第23話 操縦E、出力S
フィーネの乗る継接が、赤い機体に膝を折らされるまで、十一秒しかかからなかった。
国境の川床は、水の失せた幅百メートルほどの石の河原で、その両岸に帝国の壁と聖王国の歩兵の列が向かい合っている。ツギハギは、そこへ飛び込んだ赤い機体を止めに入ったのだ。こちらは全高十メートル、四十四トン、左右の揃わない継ぎ接ぎの装甲と悪役じみた単眼の顔をした機体でLZ-05Rという。九メートル二十の量産機を真紅に塗って軽量化した改造機だ。この機体は盾も増加装甲も外してあるので、むき出しの関節と推進器の筒が骨のように浮いて見える。装甲板の縁は砂で白く擦れ、胸の中央には、十二年ぶんの剣の傷が斜めに何本も走っていた。乗っている操縦者は、VGO対人戦ランキング一位の女、リンだ。
稜堡の上から見ていた俺には、二つ目の踏み込みの時点で、もう勝負の形が見えてしまっていた。フィーネの操縦はAクラスで、四十四トンの機体を砂の上で止めずに曲げられるだけの腕がある。そこまではよかったのだが、問題は彼女の癖のほうにあった。
ツギハギが右足を前に出すたび、左の肩がわずかに落ちる。四十四トンの重心を、彼女は左の腰で受けているのだ。仮留めした右の膝をかばううちに覚えてしまった癖で、直してやれなかったのは俺の側の落ち度だった。赤は、その癖を一度見て、二度目の踏み込みで合わせてきた。
「ノイズ。向こうの踏み込みの間隔は、いくつだ?」
「一・一秒です。一定でございます。整備長、あちらは――当機の計測に、合わせてきています」
リンの機体が、避けずに真正面から入った。ツギハギの踏み込みの内側へ半歩で潜り、軸足を一本だけ残して残りの質量を全部回転に使う、零距離旋回。右腕が空を掴んだツギハギの左膝の裏の継ぎ目へ、リンは剣の刃ではなく背のほうを当てて、そのまま押した。
ガシャァァァァァン!!
四十四トンが膝から崩れて、川床の石に手をついた。装甲は一枚も割れていないので、あの女は壊さずに止めるということを、あれだけの速さで正面からやってのけたことになる。外部拡声器が二つ同時に生きていて、赤とツギハギの声が石のあいだで重なって返ってきた。
「立てよ。お前、まだ壊れてない」
「……は、はい」
「あんた、左の腰で受ける癖があるだろ。重心を預ける場所が毎回同じだから、二歩目で読めちまうんだ。腕はいいがな。今日は、間に合わないだけだ」
「……直します。必ず、直しますから」
その時、川床の中央の石が、下から押し上げられた。ズズッ、と二十メートル分の砂が盛り上がり、甲殻の背が出る。聖王国の歩兵の列の、ちょうど真ん中だった。叫び声よりも先に、人の列がばらける足音が稜堡まで届き、先頭の二十人ほどが、顎の開く音のほうへ巻き込まれていった。
赤いLZ-05Rが振り向いた。振り向いたまま、動かなかった。二十五トンの軽量機では、二十メートルの顎の前に立てないことを、あの女の体が一番よく知っているのだ。
「おいオサム! 下がれって言ったのは、あんただろ! どうすんだよ、これ!」
「言った。だから今から、俺が前へ出る」
「前って、二十メートル級だぞ。あんたの機体、たった四十四トンしかないんだぞ?」
「四十四トンで足りる。乗ってる奴を替えれば、足りるんだ。――フィーネ、降りろ!!」
俺は稜堡の縁を蹴って、ツギハギに向かって跳んだ。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
稜堡から飛び降り、川床に膝をついたツギハギの肩へ駆け上がり、ハッチを引き開けて中へ滑り込むと、操縦席には彼女の体温がまだ残っていた。座面が温かく、操縦桿は細くて、俺の手には少しだけ小さい。ハッチを閉める前に、フィーネが肩のへりから身を乗り出して叫んだ。
「オサムさん、操縦Eじゃないですか!!どうする気なんです!!」
「知ってる。ステータスの欄に書いてあるからな」
「わたしが外から指示しますね! 見えるところにいますから!」
「頼む。右と左を間違えたら、怒鳴ってくれ」
ノイズの声が、いつもより硬くなった。
「整備長。搭乗者の切り替えを、検知しました。――搭乗者反映、読み込み中でございます」
視界の端に、数字が並んだ。
【搭乗者反映:筋力980/器用940/体力760】
【総合出力:S 装甲:S 器用:S 機動:B】
【操縦:E】
十二年前から、ツギハギの欄に書いてあった一行だった。攻略wikiの評価は『標準的な搭乗者では最弱。ネタ機体』で、その標準的な搭乗者というのは、生身ステータスに何も振っていないプレイヤーのことを指す。
対人戦のレギュレーションにも、一行あった。参加可能クラスは騎乗職、砲術職、剣士職、術式職で、修理職は入っていない。運営に問い合わせた者がいて、返ってきた回答は「修理職は戦闘を想定していないため」だったと、掲示板に貼られていた。十二年、その一行は一度も書き換わらず、俺は、ランキング一位と同じ土の上に立ったことが一度もないまま終わるはずだった。
今、その一位の二十五トンの赤が、すぐ横で立ち往生している。俺はゆっくりと操縦桿を倒しながら言った。
「いくぞ――ツギハギ。XG-00、出る!!」
ドッ、と一歩目が出たが、出すぎた。四十四トンの機体が、手の動きにそのまま乗ってきて、遅れも迷いもない代わりに、間違いもそのまま出る。要塞の城門の柱に左肩が当たり、石の柱が上から三段ぶん崩れた。
ゴッ。
「オサムさん、肩です! 左に寄ってます!」
「寄った! 直す!」
「直さなくていいです、そのまま走って! 川床まで直線ですから!」
俺はツギハギで走った。四歩で三十メートルを進み、歩幅が合わずに三歩目で砂に踵が埋まって、四歩目で抜ける時に、砂が後ろへ二階の高さまで飛んだ。歩兵の列の手前で止まろうとしたが止まれず、十メートルも行き過ぎたところで機体が横向きに流れ、聖王国の歩兵十数人の頭の上に砂をかぶせてしまった。なんとか踏んでいないのは、フィーネが「足、上げて!」と叫んだからだ。
「オサムさん、人が! 人がいますってぇ!」
「まだ踏んでない! 砂だ!」
「砂でも、なんだか見てると怖いんですよぉ!」
そうしていると、巣母の顎が、横から来た。四枚の顎板に六列の歯が並んでいて、解析眼の線は、昼に見たのと同じ場所へ集まっている。第一顎板の付け根の蝶番、二十メートルの体を動かす力が、最後に通る一点だ。機体の手でそこを掴もうとして、隣を掴んだ。操縦Eというのは、こういうことだった。指先が顎板の縁を滑り、砂をひとつかみ握っただけで終わる。
「もう一回! 五十センチ奥です!」
「五十か」
「奥です! もっと奥!!」
握り直すと、ツギハギの右手が第一顎板の付け根を咥えた。そのまま握る。出力S、四十四トンの機体が生身の筋力九百八十をそのまま乗せて握るのだから、設計した側は、こんな数字を入れる人間が現れるとは思っていなかっただろう。
バキィッ。
蝶番が潰れる音がした。潰れただけでは済まなかったのは、握った指が付け根を通り越して、頭の甲殻まで一緒に握り込んでしまったからで、二十メートルの体は顎から先を失い、砂の上へ落ちた。解体としては、下手な仕事だった。昼に生身でやった時は蝶番の一点で済んだのに、今は頭の半分が原型を失っている。素材の歩留まりは、たぶん半分も出ない。
「……整備長」
「なんだ、ノイズ」
「右手の第二指の関節に、過負荷でございます。〇・八ミリ、伸びました」
「分かってる」
「分かっておいでなら、申し上げません。ただ、記録はいたします。整備長が、ご自分の機体を壊された回数、一回目です」
「オマエな、数えるな」
「数えます。当機の仕事ですので」
二体目が、川床の反対側から出た。聖王国の歩兵は今度は逆へ逃げ、逃げた先には帝国の壁があって、壁の上では帝国の弓兵が矢を構え、下では指揮官が何かを叫んでいる。四百人が、狭い石の河原で、混ざり合おうとしていた。
「リン!」
俺は外部拡声器を開いた。
「跳ぶな! 地面を走れ! 歩兵の列の外側を回って、二体目の尻を叩いてくれ!」
「叩いてどうすんだよ。あれに通る武器なんか、あたしは持ってない」
「通らなくていい。顔をこっちへ向けさせてくれれば、顎は俺が取る」
「……顎を、取るって言ったのか、今」
「取る。これで二回目だ」
赤機体が走った。跳ばずに走っても、機動Sは十分に速く、川床の石を舐めるように回り込んで、二十メートルの尾の付け根に、剣の背を打ちつける。ゴンッ、という音が響いて、巣母の頭が赤のほうへ回り、回った分だけ、俺のほうへ横顔を向けた。
俺も同じく走った。四歩で届く距離を、今度は止まらずに詰め、開ききった顎の中へ、正面から入った。歯の列が閉じるまでは〇・四秒で、三歩目でツギハギの両手を前に出し、左手で下の顎板を押し下げ、右手で上の顎板を押し上げる。機体の腕で、顎をこじ開けるのだ。
ミシ、ミシ、と甲殻の節が順番に鳴った。出力Sと装甲Sと六列の歯が同じ場所で押し合っていて、内側の歯がツギハギの右の前腕の装甲を削っているのに、腕は引かない。生身の耐久七百六十が、そのまま装甲に乗っているからだった。
「オサムさん、前腕! 削れてます!」
「削れてるな! ま、あとで直せばいいだけだ!」
「直すの、オサムさんですよね!」
「俺が直すんだから、削らせておくのも作戦のうちだ!」
押し開いた。顎は限界を越えて、第一顎板の蝶番が内側から外れ、二体目が砂の上へ広がって動かなくなる。川床には、砂の降る音だけが残った。
顎の中から出て肩のハッチを開けると、フィーネが砂だらけで走ってきて、機体の足元で立ち止まり、上を見上げた。
「オサムさん。報告が三つあります。聞いてもらえますか」
「言え」
「一つ目です。城門の、右の柱が折れました。上から三段ぶんです。三十年あそこに立っていたと、帝国の兵の人が言っていました」
「折った。あれは俺だ」
「二つ目です。向こうの歩兵の方が三人、砂に埋まって、今、仲間が掘り出しています。息はあるそうです」
「掘れば出る。砂は、生き埋めでも二分は持つ」
「三つ目です。巣母、二体とも頭が原型をなくしています。六号さんが『素材の歩留まりが半分を切っております』と言って、ずっと記録帯に何か書いています」
「……それは俺のせいだ。生身でやれば、蝶番の一点で済んでいたんだがな」
彼女はしばらく、黙って俺を見上げていた。それから砂を払いながら、小さく言った。
「でも、誰も死んでません。向こうの歩兵の方も、こっちの兵の人も、一人も。それって、すごいことだと思うんです」
「フィーネ、お前が外から正確に指示してくれたからだ。右と左を間違えずに走れたのは、お前のおかげだぞ」
「……わたし、機体を降りて、地面から怒鳴ってただけですけど」
「それが操縦だろ。俺のは、ただ出力が高いだけだからな」
赤い機体が、十メートルほど離れた場所で膝をつき、ハッチが開いて、リンが縁に腰を下ろした。黒髪を短く刈り上げた頭に砂が貼りつき、左の眉の古い傷の上で、額が新しく切れて血が片目に入っている。
「オサム」
「なんだ」
「あんたの操縦、下手だな」
「Eだからな」
「Eで、あれかよ」
彼女は血を拭って、川床に広がる二十メートルの死骸を見てから、自分の赤い機体の指先へ、ゆっくり視線を移した。
「十二年、あたしはランキングの一位にいた。……その間ずっと、あんたは誰とも戦えなかったんだな」
「ま、そうだな、俺は整備してただけだから」
「オサムさ……部品、売ってくれよ。全部買うから」
「順番は後ろだ。今、八門の砲と、機人一人が並んでる」
「並ぶ。並ぶから、忘れんなよ?」
川床の向こうで、先頭の隊長機が片手を上げた。二機が揃って止まり、騎兵槍が地面へ下りて、隊長機の胸の装甲が外側へ開く。白い外套の男が、縄梯子を伝って下りてきた。開く。白い外套の男が、縄梯子を伝って下りてきた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
【ギルド視点】
シズクは、王都の記録室で、十九冊目の帳簿を開いていた。
記録室は格納庫の東側にあって、窓が一つしかないので、午後は光が入らない。棚が四段、床から天井まで並んでいて、グランツ騎士団が十二年ぶんの記録を置いている部屋だった。十二年というのは彼女が数えている年数で、この国の暦で数えれば、騎士団が王都を握ってまだ三十七日しか経っていない。
一冊目から十八冊目までは、VGOの頃の記録だった。ギルドの整備記録、機体の稼働時間、部品の交換日、報告と回答を、管制職の仕事として、彼女が自分の手で全部写してきたものだ。十九冊目に、転移後の分を書いている。書き出しはいつも日付で、そのあとに三行を続ける。
――第37日。稼働騎兵0/12。
――整備支援型、出力4割。搭乗者、スパナ。
――備蓄19日。団員303名(前日比-11)。
ペンを置いて、彼女は十四冊目を引き出した。背に『整備・第四期』と自分の字で書いてあり、めくると、同じ書式の行が千行以上並んでいる。
――RX-09 放熱翼3番・4番 清掃 担当オサム
――RX-09 魔導炉調律 誤差0.02% 担当オサム
――RX-07H 膝関節シム調整 担当オサム
千行のうち九割に、同じ名前が入っていた。彼女は十二年、この名前を書き続けたが、書いた帳簿を誰も開かなかった。報告の欄には「異常なし」としか書くことがなく、異常がないことは報告する価値がないと、団長が言っていたからだ。
彼女は十八冊目の後ろから三枚めくって、サービス終了の前日の欄を開いた。その日だけ、整備の記録が異常に多い。十二機ぶんの点検が一日で全部終わっていて、朝から深夜まで、誰かが一人で回ったのだと分かる書き方だった。最後の行は、こうなっていた。
――RX-09 左肩冷却系 要交換 部品なし 申し送り 担当オサム
申し送り、というのは、次の担当へ回すという意味だが、次の担当は来なかった。彼女がその名前を名簿から外す書類を作ったのは、その翌日のことだった。
記録室の扉が叩かれて、整備班の若い団員が、手に紙を一枚持って入ってきた。十八か十九で、手の甲に油の染みがついている。磨き方しか教わってこなかった手だった。
「シズクさん。鍛冶組合の届が、二通目来ました。今度は四十人です。一通目の七名と合わせて、四十七名が南へ行きたいと言っています」
「そこへ置いといててください」
「……あの、止めなくていいんですか。四十七人って、王都の鍛冶の半分以上ですよ。あれが抜けたら、蹄鉄も鍋も、打てなくなります」
「止める権限が、わたしにはありません。記録する権限だけです」
「でも、シズクさんなら、団長に言えば」
「申し上げました。三度」
若い団員が黙った。彼女は顔を上げないまま、ペンの先を布で拭いた。
「あなたが今持ってきた紙は、わたしが受け取った時点で、記録になります。受け取らなければ、無かったことになります。……わたしは、無かったことにされた紙を、一度見ております」
「それ、どの紙ですか」
「あなたが知る必要はありません。置いて、戻ってください。装甲を磨く仕事が残っているでしょう。それと、磨く前に、一機ぶんでいいので、関節の継ぎ目を布で拭いてください。砂が入ると、あとで直す人が困ります」
「直す人、いないですけど」
「いつか来ます。その時に、困らせないようにしておくのです」
団員が出ていったあと、彼女は二通の届を帳簿に挟み、挟む時に、十四冊目の背を指で一度だけなぞった。それから十九冊目にもう一行足したが、筆の速さは、他の行と変わらなかった。
――第37日。鍛冶組合より南行の届、二通。計四十七名。行き先「辺境ザルツ」。
その町の名を帳簿に書くのは、これが四度目だった。一度目は第五日に、正体の分からない南西の町として、二度目は第十一日に徴発隊の派遣先として、三度目は第十三日に本隊の停止地点として、どれも彼女の字で書いてある。四度目の今日は、同じ名前が、人の向かう先の欄に入っていた。
【グランツ騎士団 第37日 稼働騎兵 0/12 王都備蓄 残り19日 団員 303名】
【記録室 帳簿 19冊 / 開かれた回数 0】
【記録室 帳簿 19冊 / 開かれた回数 0】




