第25話 四人目になれ(前編)
【ギルド視点】
話は十五日前にさかのぼる。転移から二十五日目の朝、グランツ王都の第一格納庫には、三人しかいなかった。レオンハルトと、シズクと、ドレイク本人だ。RX-09は王剣を振り下ろす姿勢のまま列の先頭に立っていて、白金の装甲は磨かれていた。整備班が毎朝磨いているが、磨いても動かないものを磨き続けているのは、他にやることを誰も思いつかないからだった。
「団長。俺、ギルドから出るっスわ」
ドレイクは、胸甲を着けていなかった。獣人のアバターの上半身は筋肉の形がはっきり出ているのに、肩の肉が落ちている。騎士団の配給は、一日に黒パン二つまで減っていた。
「出る、とはどういう意味だ。どこへ行く気だ?」
「ザルツっス。南の、あの墓場の町に」
レオンハルトは、そこではじめて彼の顔を見た。
「……あの町か」
「そう、あの町っス。俺、もう二回行ってるんスよ。一回目は徴発で、俺が先頭でした。二回目は団長の後ろにいて、あの人に『出てこい』って言われたのに、出れなかったんスよね。……だから、行くんス。二回とも何もしないで帰ってきた場所に、三回目くらいは自分の足で行かないと、なんか、駄目な気がして」
レオンハルトは、ソヴリンの固まった右腕を見上げていた。騎士の礼装のままで、装飾は白金に合わせてあり、転移してから一度も着替えていない。
「あの男に、何をしてもらうつもりだ」
「それが、自分でも分かんないんスよ。たぶん行ったところで乗る機体がないでしょうし。――乗せてくれとも言えないし。頭下げて雇ってくださいって言っても、たぶん『乗り手は足りてる』って返されるっス。あの人、そういう言い方しそうじゃないスか?」
「ならば、何をしに行くんだ」
「いや、だから、分かんないって言ってるじゃないっスか。……ただ、あそこにしか無いもんがあるのは、分かるんスよ。俺の機体、十二年、毎晩あいつが見てたんス。で、俺は一回も礼を言ってない。それだけは、マジではっきりしてるんで」
「膝だな」
「え」
「ベヘモスの左膝だ。お前はあれ以来、膝のことばかり口にしている。演習の最中でも、食事の席でもだ」
「……え、俺、言ってました?」
「言っていた。毎日だ」
ドレイクは、答えられなかった。十八日前、彼は戦場で生身に放り出されている。十一・五メートルの機体から降りた途端に魔獣と目の高さが揃い、半歩しか下がれなかった。騎乗職の筋力は、七十八しかない。爪が届く直前に、唯一動いていた型落ちの整備支援型が割り込んで、彼を拾って救ってくれた。あの三百メートルのことを、彼は誰にも話していない。話せば、自分の脚の遅さを数字で言わなければならなくなるからだ。
「団長。……最後に一個だけ、聞いていいっスか」
「言ってみろ」
「あいつが毎晩、俺の機体の膝を見てたこと。団長は、知ってたんスか」
「報告は受けていないな」
「いや、報告の話はしてないっス。報告書に載ってたかどうかじゃなくて、知ってたかって聞いてるんスよ。……格納庫、夜中もずっと明かりが点いてたじゃないっスか。十二年、毎晩っスよ。あれ、誰だと思ってたんスか」
レオンハルトは答えなかった。シズクが斜め後ろで手の板をめくる音だけが、天井の高い格納庫に小さく響いた。
「団長。名簿から、外してよろしいですか」
彼女が言った。声に抑揚がないのは、十二年、この声でずっと数字を読んできたからだ。
「……許可する」
「外します。第二十五日、ドレイク、除籍。理由の欄は、どうお書きしましょうか」
「脱走でいい」
「脱走と書きますと、見つけ次第、連れ戻すことになります。ですが、連れ戻す人手は、騎兵なしでは出せません。出せない処分を書けば、記録が実態と合わなくなります」
「……では、お前が決めろ」
「『自主退団』とお書きしておきます。それならば処分を伴いませんので」
彼女は板に二行書いて、それから顔を上げた。
「さてドレイク。出発前に靴を履いていきなさい」
「え、もう履いてるっスけど」
「それは演習用です。靴底が薄く、舗装のない街道では三日で裂けるでしょう。なにせ、ザルツまでは八百キロあります。倉庫の三番棚に、遠征用の革靴が十四足残っておりました。おそらく足の大きいほうから二番目が、あなたに合うはずです」
「マジっスか。いや、餞別ありがたいっスけど……持ってっちゃっていいんスか。それ、備品っスよね」
「備品の持ち出しは、記録に残せば手続きです。残さなければ、盗みです。わたしは、記録する権限だけは持っておりますので、使えるものは使ってよいでしょう」
眼鏡をくいとあげてシズクはドレイクのほうをもう見なかった。だが、ドレイクは、しばらく彼女の顔を見ていた。それから「……あざっス」と小さく言って頭を下げ、倉庫のほうへ歩いていった。
格納庫に二人が残された。天井の高い建物で二人きりになると、足音が壁から返ってくる。
「シズク。お前は――行かないのか」
「行きません」
「なぜだ?」
「記録が、ここにありますので」
彼女は板を胸の高さに戻した。
「十九冊あります。十八冊目までは、VGOの頃のものです。わたしが写しました。誰も開きませんでしたが、残っております」
「残して、どうする」
「分かりません。ただ、残したものは、いつか誰かが読みます。読まれなかった記録は、無かったことになる。……それを一度、見ましたので」
レオンハルトは、彼女のほうを見なかった。見ないまま、ソヴリンの足元へ歩いて台座の縁に手を置くと、磨かれた白金に、掌の跡が残った。その日の夕方までに、ドレイクに続いて二十二名の団員が南の街道へ出て、シズクは、その全員の名前を記録に残した。
それから十五日が経った第四十日の夜、シズクは記録室で、十九冊目の帳簿のその日の欄を読み返していた。「第二十五日、ドレイク、自主退団」の二行の下に、二十二名の名前が並んでいる。八百キロ先の南の街道で、その二十二名と、底の抜けた靴を提げた一人が今どこを歩いているのか、彼女には確かめる方法がなかった。分かっているのは、帳簿の数字が今日も減ったということだけだ。
【グランツ騎士団 第40日 稼働騎兵 0/12 王都備蓄 残り16日 団員 289名(前日比 -2)】
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【オサム視点】
四日ぶりのザルツは、少し増えていた。
境界杭の内側には見たことのない天幕が四つ立っていて、鉄屑の山の手前には新しい作業台が二つ据えてあり、そのうち一つでヨナが当て板を叩いていたが、叩き方は四日前より静かになっていた。ガウス爺が丸太の上で腕を組んだまま、天幕のほうを顎で指した。
「おう、戻ったか。留守のあいだにだいぶこっちは人が増えたぞ。王都の騎士団を抜けてきたと言う連中だ。わしらが何を聞いても、お前さんの帰りを待つと言って、天幕から出てこん」
「何人いるんだ?」
「十九人だ。騎乗職が十一、砲術職が五、あとは剣士が二人と、記録係が一人だと言っとる。王国では乗る機体がもう無いから、手に職をつけたいそうだ。お前さんに弟子入りしたいと言うが、わしの一存で決めるわけにもいかんでな。待てと言っておいた」
「判断はそれでいい。全員、明日の朝六時に工房前に並ぶよう通達しておいてくれ。まずそいつらの手を見る」
「手を見る? 顔じゃなくてか?」
「見るのは指の腹だ。爪の際に油が入ってる奴は、もう整備として仕事をしてる。入ってない奴は、十日で音を上げる。十九人のうち、残るのはたぶん六人程度だろう」
騎士団の名簿にはVGO内で見た名前が、たぶん半分以上は混じっている。十二年、俺が夜中に機体を直していた連中で、礼を言われた覚えは一度もない。それでも、手を見る基準は変えないと決めた。爪の際の油は、誰の機体を触ってきたかまでは教えてくれないからだ。
爺はふん、と鼻を鳴らし、それから荷車の列を見て、口を開きかけてやめた。やめてから、結局は我慢できずに口に出した。
「……で、それは何だ。見たこともない甲殻が、荷車に山と積んであるが」
「バルドの隊商と、帝国から受け取った代金と、魔石が十四個。あとは巣母の甲殻が二十四枚だ」
「巣母?」
「二十メートル級のモンスターだな」
「……お前さん、わしが四十年で一度しか見とらんものを、たった四日で二体分も持って帰ってきたのか」
「正確には三体だな。二体は頭を潰しちまったから、背の甲殻しか取れてない」
「数え方の問題ではないわ!」
バルドは、荷車の上で算盤を鳴らしていた。鳴らし終わると下りてきて、俺の前に木札を一枚差し出した。数字が三行、彫ってある。
「オサムさん。護衛のお代を、決めてまいりました」
「決めろと言ったのは、あんたのほうだったと思うが」
「はい。ですが、私が決めたほうが早いと思いまして。一日、八百ヴァル。荷車六台までです。七台目からは一台につき百ヴァル、魔獣が出た場合は、出た時点で一体につき二百ヴァルを上乗せいたします」
「高いな」
「高うございます。ですが、私は今日、荷を全部持って帰れました。小麦四十袋と魔石二十八個で、売れば二千二百ヴァルになります。それを思えば、八百ヴァルは安いものです」
「その計算を、あんたは砂に埋まりながらやってたのか」
「しておりました。申し上げましたでしょう、商人が荷の値を忘れたら、ただの太った男でございます」
「それは聞いた。……用はそれだけか」
「いえ、お待ちください。商いの話のついでに、お耳に入れておきたいことがございます。南のカルディアから来る荷が、ひと月ほど前からぱったり止まっているのです。機人の国の荷は、いつもなら月に三度は街道を上ってくるのですが、ここ一月は一台も見ておりません。向こうの魔導炉が止まりかけているという噂ですが、確かなことは誰も存じません」
「ひと月前か。王都で王が倒れたという話と同じ頃だな」
「はい。私ども商人のあいだでは、北も南も西も、同じ月に傾いたと申しております。……嫌な年でございます」
「バルド。それなら一つ頼みがある。魔晶石の小を、今のうちに買えるだけ買っておいてくれ。代金は、護衛料の前払いから引いていい」
「魔晶石を、でございますか。今は値が落ち着いておりますが」
「落ち着いてるのは今月だけだ。機都の一号の炉は直してきたが、石の質が落ちたままでな。精錬所が持ち直すまで、機人の国から出る魔晶石は細る一方だ。来月には倍の二百ヴァル、その次の月には三倍になる」
「……なぜ、そこまで言い切れるのです」
「そういう順番になってるんだ。外れたら、買った分は俺が全部引き取る」
バルドは算盤を一度だけ鳴らし、帳簿に何か書きつけた。原作の第二章では、大停止のあいだ魔晶石の相場が跳ね上がり、掲示板には『機王イベ中は石を買い溜めろ』と毎回同じ書き込みが並んでいた。あの頃は誰もが拠点の倉庫に石を積んでいたが、今その書き込みを覚えているのは、たぶん俺だけだ。
「承知いたしました。損をいたしましたら、オサムさんの護衛料から引かせていただきます」
木札を受け取って、工房の壁に掛けた。ザルツの仕事が一つ増えて、整備と、採掘と、護衛。三つ目の欄ができたことになるが、荷車の向こうでは、六号が魔石を数える手を止めていた。南の国の名が出た時だけ、彼は必ずそうする。
原作の章立てに照らして、いまの世界を数えてみると、動いている章が多すぎた。第一章の王の暗殺は、レオンハルトが先回りして防いだが、王の病は残ったままだ。第二章の機人の国は、バルドの話どおり、南で大停止が進んでいる。第三章の開戦は、割れかけた砲と、俺たちが組み替えた順番表のおかげで、まだ始まっていない。第六章の召喚陣は夜ごとに揺れ、第七章の魔王の玉座は、整備する者がいないまま東で熱を溜めているはずだった。原作では受注した本人の画面にだけ起きていた章が、いまは誰も受注しないまま、世界のあちこちで、同じ月に一つずつ進んでいる。
リンは、格納庫の隅で、赤い機体の足元に座っていた。跳べなくなったLZ-05Rは、隊商の歩みに合わせて、歩いてここまで来た。右の推進器のハッチは開けっ放しで、彼女は中の炭を自分の指で掻き出していたが、手袋はしていない。
「なあ、分解っていつやるんだ」
「明日の朝だ。三時間かかるから、その間お前は何もできんぞ」
「待つよ。三時間くらい。……で、金は」
「千五百ヴァル。部品代は別だ」
「安っ。王都の工房なら、五千は取られるぞ」
「王都の工房がやっても、直らんだろう。直らん仕事に五千取るのが、高いだけの話だ」
彼女は、掻き出した炭を手のひらに乗せて、しばらく黙って見ていた。
「なあ。十二年、これを自分で落としてたのか」
「落としてた。三日に一回だ」
「三日に一回か。……対人戦の試合って、週に四回あったんだよ。その四回のあいだに、あんた、何回ハッチ開けてたんだ」
「数えてない」
「数えてないって言うやつが、一番やってんだよな」
彼女は炭を布に包んで立ち上がり、それから、思い出したように付け足した。
「そういや、意志指令の欄。あんた、何持ってんの」
「看破、不屈、修理、補給、分解。あとは、まだ使ったことのないのが三つだ」
「全部支援じゃねえか」
「支援だ。掲示板には、全部ハズレと書いてあった」
「……書いてあったな。てか、あたしも書き込んだ側だわ、それ」
「だろうな」
彼女は、そこで少しだけ笑った。笑ったと言っても口の端がわずかに上がっただけで、すぐに赤い機体の脚のほうへ顔を戻したが、その横顔からは、さっきまでの寝ていない人間の色が薄くなっていた。




