第22話 担当の欄が、【なかった】
国境要塞の守備将軍は、俺たちを稜堡の上で待っていた。風が川床から吹き上げるたびに、肩に掛けた外套の裾が石の縁にはたはたと当たって乾いた音を立て、砂の混じった風が頬を叩くので、口の中はもうざらついていて少し気持ちが悪かった。VGO上ならフレーバーテキストで済んでいたことが、今ではどれもリアルに感じる。
この、ゲルハルト・ザイデルという名の砲兵将は、五十代の半ばほどで、灰色の口髭を短く刈り込んでいた。襟に付けた砲弾の形の徽章は、角という角が丸くなるまで指で磨かれていて、三十年この上に立ってきた男の癖がそのまま金属に残っている。俺が近づくと、彼は体ごと三歩分左へずれて、聞こえる方の耳をこちらへ向けた。
「右は聞こえんのだ。三十年も砲の横に立っておれば、こうなるので理解っていただきたい。……で、ザルツの整備士が何の用だ。先触れは来ておらんぞ?」
「先触れを出す暇などなかった。先に結論から言うが、祝砲を止めてほしい。二十分おきの、あの砲声のことだ」
「止められん。陛下のお達しだからな。聖王国が国境に兵を寄せておる間は、鐘が鳴るたびに威を示せと言われておる。わしの一存では、一発たりとも抜くことはできんのだ」
「そう言うと思った。だから言い方を変える。このまま撃ち続ければ、あと十日で、残りの八門が全部割れるぞ。ヴァルナの見立てだし、俺も砲身を見て同じ数字という結論になった。ただ、それはあんたたちの問題だ。俺が持ってきたのは、そっちとは別の問題でな――」
俺は背負っていた布をほどいて、石の床に置いた。広げると、巣母の顎板が重い音を立てて転がり、縁にまだ湿った砂がこびりついたまま、六列の歯が空を向いた。幅は一メートル二十ある。
ザイデルの顔が、はじめて動いた。磨り減った徽章の縁を親指で押さえたまま、彼は石の床に転がった顎板へ、今度は体ごと向き直った。
「……これは、砂漠の最奥にしかおらんはずのものだな? わしは三十年で、一度しか見ておらん。先帝の頃に砦が一つ、一晩で砂の下に消えたことがあってな。あの時、生きて戻ったのは三人だった」
「それが昼に、この街道で出た。ここから半日の場所だ。二十分おきの砲声が地面を叩き続けていて、砂の下にいる連中はその音の震えに寄ってくる。すでに三十体を超える数が集まっていたし、その真ん中に、これが居た」
「砲が、魔獣を呼んでおると言うのか。わしの砲が――!?」
「そうだ、呼んでる。ただ、ここから先が本題でな。あんたたちはひと月、二十分おきに呼び続けた。今この川床の下に何体集まっているのか、俺にも見当がつかん。分からないものの上に、四百人が立ってるんだ」
風が稜堡の石の縁で鳴って、ザイデルは聞こえる方の耳を、黙ったまま西へ向けた。川床の方角だった。彼は長いこと耳を澄ませていたが、聞こえるはずの音が聞こえないのか、それとも聞こえてしまったのか、口髭の下で唇が一度だけ歪んだ。
「……陛下の面目と、要塞の全滅を、天秤にかけろと言うのか」
「天秤にはかけなくていい。順番を決めるだけだ。鐘が鳴ったら一発撃つ、という決まりは変えない。その代わり、どの砲が撃つのか、次の一発までどれだけ空けるのかを、俺に決めさせてくれないか? 間隔を三時間まで伸ばせば、地面を叩く回数も九分の一になる。砲声は残るから聖王国には威が示せるし、下で呼ばれる数は減る」
「……それなら、止めたことには、ならんな」
「ならない。だから王様の面目も立つだろ? 止めろと言われて止めたんじゃなくて、順番を組み直しただけだ、と報告書には書ける」
彼は長いこと黙っていた。口髭に指を当てて、砲の列を端から端まで一度見渡してから、よく通る声で台座の下へ命令を投げた。
「第五門から第十二門、次の鐘は飛ばせ! あとは工房長の指示を待て!」
石段を下りながら、俺は顎板を肩に担ぎ直した。技術の話は、ここまでで十分だった。要塞の工房員は二十三人いるのだから、砲の番号でも板に書いて壁に貼っておけば、あとは勝手に回るだろう。
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もう一つの問題で、巣母の死骸を、街道に置いたままにはできなかった。二十メートルの肉を砂の上に放っておけば、匂いで次の群れが来るので、要塞から荷車を四台出してもらい、甲殻と魔石と腱を剥ぎに戻ることにした。工房員が二十三人、全員ついてきたが、魔獣の解体など見たことのない顔をしていた。
「背の板は十二枚ある。一枚ずつ剥ぐな。三枚まとめて、節の継ぎ目に刃を入れて、てこの原理で起こせ。一枚ずつやると、継ぎ目が引っ張られて板のほうが割れる」
「刃は、どれをお使いすればよろしいのですか。解体用の鉈は、あいにく持ち合わせがございませんで」
「尾栓用のタガネでいい。幅が合う。ただし叩くなよ、押せ。叩くと甲殻が割れて、当て板に切り出せなくなる」
一番若い、手袋をした十九の子が、おそるおそるタガネの先を継ぎ目に当てた。両手で柄を握って体重をかけると、甲殻がミシ、と鳴って、縁が三センチほど浮く。
「う、浮きました! 浮きましたよぉ!」
「そこへ二人目が入れ。三人がかりで、同じ速さで押す。速さが揃わないと、一人分だけ力が逃げて割れる。声を出して合わせろ」
ヴァルナは、剥ぎ取った甲殻を一枚ずつ持ち上げては光に透かして、厚みを指で測り、唇の形だけで数字をつぶやいていた。工房長になってからの癖で、本人はたぶん気づいていない。板を持つ手つきが丁寧で、傷をつけまいとして肘を体に引きつけているのが、離れて見ていても分かった。
「オサム。この板は、厚いところで二十二ミリある。鉄より軽くて、曲げに強い。……帝国の工房がこれを買うとしたら、いくらになると思う?」
「知らん。値段をつけるのはあんたたちの仕事だ。ただ、砲身の抱え帯にはそのまま使えるし、尾栓の当て板にも入る」
「一枚で、二千ヴァルにはなる。十二枚で二万四千だ。……私の年俸より多いのだぞ」
「だったら、剥ぎ方を覚えて帰れ。次に出た時は、自分たちで剥げる」
「次に出た時、私が生きておるとは思えんが」
「大丈夫だ、死なない。あの二十メートルが出る前には、必ず地面が鳴るんだ。鳴ったら伏せろ。伏せた人間は、だいたい生き残れるからな」
六号は、少し離れた砂の上に膝をついて、魔石を一つずつ布に包みながら数えていた。十二個を手のひらで順に持ち上げ、重さを比べては、重い順に並べ直している。その手つきはやはり機人のもので、同じ動きを一ミリの狂いもなく繰り返すのに、並べ終えるたびに首を少しだけ傾けるのが、人間の見習いに似ていた。
「整備長殿。歩留まりを記録いたしました。甲殻十二枚のうち、当て板に使えるものは九枚でございます。残る三枚は、落下の衝撃で内側が層ごと剥離しておりました」
「九枚なら上出来と言えるだろう」
「……整備長殿が、生身で蝶番だけを外されたからでございます。機体の手で潰していれば、三枚も残らなかったかと」
「そうだな。手のほうが、こういう時は丁寧だからな」
ミィルは、荷車の影の砂の上に座り込んで、腱を一本ずつ水で洗っていた。洗い終えたものを長さの順に並べては、また置き直している。誰に頼まれたわけでもないのに、やり方が正しいのが、この少女のおかしなところだった。
「整備屋、これ何に使うのよ。ただの紐にしては、やたら太いんだけど」
「砲の緩衝材だな。撃った時の衝撃を、台座に伝えずに吸わせる。ゴムの代わりだな」
「ゴム、ねぇ。ふうん。……ねえ、ちょっと聞いていい」
「なんだ」
「昼のあれ、赤い線のやつ。あれね、あたしにも見えたんだ。整備屋が何か言った瞬間に、あいつの体のあちこちに線が走ってさ」
「そうか、見えたのか」
「見えた。見えたから、あんまりこわくなかった。どこが弱いか分かってる怪物って、案外こわくないんだね。知らなかったから勉強になったよ!」
それが、あの指令の値打ちだった。看破は、十二年のあいだ、誰にも使わせたことがない。味方に見せるための指令なのに、味方がいなければ使う意味がなかったからだ。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
作業中、日が落ちる前に、要塞の中庭で飯の時間になった。帝国の兵の飯は、黒パンと、煮崩れた豆と、塩漬けの肉が一切れで、フィーネは自分の皿の肉を二切れとも、勝手に俺の皿へ移してきた。
「オサムさん、食べてください。今日は、あんまり召し上がってないですよね」
「いいからお前が食え。今日は、お前のほうが腹へってるだろ」
「たいして動いてないから、要らないんです。……それより、昼に言ってましたよね。意志力が、残り百だって。あれって、どうやったら戻るんですか」
「寝るまで戻らん。元いたところだと、拠点へ帰れば満タンに戻った。帰る場所がないだけで、ゲーム中は気にしたこともなかったんだ。……今は、一日に使える分しかない」
「今は、どのくらい使えるんですか?」
「看破で二十使って、残りは百だ。あと四回か五回で空になる計算だ」
「空になったら、どうなるんですか」
「どうもならん。ただの、工具の使える男に戻るだけだ」
彼女は肉をもう一切れ、黙って俺の皿へ移した。
「じゃあ、なおさら食べてください。工具の使えるオサムさんが倒れたら、ここにいる全員が困りますから。……わたし、本気で言ってますよ」
そういわれては俺もそれ以上返す言葉がなく、しぶしぶ彼女の提案を受け入れて食べることにした。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
中庭の端には、赤い機体が膝をついていた。日が傾いて、西を向いた装甲板が橙に焼けている。
LZ-05Rは、九メートル二十、二十五トンの軽量機で、盾も装飾板も肩の増加装甲も、外せるものはすべて外してあった。残っているのは関節と推進器と剣の鞘だけで、そのぶん骨格の線がむき出しになり、見た目だけなら戦う機体というより、走るために削り出した道具に近かった。右肩の上には、人が一人座っている。
それは、黒髪を短く刈り上げた女だった。首筋に砂が溜まっていて、赤い騎乗服の金具は全部外してあり、左の眉に古い傷が一本ある。手袋をしていない指先が、爪の際まで油で黒かった。彼女は点検ハッチに片腕を突っ込んだまま、顔も上げずに言った。
「あんた、さっきでけぇ顎を担いできた男か?」
「そうだが、なんだ?」
「壁の上から見てた。……生身にステ振ったやつなんて、はじめて見たよ」
対人戦ランキングの一位に、リンという名前が十二年居座っていた。酒場の掲示板に出る数字と名前でしかなく、実際にアバターの顔を見たことは一度もない。その名前の持ち主が今、俺の三メートル先で、片腕を機体の腹に突っ込んだまま座っている。
「鷹取輪。リンって呼ばれてる」
最後の夜にレオンハルトが声をかけた対人戦の上位二人のうち一人は、たぶんこの女だった。顔に出ていたのか、リンのほうが先に言った。
「アーク・ヴァンガードの誘いなら、始まる五分前に断ったよ。頭数を埋めるために呼ばれるのは、性に合わなくてさ。……おかげで、王都の三百人とは別の場所に落ちた」
「俺は――オサムだ」
「知ってる。お前、RX-09を止めた整備士だろ。……なあ、聞きたいことがあるんだ。変なこと聞くけど、笑うなよ?」
彼女は腕を抜いて、はじめて俺の目をまっすぐに見た。目の下に、何日も寝ていない人間の色が出ている。
「生身に振った数字は、振り直せるのか。たとえば、今から」
「ここでは振り直せない。俺はゲーム上で十二年かけた。……ただ、お前が聞きたいのは、たぶんそこじゃないだろう」
「どこだよ」
「十二年やれば届くのか、だろ。届く。ただし、その十二年のあいだ、誰にも褒められん。俺は十二年やって、礼を言われたのが三回しかなかったからな。それに十二年の根拠もない」
「……三回だけか」
「三回だ。覚えてるのは、それだけだからな。だから、人に勧める気にはならん」
彼女はそれだけ聞くと、ハッチを閉めた。留め具を二つ、順番に締めたが、見ていると、締める順番が正しかった。整備士でもない人間が、機体の癖を体で覚えているのだと、そこで分かった。
「右の推進器、燃えさしが落ちてないだろう。全開で跳ぶと、三回目から戻りが遅れる」
「……なんで分かるんだよ。あたし、まだ何も言ってないぞ」
「対人戦の一位の機体構成は、掲示板に毎週晒されてた。補助推進器を増設したランツァーⅡは、右に燃えさしが溜まる。増設した側の排気管だけ、一段細いからだ。……晒し記事を見るたびに、俺ならどう直すかだけ考えてた」
「……気持ち悪いな、あんた。自分で掻いてはみたけど、奥までは手が入らなくてさ」
「分解に三時間かかる。今日は無理だな」
「じゃあ、どうしろってんだよ?」
「跳ぶなら、三回までにしろ。四回目は、機体が言うことを聞かなくなるからな」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
しばらくしてやってきた聖王国の使者は、川床の真ん中に立って、口上を述べた。白い外套に金の縫い取りを入れた四十がらみの男で、頭を剃り上げ、首に信仰の環を下げている。騎兵も馬も連れず、たった一人で乾いた石の上を歩いてきて、その歩き方だけで、自分は撃たれない立場だと信じ切っているのが分かった。
「ルミナス聖王国、第二巡察隊。隊長は巡察官ガーレン・ロウ。――本日正午までに、貴国の砲弾が三発、国境の内側へ落ちている。これを我々は、帝国の意思と見る」
稜堡の上で、ヴァルナが低く呻いた。割れかけた砲は弾を遠くへ飛ばせない。砲身の中でひびが開けば、弾を押す圧が抜けて、狙った場所より手前に落ちてしまうので、届かずに落ちた三発は帝国が狙って撃ったものではなかった。それでも、向こうから見れば同じことなのだと、彼は分かっているようだった。
「明朝までにこの説明がなされなければ、本隊に通知することになる。本隊は、三日で来るであろう!」
使者は言い終わると、来た道をまっすぐ戻っていった。稜堡の上から、俺はその足元だけを見ていたが、歩いた跡の両側で砂の表面に細い筋が走っていて、筋の向きは全部、彼の歩く振動を追っていた。
「サク。川床の下を聞いてくれ」
「もう聞いています。使者が歩き出した時から、ずっと耳を当てていました」
白い機人が石の縁に掌を当てていて、右足首の軸がカチ、と一度だけ鳴った。聞き取ったものを数にまとめるとき、彼はいつも足首で拍子をとる。
「深さ四メートルのところに、二十二体。六メートルより下は、数えきれません。重なって動いているので、輪郭が一つにつながって聞こえます。……それと、昼の巣母と同じ幅のものが、二体いそうです」
「昼に一体潰したのに、まだ二体いやがるのか!」
「いますね。どちらも川床のちょうど真ん中で、深さは八メートルと九メートルです。整備長さん、聖王国の歩兵の列は、そこを渡ることになります。渡らなければ、こちら側には来られませんので」
国境の両側には、合わせて四百人の人間が立っていた。その足の下に、砲声に呼ばれた群れが潜んでいる。
「ヴァルナ。帝国の歩兵を壁の内側へ戻してくれ。弓兵も下ろせ。砂の上に一人も残すな」
「それは、すぐにやる。……だが、向こうの歩兵はどうする。二百十四人だ。こちらが下がれと叫んだところで、あれは下がらんぞ。下がれと言った側は、下がらせたい理由を持っているのだと、向こうは考える」
「考えるだろうな。俺が向こうの立場でも、そう考える」
「では、どうするのだ。このまま見ておれというのか」
「俺が行く。言って聞かないなら、足の下にいるやつを先に片付けるしかない」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
中庭で、赤い機体が立ち上がった。関節の鳴りが、他の機体とは違う。油が新しく、動きの出だしに濁りがなかった。外部拡声器から、リンの声が降ってきた。
「オサム。アタシが三機、潰してくる」
「待て」
「待たない。向こうが川床を渡り切る前に、脚をやる。三機止まれば歩兵は進めないし、隊長機だけ残して話をさせればいい。それが一番早い」
「順番が逆だ。川床には入るな。下に、大型の敵がいるんだ」
「魔獣なんて、歩兵のほうで勝手に逃げるだろ」
彼女の言っていることは、間違っていなかった。この女は十二年、人を倒すことだけを考えて生きてきて、倒せば止まるという経験だけが、全部本物なのだ。だから魔獣の話を聞いても、自分の世界の言葉に置き換えてしまうのだと、俺には分かった。
「お前の右の推進器は、三回までだ」
「覚えた」
「三回の推進で三機撃退は、無理だろう?」
「いいや、やれるね」
赤い機体が城門を跳び越えた。ヒュイン、と推進器が鳴って、二十五トンの機体が石の壁の上を越えていくと、ほぼ同時に、継接の肩で、フィーネが梯子の途中から片手だけでぶら下がって叫んだ。
「オサムさん! 私が追います! 止めるんですね!?」
「止めろ。だが、殺すな、殺させるな。……あいつのほうが、向こうの三機より三倍速くても、な」
「はい!!」
ハッチの閉まる音がして、四十四トンの機体が、赤い機体を追って動き出した。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
【ギルド視点】
王都の格納庫では、レオンハルトが天井の高い窓を見上げていた。光の角度が、昨日より低い。三日前から、格納庫の照明は点いていなかった。
「シズク。城の二番井戸の揚水機は、直ったのか」
「直っておりません。刻印回路が焼けております」
「職人を呼べ」
「呼びました。ですが、王都の職人では、刻印回路は書けません。書けるのは魔導技師だけで、グランツに三名おりましたが、二名は北の村と一緒に移動し、一名は高齢で寝たきりです」
「……VGOの頃は、ああいうものは誰が見ていた?」
「拠点の設備のことでしょうか」
「そうだ。テレポーターの台座も、工房も、格納庫の照明もだ。こちらが何もせずとも動いていた。あれは、誰が触っていた」
シズクは、手の板をめくらなかった。めくらなくても答えられる種類の問いだったからで、彼女はそれを、声に出すまでの短い間に、もう一度だけ確かめているように見えた。
「オサムです」
「……整備は、班でやっていたはずだ」
「機体の整備は班です。設備は班の担当外でした。担当の欄が、そもそも無かったのです。誰の仕事でもない項目を、あの人が一人で埋めておりました。――わたしは昨日から、担当の欄が無いまま回っていた項目を、数えております」
「何項目ある」
「今朝の時点で、四十七件はあります」
「四十七——」
「はい。まだ増えます。数え終わっておりません。たとえば、新しく入った者の機体の初期設定がございます。三百三名ぶん、誰がやったという記録が、どこにもありません。入れば動くものだと、全員が思っておりました」
レオンハルトは、ソヴリンの固まった右腕を見上げた。以前の彼なら、ここで「問題ない」と言っていたはずだが、今は言わなかった。言えば次に数字が返ってくることを、彼はもう知っている。それに、あの町の境界で一度だけ聞いた言葉が、まだ頭に残っていた。整備してないからだ、と、油の付いた手で言われた。あの時は返す言葉を探して、見つからず、今も見つかっていない。
「……届は、受け取ったのか」
「受け取りました。記録に残しております」
「止めなかったのか」
「止める権限が、わたしにはありません。記録する権限だけです。――団長が止めよと仰せになるなら、そのように記録して、止めに参ります」
彼女の声は硬かったが、その硬さの中に、別のものが混ざっていた。レオンハルトは、それに気づかなかった。
【グランツ騎士団 第37日 稼働騎兵 0/12 王都備蓄 残り19日 団員 303名(前日比 -11)】




