第24話 整備は、国を選ばない
巣母の死骸が二つ転がる川床へ、聖王国の隊長機から縄梯子を伝って下りてきたのは、先ほど口上を述べに来た巡察官、ガーレン・ロウだった。思っていたより小さい男で、背は俺より低く、剃り上げた頭に砂の粒がいくつも貼りついていて、白い外套の肩の金の縫い取りは、糸が擦れて地の布が透けている。年は四十を過ぎているだろう。顎の下に剃り残しがあり、目の下は灰色に沈んでいて、何日もまともに眠っていない顔だった。彼は俺には目もくれず、まず自分の歩兵のほうへ走っていった。
砂に埋まった三人を、彼は自分の手で掘り出した。外套が砂だらけになり、袖の金の縫い取りが半分ちぎれても構わずに掘り続けて、三人目の兵が咳き込んで息を吹き返したのを見届けてから、ようやく俺の前に来た。
「ルミナス聖王国、第二巡察隊、ガーレン・ロウです。先ほどは、部下を助けていただきました」
「オサムだ。ザルツの整備士をやってる」
「……整備士、ですか」
「そうだ」
彼は二十メートルの魔物の死骸を見て、それから城門の崩れた柱を見て、最後に俺の顔を見た。何か言いかけて、一度飲み込む癖のある人間だと、その間の取り方で分かった。
「明朝、本隊へ出す書面を書きます。ただ、砲のことは、書けません」
「書けばいいだろう。砲は割れたんだ。狙って撃ったんじゃない。弾が手前に落ちたのが証拠だろう。狙って撃つ側なら、落とす場所を選ぶもんだ」
「仰ることは、よく分かります。ですが、書いても信じてもらえないのです。私は砲を見ておりませんし、見ていない者が『割れたのです』と書いた書面は、書いた者の立場を疑われて終わりますので。……ですが、国境の川床に巣母が二体出たことなら、信じてもらえます。砂に埋まった三人の名前を、書面に並べて書けますから」
彼の声は、よく通るのに低かった。大きな声を出さずに済ませる癖が、長い年月でついた人間の声だった。
「本隊はあと三日で来ます。騎兵が四十二機、歩兵が千二百。ただ、来ても川床は渡れません。渡れば、下から来ますからね。昼に一体、今夜に二体は間違いないでしょう。巣は、まだ下にあります。私は、それを書きます」
「それでいい」
「よろしいのですか。帝国が撃った、という話のほうは、片付かないままですが」
「片付かん。だが、今夜あんたの歩兵が食われずに済んだのは事実だろう。事実を一つ持って帰れるなら、書面は書ける。俺の仕事は砲と機体であって、戦争をどう終わらせるかは、あんたらの仕事だ」
「……整備士の言う言葉とは、思えません」
「整備士の言う言葉だよ。直せる範囲を先に決めるのが、この仕事のいちばん最初にやることだからな」
ガーレンは少し黙って、砂を払いながら、自分の三番機を目で指した。
「もう一つ、お願いがあります。あの機体の左脚の着地音が、他の機体と違うのです。……ずっと、気になっておりまして」
「油圧が抜けてるな。半年は点検してないだろう」
「春からです。雪が溶けた頃に、王都の工房がまとめて見てくれました。それきりです。うちの国は、騎兵よりも召喚の陣に金をかけますので。その陣も、このところ夜ごとに光が揺れると神官たちが騒いでおりますが、誰も手を入れようとはしません」
「それは知ってる。工房の格が、七つの国のなかで一番下だってこともな」
「ご存じなのですか。そんな内情まで」
「知ってる。……直してやる。ただし金は取る。銀で払え」
「整備は、国を選ばないのですか。私は、たった今まで、あなたを撃ちに来た側ですが」
「整備は国を選ばないし、代金も選ばない。両方だ。ただで直せば、次もその次も、ただで直せと言われる。あんたの国の工房が一番下なのは、そこに金をかけなかったからだろう。それに付き合う理由が、俺にはない」
ハッチを開けてホースを一本替え、継手の座面を六号が〇・五ミリ削って、作業は全部で十分で終わった。細かい説明はしなかったが、聖王国の兵が五人、遠巻きにこちらを見ていた。敵国の工房の部品が自分たちの機体へ入っていくのを、誰も口を挟まずに見ていた。
ここまでの出来事を、俺は原作の年表に当てはめて数えていた。国境要塞の砲撃は、『七王戦役』第三章の幕開けで、原作では十秒ほどのムービーで済んでいた場面にあたる。砲撃を受けた聖王国が帝国に宣戦し、そこから七つの国が戦争へ転がっていくのだが、その十秒は受注した本人の画面にだけ流れる演出だった。今回は誰も受注していないのに、割れかけた砲が国境の内側へ三発、本当に落ちている。聖王国の召喚陣が夜ごとに揺れているという話も、原作の第六章を知っている身には、嫌な符合に聞こえた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
帰り道で、荷車の列が砂に埋まっていた。
転移から三十九日目の昼だった。要塞に一日残って砲の順番表を三組ぶん回し、朝に出て半日が経ち、ザルツまであと一日という場所で、街道の先に荷車が六台、横倒しになっているのが見えた。車輪が砂に沈んで、周りの砂に細い筋が何本も走っていて、その筋の向きが、全部荷車のほうを指している。
荷車の上には、丸い男が立っていた。バルド・ハメルンという名の行商人で、ザルツへ月に二度は顔を出す。ひと月前には山羊二頭に小さな荷車を一台引かせていただけだったのが、今は荷車を六台連ねる隊商の主になっている。背が低くて腹が丸く、襟には商人の金属の札を縫い付け、革の帯に算盤を二つ下げているのだが、その両方を手に持って、荷車の上で砂に向かって振り回していた。
「来ないでください! この荷は、もう前金を頂いているんです!」
算盤では魔獣は止まらない。
「バルド! 人は何人だ!」
「ああ、オサムさん! 九人です! 全員、荷車の上におります! 落ちたら食われてしまいます!」
「荷はなんだ!」
「魔石と小麦でございます! 魔石が二十八個、小麦が四十袋! どちらも売り先が決まっております!」
「荷の心配は後にしろ!」
「商人が荷の心配をしなくなったら、ただの太った男でございます!」
俺はツギハギの肩から飛び降りた。十メートルを落ち、膝を一度畳んで、砂の上に立った。
工具袋の留め具を外して大型トルクレンチを引き抜くと、八十キロの鉄が、手の中でいつものように軽かった。解析眼を開くと、砂の下に線が走った。九体、全長三メートルの砂潜りで、昼の群れの残りだ。巣母が二体死んだことで群れはまとまりを失って散っていて、散った個体のほうが、向く方向が読みにくい。
一体目が荷車の下から顎を出した。ザッ、と砂が割れ、顎板が開いた瞬間に、レンチの口を下の顎板へ噛ませて、握って半回転させる。
ゴキッ。
顎が付け根から外れて落ちた。噛めなくなった魔獣は、ただの三百キロの肉だ。俺は二体目を首の第三節で掴んで持ち上げると、三体目にぶつけ、甲殻が互いの節に食い込んで両方が止まったところで、次の線を探した。
「オサムさん、右です! 三番の荷車の下!」
「見てる!」
三番の荷車を、片手で持ち上げた。荷ごとで八百キロある。持ち上げた下から顎が突き出てきて空を噛み、噛んだ先には、俺の靴の底があった。踵で顎板を踏むとミシッ、と甲殻が割れて、砂の中へ沈んでいく。
ただ、荷車を下ろす前に、残りの五台が同時に傾いた。下を掘られているのだ。散った個体は、顎で来るのをやめて、荷車の土台を崩しに回っていた。六台とも沈めば、上の九人は砂の中へ呑まれる。俺は片手で三番を支えたまま、顔を上げた。
「サク! どの台の下だ!」
「一番と、四番と、六番です。深さは一メートルを切っています。――二番の下にも来ます。あと三秒」
「フィーネ! 一番と六番を、両手で掴んで持ち上げろ! 荷ごとでいい!」
「持ち上げたら、下が空きます!」
「空いていい。空いた砂に、落とす」
ツギハギの両腕が荷台の縁を掴み、四十四トンが八百キロを二台同時に持ち上げた。沈みかけていた車輪が砂から抜けて、下の砂だけが残る。その表面には筋が二本走っていて、向きはどちらも荷車の底を指していた。
「よし、いいぞ! 落とせ!」
ドンッ。
荷車二台が、そのまま砂の上へ落ちた。車輪の下で、甲殻が二枚潰れる音がした。荷車の重さで魔獣を叩くなどという戦い方は、原作のどの攻略記事にも書いていなかったが、書く必要がなかったのだ。原作の荷車は、街道に置いてある背景の置物でしかなかった。
「ミィル! 水だ!」
「えっ、水!? いま!?」
「砂に撒け! 深くなくていい、表面だけ水でぬらせば足りる! 濡れた砂は締まって、あいつらは潜れなくなる!」
「それ、整備なの!?」
「整備のうちだ! 地面を直してる!」
森霊の少女が、荷台の上で両手を広げた。古い詠唱の言葉が、短く三つ続いた。水の気配が砂の上を低く走って、呼ばれた水は決して多くなかったのに、乾いた砂の表面が黒く変わり、筋が一本、途中で止まった。止まった場所から顎板が斜めに突き出て、潜り切れずに引っかかっている。俺はその顎に歩いて近づき、それらをレンチで外した。
残った三体は、潜れないと分かったのか、向きを揃えた。潜れなくなった魔獣は、まとめて正面からやって来る。三体が横一列で荷車の列へ突っ込んでくるのなら、レンチを持ち替えている時間はない。
「分解」
声に出した。意志力が三十五、減った。
【意志指令 分解 WP35/残り85】
次の一撃は、装甲を無視したダメージになる。原作では、使い道のない指令として知られていた。装甲を無視したところで、修理職の攻撃力など量産機の三割しかなく、掲示板には『無視する前に、まず大打撃を与えられる火力をくれ』と書いてあった。ただ、筋力九百八十が乗った攻撃は、量産機の三割では効かないだろう。
俺が一体目の甲殻へレンチの頭を叩き込むと、めきゃっ!と節を通り越して、内側の骨格まで抜けた。二体目の首の節を掴んで三体目へ投げ、重なったところへ、もう一度叩き込む。四秒で、三体が動かなくなった。砂の上に立って息を整えると、残りの意志力は八十五だった。あと二回使えば、今日はもう空になる。
十二年前、俺はこういうことを、一度もしなかった。生身採集の坑道で、採掘の合間に湧いた魔獣を工具で片付けていただけで、あれは戦闘として数えられてもいなかった。倒しても経験値の入らない層があり、掲示板には『作業中の害虫』と書いてあったほどだ。その作業中の害虫を十二年片付け続けた手で、今は、人の乗った荷車を持ち上げている。
九体目を片付けるまでに、全部で四分かかった。バルドが荷車から降りてきて、俺の足元の砂を見て、それから、俺の手の中のレンチを見た。
「……オサムさん。失礼ですが、鬼族の方でいらっしゃいましたか」
「いやいや、人だぞ」
「人の腕では、荷車は上がりません」
「上がるって。筋力が九百八十あればな」
「九百八十……でございますか」
「十二年ぶんの作業と努力だ。才能じゃない」
彼は算盤の片方を帯に戻し、空いた手で荷車の車軸を指した。
「……三番の車軸が、曲がっております」
「曲がってるな。見てもいいか」
「お願いいたします。お代はお支払いしますので」
車軸を抜いて砂の上に置くと、曲がりは中央から七ミリあった。レンチの柄を支点にして、両手で逆へ押す。力を一点に集めるやり方は、ボルトを締める時と同じ要領で、キィ、と鉄が鳴って、車軸は元の直線に戻った。
「修理完全完了、もうどこも壊れていない」
「……今のお言葉は、お代に含まれておりますか」
「入ってない」
「含まれていないのでしたら、仰らないでください。言われると、お支払いしたくなりますので」
荷車が立ち上がって、九人が降りてきたが、そのうち四人は砂の上に座り込んで、しばらく立てなかった。バルドは帳簿を開いて、新しい欄を一行作った。何を書いているのかと覗くと、「護衛」と書いてある。
「オサムさん。護衛のお代は、一日いくらでしょうか」
「護衛? 整備の依頼じゃなければ、とくには決めてない」
「では、お決めください。私は、値のついていない仕事はお願いできない性分でして。……それと、魔石が二十八個ございます。全部お買い上げくださいとは申しません。半分を、魔石の現物でお支払いします」
「十四個を報酬としてもらえるってことだな」
「はい、十四個です。オサムさんがいらっしゃらなければ、二十八個とも砂の下でした。そう考えれば、安い買い物でございます」
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【ギルド視点】
同じ夜、グランツ王都の城では、井戸の前に列ができていた。
二番井戸の揚水機が焼けて、八日になる。城の水は全部、一番井戸から桶で汲み上げていて、滑車は木、縄は麻で、どちらも刻印回路を使っていないから動いていた。並んでいるのは城の使用人と騎士団の一般団員で、鎧を着た男が桶を提げて順番を待っていても、誰も笑わなかった。笑う体力が、もう誰にも残っていないのだ。
シズクは、列の横を通って記録室へ戻った。机の上には、昨日から広げたままの紙がある。表題は、自分の字で書いてあった。
――担当の欄が存在しない項目
朝は四十七だったのが、夕方には五十一になっていた。増えたぶんは、こういうものだった。
――四十八 格納庫の照明の魔晶石交換(周期 十二日)
――四十九 格納庫の扉の蝶番の油差し(周期 ひと月)
――五十 倉庫の在庫の数え直し(最終実施日 不明)
――五十一 ギルド戦の前日に、全機の稼働記録を見て、危ない乗り手へ個別に連絡
五十一番を書いたところで、ペンが止まった。彼女は、その連絡を受け取ったことがある。十二年のあいだに、七回だった。文面はいつも同じで、『明日、左の第三関節が怪しい。踏み込みを一回減らせ』と、短く、挨拶も署名もない。誰が送っているのかは三年目に気づいたが、言えば本人が照れてやめてしまうと思って、誰にも言わなかった。
やめなかった。やめたのは、名簿から外されてからだった。
彼女は五十一番の横に、小さく数字を足した。書いた字は、他の行より小さくなっていた。
――(受信記録 シズク七回/ドレイク十二回/レオンハルト〇回)
書いてから、その行は消さなかった。
【グランツ騎士団 第39日 稼働騎兵 0/12 王都備蓄 残り17日 団員 291名(第37日比 -12)】
【担当の欄が存在しない項目 51(前日比 +4)】




