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魔導騎兵が動くのは、俺が毎晩直していたからです ~産廃機と壊れたAIで、全ゲームの兵器を整備する~  作者: 勇者ヨシ君
【第二部 整備士が足りない】

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第30話 値段を聞く男

【オサム視点】


 転移から五十三日目の夜明け前、俺たちはバルドの隊商の荷車六台と一緒に、ザルツの北門を出た。行き先は、ベルク帝国の帝都ベルクだ。国境の要塞を通る本街道なら五日かかるところを、バルドは砂丘帯を斜めに抜ける古い隊商路を選び、三日半で着けると言った。機体は一機も連れていない。騎兵は一日に魔晶石(マナ・クリスタル)を一個食うので、移動のためだけに出すのは値の張る仕事の時に限ると決めていたし、今回の仕事は、皇帝に会って話をすることだけだった。値段は、まだ決まっていない。


 隊商の先頭を歩いているのは、元ギルドの剣士(ソードマン)の二人だった。王都からザルツへ流れてきた十九人のうち、生身で戦えるのはこの二人だけで、今はバルドに雇われた護衛として腰に剣を下げている。背の高いほうは頬に古い火傷のある三十がらみの男で、低いほうは、刃こぼれした剣を毎晩焚き火の前で研いでいる若い男だ。荷車の御者台では、背が低く腹の丸いバルドが、革の帯に下げた二つの算盤を揺らしながら手綱を握り、その隣で、帳簿係になった記録係(レコーダー)のトワが、インクの染みた手の甲を膝に置いて護衛の日誌をつけていた。俺とフィーネは、最後尾の荷車の横を歩いた。


 フィーネは今朝から、三歩ごとに自分の騎乗服の袖を引っぱっては、継ぎの当たった肘を見下ろしていた。くすんだ金髪をいつもより固く後ろに束ね、腰の細身の剣の柄には、昨夜わざわざ油を引いてある。


「オサムさん。皇帝陛下にお目にかかる時の礼儀って、どうすればいいんでしょう。私、騎士の礼しか教わっていないんです。片膝をつくのか両膝なのか、顔を上げていいのは何を言われてからなのか……父に聞いておけばよかったって、昨日の夜からずっと考えていて」

「知らん。俺が偉い人間に会ったのは、ギルドを追い出された夜が最後だ。あの時の礼儀は、黙って荷物をまとめることだった」

「……それ、全然参考にならないです」

「参考にするな。呼んだのは向こうだ。こっちは、直せるかどうかと、いくらかかるかを答えればいい。膝のつき方で、値段は変わらん」

「変わらないんですか」

「変わったら、その皇帝が客にはならん」


 フィーネは何か言い返そうとして口を開き、それから閉じた。袖を引っぱるのはやめたが、今度は剣の柄の油を、指で何度も確かめ始めた。


 二日目の昼、砂嵐が来た。南西の空が黄色く濁ったかと思うと、風が砂の壁になって隊商路を横切り、十歩先の荷車の幌(ほろ)が見えなくなる。バルドは慣れた手つきで六台の荷車を円く並べ、馬と人を内側に入れた。嵐が抜けるまでの一時間、俺たちは荷車の陰で麻布をかぶり、口の中へ入ってくる砂を何度も吐き出した。耳の奥で砂粒が鳴り続け、布越しに当たる風の重さで、背中の荷が少しずつ前へ押された。


 嵐が抜けると、隊商路の先の窪地(くぼち)に、さっきまでなかったものが現れていた。砂に半ば埋もれた手押しの荷車が一台と、その周りに、人の形の膨らみが四つ。風が、上に積もっていた砂を剥いだのだ。


 剣士の背の高いほうが先に走り、膝をついて砂を払った。俺も後から窪地へ下りた。四人とも、VGOの初期装備の布鎧を着ていた。腰の袋は切り裂かれて中身がなく、靴まで脱がされている。一人の手首には、ゲームの頃に装備品へつけられた名札の刺繍(ししゅう)が残っていて、『ハルカゼ』という表示名が読めた。


「……転移者ですね。四人とも」


 トワが帳簿を胸に抱えたまま、窪地の縁で立ち止まっていた。声が平らなのは、彼女がそういう声しか出さないからで、帳簿を抱える指の関節は白くなっていた。


「斬られてる。背中からだ。逃げたところを、後ろから追いつかれたんだな」

「隊商路を歩いて、帝都へ向かっていたのでございましょう」と、バルドが窪地の縁から言った。「この辺りでは近ごろ、旅の転移者がよく襲われると聞いております。財布の中身は私ども商人の十年分あるのに、腕は子どもより細い。荷車も護衛も連れずに、地図も持たずに歩いてくる。……砂賊にとって、これほど割のいい獲物はないのだそうで」


 VGOの頃、プレイヤーは街道を歩かなかった。高速転移(ファストトラベル)があったからだ。拠点から拠点へ一瞬で飛べる世界で、自分の足で隊商路を歩いていたのは、採集のために生身で砂を掘っていた俺くらいのものだった。その高速転移が灰色のまま動かない今、帝都へ向かう転移者は、こうして歩くしかない。歩くための数字を、誰も振っていない体でだ。


「トワ、名前を控えておけ。表示名でいい」

「はい。……『ハルカゼ』、ほか三名、名札なし。死因の欄は、どうしましょう」

「斬られた、でいい。誰に、は分からんがな」


 四人を窪地に埋める時間は、バルドが黙って荷車の出発を一時間遅らせることで作った。料金の話は、その一時間、一度も出なかった。


 埋め終えて荷車の円を解こうとした時、北の砂丘の稜線(りょうせん)に、騎兵が二機現れた。砂嵐が残していった黄色い靄の向こうで、二つの単眼が鈍く光っている。


 くすんだ茶色に塗られた、古いLZ-03(ランツァー)の改造機だった。装甲のあちこちに別の機体の板を継ぎ足し、肩には盗んだ隊商の旗が三本も刺さっている。原作の街道に湧くLZ(ランツァー)-03B(バンディット)、砂賊の騎兵で、攻略wikiでは『経験値の足しにもならない』の一行で片づけられていた相手だ。その足元から、生身の砂賊(さぞく)が十人ほど、布で顔を巻いて砂丘を駆け下りてくる。手にしているのは曲刀と、縄のついた鉤(かぎ)だった。さっきの四人を追い詰めたのも、たぶんこの連中だ。


「バルド、荷車の内側から出るな! 剣士の二人は、生身の連中を頼む。殺すなとは言わん。だが、荷車から先へは一歩も入れるな!」

「承知いたしました! ――お二人とも、念のために申し上げておきますが、相手は魔獣ではなく人でございますので、一体につき二百ヴァルの上乗せは付きません。よろしいですね!?」

「今それを言うんですか、バルドさん!」

「大事なことでございます、お嬢様。帳簿に書く欄が違いますので」


 剣士の二人は顔を見合わせて、それから同時に荷車の円の外へ出た。元ギルドの剣士職(ソードクラス)は、ゲームの頃から生身の数字をいくらか持っていた。乗る機体を持たない騎乗職(ライダー)よりはずっとましな数字だが、それでも筋力は二百に届かない。二人は砂賊の曲刀を受け、払い、背中を合わせて十人を荷車の円の外へ押し返していく。若いほうが一度、鉤縄に足を取られて膝をつき、背の高いほうが体ごと割って入ってその縄を斬った。


 俺は砂を蹴って、砂賊の騎兵の一機へ向かって走った。九メートルの機体が俺に気づき、継ぎ足しだらけの右脚を振り上げる。生身の人間を踏み潰すための、狙いの甘い一歩で、足の裏の影が、真昼の砂の上で俺の体に重なった。


 振り下ろされた足首の下へ、俺は潜り込んだ。継ぎ足しの装甲と元の装甲のあいだに、指二本ぶんの隙間がある。そこへ当て板(シム)を一枚叩き込んで継ぎ目を開かせ、開いたところへ八十キロのレンチの口を噛(か)ませて、筋力九百九十九で捻(ひね)った。


 ゴキン。


 足首の関節が外れて、九メートルの機体が、砂の上に片膝をついた。片膝をついた機体の膝の裏へ回り込み、同じことをもう一度やると、ゴキッ、と二度目の音がして、両脚の関節を外された騎兵は、上体を起こしたまま腕を振り回すことしかできなくなった。振り回した腕の先が、自分の肩の旗を一本へし折った。


 もう一機は、仲間が生身の男に解体されるのを稜線の上で見ていたが、やがて向きを変え、砂丘の東の斜面を下りていった。斜面のふもとには、砂嵐のあとで柔らかくなった砂が溜まっていて、機体は右脚を膝まで取られ、もがきながら砂丘の向こうへ消えた。追いつける足は、俺の生身にはない。敏捷が足りないのは、この体のいちばんの弱点だった。


 剣士の二人のほうも、片がついていた。十人のうち三人が砂の上に倒れて動かず、残りは曲刀を捨てて逃げていった。背の高い剣士は、倒れた三人のそばにしばらく立ってから、剣を砂で拭った。王都でエースの騎兵の後ろに立っていた男が、生身で人を斬ったのは、たぶんこれが初めてだったはずだ。


 外した騎兵の操縦席(コックピット)から、砂賊の男を引きずり出した。頬のこけた四十がらみの男で、腕に古い刀傷がいくつも残り、腰の袋からは、さっきの窪地の四人のものらしい布の財布が三つ出てきた。


「お前の機体な。足首の油が、三か月は替わってない。替えてないから継ぎ目が痩せて、板一枚で開いた。次に人を襲う時は……いや、次はないな」

「……殺すのか」

「殺さん。俺は整備士だ。お前は帝国の砲兵に引き渡す。ただ、一つだけ聞かせろ。さっきの窪地の四人は、お前らか」

「転移者だろ。あいつら、金を持ってる。財布に、町ひとつ買えるほど入ってるんだ。なのに生身は弱え。剣も振れねえし、逃げ足も遅い。狩らねえ理由が、どこにあるってんだ。うちの頭は、転移者を一人狩るのは、魔獣を百狩るより儲かるって言ってたぜ」


 男の言い方に、悪びれた様子はなかった。この世界の人間にとって、転移者は、金を持ったまま歩いている弱い生き物なのだ。王都の三百名も、ザルツへ流れてきた十九人も、この砂の上ではその一人にすぎない。


「バルド。こいつの財布、三つとも帳簿に書いてくれ。中身はトワが数えろ。持ち主の名前は分からんが、分からんまま、別にしておけ」

「別に、でございますか」

「ザルツに来る転移者の中に、あの四人を探してる奴がいるかもしれない。いなかったら、四人の墓の石を買う。それでも余ったら、町の井戸に回す」

「……承知いたしました。帳簿の欄を、一つ増やしておきます」


 バルドは算盤の珠を一度だけ弾いて、それ以上は何も言わなかった。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 帝都ベルクに着いたのは、五十六日目の昼だった。砂丘帯を抜けると乾いた草の平原が続き、その先に、灰色の城壁が地平線に沿って横たわっていた。


 城壁は、灰色の石を人の背丈ほどの塊に切って積み上げたもので、高さは騎兵の倍ある。壁の上には砲の筒が等間隔に並び、どの砲口にも雨よけの革の蓋がかぶせてあった。門をくぐると、石畳の大通りの両側に、鍛冶屋と武具屋と工房が看板を突き合わせるようにして並び、通りの石には荷車の轍(わだち)が深く刻まれている。どの煙突からも煙が上がり、空気には鉄を焼く匂いと獣脂の焦げる匂いが混じっていた。七つの国のうちで、騎兵の数と砲の数がいちばん多い国の都で、通りを歩く人間の手が、商人も子どもも、どれも少しずつ油で汚れていた。


 謁見は翌朝と決まった。宿に荷を下ろすと、フィーネが妙にそわそわした顔で、俺の作業着の袖を二度引いた。


「オサムさん。……明日の謁見まで、時間、ありますよね」

「ある。半日はある」

「一緒に市場を、見に行きませんか。帝都の市場は七つの国でいちばん大きいって、バルドさんが。ザルツでは手に入らないものも、きっとあると思うんです。私、帝都に来るの、生まれて初めてで」

「工具屋があるなら行く」

「……工具屋も、あると思います」


 帝都の市場は、確かに大きかった。大通りから一本入った広場に布張りの屋台が百以上並び、香辛料の袋と、干した果物の籠(かご)と、鉄の釘を量り売りする箱が、同じ列に並んでいる。そして俺は、市場の入口から三軒目の工具屋に入ったきり、一時間出てこなかった。帝国の工房向けのやすりが、目の粗さで二十種類も並んでいたのだ。ザルツでは手に入らない細さのものを三本選び、ついでに、目盛りの刻まれた鉄の物差しを二本買った。物差しのほうは、帝国の工房が使っている寸法の単位を確かめるためだった。


 店を出ると、フィーネが向かいの服屋の前に立っていた。手には何も持っておらず、店先に吊られた騎乗服の、肘のところばかり見ている。


「何か買ったのか」

「……見てただけです。私の騎乗服、継ぎが三種類あるでしょう。右の肘と、左の肘と、膝と。あれ、三回とも、その時に手元にあった別の布で直したからなんです。父が生きていた頃は、騎乗服は毎年新しく仕立ててもらえたんですけど。……一回くらい、同じ布で直したいなって」

「布なら、工具屋の隣で売ってた。騎乗服用の厚い革だ。色も、あんたの服とほとんど同じのがあった」

「……オサムさん、それ、服の話と布の話が、混ざってます」

「同じだろう。直すなら、元と同じ材料のほうがいい。違う材料で継ぐと、継いだところから先に傷む。機体でも服でも、それは変わらん」


 服屋の奥から、太った女主人が顔を出して、俺とフィーネを交互に見た。


「あらまあ、旦那さん。奥さんの服なら、うちで一着仕立てなさいな。継ぎ当てで済ませるより、新しくしたほうが奥さんも喜ぶよ。帝都の女はね、亭主が服を買ってくれるかどうかで、その年の機嫌が決まるんだから」

「お、おく……っ」

「奥さんじゃない。客だ。俺が直した機体に乗ってる」


 フィーネの顔から、赤みが一瞬で引いた。それから、さっきより少しだけ低い声になった。


「……客、ですか」

「客だろう。乗り手は、整備士にとっていちばん大事な客だ」

「……そうですね。そうでした。私、オサムさんの、お客さんでしたね!」


 女主人が、気の毒そうな顔でフィーネの肩を一度叩いて、店の奥へ引っ込んでいった。フィーネはしばらく俺の顔を見ていたが、やがて口の端だけで小さく笑い、工具屋の隣の革屋へ入っていった。出てきた時、彼女は騎乗服と同じ色の革を一枚、両腕で抱えていた。


「これで、次に破れたら、同じ布で直せます」

「破れる前に言え。継ぎ方を教える。革の継ぎは、針を通す向きを間違えると、そこから裂ける」

「……教えてくれるのは、私がお客さんだからですか」

「乗り手の服が裂けて、操縦桿から手が滑ったら、困るのは俺だ」

「それ、褒めてもらえたことにしておきます」


 後ろを歩いていたトワが、帳簿に何か書きかけて、黙って消した。バルドは算盤の珠を弾く指を止め、「仕立て代は、帳簿のどの欄に入れましょうか」と、誰に向けるでもなく言った。誰も答えなかった。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 翌朝、謁見(えっけん)の間に入ると、国境の要塞から呼ばれた砲兵将のザイデルが、先に来ていた。灰色の口髭(くちひげ)を短く刈った五十半ばの男で、襟の砲弾の形の徽章(きしょう)は、相変わらず角が丸くなるまで磨かれている。右の耳が聞こえないこの男は、俺を見ると、体ごと三歩分左へずれて、聞こえる方の耳をこちらへ向けた。


「来たか、あの男。陛下は、順番表の話をわしの口から聞きたいと仰せだ。わしは三十年砲の上に立ってきたが、砲を撃たないための表を宮廷で説明するのは、これが初めてだ。……お前は、聞かれたことにだけ答えろ。余計なことを言うと、わしの説明が台無しになる」

「余計なことは言わん。値段の話はするが」

「それが余計なことだと言っておるのだ」


 謁見の間は、天井の高い石の広間だった。柱は鉄の帯で巻かれ、壁には歴代の皇帝が鋳造させた砲身が、飾りとして縦に並べてある。列は身分の順で、前のほうに将軍と大臣、その後ろに工房の親方たちが立ち、いちばん後ろの柱の陰に、俺とフィーネが立たされた。


 VGOの頃、レイドの作戦会議で、俺はいつも同じ場所に立っていた。整備枠として参加させてもらうと、決まって誰かが『邪魔だから後ろにいて』と言った。悪気はない。作戦の地図の前に立つのは騎乗職で、壊れた機体が戻ってくるまで修理職(リペアクラス)にやることはないのだから、後ろにいるのは当然だった。参加報酬の欄には、毎回『整備枠:一』とだけ記録された。帝国の謁見の間でも、俺は同じように、いちばん後ろの柱の陰にいる。違うのは、今日は俺が呼ばれた側で、前に並んでいる将軍たちの騎兵を、来月には俺が直しているかもしれないということだった。


 玉座に座っていたのは、五十前後の、肩幅の広い男だった。皇帝ヘルムート・ベルク。鉄灰色の髪を短く刈り、王冠の代わりに、工房の親方がつける革の額当てを巻いている。左手の指が二本、第一関節から先がない。若い頃に鍛冶場で落としたのだと、宿の主人が言っていた。ザイデルが順番表の話を終えると、皇帝は将軍たちの頭越しに、いちばん後ろの柱の陰をまっすぐに見た。


「ザルツの整備士。前へ出よ」


 列が割れて、俺は玉座の前まで歩いた。皇帝は、俺の顔ではなく手を見ていた。手の甲の火傷の跡と、指の爪の際に入り込んだまま取れない油の色を、職人が仕上がった鋳物を見る時の目で見ている。


「宮廷鑑定士(アプレイザー)。この男の札を読め」


 玉座の脇から白い髭(ひげ)の老人が進み出て、俺の手首に鑑定札を当てた。宮廷付きの鑑定士は、ザルツのミナと違って札を当てても目を閉じず、謁見の間の全員が、札の上に浮かんでいく文字を見ていた。


【鑑定(アプレイズ)】

【主職 整備長(チーフ・メカニック) Lv.104】

【筋力 999 S(上限)】

【器用 960 S】

【敏捷 420 B】

【体力 800 S】

【魔力  40 E】

【未振り 40】


「……筋力、九百九十九でございます、陛下。帝国の記録で、生身の人間にこの数字が出たことは、一度もございません。建国の伝説に残る力士でも、八百に届いたかどうか」


 将軍たちの列が、前から順に揺れた。一番前の髭の将軍は腰の剣の柄を握り直し、その隣の痩せた将軍は、俺ではなく自分の腕を見下ろしていた。俺は札の『未振り』の欄に指を当てて、三十を敏捷へ動かした。逃げる相手を追えないのが、この生身のいちばんの弱点だ。三日前の砂丘で、それを確かめたばかりだった。


【敏捷 420 → 450 B】

【未振り 10】


「この場で振るのか」

「振らないと、数字は増えん。溜めたまま見せびらかしても、使い道がない。使い道のない数字は、倉庫で錆(さび)てる部品と同じだ」


 皇帝は、口の端をわずかに上げた。


「その方に、帝国の整備総監の位を与えたい。帝国の全工房、全騎兵、全砲の整備を、その方の名で預ける。帝都に屋敷を一つ、工房を三つ、年に二十万ヴァル。……どうだ」


 将軍たちの顔が、一斉にこちらを向いた。二十万ヴァルといえば、帝国の工房長の年俸の十倍近い。帝国の整備総監というのは、帝国の騎兵と砲の全部を、一人の手に握らせるということだ。後ろの柱の陰で、フィーネが小さく音を立てて息を吸ったのが聞こえた。


「断る」


 ざわめきが、謁見の間の石の天井に跳ね返った。皇帝は、眉一つ動かさなかった。


「理由を申せ」

「整備は、国を選ばない。帝国の機体だけを直す位をもらったら、聖王国の機体が壊れた時に直せなくなる。森霊国(シルヴァーナ)の樹装騎(ウッド・ギア)が持たなくなった時も、機都(カルディア)の機人(マシン)の脚が止まった時もだ。そうなったら、その国の人間は、帝国の総監に頭を下げに来るしかない。……あんたはそれで得をするかもしれんが、俺は、直せる物を直せなくなる。それが、この仕事でいちばん嫌なことだ」

「では、帝国の機体は直さぬと申すか」

「直す。帝国の機体を直さないとは言ってない。順番と、値段がある。順番は、壊れ方のひどい順だ。国の順じゃない」

「では、問う。その方の値段は、いくらだ」


 原作の第三章で、ベルクの皇帝は「まず値段を聞く男」として描かれていた。どの交渉の場面でも、最初か二番目の台詞が『いくらだ』で、攻略掲示板には『皇帝イベントは、先に値段を出したほうが好感度が上がる。値段を言わずに忠誠を誓うと、逆に下がる』と書かれていた。この世界の皇帝が同じ性格かどうかは分からなかったが、紙を一枚用意する手間は、外れても惜しくない。だから俺は昨夜のうちに、宿の机でトワに料金表を清書させておいた。懐から、その一枚を出した。


 ――量産機の整備 一機 千五百ヴァル

 ――RX級の整備 一機 八千ヴァル

 ――砲の点検と順番表の作成 一門 三百ヴァル

 ――整備士の育成 一人 十日で二千ヴァル(測り方と記録の書式を教える)


 皇帝は、紙を受け取って、端から端まで二度読んだ。それから、声を上げて笑った。低い笑い声が天井の鉄の帯に響き、髭の将軍がぎょっとして玉座を見上げた。


「先に値段を出す整備士は、初めて見た。わが国の工房の親方どもは、値段を聞くと決まって『陛下のお心のままに』と言う。心のままに払えば、来年には倍を取りに来る。……よかろう。帝国は、その方の客になる。総監の位は撤回する」

「陛下」と、髭の将軍が一歩出た。「おそれながら、砲の点検の三百ヴァルには、弾込めの手間は含まれておるのでしょうか。わが第一砲兵隊は、弾込めの兵が先月から三人足りておりませんで」

「含まれてない。弾は自分で込めろ」

「……左様か」


 髭の将軍は、それきり列へ戻った。謁見の間の端で、ザイデルが聞こえる方の耳を手のひらで押さえ、首をゆっくり横に振っていた。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 謁見のあと、鉄の帯を巻いた柱の並ぶ回廊で、一人の男に呼び止められた。三十前後の痩(や)せた男で、黒い文官服の上に、鶴の羽のように白く裾の長い鶴氅(かくしょう)を羽織り、頭には青い糸で編んだ古風な綸巾(かんきん)を載せている。目の下に寝不足の色が濃く、左の腕には白い羽毛扇を大事な帳簿でも抱えるように抱えていて、その扇の先で、絶えず空中に小さな四角を描く癖があった。


 学生の頃、三国志のゲームの攻略本の表紙で何度も見た諸葛孔明の格好そのままだったので、名乗られる前から、俺には名前の見当がついていた。皇帝の軍師だと、追いついてきたザイデルが、聞こえる方の耳を俺に向けながら小声で教えた。


「わたくし、コウメイと申します。陛下の軍師を務めております。……失礼ですが、あなたは、転移者ですね」

「そうだ。あんたもか」

「ええ。元のゲームは、戦場をマス目で区切って、兵を一マスずつ動かす戦略ものでした。この世界に来てからも、戦場がマス目に見えるんです。どの兵が何マス動けて、次にどの部隊の番が来るのか、全部見えます。地形効果も見えますよ。この回廊の石畳なら、歩兵の防御が一割上がる」


 コウメイは、回廊の石畳の継ぎ目を、靴の先でなぞった。彼の目には、石と石のあいだの溝が、そのまま戦場のマスの線に見えているらしかった。


 戦場をマス目で動かすゲームの転移者など、VGOのどのイベントにも出てこなかった。VGOがよそのゲームと組んだのは、あの不人気のコラボ一回きりで、それもRPGだけだ。マス目で戦う軍師も、無敵時間で斬る剣士も、俺の知っているVGOには一人もいない。ここから先は、攻略wikiのどこにも載っていない相手だった。


「……ところで、その格好も、そのゲームの軍師の服なのか?」

「いいえ、これは私物です。転移した夜、私はゲームの大会の決勝を、この格好で配信しておりました。羽は化繊ですし、頭巾は宴会用品の店で買ったものです。ま、ありていに言えばコスプレですな」と、コウメイは少しも恥じずに言った。「こちらの方々は、これを軍師の正装だと思ってくださいますので、そのまま着ております。着替えたところで、この大陸には孔明を知る人が一人もいませんから」


 近くで見ると、羽毛扇の羽は先が揃いすぎていて、確かに鳥から抜いたものではなかったが、骨を束ねる留め具だけは真鍮(しんちゅう)の本物で、そこだけが手の脂で鈍く光っていた。安物の扇を、留め具が光るまで毎日握っている男なのだと分かって、俺はそこで少しだけ、この男の見方を変えた。


「三日前、隊商路で砂賊の騎兵を止めたのを、街道の見張りから聞きました。それで、どうしても伺いたいことがあったのです。見張りの話を聞きながら、頭の中で盤面に置いてみたのですが……あなたの動きだけが、マス目に乗らないのですよ。あなたは斜めに一マス半動いて、騎兵の足首の下に入っている。私のゲームでは、一マス半という移動は存在しません。ユニットは、マスの中心から中心へしか動けないのです」

「足首の下は、マスじゃない。継ぎ目だ」

「継ぎ目」

「騎兵は、マスの上に立ってるんじゃない。部品と部品が継ぎ目でつながって、その上で立ってる。継ぎ目を外せば、どのマスの上にいても倒れる。あんたの盤には、たぶん継ぎ目が描いてないんだ」


 コウメイは、しばらく自分の扇の先を見ていた。俺と会ってからずっと空中に四角を描き続けていた白い羽の先が、そこで初めて止まっていて、彼はそれを、自分でも珍しいものを見るような目で眺めていた。


「弱きが強きに勝つは、天の時のみにあらず。人の謀(はかりごと)なり」と、コウメイは扇を胸に抱え直して言った。「弱い者が強い者に勝つのは、運が向いたからではない。人が考えた手のおかげだ、という意味です。三日前の砂賊の騎兵は、私の盤の数字で言えば、あなたよりずっと強いユニットでした。それでも止まったのは、天の巡りのせいではなく、あなたが読んだ継ぎ目のせいですね」

「孔明か」

「ええ。三度訪ねてきた劉備に、天下の取り方を説いた時の言葉です」

「褒められても困るぞ? 俺は、外れる所を外しただけだ」


 コウメイは、それには答えずに小さく笑い、止まっていた扇の先で、空中の四角の一つを、今度はゆっくりと描き直した。


「……あなたの順番表を、ザイデル将軍から拝見しました。砲を撃つ順番を、三時間おきに組み替える表です。あれは、私のゲームの行動順の表と同じ形をしています。誰が、いつ、どの順で動けば全体が持つか。あなたも、順番で世界を見る人間なのですね」

「俺は、壊れる順番を見てるだけだ。壊れる前に、壊れる順に手を入れる。それを紙に並べると、ああいう形になる」

「同じことです。ただ、私とあなたでは、一つだけ違うところがある」


 コウメイは、回廊の窓の外の練兵場へ目をやった。帝国の歩兵が百人ほど、隊列を組んで砂の上を行き来している。


「私のゲームでは、倒れたユニットは二度と戻りません。ロストと言います。だから私は、最初から、戻らない前提で兵を数えています。この世界に来て、それが一番役に立ちました。戻らない兵を、戻らないと分かったうえで動かせる軍師は、この大陸に私しかいないので。……あなたは、戻らないものを、戻そうとする。私の盤面には、そういう駒の置き場所がないのです」

「駒じゃない。整備士だ」

「ええ。ですから、申し上げておきます。陛下にお伝えすべきかどうか、迷っていることがあるのです」


 軍師は窓から目を戻し、今度は、俺の手を見た。


「あなたは、この大陸に一人しかいない。あなたが止まれば、あなたの順番表も止まる。私のゲームの言葉で言えば、あなたは、落ちたらその場で負けが決まる駒です。そのことに、各国がそろそろ気づき始めています。……気づいた国が次に何をするかは、マス目を見なくても分かるでしょう」


 コウメイは一礼して、回廊の奥へ消えていった。足音が、石畳の継ぎ目を一つずつ正確に踏んでいく。フィーネが、俺の作業着の袖を、さっき市場で引いた時よりずっと強く握っていた。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦



【ギルド視点】


 第五十六日、グランツ王都の貴族院で、一つの動議が読み上げられた。


 ――グランツ騎士団長レオンハルトの、王都における指揮権の剥奪(はくだつ)を求める。理由。騎士団の備蓄の枯渇、団員の死亡の続出、王城の格納庫の無償の占有、および騎兵十二機の稼働の停止。


 採決は十二日後、第六十八日と決まった。院の廊下で動議の写しを受け取ったシズクは、肩で切り揃えた黒髪を耳にかけないまま、それを記録室へ持ち帰り、十九冊目の帳簿に貼りつけた。支給品のままの管制服の袖口は、この五十日でインクと埃に黒ずんでいる。それから彼女は写しをもう一枚書き、レオンハルトの部屋へ届けた。


 レオンハルトは、窓際の椅子に座っていた。長身を少し前に傾け、騎士の礼装の金の飾り紐が、片方だけほどけたまま垂れている。机の上の水差しは空だった。王城の二番井戸の揚水機は、二十日以上前に焼けたまま、まだ誰も直していない。


「団長。貴族院の動議です。採決は、第六十八日です」

「……読んだ。廊下で、院の書記が読み上げていた」

「団長に、申し上げておかなければならないことがあります。動議の理由の四つのうち、三つは、わたしの記録から院が拾ったものです。備蓄の数字も、死亡の数も、格納庫の占有の日数も、わたしが帳簿に書いたものです。院の書記官が、第四十一日から写しを取りに来ていました。……わたしには、それを断る権限がありませんでした」


 レオンハルトは、シズクの顔を見た。人の顔を読むのは、彼のいちばんの才だった。だが眼鏡の奥の彼女の目は、いつもと同じように平らで、読めるものが何もなかった。


「……お前を責める気はない。記録は、記録だ」

「はい。ですから、わたしはこれからも記録いたします。団長のことも、です」


 彼女は一礼して出ていき、記録室の机で、この四日の数字を書いた。南の町へ発った者が六名。城の裏の路地で、夜のうちに冷えて動かなくなった者が三名。行き先を誰にも告げずにいなくなった者が二名。死因の欄に「凍え」と二度書き、三度目は、ペン先を紙に置いたまま書けずにいた。三人目は、凍える前に、もう三日何も口にしていなかったからだ。彼女はしばらくして、「凍え、飢え」と並べて書いた。


 それから、三つの番号を足した。


 ――三十八 他ギルドとの部品の融通の交渉

 ――三十九 商人との値段交渉

 ――四十三 遠征の行程表の下書き


 三十九番を書いた時、彼女のペンが、また少しだけ止まった。ゲームの頃、騎士団の部品がいつも相場より一割安く手に入っていた理由を、今さら誰に話せばいいのか、彼女には分からなかった。値段を先に出して、相手に考える隙を与えない男が、昔、この騎士団にもいたのだ。


【グランツ騎士団 第56日 稼働騎兵 0/12 王都備蓄 0日 団員 240名(第52日比 -11)】

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