第33話 盾が消える(後編)
【オサム視点】
ザルツの大通りで、靴底ごと鉄の床板に留められた刺客は、刀を鞘に戻してから、カゲロウと名乗った。ドレイクが鉄の床板から鋲を抜くまでの十分ほど、大通りの真ん中に右足を留められたまま、彼は名前だけを言い、それきり黙って刀の鞘を撫でていた。
格納庫に入ると、カゲロウは作業台の前の椅子に腰を下ろし、灰色の髪を縛り直してから、刀を俺に預けた。刃こぼれは三か所。ひびの先端に細いやすりで小さな丸い穴を刻んで、それ以上進まないように止め、こぼれた刃の縁を砥石で少しずつ引き直す。前に勇者の剣でやったのと同じ、古いやり方だった。作業は大体一時間ほどかかった。
「この世界に来てから、ずっと、こいつを直せる奴を探してた。俺のゲームじゃ、刀は欠けなかったんだよ。耐久なんて数字すらなかった。それが、こっちに来て十日目に、初めて欠けた。鍛冶屋に出しても、こんな鋼は打てないって突き返される。……王都で、騎士団長ってのに声をかけられた時、三百万ヴァルで、辺境の整備士を斬れって言われた。辺境の整備士は、どんな鉄でも直すって噂だった。斬る相手が刀を直せるなら、それでもいいかと思ってさ」
「斬ってから、どうやって直させるつもりだったんだ」
「いや、悪ィ……考えてなかったな。俺のいたゲーム、考える前に斬る仕様だったから」
その騎士団長が誰なのかは、聞かなくても分かった。
「代金は千五百ヴァルでいいぞ。刀一振り、ひび止めと刃の引き直し。量産機の整備と同じ値段にしておく」
「前金で百万もらってるから、そこから払うわ」
カゲロウは、腰の袋から、グランツ騎士団の印が押された財布を出した。財布の中から千五百ヴァルを数えて、作業台の上に置く。
「依頼主の金で、標的に修理代を払う。……コンボ成立だな」
「くだらん冗談はよせ、お前、その残りはどうする」
「返しに行くのも面倒だし、あんたの客になるわ。この刀、また欠けるだろ。欠けるたびに来る。順番待ちってのがあるんだろ、この工房。一番後ろでいい」
帝都から戻った翌日から、格納庫の壁には予約票の束を吊るしてある。番号を振った紙の札で、一人一枚。手伝っても順番は上がらない。字はトワが書いていて、今朝までに百四十番まで出ていた。カゲロウの札は、百四十一番になった。
その日の夕方、ミナが格納庫に鑑定札を持ってきた。刺客を一人止めた分と、それより前に溜まっていた分が、札の上に並んだ。
俺は『未振り』の欄に指を当て、一だけを筋力へ動かした。
【鑑定】
【オサム 人 三十五歳】
【主職 整備長 Lv.105】
【筋力 1,000 SS】
【器用 960 S】
【敏捷 450 B】
【体力 820 S】
【魔力 40 E】
【意志力 130】
【整備 SSS】
【操縦 E】
【戦闘 E】
【未振り 15】
「し、師匠……筋力の欄、四桁です。千です。それに、ランクが……SSって、私、札の手引きの最後の頁でしか見たことがありません。手引きには、『現地の伝説、該当者は歴史上数名』って」
「一だけ振った」
「一だけで、ですか」
「九百九十九から先に、一を足しただけだ。……ゲームの頃は、この一が、どうやっても足せなかったがな」
自分の画面を開くと、筋力の欄は、九百九十九のまま止まっていた。画面には、四桁目を書く場所がない。札にだけ、千と出ている。十二年使ってきた画面の枠のほうが、この体についてこられなくなったのだ。
夜、格納庫で継接の操縦席に座ると、機体の管制AIのノイズが、いつもより長く黙っていた。
「……整備長。搭乗者反映の読み込みに、失敗いたしました。出力の欄に、値が入りません」
「壊れたのか」
「いいえ。表示欄が、足りません。当機の出力の表示はSSSまでございますが、整備長の筋力を反映すると、SSSの一段上の扱いになるのです。……設計者が、そこまでの乗り手を、想定しておりませんでした」
「十二年、ほぼ誰も生身ステには振らなかったからな」
「はい。……一つだけ、申し上げてもよろしいでしょうか。当機は、十二年、表示欄が余っている状態でございました。足りなくなったのは、これが初めてです」
ノイズの声は、いつもの平らな敬語のままだったが、言い終えたあと、計器の縁の緑の光が、二度だけ点滅した。
格納庫の作業台では、フィーネが、斬られた俺の作業着の左袖を、もう一度縫っていた。帝都の革の残りは、もう手のひらほどしかない。その向かいでは、白瀬が、紙に何かを書いていた。
「……白瀬さん。それ、何を書いてるんですか?」
「不具合の報告書です。件名は、『整備長の負傷が、本人の申告と一致しない』。オサムさんは、浅い傷が三つと仰いましたが、作業着の裂け目は七つあります。報告と実際が合わないのは、不具合です。......再現の映像も添付しておきますね。開発版の筐体だと、起票した時に、直前の自由視点の記録が自動で付くので。送り先は、相変わらず見つかりませんけど」
「それ、私が先に気づいてました。袖を縫うのは、私の担当なので」
「では、検証の担当は、わたしということで」
二人の手が、同時に、作業台の上の包帯の束に伸びた。
昼の大通りで、修理職の戦いの映像はどこにも残らないと思ったばかりだったが、残っていたらしい。誰にも届かない報告書の、添付の欄に。
カゲロウが、格納庫の入口の柱にもたれたまま、刀の鞘を肩に担いで、俺のほうを見た。
「なあ、整備士。あんたのとこ、これ、何ルートなんだ?」
「順番待ちだ」
「……順番待ちって、そういう意味もあんのかよ」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
【ギルド視点】
第六十八日、グランツ王都の貴族院で、騎士団長の指揮権剥奪の動議が採決された。
院の議場は、王城の東翼の古い広間で、天井の高い窓から昼の光が斜めに差していた。長い机の片側に貴族が三十人、反対側にレオンハルトが一人で座り、その後ろに記録係として、シズクが帳簿を抱えて立っていた。レオンハルトの礼装の襟は、ほどけた飾り紐を誰も結び直さないまま、十二日が過ぎていた。
採決の前に、院の書記官が、騎士団の帳簿の写しを読み上げた。備蓄、死者、格納庫の占有の日数。そして最後に、第六十三日付の一行が読まれた。
――剣士カゲロウへの前金 百万ヴァル(総額三百万) 目的:辺境ザルツの整備士の排除
議場が、ざわめいた。その一行を書いたのは、レオンハルト自身だった。十二年、ギルドの金は一ヴァル残らず帳簿に記させてきた男が、自分の私財から出した金も、同じ帳簿に、同じ書式で書かせていたのだ。彼にとって、数字に残らない支出というものは、この世に存在しなかった。
「ザルツは、古い墓所条約で、どの国も兵を入れられぬ中立の町だ」と、院の議長が言った。白い髭の老人で、その声は議場の端まで届いた。「騎士団長は、王国の名で王都を預かる身でありながら、中立の町へ刺客を送った。王国は、これを庇えぬ」
採決は、三十票のうち二十九票で決まった。残る一票は、棄権だった。
同じ日の午後、王城の格納庫に、王国の役人が来た。帳簿を手にした役人は、格納庫に並んだ騎兵を一機ずつ指さしながら、王国の財産として目録に書き込んでいった。王城の格納庫を五十日以上、ただで使っていた機体は、王城に置かれた王国の財産だというのが、院の決めたことだった。RX-09、RX-08C、PL-21Gが八機。十機が、その日のうちに騎士団の名簿から消えた。
ザルツにあるRX-07Hと、PL-21Gの一機だけが、目録から外れた。第十一日の帳簿に、シズクの字で、「放棄」と書かれていたからだ。役人はその一行を指でなぞり、黙って次の頁をめくった。
レオンハルトは、格納庫の入口で、それを見ていた。役人の手がソヴリンの白金の脚に目録の札を下げた時、彼は一歩だけ前へ出かけて、止まった。人の顔を読むのが、彼の才だった。役人の顔には、悪意も喜びもなく、ただ、片づけ仕事を早く終えたいという色しかなかった。
「団長。記録いたします。第六十八日、騎士団長の指揮権、剥奪。騎兵十機、王国が徴収」
「……記録しておけ」
その夜、シズクは死因の欄を三つ書いた。王都に食料はもうなく、レオンハルトは三日前、機体を持たない騎乗職を十人選んで、生身で北の森へ狩りに出していた。そのうち無事に戻ってきたのは七人で、帰らなかった三人の死因は、三つとも「魔獣による攻撃」だった。それから彼女は、三つの番号を足した。
――四十四 使わなくなった機体の保管条件の管理
――四十五 脱退者の装備の回収と再配分
――四十六 団員の誕生日に合わせた装備の点検(本人は知らない)
四十六番を書いた時、シズクは、自分の誕生日に、自分の管制機の座面がいつも新しい布に替わっていたことを思い出した。誰が替えていたのかを、十二年、一度も考えなかった。
【グランツ騎士団 第68日 所有騎兵 0/12(王国徴収 10・ザルツ所有 2) 他ジャンル機 1 団員 200名(第64日比 -13)】




