第21話 生身で、事足りる
二十分おきに、西から音が来たのを感じていた。
それは――空気を伝わる音と、地面を伝わる音の二つに割れて届いていた。空の方は遅れて丘を回り込んでくるが、足の裏に来る方は早い。砂の下を、低い震えがずどど、と一直線に走ってくる。
ちょうど転移から三十七日目。俺の整備記録の通算は、四千四百十七日だった。
「オサムさん。さっきから、足の下が、変です」
継接の肩で、フィーネが声を落とした。
四十四トンの機体の上にいて、わざわざ声を小さくする癖が、彼女にはなぜかある。
「変じゃない。寄ってきてるだけだ、あとちょっと声小さいぞお前」
「あ、すいません! 寄って、って……何が、どこからですか」
「砂の下からだ。西の砲声が二十分おきに地面を叩いてるだろう。あれに呼ばれてる。――サク! 足を地面に付けて聞け、数を出せ!」
五十メートル先の砂丘の上で、白い機人が片膝をついていた。
右足首の軸を鳴らしながら、サクが地面に掌を当てている。斥候職の索敵は、機人の体でも生きていた。
「音の数が、合いません」
「合わないとはどういうことだ。多いのか、少ないのか」
「多すぎて、途中で数えるのをやめました。浅いところに十七体。その下の層に、まだ同じくらいいます。大雑把に倍と思ってください。……それと、一つだけ桁の違う【デカイやつ】がいます。深さ十二メートル。輪郭の端から端まで、ツギハギの肩幅の二倍以上あります!」
俺は砂丘の斜面を見た。
砂の表面に、細い筋が何本も走っている。その筋の向きが、全部、西を向いていた。
モンスターの砂潜りは、地面の震えに寄る。ゲーム中では砂漠街道の序盤の稼ぎ敵で、Lv.18程度。三体も出れば初心者が泣いてデスペナを食らう、という程度の相手だった。こいつらは巣が深い場所にあるので、群れで地上へ出てくることはない。
まあそれは出てこないように作られていた、というだけだ。
二十分おきに、ひと月以上も砲を撃てば、呼びよせてしまうだろう。
「ヴァルナ。馬を降りて置いていけ、あと砂の上に立つな、そこの岩へ上がれ。六号、ミィルを連れて同じ岩だ」
岩を選んだのは、勘ではない。原作の砂潜りは砂と土の上にしか湧かない魔獣で、岩場へ逃げたプレイヤーには顎が届かなかった。掲示板では「砂潜りは岩に乗れば勝ち」という一行が、初心者向けの心得として毎年のように貼られていたものだ。この世界でも同じかどうかは分からないが、砂の上に立っているよりは、ずっと分がいい。
「……待て、オサム。何が来るのか、先に言ってくれ。私も三十年、国境で生きてきた男だ。来るものが分かっていれば、無駄に騒がぬのだが?」
「あんたらの祝砲の客だ。――あまり招待したくないほうのやつだがな。ひと月ぶんの祝砲で呼ばれた油奴ら、全部来るぞ」
そういうと同時に、砂が、持ち上がった。
ザッ――と、七体の砂潜りが同時に砂を割って這いずってきた。
おおむね全長三メートル。くすんだ灰色の甲殻が、節ごとに七枚重なっている。頭の先に顎板が二枚あって、それが左右に開くと、内側に砂を削るための歯の列が見えた。
敵の一体目がミィルの方へ向いた。
そこに、ツギハギの足が割り込んだ。
ドスン、と砂が噴き上がって、砂潜りの胴が横へ跳ねた。フィーネの操縦スキルはAだ。四十四トンの巨体であっても、人を踏まない場所へ正確に配置できる。
置けるが、足は二本しかない。
「オサムさん、八体目! いえ、十体います! 前からも後ろからも来ます、囲まれます!」
「囲ませろ。お前は囲まれていい。しょせん四十四トンは噛み切られんからな。――ただし、お前が動く範囲に人を入れるなよ。ミィルと六号とヴァルナの三人、あの岩から出すな。それだけ見てろ」
「わたしが三人を見たら、前は誰が受け持つんですか!」
「俺が降りて対処する」
「降りるって、機体からは十メートルありますよ!」
「十メートルぐらいなら、膝で受ければ平気だ」
俺はそういうや否や、ツギハギの肩から飛んだ。
おおむね十メートルを自由落下で落ちて、膝を一度だけ畳んで、砂の上に立った。特に体に異常はなく、足首から下が砂に沈んだだけだった。
工具袋の留め具を外して、長い方を引き抜く。
俺の獲物である大型トルクレンチだ。全長二メートル、八十キロの業物だ。
十二年、俺はこれで騎兵の脚のボルトを締めてきた。
課金はしなかった。したくても、できなかった。
ツギハギの改造費は最新機の十倍かかったので、足りない素材は全部、自分で掘った。深層の坑道でツルハシを振っていると、機体で素材を集めている連中が、たまに上の層を通っていった。
一度、そいつらに声をかけられたことがある。それ何してるんすか、と聞かれて、採掘だと答えたら、機体でやった方が十倍速いですよと教えられた。そんなこと、俺は知っていた。機体を買う金がなかったのだ。
その十二年ぶんで鍛えられた体が、今、砂の上に立っている。
スキル解析眼を、開く。
灰色の甲殻の上に、細い線が走った。
節と節の合わせ目。顎板の付け根。首の第三節。応力が集まる点だけが、線で浮いている。
原作では、技能を使うと弱点が赤く光って表示された。表示を見て、プレイヤーはそこを撃った。
今は、本当に線が見えている。見えているだけで、撃ってくれる機体はない。
だから、手でやる。
正面の一体が、顎板を開いた。
開いた瞬間が、一番弱い。蝶番が伸びきって、甲殻の内側が出る。
レンチの口を、下の顎板に噛ませた。
ガチッ。
握って、半回転。
ゴキッ、と鳴って、顎板が付け根から外れた。顎を失った砂潜りは、噛めない。噛めないものは、ただの三百キロの肉だ。
二体目が横から来た。
レンチを持ち替える時間はない。左手で首の第三節を掴んだ。
掴んで、持ち上げた。
三百キロが、砂から抜けて宙に上がる。重さの手応えは、坑道で背負った魔鋼の束より、少し軽い。あれは四百九十キロあった。
腰を回して、三体目にぶつけた。
ズンッ。
二匹が重なって転がって、甲殻が互いの節に食い込んだ。食い込んだまま、両方が動かなくなった。
「……鬼族か」
岩の上で、ヴァルナが言った。
声が震えていなかった。工房長は、驚く時も物の寸法を測る目をしている。
「違う」
「人の腕で、三百キロの魔獣は持ち上がらぬ!」
「上がる。筋力が九百八十あればな」
「九百……それは、人の数字ではないだろう!?」
「十二年ぶん、毎晩騎兵の脚を締めて、素材を自分で掘った数字だ。才能じゃない。作業量の結果だ」
四体目の顎板を外して、五体目の首の節に当て板を叩き込んだ。
当て板一枚で節が動かなくなる。動かない節は曲がらない。曲がらない魔獣は、潜れない。
六号が、記録帯を抱えて砂の上を走ってきた。
「整備長殿。十一体、行動を停止。当機も参ります」
「来るな。お前の装甲は三ミリしかない。あいつらの顎板に噛まれたら腕ごと持っていかれるぞ。――ミィルの横にいろ。あの子の術はお前には効かんが、お前はあの子を抱えて走れる。この場で、それができるのはお前だけだ」
「……当機が、走る救助係でありますか」
「ああ、そうだ。記録は後でいい」
「承知であります。――ただ、一つだけ記録させてください。整備長殿が、十メートルを飛び降りたこと。当機の八十七年に、同じ記録はございませんので」「……好きにしろ」
その時、砂の下から、地面そのものが盛り上がった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
ドドドドドドーー!
俺たちの目前で、砂丘が、大きく割れた。砂が二階分の高さまで噴き上がって、落ちてくる前に、中から何者かの背が出た。
それは全長二十メートルはあろうかというバケモノだった。
甲殻が十二枚、重なり合って背を作っている。頭の先に顎板が四枚あって、開くと人が立って入れるほどの口になった。節の隙間から、黄色い砂がこぼれ続けている。
巣母だ。
ゲーム上では、砂漠の最深部にしか湧かないボス級のモンスターだ。Lv.42。掲示板には『素材だけ美味い。狩る価値なし』と十二年書かれていた。こいつは倒すのに三十分もかかって、落ちるのは素材だけで、経験値が割に合わなかったのだ。
通常、街道に出てくる敵ではない。出てくるようには、作られていなかった。
作られていなかったものが、なぜか今、国境の街道で顎を開いている。
「フィーネ! 下がれ! お前の機体じゃこいつの攻撃は受けられん!」
「装甲なら大丈夫でしょう?!」
「装甲でも無理なんだ! 顎板の内側に歯が六列ある、四十四トン級でも噛み切られるぞ!」
ツギハギが二歩退いた。
退いた分だけ、巣母の頭が俺の方へ回ってきた。
解析眼の線が、頭の先に集まっていた。
四枚の顎板のうち、第一顎板。その付け根の蝶番だけが、他より細い。十二枚の甲殻を支える背の筋が、全部そこへ集まって、そこで折り返している。
二十メートルの体を動かす力が、最後に通る一点だ。
そこを止めれば、残りは全部、ただの砂袋になる。
ただ、俺の目に見えているだけでは、誰も避けられない。
「看破」
声に出した、指令は、口に出さないと通らない。黙って使える指令は、一つもない。
【意志指令 看破 WP20/120】
線が、俺の視界から外へ出た。
ツギハギの操縦席にも、六号の記録帯にも、岩の上のヴァルナの目にも、同じ赤い線が乗ったはずだ。十二年、この指令は『取るだけ無駄』と書かれていた。弱点が見えたところで、修理職には撃つ手段がなかったからだ。だが今は違う、俺には頼れる仲間たちがいる。
「見えました! 頭の、付け根のところ、赤いです! あれ、わたしの画面にも出てます!」
「そこだ。入るな。お前の機体で踏み込むと、顎の射程に入るぞ」
「オサムさんは入るんですよね!?」
「そうだ、入る。――それと、俺の残りを言っておく。百だ。百しかない」
「百、って?」
「意志力というものだ。こっちならMPとかマナっていう数字になるのかな。元いた世界なら、戦闘が終わるたびに満タンに戻ったが、ここは戻らん。寝るまでこれっきりだからな」
俺は走った。それを見てか見ぬか、顎が開いた。砂と一緒に、腐った水の匂いが来た。
潜らずに、正面から顎の内側へと入った。
歯の列が閉じる速さは、解析眼が数字で出していた。おおよそ〇・四秒、それなら四歩で届く。三歩目で、俺はレンチを両手に持ち替えた。
最大締付!
工具術の奥義で、締める力を一点だけに集める技だ。十二年、ボルトを規定値で締めるためにだけ使ってきた。
締める力は、壊す力と同じものだった。
第一顎板の蝶番に、レンチの口を噛ませる。
ガチン。
握った。
手首から肘、肩、腰、踵まで、力の線が一本に通る感覚があった。工場の夜勤で、最後のボルトを締め切る時と同じ通り方だった。
バキィッ。
蝶番が、砕けた。
四枚の顎板が、同時に力を失って垂れた。背の甲殻十二枚が、順番に、ばたばたと落ちていく。支える筋が折り返す場所を失ったからだ。
二十メートルが、砂の上に広がって、動かなくなった。
俺は顎の中から出て、砂を払った。
「……これで終わり?」
ミィルが、六号の背中から顔だけ出していた。
「終わりだ。それと、仕事も増えた」
「え、討伐が終わったのに、増えるの?」
「増える。そこに転がってるのはただの死骸じゃない。魔石が十二個、顎の腱が四本、甲殻が十二枚だ。腱は砲の緩衝材になるし、甲殻は装甲の当て板に切り出せる。全部拾って帰るぞ」
「……整備屋、あのね」
「なんだ」
「普通の人は、倒したあとに、まず座ると思うんだけど?」
フィーネがツギハギの肩から身を乗り出して、片手で顔を覆っていた。
覆った指の隙間から、こっちを見ていた。
「オサムさん。わたし、一応、操縦Aなんですけど」
「当然、知ってる」
「十体くらい、オサムさんの方が速かったですよね?」
「機体を使う仕事と、手を使う仕事が違うだけだ。お前の足は、三人をきちんと守ってた。あれがなきゃ、俺は敵のほうに走れてない」
彼女は肩の上で小さく頷いて、ツギハギの手のひらを砂の上へ差し出した。
「さ、オサムさん。乗ってください。素材、積みますよ」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
一方グランツ王国側。
ギルドリーダーのレオンハルトは、王都の格納庫の床を見ていた。
グランツ王国の第一格納庫は、天井が二十五メートルある。元は王家の馬具庫で、三十年前に騎兵用へ建て替えられた建物だ。十二基の台座が二列に並び、その全部が埋まっている。
埋まっているだけだった。
埋まっているだけだった。
列の先頭には、RX-09が立っている。
白金の装甲は磨かれていた。王剣を振り下ろす姿勢のまま固まった右腕も、そのままだ。十九日前、辺境の谷から王都まで、五十二トンを運び込んだ。まだ動いていた僚機四機に担がせて街道を走り、僚機が止まってからは、牛六十頭と丸太の修羅で引いた。四日かかって、引いている間に牛が二頭死んだ。
「報告をしろ」
彼が言うと、斜め後ろで板をめくる音がした。
シズクは騎士団の記録官の制服のまま、板を胸の高さで持っている。読み上げる声に抑揚がない。十二年、彼女はこの声で数字を読んできた。
「稼働騎兵、ゼロ。十二機中、ゼロです。PL-21Mのみ、左腕と移動が生きております。出力は量産機の四割、連続して動かせるのは一時間二十分まで。搭乗者が一人で整備しておりますので、冷える三時間のあいだ、彼女も休んでおりません」
「四割でも動くなら、一機と数えろ」
「数えました。帳簿上は一機です。……ただ、あれを前へ出せば、残り十一機を直す手が止まります。十一機を直す目処が立っていない以上、帳簿の一機に意味があるかどうかは、わたしには判断がつきません」
レオンハルトは返事をしなかった。
「備蓄の報告も、よろしいですか?」
「……言え」
「王都の穀倉は残り十九日分です。騎士団員三百三名と、城の使用人九十四名を含めた計算になります。使用人を外せば二十六日まで伸びますが、外すというのは城から出すということで、水汲みと炊事と洗濯を騎士団がやることになります」
「現地の農村から徴発しろ」
「三日前に同じご指示をいただいて、同じお答えをしております。北の七村のうち四村が、人ごと移動しました。残った三村は、麦を土に埋めて隠しています。……隠し方が三村とも同じでしたので、話し合って決めたのだと思います」
「ならば掘り返せ」
「掘り返す人手が、騎兵なしでは足りません。鍬で掘るなら、一村につき三十人で四日。四日ぶんの食料を持って出て、見つからなければ、こちらが四日ぶん減るだけです、本末転倒になります」
格納庫の高い窓から、斜めに光が入っていた。
光の帯の中に、埃が浮いている。整備班が毎朝、装甲を磨いているので埃が落ちない。磨いても動かないものを磨き続けているのは、他にやることを誰も思いつかないからだった。
「団長——」
シズクが板を下ろした。
下ろす動作に、彼女の躊躇が出ていた。
「ギルド員が十一名、昨夜のうちに王都を出ました。一般団員です。南の街道で荷馬車に乗ったのを、門番が見ております。……門番が、行き先を聞いておりました」
「どこだ?言え」
「ザルツ、と答えたそうです」
レオンハルトは、はじめてシズクの方を見た。
「……あの町の名を、一般団員が知っているのか」
「知らない者はおりません。十一日目に徴発隊を出して、断られて帰りました。十三日目に団長が本隊を率いて、あの町の境界で止まっております。騎士団の記録には、両方とも残っております。――噂の話ではありません。わたしたちが二度行って、二度とも何も持ち帰れなかった場所です」
「あれは、機体の不調だ」
「記録には、そう書いてございます。わたしが書きましたので」
彼女はそこで一度、言葉を切った。
切ってから、板の二枚目をめくった。
「それと、昨日、王都の鍛冶組合から届が出ました。南へ人を出したい、と。理由の欄に、こう書いてあります。――『辺境ザルツにて、騎兵の整備を学べると聞いた』」
「鍛冶屋が騎兵を触れるわけがない。あれは専門の職だったろう?」
「触れるかどうかは、わたしには分かりません。ただ、組合の者は、こう申しておりました。この国の騎兵が全部止まったのは、自分の目で見た。止まっていない騎兵がある町があるのも、商人から何度も聞いた。どちらも事実なら、行ってみるほかない、と」
「……それで、何人が向かったというのだ?」
「七名です。昨日の届が七名で、今朝、別の組合から十二名の届が出ております」
【グランツ騎士団 第37日 稼働騎兵 0/12 王都備蓄 残り19日 団員 303名(前日比 -11)】




