第27話 廃坑の底
【オサム視点】
転移から四十三日目の朝、俺たちはザルツの北にある廃坑の入口に立っていた。俺とドレイクとミィル、それに白い機人のサクの四人だ。坑道の口は崖の根元に黒く開いていて、幅は二メートルほどしかない。十メートルの機体はもちろん、九メートルの軽量機でも肩がつかえる広さなので、ここから先は生身で下りるしかなかった。
入口から三十メートルほど入ったところで、坑道の天井を、太い鉄の柱が二本支えていた。柱の表面には、くすんだ紺の塗装がまだらに残っている。町の工房に胴体だけを残して、俺が切り落としたRX-07Hの脚だ。ひと月近く、崩れかけた天井を黙って持ち上げ続けてきた脚の前で、ドレイクの足が止まった。
「……これ、俺の機体の脚っスよね。色で分かるっス」
「そうだ。お前が谷に置いていった機体の、左右の脚だな」
「坑道の柱にしたって話は聞いてたんスけど、実物見ると、なんか、くるっスね。俺が乗ってた時より、よっぽど役に立ってる気がするっス」
「役に立ってるのは脚の鉄だがな。乗ってた奴の価値とは関係ない。……今日はこの脚の代わりを作る材料を取りに来たんだ。胴体のほうを、もう一度立たせるためにな」
冥鉱は、坑道の第四層にしか出ない。黒く重い鉱石で、熱を逃がさずに溜める性質がある。ベヘモスの新しい脚の芯にするには、どうしてもこれが要った。
ドレイクは背負子に空の麻袋を十枚くくりつけ、ミィルは水袋を四つ、サクは何も持たずに先頭を歩いた。サクは歩きながら、ときどき坑道の壁に掌を当てて、音を聞いていた。右足首の軸が、カチ、と鳴るたびに、壁の向こうの空洞の数が一つ増えていく。
「ねえ整備屋、なんで今日は継接で来なかったの? あれに乗れば、魔獣なんか一発でしょ」
「入口を見ただろう。幅が二メートルしかない。ツギハギの肩は四メートルある。入らないものは、入らん」
「じゃあ、整備屋の手で全部やるの? 坑道の主って、すっごく大きいって、ガウスのおじいちゃんが言ってたよ」
「七メートルだ。……十二年、そいつの横で石を掘ってた。向こうが起きてる時間と、寝てる時間も完璧に把握してる」
「十二年も、こんな暗いところで、一人で?」
「一人でだ。だから、今日はうるさくて助かる」
ミィルは何がおかしいのか分からないという顔で首をかしげ、ドレイクは背負子の紐を握り直して、「うるさいって、俺のことっスか」と小声で聞いた。誰のことでもない、と答えると、彼は少しだけ安心したように、また前を向いた。
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第三層に下りたところで、俺はドレイクの襟首を後ろから掴んだ。
「おい止まれ。そこから先、三歩は踏むな」
「え、何もないっスよ。普通の床っスよね?」
「床は普通だ。上を見てみろ」
ドレイクが頭上を見上げた。坑道の天井に、梁が一本も渡っていない区間が、十メートルほど続いている。その区間の真ん中あたりの岩肌に、指一本ぶんの細いひびが、斜めに走っていた。
原作の廃坑には、第三層に落盤の仕掛けがあった。決まった石を踏むと天井が崩れて、下敷きになったプレイヤーは拠点へ戻される。攻略wikiには踏んではいけない石の位置が図で載っていて、生身採集をする少数派の物好きは、全員それを暗記していた。十二年、俺はその図を見ずに歩けるくらい、この坑道を往復したものだ。暗記した図の中で、天井のひびの下にある石は、入口から数えて二百四十歩目だった。
「サク、天井の上は空いてるか?」
「空いています。ひびの上、一メートルのところに、人が二人入れるくらいの空洞があります。……整備長さん、どうして見る前に分かったんですか」
「昔、ここを何百回も歩いたからだな。踏んではいけない石の場所は、足が覚えてる」
俺は落盤の区間の壁際に、等間隔に当て板を打ち込んで、足場を作った。仕掛けの石を避けて、壁に沿って一人ずつ渡る。最後にドレイクが渡り終えた時、彼の大きな背中から、麻袋が一枚ずり落ちて、仕掛けの石の上にふわりと乗った。
ズン、と坑道全体が一度だけ揺れた。
天井のひびが口を開けて、岩が十トン分、さっきまでドレイクが立とうとしていた場所に落ちた。砂埃が坑道いっぱいに広がって、四人とも、しばらく咳が止まらなかった。
「……オサムさん。俺、あそこ歩いてたら、今ごろ岩の下っスよね」
「歩いてたらな。だから止めた」
「……ありがとうございますっス」
「麻袋一枚で済んでよかった。それは帰りに拾っとけよ」
十二年、俺はこの坑道を一人で歩いていた。夜中のギルドの格納庫と同じで、オンラインの表示には二十人の名前が並んでいるのに、誰も話しかけてこない時間に、ここへ来ていた。誰かに罠の場所を教えたことは一度もない。教える相手がいなかったからだ。今は、埃まみれの獣人が、俺の後ろで咳き込みながら礼を言っている。
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第四層は、坑道というより、地下の洞穴だった。天井が高く、壁の一面に冥鉱の黒い脈が走っていて、ミィルが掲げた小さな灯りを、鈍く吸い込んでいる。
その脈の前に、そいつが居た。
坑道主。原作のLv.38、鉱石を喰って育つ巨大な甲虫だ。体長は七メートル、背中の甲殻は冥鉱を喰い続けたせいで黒く焼けたように光り、腹側だけが、柔らかい灰色の節になっている。六本の脚の先は、岩を砕くための鑿の形をしていた。
「サク、ミィル、入口まで下がれ。ドレイク、荷を持って壁際だ。今日は捨てていい」
「今日は捨てていいんスね。了解っス」
解析眼を開くと、赤い線が腹の節の継ぎ目に集まっていた。七枚の節の、三枚目と四枚目のあいだだ。坑道主は体を起こして、鑿の脚を二本、俺に向けて振り下ろした。
ガチン。
レンチの柄で一本目を受け、二本目は身をひねってかわした。鑿の先が岩に刺さって、火の粉のように細かい石が散る。筋力九百九十九で受け止めた脚は、それでも腕の骨に重く響いた。七メートルの甲虫の体重が、脚の一本に全部乗っている。
腹の下に潜り込むには、六本の脚の動きの切れ目を待つしかなかった。坑道主は、脚を三本ずつ交互に動かして歩く。三本が地面を離れて、次の三本が下りるまでの間に、腹が一瞬だけ持ち上がる。そこが入り口になる。
一度目の切れ目で潜り損ね、二度目で腹の下に滑り込んだ。三枚目と四枚目の節の継ぎ目に、当て板を一枚、拳で叩き込む。継ぎ目が開いたところへ、レンチの口を噛ませて半回転させた。
ゴキン。
節が一枚外れて、坑道主の後ろ半分が、地面に落ちた。前半分だけで向き直ろうとする巨体の顎の下へ、もう一度潜る。十五分が近づいていた。握ったレンチの柄が、指の中で細かく震え始めている。連続で戦えるのは十五分まで、それを越えると、ボルトが回せなくなる手だ。
「整備長さん、右の前脚が上がります。三秒後です」
「三秒だな、了解」
入口のほうから、サクの声が坑道に響いた。三秒後、言われたとおりに右の前脚が上がり、顎の付け根が開いた。俺は震える手でもう一度レンチを噛ませて、全身で捻った。
バキィッ。
顎が外れて、坑道主の動きが止まった。洞穴に、俺の息の音と、遠くで水滴の落ちる音だけが残った。
俺の腕の奥に、あの手応えがまた来た。ステータスを振れる分が溜まったのが分かる。VGOの頃、この層の魔獣は、倒しても経験値が一も入らなかった。採掘の邪魔をする「作業中の害悪虫」でしかなく、掲示板にはそう書かれていた。十二年、害虫を片付け続けて一度も増えなかった数字が、この世界では溜まっていく。いくつ溜まったのか、それをどこへ振るのかは、町に戻ってミナに札を当ててもらうまで決められないが――。
ミィルが走ってきて、俺の両手に水袋の水をかけた。熱を持っていた指先が、じゅっと音を立てて冷えた。
「整備屋、手、震えてるよ」
「十五分を越えた。しばらくボルトは回せん」
「じゃあ、あたしが回す。教えて」
「……それは、帰ってからだ」
「えー!?」
「ボルトの回し方は、町に戻ってヨナに習え。あいつの教え方は、俺より丁寧だ」
「ヨナに? ヨナ、あたしより百も年下だよ?」
「年は関係ない。ボルトを回した数なら、向こうが先輩だ」
ミィルは頬をふくらませて、それでも、俺の指から水が乾くまで、水袋を傾けるのをやめなかった。ドレイクは壁際で麻袋を胸に抱えたまま、まだ動けずにいた。七メートルの甲虫が、自分の目の前で、生身の男に分解されていくのを見たのは、たぶん初めてだったはずだ。王都の格納庫でエースの機体に乗っていた男が、膝を抱えて荷物を守っている。彼はやがて立ち上がり、黙って坑道主の外れた節を見に行った。外れた継ぎ目を指でなぞって、首をかしげていた。
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冥鉱を麻袋九つ分掘り出したあと、俺は洞穴の奥の壁で、手を止めた。
壁の一か所に、真新しい穴が開いていた。人がかがんで通れる大きさで、縁の削り跡がまだ白い。崩れた石の粉に、靴の跡が一つ残っていた。原作のこの洞穴は行き止まりで、奥へ続く道は一本もなかったはずだ。十二年、何百回も来て、俺はこの壁を何度も叩いて確かめている。
「サク。この奥は」
「……分かりません。深すぎて、音が戻ってきません。ずっと、下へ続いています」
原作にはなかった穴を、誰かが、最近掘った。原作の地図の、さらに下へ向かって。
俺は穴の入口に当て板を一枚立てかけて、日付を刻んだ。第四十三日。誰が掘ったのかは分からないが、次にここへ来た時、板が動いていれば、その誰かが戻ってきたことになる。
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【勇者視点】
聖王国ルミナスの南の丘で、勇者ユウキは剣を振り上げたまま、次の自分の番を待っていた。
召喚されて十日目になる。黒髪を短く切った十八の少年で、白い鎧は聖王国の神官たちが用意したものだ。腰の剣だけは、元のゲームから持ってきた自分の装備だった。聖剣の刃が、朝の光を白く跳ね返している。
「行くぞ、ミコト。俺が斬る、ベルトランが受ける、セラフィナは補助、ミコトは回復だ。いつもの隊列な」
「分かってる。ユウキ、前に出すぎないでね。こっちのゲーム、HPバーが見えないんだから」
僧侶のミコトは、ユウキと同じRPGから一緒に召喚された少女だった。聖騎士ベルトランは盾を構えて、二人の会話の半分も分からない顔をしている。
丘の上に、角の生えた狼が三頭出た。ユウキはすぐに剣を振り下ろし、一頭目の首を斬った。そして、斬ったあとの姿勢のまま、わずかのあいだ体が固まった。動こうとしても、次の行動の番が回ってくるまで、腕が上がらない。元のゲームと同じで、一回のターンにできる行動は一つしかなく、それがこの体に残ったルールだった。
固まっているあいだに、二頭目がユウキの肩に噛みついた。ミコトが短い呪文を唱えると、肩の傷が光の中で閉じていく。ベルトランが盾で三頭目を押し返し、次の番が回ってきたユウキの剣が、二頭目を払った。
「よし、経験値とドロップアイテムゲットだぜ。……あれ?」
ユウキは、足元の死骸を見下ろして、そこで止まった。元のゲームなら、倒した魔物は光の粒になって消え、代わりに金とドロップアイテムが落ちる。だが、目の前の狼は、消えなかった。血を流したまま、温かい体のまま、草の上に倒れている。落ちたものは何もない。
「……消えないんだな、こっちの魔物は」
「っ!――ユウキ、剣先見て」
「え」
ミコトが指さした先、聖剣の刃の中ほどに、米粒ほどの小さな欠けができていた。元のゲームでは、武器は壊れなかった。耐久度という数字すら、設定されていない装備だった。
「……まあ、いいって。王都の鍛冶屋に出せば直るだろ。この国、勇者のためなら何でも用意するって言ってたし」
ユウキは聖剣を鞘に戻して、丘を下り始めた。彼の後ろで、セラフィナだけが、左目を押さえたまま、狼の死骸をしばらく見ていた。
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【ギルド視点】
王都の記録室で、シズクは帳簿に八行を書き足していた。
十日前、剣士職と武闘家の四十八名が、騎士団長の許しを得て、王都の外へ狩りに出た。機体がなくても生身で戦えるのは自分たちだけだ、と言って、彼らは胸を張って門を出ていった。食料を自分たちで獲ってくると約束して出ていったその十日のあいだに、八人が戻らなかった。
――第43日。剣士職。Lv.97。死因、魔獣。所持金、三百十二万ヴァル。
――第43日。武闘家。Lv.88。死因、魔獣。所持金、百四十万ヴァル。
死体は、仲間が担いで帰ってきた。どの死体の腰の財布も、重いままだった。ゲームの頃に貯めた金を、誰も使う場所がないまま持ち歩き、そのまま死んでいた。
シズクは、八行目を書き終えてから、ペンを置いた。それから、「担当の欄が存在しない項目」の紙を引き寄せて、三つを足した。
――二十五 生身採集での素材調達(ギルド全員の改造素材)
――四十 迷子の団員の捜索(深層へ入って戻らない者を拾いに行く)
――四十二 怪我の応急処置(道具箱に包帯が入っていた理由)
あの人の道具箱に、なぜいつも包帯が入っていたのか、彼女はやっと分かった気がした。
夕方、彼女は八行を写した紙を持って、格納庫のレオンハルトのところへ行った。彼はRX-09の台座の前に立っていて、白金の装甲に映る自分の顔を見ていた。礼装の襟の白が、一日ごとに灰色へ寄っていく。
「団長。狩りに出た四十八名のうち、八名が戻りませんでした。名前と死因を、こちらに」
「……八名か」
「八名です。全員、所持金を持ったまま亡くなっています。合わせて、千三百万ヴァルを超えます。使う場所がなかったのです」
レオンハルトは紙を受け取らず、目だけで八行をなぞった。問題ない、という言葉は、もう口から出てこなかった。代わりに出てきたのは、短い一言だった。
「……記録しておけ」
「記録しております。団長に、お読みいただくために持ってまいりました」
彼は、それでも紙を受け取らなかった。シズクは紙を台座の縁に置いて、一礼して記録室へ戻った。翌朝、紙はそのまま台座の上にあり、端だけが、誰かの指で一度つままれたように折れていた。
【グランツ騎士団 第43日 稼働騎兵 0/12 王都備蓄 残り12日 団員 281名(第41日比 -5)】




