値段は、バルドが決めるだろう。二百人分を三十日なら、ザルツの相場で九千ヴァルだ。お前の財布に、まだそれくらいは残ってるだろう?」
「……騎士団が、辺境の町から麦を買えというのか」
「誇りで飯が食えるならそうしろ。買わないなら、帰れ。帰り道に、北の丘の窪みを通れ。お前がゆうべ通った場所だ。天幕が十四張りあるからな、今度はお前の機体の足の裏を、見てから帰れよ?」
レオンハルトの顔が、初めて動いた。何かを言いかけて、言わずに、彼は仰向けの機体の胸の上に座り込んだ。麦を買うとも、帰るとも言わなかった。
その日の夕方、ザルツの長老会が、町を守った礼として、麦を十袋と干し肉を一樽、格納庫へ届けてきた。婆さんたちは、それを俺とフィーネで半分ずつ分けるように言った。機体を動かせなかったフィーネは、半分は多すぎると言って受け取ろうとしなかった。
VGOの季節イベントで、報酬はいつも『戦闘参加』と『サポート枠』に分かれていた。サポート枠の報酬は、戦闘参加のせいぜい半分で、修理職はどれだけ機体を直しても、サポート枠にしか入れなかった。十二年で百を超えるイベントに出て、報酬の欄は、いつも半分以下だった。半分でいいと思っていた。直すのが仕事で、報酬はおまけで付いてくるものだったからだ。
「受け取れ、フィーネ。お前は、踵の浮く時を数えた。数えなかったら、俺は管を外してた。半分は、半分だ」
「……はい」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
夜、格納庫の作業台で、フィーネが俺の右手に布を巻いていた。明かり取りの窓から月の光が斜めに差し、作業台の上の工具の影を、床に長く伸ばしている。
鉄杭を二度打ち込んだ時の跳ね返りが、操縦桿を通して手のひらに戻ってきていて、右の手のひらの皮が、親指の付け根から小指まで一本の線になって剥けていた。機体越しでも、この手は、杭の手応えを全部受けていたらしい。フィーネは、ミィルが呼んだ水で傷を洗ってくれ、白瀬が持ってきた軟膏を塗って、包帯を指の股まで丁寧に巻いた。
「整備士の手は、商売道具ですから。……私の騎乗服の継ぎより、ずっと大事です」
「大げさだ。皮が剥けただけだぞ」
「剥けたら、痛くって工具が握れないじゃないですか。工具が握れなかったら、私のベヘモスは、誰が直すんですか!」
「それは、確かに困るな」
「困ってくださいよね。もっと。......あなたは自分にも他人にも無頓着すぎるんです」
「ん、何か言ったか?」
フィーネは包帯の端を結んで、結び目を指で一度押さえてから、手を離した。離す前に、ほんの少しだけ、俺の手のひらの上に指を置いたままにしていた。
ツギハギの操縦席の計器の端に、新しい表示が一行出ていた。
【操縦 E → D】
「整備長。操縦の欄が、Dに上がりました。当機に乗って、自分の機体の肩を三度ぶつけ、地面を四度抉り、それでも二度とも狙った一点に杭を当てた分でございます。……上がり方が、正直に申し上げて、あまり格好のよいものではございませんね」
「上がったなら、それでいいだろ」
上がり方の話をこれ以上続けたくなかったので、俺は作業台を離れて、ツギハギの左肩に掛けた梯子を登った。昼の戦いで落とした装甲板が三枚、肩の受けの横に立てかけてあり、受け金具の座面さえ無事なら、今夜のうちに戻せる。フィーネが作業台の向こうで何か言いかけたのは聞こえたが、聞こえなかったことにして、一枚目の板を受けに当てた。
包帯を巻いたばかりの右手は、レンチを握ると布の中で皮がずれる感じがしたので、締めるのは左手に任せ、右手は板を押さえる役に回した。三枚とも座面は生きていて、最後のボルトが規定の目盛りの手前で止まったところで、俺はいつものように、装甲を右の平手で叩いた。
「修理完全完了、もうどこも壊れて――」
叩いた拍子に、右手の包帯の結び目がほどけた。フィーネが結んで、指で一度押さえてから離した結び目で、ほどけた布は肩の装甲を伝って、梯子の下まで、ひらひらと落ちていった。
「……オサムさん。いま、どこも壊れていないって、言いましたよね?」
梯子の下で、フィーネが落ちてきた包帯を両手で受け止めて、俺を見上げていた。笑っている顔ではなかった。
「機体の話だ」
「整備長。補足いたします。整備長ご本人は、当機の整備記録に、修理の対象として登録されておりません。……登録の欄を、お作りいたしましょうか」
「作らなくていい」
「作ってください!」
「作ります」
フィーネとノイズの声が、ほとんど同時に重なった。俺は返事をせずに梯子を下り、包帯をもう一度巻かれるあいだ、黙って右手を差し出していた。今度の結び目は、さっきより一つ多かった。
その夜遅く、ミナが札を当てに来て、俺は溜まっていた分のうち三十を体力へ動かした。体力は八百五十になった。二十五メートルの機体の拳を、肩で一度受けても立っていられた体の数字だった。Lv.は百六になっていた。
そして、真夜中を過ぎた頃、北の麦畑で地面が揺れた。格納庫の扉を開けると、月明かりの下で、赤と黒の機体が起き上がっていた。断ち切ったはずの両膝の管の切れ目が、青白い光で塞がっている。誰も直していない。直す場所もない機体が、乗り手の気持ちだけで、自分の傷を勝手に塞いだのだ。スーパーロボット系の機体は、やられても根性で立ち上がる。あのジャンルの、いちばん有名な約束事だった。胸の扉は閉じていた。中に誰が乗っているかは、言うまでもなかった。
ダイガストは、ザルツのほうを一度も振り返らずに、北へ歩いていった。北の丘の窪みを通る道ではなく、来た時と同じ、まっすぐな線の上を。
翌朝、機体が仰向けに倒れていた麦畑の土は、人の背丈ほどの深さまで灰色に変わっていた。北の麦畑の端の井戸は、桶を下ろしても、水の音が返ってこなかった。
「……直ったんじゃない。吸ったんだ」
俺は灰色の土を一掴みすくって、指のあいだから落とした。土は、さらさらと、砂のように落ちていった。その日の昼、ドレイクと元ギルドの四人が北の丘の窪みへ行き、潰れた天幕ごと、十一人を土に埋めて埋葬してやった。埋める前に、ユズが一人ずつ表示名を言い、トワがそれを帳簿に書いた。




