第32話 誰かが消している(後編)
【オサム視点】
ザルツの南の砂丘帯、三つの砂丘の影が重なった窪地の底へ、俺と白瀬とミィルとサクの四人は、三十二段の石の階段を下りた。原作の隠しエリア『砂の下の転送祠』の入口だ。
階段の下は、石の回廊だった。壁一面に、細い溝の刻印が網の目のように走っていて、灯りを近づけると、溝の底に溜まった魔素の澱みが鈍く青く光る。空気は乾いていて冷たく、何百年も誰も吸わなかった匂いがした。
回廊の突き当たりの広間の手前で、サクが足を止めた。
「……人が、います。ちょうど四人。動いていません」
四人とも、VGOの装備を着ていた。中堅どころの冒険者の装備で、剣と弓と杖と盾が、広間の入口の床に散らばっている。四人の体は、広間へ一歩入ったところで折り重なるように倒れていて、どれも胸か背中を、大きな刃で一度だけ割られていた。遺体は乾いた空気のせいで、傷みが少ないようだった。おそらく死んでから、十日は経っているはずだった。
盾を持っていた男の手に、紙切れが一枚握られていた。俺は男の指を一本ずつ開いて、紙を抜き取った。
――回復薬、効かない。三本飲んだ。ポーション効かない。誰か運営に
字は、ちょうどそこで途切れていた。
「……転移者ですね。VGOのこの隠しエリアの位置を、聞いたか、どこかで調べてきたんだと思います。高速転移で各地を回れなくなったから、隠しエリアの宝を取って、それで何とかしようとしたのかもしれません」
白瀬は膝をつき、四人の装備の名札を一つずつ確かめて、上着の懐から出した紙に表示名を書き写した。書き写す手は震えていなかった。不具合報告を二千通書いた手は、こういう時にも書式どおりに動くらしかった。
「影響範囲の欄に、四名を足します。……オサムさん。原作では、この祠の番人に倒されたら、プレイヤー目線ではどうなっていましたか?」
「入口に戻されて、所持金が一割減った。それだけだ。だから掲示板では、番人に十回挑んで覚えろと言われてたな」
「十回、ですか......開発サイドとしては問題なく動いていたように思えますが――」
「この四人は、挑戦一回目だったんだろうな、ここは死に覚え系のダンジョンだ」
広間の奥で、石の擦れる重い音がした。
番人機が、立ち上がっていた。高さは六メートル。黒い石の胴に青銅の板を鋲で留めた古い機械で、腕が四本ある。上の二本は大きな刃、下の二本は盾になっていて、頭のない胴の正面に、丸い単眼が一つだけ嵌まっていた。単眼が、俺たち四人を順番に見て、それから床の四人の死体を一度だけ見た。
「下がれ。ミィル、サク、白瀬は回廊まで戻れ。こいつは、刃が届く範囲に入った者から順に斬る。入らなければ、斬らないタイプだ」
「整備屋はどうするのよ!?」
「俺は、入る」
原作での番人は、正面からでは崩せない作りになっていた。四本の腕のうち、下の二本の盾が胴の正面を守り、上の二本の刃が、盾の外へ出た者を斬る。弱点は背中だ。背中の真ん中に、番人を動かしている刻印回路の板が一枚嵌まっていて、それを剥がせば止まる。wikiにはそう書いてあった。ただし番人は、自分の背中を決して見せない。必ず、斬る相手のほうへ正面を向け直す。そこが厄介で気づくまで攻略が難しいため、攻略を見ない者は何度も死に覚えてようやく打開できていた。
俺はレンチを肩に担いで、刃の届く範囲の縁を、一歩ずつ右へ回った。番人の単眼が俺を追い、胴が俺のほうへ向き直る。上の右の刃が振り下ろされ、俺はレンチの柄でそれを受けた。
ガチン。
刃は重かった。筋力九百九十九の腕で受けても、足の裏が石の床を三センチ滑った。二本目の刃が、横から来る。屈んで避けた頭の上を、青銅の刃が風を切って通り過ぎた。刃と刃のあいだに入り込んで盾の継ぎ目を叩いたが、盾の継ぎ目は鋲が深く、レンチの口が噛まなかった。正面からでは、本当に崩せない。
「整備屋、足元! 床の下に水が通ってる! 呼ぶよ!」
回廊の入口でミィルが両手を床につくと、広間の石の継ぎ目から、地下の水が細く噴き出した。水は床の上に薄く広がり、番人の石の足の裏を濡らす。番人が次の一歩を踏み込んだ時、片足が濡れた石の上で半足ぶん滑り、胴がわずかに傾いた。だが番人は傾いたまま、胴だけを俺のほうへ向け直した。足が滑っても、正面だけは崩さない。そういう作りなのだ。
「ミィル、もういい。水を止めろ。俺のほうが滑っちまう」
「せっかく呼んだのに!?」
「呼んでくれたのは助かった。こいつが、何があっても正面を向け直すやつなんだよ」
俺が連続で戦える時間は、限界で十五分しかない。刃を受け始めてから、もう四分が過ぎていた。手首の奥に、レンチを握り続けた分の熱が溜まり始めている。
「オサムさん! 今、番人が一回だけ、背中を向けましたよ!」
回廊の入口から、白瀬の声が響いた。
「さっき、ミィルさんが回廊で灯りを落とした時です! 音のしたほうへ、番人が一回だけ振り向きました! 正面の相手より、音を優先する処理が入っているようです!」
「一回じゃ足りない。俺が背中に回るまで、二秒かかる」
「でしたら、もう一回、同じことを起こします。指示命令……再現確認!」
白瀬の右手が、空中の何かを叩くように動いた。次の瞬間、回廊の床で、さっきミィルが落とした灯りの油壺が転がった音が、もう一度、同じ大きさで、同じ場所から鳴った。誰も触っていない。音だけが、もう一度起きたのだ。
番人の胴が、音のしたほうへ回った。背中が、俺の正面に来た。青銅の板の真ん中に、手のひら二枚分の黒い石の板が嵌まっていて、細い溝の刻印が青く光っている。俺はその板の縁に当て板を叩き込み、浮いた隙間へレンチの口を噛ませて、板ごと引き剥がした。
ガコン。
刻印の青い光が消えて、四本の腕が同時に下がった。六メートルの番人は、自分の重さを支える理由をなくしたように、ゆっくりと前へ倒れ、石の床に胴を打ちつけて動かなくなった。
回廊の入口で、ミィルが油壺を拾い上げて、首をかしげていた。
「あたし、一回しか落としてないよね? 二回鳴ったよね?」
「鳴りました。二回目は、わたしが鳴らしました」
「……チケットって、変なことができるのね」
「仕様を確認するための技能なんですよ。同じことを、もう一回起こして、本当にそうなるか確かめる。十二年、ずっとそれだけをやってきましたから」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
広間の奥に、テレポーターがあった。倒れた番人の向こう、天井から細く砂の落ちてくる壁際に、それは何百年も同じ場所で待っていたような顔で据わっていた。
石造りの丸い台座で、直径は三メートルほど。表面に、外周から中心へ向かって細い刻印の溝が渦を巻いていて、中心のくぼみに、拳ほどの魔晶石が一つ据えてある。魔晶石は濁って光を失い、溝のあちこちに砂と澱みが詰まっていた。白瀬は台座の縁に膝をつき、空中に、俺には見えない窓を開いた。
「……あります。この台座の記録が、まだ残っています。行き先の一覧も。ただ、無効の印がついています。印を外せば、戻るはずです。開発権限で、印を外します」
白瀬は空中の窓を指で叩き続け、俺はその横で、台座の溝に詰まった砂と澱みを、細いやすりの先で一本ずつ掻き出していった。渦の溝は、途中の三か所で刻印が欠けて途切れていた。欠けたところにやすりで新しい溝を刻み直し、濁った魔晶石を布で磨いて、くぼみの爪を締め直す。整備としては、それだけの仕事だった。
「印、外れました。……動きます、オサムさん!」
台座の渦の溝に、外周から順に青い光が走った。光は三か所の刻み直した場所を通って中心まで届き、魔晶石が、底のほうから澄んだ色を取り戻していく。台座の上の空中に、行き先の一覧が浮かび上がった。
一覧は、十二行あった。そのうち十一行は、白い四角が並んでいるだけで読めなかった。読めたのは、最後の一行だけだった。
――機兵墓場
「……これ消し忘れバグ、ですね」と白瀬が言った。「十二件のうち、十一件は消されています。一件だけ、残っている。消した人が、ここだけ見落としたのか。それとも、ここだけは消せなかったのか」
「試せば分かることだ」
俺たちは四人で台座に乗った。ミィルが俺の作業着の裾をつかみ、サクの足首がカチ、と鳴った。白瀬が最後の一行に触れると、足元の渦の光が一度強くなり、視界が白く塗りつぶされた。
次に見えたのは、見覚えのある天井だった。ザルツの格納庫の地下、継接が眠っていた古い前線整備ドックの奥の壁際に、同じ形の石の台座が一つ、半分鉄屑に埋もれていた。俺はこの二か月、毎日このドックに下りていたのに、その台座を、ただの古い床石だと思っていた。
「……オサムさん。誰かが、各地のテレポーターの行き先を消しています。でも、この町の行き先だけは、残っていました」
白瀬は台座の上に膝をついたまま、自分の左手首の包帯を握っていた。
「直せる人のいる場所だけ、消せなかったのかもしれません」
その夜、ミナが格納庫に札を持ってきた。番人機を一体と、要塞の暴走機を一機、止めた分が溜まっていた。
【主職 整備長 Lv.105】
【未振り 30】
俺は二十を体力へ動かして、残りは前の分と合わせて取っておいた。これで体力は八百二十になった。番人の刃を受けた時に滑った三センチを、次は二センチにするための数字である。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
【ギルド視点】
第六十四日、スパロボ系鋼闘神ダイガストは、グランツ王都から北東へ二日のヘルム村に立っていた。
ヘルム村は、北の凍土の手前に開けた麦の村だ。春に播いた麦が膝の高さまで伸び、村の真ん中に、魔晶石で動く古い揚水機が一基、石の井戸の上に据えられている。村の麦は、その揚水機が汲み上げる地下水だけで育っていた。レオンハルトは、二十五メートルの機体で村の門の前に立ち、外部拡声器で、騎士団の名において麦の徴発を告げた。徴発の隊として、生身の団員が十二人、麦袋を担ぐために後ろについていた。
揚水機が止まったのは、ダイガストが村の門の前に立ってから、半刻ほど経った頃だった。村の鍛冶屋が井戸の上に登って揚水機を開けたが、どこも壊れていなかった。魔晶石は先月替えたばかりで、まだ光っていた。それなのに、揚水機の中の刻印の溝から、光だけが抜けていた。村の外れでは、畑の端から麦の葉が灰色に変わり始めていた。灰色は、ダイガストの足元を中心にして、円を描いて広がっていた。燃料も整備も要らないスーパーロボット系の機体が、何を食って動いているのかを、村の誰も知らなかった。だが、何かを食っていることだけは、灰色の円が教えていた。村人たちは、それを見ていた。
レオンハルトは、その時、村の穀物倉の前でダイガストの膝をつかせ、倉の扉を機体の指でこじ開けていた。徴発の団員たちは倉の中で麦袋を数えていた。最後の麦袋を担いで倉を出た団員の一人が、井戸の前で、村人たちに囲まれた。手に持っていたのは、熊手と、薪割りの斧と、井戸の滑車から外した鉄の軸だった。
レオンハルトが、ダイガストの操縦席から井戸のほうを見下ろした時には、もう終わっていた。囲まれた団員は、麦袋を抱えたまま、井戸の石の縁にもたれて動かなくなっていた。村人たちは機体を見上げても逃げなかった。誰も、何も言わなかった。言葉の代わりに、灰色になった麦の葉を一本ずつ持って、ダイガストの足元に投げつけた。
レオンハルトは、徴発を打ち切って王都へ引き返した。持ち帰った麦は、二十袋だった。王都の二百人余りが、三日食べられる量だった。
その夜、シズクは、死因の欄に「村人に」と書きかけて、ペンを止めた。止めたまま、しばらく紙を見つめてから「徴発の際」と書き直し、それから三つの番号を足した。
――十三 テレポーター台座の刻印回路の点検
――十五 工房の工具の研ぎと校正
――二十 井戸の滑車と縄の交換
二十番を書いた時、彼女は、ヘルム村の団員を殴り殺した鉄の軸が、井戸の滑車の軸だったことを思い出した。ゲームの頃の騎士団の拠点にも、同じ形の井戸があった。滑車の縄は、誰も気づかないうちに、いつも新しいものに替わっていた。
【グランツ騎士団 第64日 稼働騎兵 0/12(他ジャンル機 1) 王都備蓄 0日 団員 213名(第60日比 -13)】




