第31話 直したつもり(後編)
【オサム視点】
国境の要塞の外塁で、暴走した帝国のLZ-03を生身で止めたあと、俺は膝をついた機体の胸によじ登った。九メートルの機体は胸を稜堡の石にもたせかけたまま、もう砂を蹴っていなかった。
胸の操縦席の扉は、稜堡の石にぶつかった衝撃で歪んでいた。俺は扉の縁にレンチを噛ませ、蝶番ごと外して開けた。
クロガネは、座席に座ったまま動かなかった。整いすぎた顔は傷一つなく、目は開いたままで、右手はまだ操縦桿を前へ倒した形で握っていた。だが、首だけが、座席の背もたれから少し離れた角度で止まっていた。VGOの操縦席には、体を座席に縛りつける帯がない。ぶつかっても揺れても、ゲームの中では誰の首も折れなかったからだ。
俺は彼の目を手で閉じさせ、操縦桿から指を一本ずつ外した。触れた指はまだ温かかった。
工房へ戻ると、第三騎兵隊の隊長がトーマの胸ぐらをつかんでいた。
「お前が、直りましたと言ったのだぞ! お前の口から、直りましたと! クロガネ殿は陛下が三万ヴァルで雇われた傭兵だ。それを、お前が殺した! この腕章をつけた口で、直りましたと言ったのだ!」
「……はい。僕が、言いました。僕が、直りましたって」
トーマは、胸ぐらをつかまれたまま、手袋の手を体の横で握りしめていた。殴られても、たぶん避けないだろう。直したと言ったのは自分だと、本気で思っている顔だった。
俺は隊長の手首を後ろからつかんで、トーマの胸ぐらから外した。力はほとんど入れていない。筋力九百九十九の指が手首に触れただけで、隊長の手は勝手に開いた。
「その子に直したと書かせたのは誰だ。等級の違う魔晶石を、大きいほうが力が出るから入れろと言ったのは、誰だ?」
「……わしは、整備のことは分からん。分からんから、整備士に任せたのだ。腕章をつけた整備士にな」
「その腕章を配った役人も、整備のことは分からんはずだ。分からない人間が三人並んで、一人の十九の子に、分かったことにさせた。それで一人死んだ。……あんたを責める気はない。俺がいた所でも、同じことは毎年起きてた。だが、次も同じことをやるなら、次は百人死ぬぞ。今日、稜堡の上に砲兵が八人いたのを、あんたも見てただろう」
隊長は口を開きかけて、それから何も言わずに工房を出ていった。トーマは、工房の床に膝をついたまま、外された膝の軸を見ていた。
「オサムさん。……僕、整備士を、続けていいんでしょうか」
十二年のあいだに、俺は一度だけ、同じことを聞かれたことがある。VGOのサービスが七年目に入った頃、始めたばかりの新規のプレイヤーに、街の掲示板で『修理職ってどうですか』と聞かれたのだ。俺は正直に、『やめとけと言われる職だ』と書き込んだ。そう答えるのが親切だと思ったし、実際、それは本当のことだった。その新規がその後どの職を選んだのかは、知らない。修理職のフレンドは、俺にも最後まで一人もいなかった。
「やめとけと言われる職だ。今日、お前は一人死なせた。それは、お前が背負うことになる」
トーマの肩が、びくりと揺れた。
「だが、測る人間がいなくなったら、次は百人死ぬ。それも本当だ。だから、やめるかどうかは、測れるようになってから決めろ」
俺は、帝都の工具屋で買った鉄の物差しを一本、トーマの手袋の手に握らせた。目盛りは帝国の工房の単位で、端から端まで、一ミリずつ刻んである。
「台座の爪の開き、魔晶石の直径、膝の軸の遊び。全部、これで測れ。測った数字を、毎日同じ紙の同じ欄に書け。触って分からないなら、測ればいい。俺が手で分かるのは、十二年、測った数字を手が覚えてるからだ。最初から手で分かる奴なんか、どこにもいない」
「……毎日、ですか」
「毎日だ。書式は、ヴァルナに渡しておく。俺の工房で使ってるのと同じ紙だ。……二千ヴァルの育成料は、今回は取らん。ただし、次に会った時、紙が一枚でも抜けてたら、倍取るぞ」
トーマは物差しを両手で握ったまま、何度も頷いた。工房の入口で、ヴァルナが腕章の束を、黙って工具棚のいちばん下の引き出しにしまった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
ザルツに戻ったのは、六十一日目の夕方だった。国境の要塞から南へ一日、乾いた草の丘を三つ越えると、墓場の鉄屑の山の向こうに、格納庫の屋根が見えてくる。
格納庫の前には、機都からの荷車が二台着いていて、一号の工房で打った鉄杭が、麻布にくるまれて横たわっていた。全長三メートル、芯は廃坑の底から掘り出した黒い冥鉱で、継接の右腕に嵌める受けの金具まで、注文どおりに作ってある。叩いて中を聞き、そのまま打ち抜くための杭だ。俺は麻布の端をめくって、杭の先端を指で弾いた。冥鉱の芯が、低く、長く鳴った。
その夜、格納庫の隅の作業台で、フィーネが俺の作業着の左袖を縫っていた。国境の川床で勇者の剣を受けた時に、炎で焼けて肘から先が裂けたままになっていた袖だ。帝都で買った騎乗服用の革の、余った端を、裂け目の形に切って当ててある。
「……針を通す向き、これで合ってますか」
「合ってる。外から内へ、斜めに通せ。まっすぐ通すと、引っぱられた時に穴が並んで裂ける」
「はい。……あの、オサムさん。私、自分の騎乗服を直す前に、練習がしたかったんです。だから、その、これはただの練習で――」
「いくらでも練習すればいい。俺の作業着は、どうせまた焼ける」
「焼けないようにしてくださいよ! せっかく、同じ布で直したんですから」
フィーネは顔を上げずに言って、糸の端を歯で切った。継いだ革は、作業着の灰色の布の上で、そこだけ騎乗服と同じ色をしていた。
その時、格納庫の入口から、鑑定士見習いのミナが鑑定札の束を抱えて顔を出し、作業台の上の袖と、フィーネの手元と、俺の顔を順番に見た。自分で短く切った赤茶の髪の娘は、肩を上げたまま一歩下がり、何も言わずに走っていった。
翌朝には、そのことを町じゅうが知っていた。井戸端で水を汲んでいた婆さんたちは、俺が通ると揃って口を閉じ、通り過ぎると揃って口を開いた。ガウス爺は石を積む手を止めて、「式はいつだ。わしは仲人はやらんぞ、腰が持たん」と言った。ミィルは尖った耳を真っ赤にして、「整備屋、フィーネと番うの!? 森霊の作法だと、番う前に木を一本植えるんだけど!」と俺の作業着の裾を引っぱり、ドレイクは鉄屑を運ぶ手を止めて、「マジっスか。いや、俺、全然気づかなかったっス」と言った。
「一体何のことだ、袖の話がなんでこんなことになってる」
「袖っスか」
「袖を縫った。それだけの話だ。……ミナ、何を見たのか、町の全員に言って回ったのか」
「い、言ってません! ヨナにだけ言いました! ヨナが、見習いの皆に言って、見習いの皆が、家で言って……私は、ヨナにだけです!」
フィーネは、その日一日、格納庫の外へ出てこなかった。継いだ袖の作業着を着て俺が工房に立っていると、町の人間が用もないのに入口から覗いていき、昼過ぎには、袖を見るための行列ができかけた。トワが行列の先頭に立って、「見物は、一回十ヴァルです」と言いかけ、俺に睨まれて帳簿を閉じた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
【ギルド視点】
第六十日の朝、レオンハルトは、王都の北の街道の上で、赤と黒の機体を見上げていた。
二十五メートルある。騎兵の二倍半の高さで、装甲は異常に厚く、頭には二本の角が生え、胸には排熱口が牙のように並んでいた。拳だけで、騎兵の上半身ほどの大きさがある。北の凍土の手前で、片膝をついたまま止まっているのを、食料を探しに出た団員が見つけたのだ。どの国の型式でもない。VGOの機体でもない。胸の装甲に、見たことのない字体で鋼闘神ダイガストと刻まれていた。
見つけた団員の中に、VGOの前に別のロボットゲームを遊んでいた男が一人いた。男は機体の足元で、角と拳と胸の排熱口を順番に見上げてから、乾いた声で言った。
「団長。これ、スーパーロボット系ってやつですよ。VGOみたいな、燃料と部品で動くリアル系じゃない。乗り手の根性でゲージを溜めて、必殺技を叫んで撃つほうの機体です。……あっちのゲームじゃ、整備なんて概念、そもそもありませんでした」
胸の扉は、外から引けば開いた。操縦席には、男が一人座っていた。VGOのものではない、赤い操縦服を着た若い男で、頬がこけ、手首が枝のように細かった。体は冷えきっていて、もう何日も前に死んでいるのが分かった。操縦桿の横の壁に、爪で引っかいたような字が残っていた。
――この機体は、腹が減らない。
レオンハルトは男の体を外へ運び出させ、自分で座席に座った。座った瞬間、魔晶石も入れず、整備もしていない計器が、勝手に灯った。それでも、胸の神威炉が低く鳴り、二十五メートルの機体が、膝を伸ばして立ち上がった。
「……整備が、要らないのか」
誰に聞いたわけでもなかった。答えたのは、計器の中央に浮かんだ見知らぬゲージで、それは彼が操縦桿を強く握るほど、目に見えて上がっていった。乗り手の意志で、出力が変わる。数字で人を動かしてきた男にとって、それは初めて見る種類の数字だった。
「これで、あの男は要らない」
その日の午後、王都の外の練兵場で、ダイガストの試運転が行われた。足元で誘導の旗を振っていた団員の一人が、踏み出した脚の下から逃げ遅れた。他のゲームの機体は、VGOの騎兵より一歩が長く、踏み出す前の予備の動きがない。そのことを、誰も知らなかった。
「単なる事故だ」と、レオンハルトは操縦席の中から言った。「誘導の位置が悪かった。次からは、十メートル下がらせろ」
シズクは、その夜の帳簿の死因の欄を、空けたままにした。事故と書けば、それで済んでしまうからだった。
レオンハルトは、その夜から、部下の顔を以前より長く見るようになった。人の顔を読むのが、彼の才だった。整備の要らない機体が手に入った日に、部下たちの顔に浮かんでいたのが安堵ではなく怯えだったことを、彼は読み取ってしまい、それが誰に向いた怯えなのかを、決めかねていた。シズクは記録室へ戻り、三つの番号を足した。
――二十七 魔晶石の等級選別(安いものを選んで使えるようにする)
――二十八 消耗品の自作(当て板、パッキン、ワイヤー)
――二十九 廃棄予定品からの部品取り(「ゴミ漁り」と呼ばれていた)
二十九番の括弧の中の言葉を、昔、誰が最初に使ったのか、彼女は覚えていた。ゲームの格納庫の隅で、廃棄予定の機体から部品を外している男の背中に、若い団員がそう言って笑ったのだ。男は振り返らずに、外した部品を箱へ入れていた。
翌朝、王都の北門の脇に繋いであった見張りのLZ-03が、起動しなかった。魔晶石は昨日替えたばかりで、どこも壊れていなかった。ダイガストが一晩立っていた練兵場の草は、根元から灰色に変わっていた。
【グランツ騎士団 第60日 稼働騎兵 0/12(他ジャンル機 1) 王都備蓄 0日 団員 226名(第56日比 -14)】




