第28話 ベヘモス、おいで
【オサム視点】
転移から四十六日目の朝、ザルツの格納庫の真ん中で、紺色の巨体がもう一度、自分の脚で立とうとしていた。RX-07H、全高十一メートル半、六十八トン。分厚い胸の装甲と、丸く張り出した肩の盾が特徴の重装機で、VGOの頃はドレイクの乗機だった。両脚を坑道の支柱に取られて、ひと月近く胴体だけで床に転がっていた機体だ。
新しい脚は、三日で組んだ。芯には廃坑の底から運び上げた冥鉱を使い、外側の装甲は機都から持ち帰った部品を継ぎ合わせてある。膝の関節には、一号の魔導炉を直した時に覚えた熱の逃がし方をそのまま流用した。左右で色の違う脚が、紺の胴体の下に並んでいる。坑道の支柱になった元の脚は、今も廃坑の天井を持ち上げているので、取り返すつもりはなかった。脚も膝も魔導炉の熱の逃がし方も、元の機体とは別物になったので、俺は組み直したこの機体をRX-07H改と呼ぶことにした。
「ベヘモスの脚、左右で色が違いますね」
「違う。左は機都の灰色で、右は冥鉱の黒だ。揃える部品がない」
「……継接と、ちぐはぐ感がお揃いですね」
「お揃いにしたつもりはない、がな――」
フィーネはベヘモスの足元に立って、新しい脚を見上げていた。十九の、くすんだ金髪を走っても崩れない固さで後ろに束ねた娘で、継ぎの当たった革の騎乗服の袖を、肘までまくっている。ツギハギに乗っていた頃の癖で、彼女はいつも機体の左の腰から先に見る。
俺は格納庫の床に描いた白線の内側で、組み上がった脚の最後のボルトを締めた。器用の数字が、この三日で九百四十から九百六十に上がっていた。指先が、ねじ山の一つ一つを前より細かく拾う。
締め終えたボルトの頭を平手で叩くと、いつもの台詞が、いつものように口から出た。
「修理完全完了、もうどこも壊れていない」
ちょうどそこへ、ミナが鑑定札を持って走ってきた。坑道から戻った夜に読んでもらった札は、驚くほど数字が溜まっていたのだが、ミナは札を差し出す前に、腰の帳面を開いて、何かを一行書き足した。
「……今のは、何を書いたんだ?」
「手順の最後です。師匠は、ボルトを締めて、叩いて、それを言ってから次の機体に移ります。毎回です。だから、最後の手順として書いておきました」
「それは手順じゃない」
「では、何ですか」
口癖だ、と言いかけて、俺は言葉に詰まった。十二年、誰も聞いていない格納庫で言ってきた台詞を、手順書の最後の行に書き写した人間は、この娘が初めてだったからで、消せと言えば素直に消すのだろうが、消せと言う理由を、俺はうまく見つけられなかった。
「……好きにしろ。ただし、書くなら一字も間違えるなよ?」
「はい。修理完全完了、もうどこも壊れていない。……合っていますか」
「合ってる。合ってるから、札を見せろ」
【主職 整備長 Lv.102】
【未振り 65(坑道主の討伐・ベヘモスの組み上げ・初めての機体の再生)】
俺は四十を体力へ、二十を器用へ動かして、残りの五は前の五と合わせて取っておいた。
【体力 760 → 800 S】
【器用 940 → 960 S】
【意志力 上限120 → 130】
「師匠、意志力の上限も、勝手に十増えてます。これは振ってないのに」
「指令を使い続けた分だろう。十二年、使い道のない指令を抱え続けてきた器が、少しだけ広がったんだ。……器のほうは、振らなくても育つらしい」
「じゃあ、師匠の体の数字は、振らないと育たなくて、意志力は使えば育つと……」
「覚えなくていい。書き留めておけ。それがお前の仕事だ」
ミナは真剣な顔で頷いて、札の写しを帳簿に挟んだ。この世界のステータスの育ち方を、一番正確に記録しているのは、たぶんこの鑑定士見習いだ。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
起動の前に、操縦席をフィーネの体に合わせる必要があった。
ベヘモスの操縦席は、ドレイクの体格に合わせて作られている。百九十近い獣人の男の座面と、小柄なフィーネの体では、ペダルまでの距離が二十センチ以上違う。合わないまま全力で踏み込めば、膝が抜けるか、肩が抜ける。
「フィーネ、座れ。測る」
「はい。……何を測るんですか?」
「肩幅、座高、膝から踵、腕の長さ。あと、背もたれに当たる肩甲骨の位置だ」
「……上、脱ぎますか」
「着たままでいい。ただ、騎乗服の肩当ては外せ。着たまま測ると三ミリずれる」
「三ミリ」
「三ミリずれると、全力で踏み込んだ時に、肩が抜ける」
彼女は真っ赤な顔で肩当ての留め具を外し、操縦席に座った。俺は巻き尺を当てて、数字だけを読み上げた。肩幅三十八、座高八十六、膝から踵四十四。読み上げた数字を、トワが帳簿の余白に書き取っていく。読み上げるたびに、フィーネの耳が赤くなっていったが、それは見なかったことにした。
「整備屋、あたしも測って!」
「お前は乗らないだろう?」
「乗らないけど、測ってほしいの! 百二十年生きてて、誰にも測られたことないんだよ!」
「……肩幅二十九、座高六十八。以上だ」
「えっ、終わり? もっと何か言ってよ!」
「言うことがない。体のほうは、ちゃんと整備されてるな」
格納庫の隅で、リンが壁にもたれて笑っていた。彼女も先に測ってくれと言ってきたが、測り終えると「知ってた」と言っただけで、数字を自分で書き留めていった。自分の機体の座面を、自分で合わせてきた乗り手の顔だった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
昼過ぎ、国境の方角から、見張りの予備乗り手が駆け戻ってきた。
「師匠……じゃない、オサムさん! 境界杭の南に、騎兵が三機! 聖王国の色です!」
「隊形は」
「えっと、一機が前で、二機が少し後ろに……」
「楔形だな。分かった」
聖王国の斥候は、必ず三機で楔形を組む。原作の第三章で、国境の偵察に出てくる敵の行動パターンだった。先頭の一機が地形を確かめ、後ろの二機が先頭の左右を見張る。先頭が止まれば、後ろの二機も止まる。攻略記事には「先頭を止めれば三機とも止まる」と一行だけ書いてあった。
俺は今朝のうちに、境界杭の南の窪地に、杭を三本打っておいた。斥候が楔形でザルツを覗くなら、先頭が立つ場所は、あの窪地の縁しかない。窪地の縁から町が一番よく見えるからだ。
「フィーネ、ベヘモスに乗れ。今から起動するぞ」
「今から、ですか!? まだ一回も――」
「一回目を、今やる。俺は横で見てる」
ベヘモスの操縦席に、フィーネが乗り込んだ。俺は機体の肩に上って、開いたハッチの縁に手をかけた。
「手順」
声に出すと、意志力が三十減った。
【意志指令 手順 WP30/残り100】
フィーネの視界に、今やるべき手順が三つ、順番に並んだはずだ。魔導炉の圧を上げる、膝のロックを外す、腰の荷重を右へ逃がす。VGOの頃、教える相手がいなくて一度も使わなかった指令だった。
「見えます……三つ、光って見えます! これ、オサムさんが出してくれた手順ですか?」
「俺の手順だ。上から順にやれ。焦らなくていい」
フィーネは操縦桿を握り直した。座面は、今朝合わせたばかりの高さで、彼女の膝はペダルに真っ直ぐ届いている。
「ベヘモス、おいで。RX-07H改、出ます!!」
ズゥン、と六十八トンの重さが床から持ち上がった。左右で色の違う脚が、格納庫の床を一歩ずつ踏みしめて、紺の巨体が外の光の中へ出ていく。肩の盾に陽が当たって、四十日ぶりに、ベヘモスの影が砂の上に伸びた。
格納庫の入口で、ドレイクがボルトの箱を抱えたまま立ち尽くしていた。かつて自分が十二年乗っていた機体が、自分ではない乗り手を乗せて、目の前を歩いていく。耳がぺたりと伏せられ、尾が足のあいだに巻き込まれていた。
「……オサムさん。あれ、俺の機体だったやつっスよね」
「今はフィーネの機体だ。お前が谷に置いていった時点で、捨てたものは拾った者のものになった」
「分かってるっス。分かってるんスけど……膝、左の膝だけ、見てもいいっスか。あとで、止まってる時でいいんで」
「もちろん見ていい。新しい膝だ。お前が知ってる膝の状態じゃない」
「それでも、見たいっス。俺、あの膝のことだけは、毎日考えてたんで――」
ドレイクはそう言って、ボルトの箱を抱え直した。王都で団長に言われたとおり、この男は四十日、膝の話ばかりしていたのだろう。膝を見てもらっていたことに、壊れてから気づいた男だ。直った膝を見たいというのは、たぶん、礼の言い方を他に知らないからだった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
俺はツギハギに乗った。操縦はEのままだが、今日は走らない。窪地の手前に膝をつき、右腕に据え付けた鋲打銃の筒先を、窪地の縁に向けた。墓場の鉄屑と、帝国の尾栓の部品で組んだ銃で、撃つのは弾ではなく、長さ三十センチの鉄の鋲だ。関節に打ち込めば、その関節は動かなくなる。殺さずに止めるための銃だった。
三機の騎兵が、砂丘の向こうから楔形で現れた。聖王国の量産機ランツァーの改修型で、白い装甲に金の縁取りがある。先頭の一機が窪地の縁に立ち、町の方へ頭を向けた。
俺はその左膝に、筒先を合わせた。
ドンッ。
狙ったのは膝だったが、鋲は膝の二十センチ上、腿の装甲の継ぎ目に刺さった。操縦Eの手元は、相変わらず正直に外れる。ただ、継ぎ目に刺さった鋲が、腿の装甲を骨格に縫い付けた。先頭の機体は左脚が曲がらなくなり、窪地の縁で棒立ちになった。
後ろの二機が、攻略記事のとおりに止まった。止まって、先頭を助けに前へ出ようとした、その足元へ、ベヘモスが窪地の反対側から現れた。
「フィーネ、盾を前に。押すだけでいい」
「押すだけ、ですね!」
六十八トンの重装機が、肩の盾を構えて、二機の進路をふさいだ。押された二機は、窪地の斜面で足を取られて、膝をついた。ベヘモスは追わず、盾を構えたまま止まった。止める必要のある相手を、押しのけて止めただけだ。
先頭の機体のハッチが開いて、若い兵が両手を上げて降りてきた。
「う、撃たないでくれ! 偵察だ、戦いに来たんじゃない!」
「これ以上は撃たない。もう撃ったしな。脚の鋲は抜いてやるから、帰って本隊に伝えろ。ザルツには整備士がいる。用があるなら、壊れた機体を持ってこいってな」
鋲を抜くのに十分かかった。三機の斥候は、来た時と同じ楔形で、ゆっくり南へ戻っていった。
ベヘモスの肩のハッチから、フィーネが顔を出した。汗で前髪が額に張り付いている。
「オサムさん。……一つ、聞いてもいいですか」
「なんだ?」
「ベヘモスを直したの、どうしてですか。脚を切って、坑道の柱にして、それでおしまいでも、誰も文句は言わなかったと思うんです。わざわざ冥鉱を掘りに行って、三日もかけて」
VGOの頃、同じことを何度も言われた。『拠点に戻れば直るのに、なんでわざわざ手で直すんですか』。初心者にも、ギルドの仲間にも、悪気なく言われた。拠点に戻れば全快する世界で、手で直す理由を説明できたことは、一度もなかった。
「……直せるからだ」
「それだけ、ですか」
「それだけだ。直せるものを放っておくのは、俺の性分に合わん。それに、お前が乗る機体が、ツギハギ一機じゃ足りなくなる日が来る」
「来ますか」
「間違いなく来る。次は南から、四十二機の騎兵が来るからな」
「四十二……」
「聖王国の本隊だ。ガーレンの書面で足が止まってるが、止まってるだけで、帰ったわけじゃない。川床の下には、まだ巣が残ってる。あいつらが渡ろうとすれば、下から来る」
「その時、ベヘモスとツギハギの二機で、ですか」
「二機と、リンの赤騎兵と、サクと六号と、予備の乗り手が四人だ。足りるかどうかは分からん。足りるように、今日から毎日、お前は盾で押す練習をしろ」
「押す練習、ですね。……はい」
フィーネはハッチの縁を握りしめたまま、南の空を見た。砂丘の向こうに、さっき帰っていった三機の斥候の足跡が、まだ一筋だけ残っていた。
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【勇者視点】
聖王国の本隊の野営地で、ユウキは剣の刃を眺めていた。
既に欠けは、二つに増えていた。一つ目の欠けの隣に、もう少し大きな欠けがある。昨日、岩のように硬い甲殻の魔物を斬った時にできたものだ。聖王国の王都の工房に預けたが、一日で戻ってきた。工房の親方は、剣を両手で返しながら、申し訳なさそうに言った。
「勇者様。この剣の素材は、うちでは扱えません。見たことのない金属です。叩けば、もっと割れてしまいます」
ユウキは、それを笑い飛ばした。元のゲームでは、武器は壊れなかったのだ。欠けた剣でも、攻撃力の数字は変わらない。そう思っていたが、昨日の甲殻の魔物は、一度目の斬撃を弾いた。数字の上では通るはずの攻撃が、欠けの分だけ、通らなかったのだ。
野営地の真ん中で、巡察官のガーレンが、本隊の将校たちに書面を読み上げていた。
「――国境の川床には、巣が残っております。巣母を二体、ザルツの整備士が、ほとんど素手で解体いたしました。魔獣を、関節から外すのです」
「素手で、だと?」
「素手と、八十キロのレンチで、が正確な表現ですな」
ユウキは剣を下ろして、ガーレンの顔を見た。魔物を素手で解体する男。元のゲームで言えば、それは人間の仕事ではなかった。
「……それ、魔王軍の誰かじゃないのか?」
隣で、セラフィナが左目を押さえたまま、小さく首を振った。毎晩、召喚陣の補修をしているせいで、彼女の左目はもう半分しか見えていない。
「いいえ、勇者様。人間ですわ。……ただ、あの方は、わたくしたちの誰よりも、物が壊れる理由を知っているそうです」
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【ギルド視点】
ベヘモスがザルツで立ったという噂は、バルドの同業の商人の口を経て、四日後の夜には王都に届いていた。
レオンハルトは、記録室の扉を自分で開けた。団長が記録室へ来るのは、この四十六日で初めてのことだった。
「シズク。ベヘモスは、我が騎士団の機体だ。あの男は、それを盗んで使っている」
「ベヘモスは、転移十一日目に谷で放棄された機体です。放棄の記録は、わたしが残しております」
「放棄したのではない。一時的に、置いてきただけだ」
「記録には、『放棄』とお書きになるよう、団長がご指示なさいました。燃料と牽引の手間が釣り合わない、と」
レオンハルトの手が、扉の枠を強く握った。礼装の手袋が、指の関節のところで白くなっている。
「……返還を求める書状を書け。騎士団長の名で、ザルツの整備士あてにだ」
「承知しました。したためて、書状の写しと、放棄の記録の写しを、並べて記録に残します」
彼女はペンを取り、書状の下書きを始めた。その横に、「担当の欄が存在しない項目」の紙を寄せて、三つを足すのも忘れなかった。
――八 乗り手ごとの座面・操縦桿の高さ調整
――九 放熱翼の清掃周期の管理(機体ごとに違う)
――十 魔導炉の調律誤差の測定(週一回・十二機)
八番を書いた時、彼女のペンが少しだけ止まった。ベヘモスの座面は、ドレイクの体に合わせてあった。合わせたのが誰だったのか、もう誰も覚えていない。
書状がザルツに届くのは、馬で十二日後のことになる。
【グランツ騎士団 第46日 稼働騎兵 0/12 王都備蓄 残り8日 団員 271名(第43日比 -10)】




