第20話 天井は、四十七まで
ザルツの境界杭の外側に、旗が一本立っていた。
赤地に黒い歯車を縫い取った旗だ。帝国の工房章で、竿の根元に、量産機が四機、膝をついて並んでいる。国境に近い砲兵が使う重装のLZ-05だった。肩の装甲に、無数の細かい塗り直しの跡がある。
転移から三十六日目。四日の帰り道を経て、半月ぶりに戻った町の入口は、思っていた景色と違っていた。
「ずいぶん、お客さんが多いね」
継接の肩から、小柄なミィルが身をぴょこんと乗り出していた。
足元で、六号が歩調を揃えて歩いている。そのすぐ後ろに、十二号とサク。町の子どもが三人、それを遠巻きに見ていた。機人を見るのは、はじめてらしい。
「かたい?」と、一人が六号の脛を指で突いた。
「硬いであります。ただし、関節は柔らかいであります。記録します。触れた回数、一回」
「わっ、機械がしゃべった!」
「しゃべるであります」
ミィルが、そのやり取りを面白そうに眺めている。
彼女はこの四日間、六号の隣を歩きながら、水を呼ぶのは諦めて、代わりに六号の周りに小さな花を呼び続けていた。精霊術は機人に効かない。ただ、術は地面の草なら応える。六号の足跡が、四日分、花になって街道に続いていた。
ガウス爺が、丸太の上で腕を組んでいた。
「戻ったか。……遅い。二日前から、あそこで待っとるもんがおるぞ」
「誰がだ?」
「帝国の工房長だ。お前の名前を呼んだまま、あの杭の外から一歩も入らん。墓所条約の線を、律儀に守っとる」
よーく見て見ると、杭の向こうに、樽のような男が一人、立っていた。
身長は百七十あるかないか。ただ、横幅が俺の倍はある。革のエプロンの腰に、工具が十四本、ぶら下がっていた。ハンマー、タガネ、パンチ、ゲージ。どれも柄が黒く焼けて、使い込まれていた。
髭は短く刈ってあって、顔の半分が日に焼けている。両腕の袖がまくられ、肘から手首にかけて、帯状の火傷痕が、何本も走っていた。左手の小指は、根元からなかった。
男は、俺を見ると、ゆっくり杭を跨いだ。
「許可なく入るぞ。罰は甘んじて受け入れる」
そう言って、ガウス爺の前で、腰の剣を外して地面に置いた。
それから俺の前へ歩いてきて、膝を折った。額を、砂に付けた。
「ワシはベルク帝国、国境要塞の工房長。ヴァルナ・ロッシュと申す」
声は、地鳴りのような低さだった。
「おぬしに頼みがある。聞いてほしいのだ。わしの頭なら、いくらでも下げる」
俺は、しばらく何も言わなかった。
頭を下げさせるのは、簡単だ。下げさせた先に、何を乗せるかのほうが難しい。
「まずは立て。額に砂が付くし、話しにくいからな」
「……だが――」
「いいから。お前、砲を診てほしいんだろう。立って、見せてみろ。話はそれからだ」
彼は顔を上げた。額に砂が貼りついて、眉が左右でずれていた。
その目だけは、とてもまっすぐだった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
格納庫の作業台に、ヴァルナは布の包みを置いた。
解くと、鉄の輪が出てきた。外径四十センチ、肉厚九センチ、幅二十センチ。砲身を輪切りにした断面だった。
内側のライフリングは摩耗して、角が丸くなっている。外側に近いところに、細い黒い線が、一本、走っていた。
「第三門の砲身だ。三週間前に、割れたのだ」
「知っている。バルドの注文票に、書いてあったからな」
「おお、あの商人か。……では、お前が受け取った時点で、お前は、もう知っていたのか。三門が、同じ日に割れる、と」
「三門が同じ日に割れることまでは、知らなかった。……ただ、国境要塞の砲が鳴る日が来ることは知ってた。原作の第三章は、あの要塞の砲撃から始まるんだ。理由までは、どこにも書いてなかったがな」
だから、砲身用の当て板だけは、先に削っておいた。作業台の下から、布にくるんだ当て板の束を引き出して台の上に置くと、ヴァルナの目が、包みと俺の顔のあいだを二度往復した。
俺は拡大鏡を、砲身の断面に当てる。
黒い線の周囲に、年輪のように細かい縞が走っていた。疲労縞だ。亀裂が一回の負荷で、ほんの少しずつ、前へ進んだ跡になる。
縞の間隔が、外側へ向かうほど、狭い。
狭い、ということは、それだけ亀裂が速く進んだ、ということだ。割れる直前に近づくほど、ひび割れの足は速くなる。
数えた。五十本まで数えて、そこで止めた。
「撃った数は?」
「千百二十発は、ざっとじゃな」
「一日にか??」
「一門で、その数だ。日の出から日没まで、二十分おきに一発ずつ。……皇帝陛下のお達しだ。国境の向こうに、帝国の砲声を聞かせ続けるためのな」
「祝砲——か?」
「祝砲という名の、威嚇だがな」
原作の第三章、『国境要塞の砲撃』は、十秒程度のムービーで終わる。
煙を上げる砲身と、叫んで逃げる兵と、画面に流れる『戦役、開始』の文字。砲身の中身は、ムービーに映らない。掲示板では、『帝国が先に撃った』派と、『聖王国が撃たせた』派が、十二年、終わりのない論争を続けていた。
あのムービーも、原作では、イベントを受けたプレイヤーの画面にだけ流れた。受けなければ、砲は撃たれない世界だった。今は、誰も受けていなくても、砲は割れる結果になる。
どちらの説も、砲身の中のひび割れには触れなかった。誰も、そこを見る機会がなかった。
「この縞を見ろ。割れる前の二十発で、ひびが十ミリ進んでる。その前の二百発で、三ミリだ。伸び方が、加速してる」
「……分かるのか、それが」
「二十分おきに、同じ場所へ、熱を入れる。冷える前に、また撃つ。鉄は、その繰り返しに耐えない。ひびが、一ミクロンずつ育って、ある日、一気に走る」
ヴァルナは、拳を握った。
焼けた皮膚が、白くなるほど力が入っていた。
「第一から第三門は、同じ魔導炉から出た。……残りの九門は、そのあとの鋳込みだ。魔導炉が違う。寿命も違うと、私は信じていた」
「同じ週に鋳込んだものか?」
「……ひと月違いだ」
「ひと月違いなら、同じ日に作ったのと変わらんだろうな。同じ砲身を、同じ日に使い始めて、休まず撃つ。九門とも、あと十日もたずに、順番に割れる」
格納庫に、風が通る音だけが残った。
ヴァルナの喉が、一度、動いた。
「止めようとした。わしは上に、祝砲を止めてくれ、と。……だが、止めれば、帝国が怯えたと思われる。陛下の面目に関わる、と言われてな……」
「割れたら、もっと関わるだろう?」
「その通りだ。だが、私は、工房長でしかない。上限レベル四十七の、しがない工房長だ」
壁際で、声がした。
「あの、……もし、よろしければ、ですが」
ミナだった。
鑑定士見習いの彼女は、作業の邪魔にならないように、柱の影に立っていた。目だけは、ヴァルナの腕と、胸と、顔を、順番に追っていた。
彼女は小さな鑑定の札を、おずおずと差し出した。
「師匠から、鑑定の札を預かっています。……見ても、いいでしょうか?」
「構わぬぞ」
札が、淡く光った。
ミナは、読み上げた。
【天職 工房長 Lv.46 上限47と推定】
【筋力 B 器用 A 敏捷 D 体力 B 魔力 D】
「……上限四十七、って出ています。あと、一つは上げられるんですね」
「知っている」
ヴァルナは、顔色も変えずに頷いた。
「二十年かけて、四十六まで来た。あと一つで、終わりなのだ。だが、八十には、届かぬ。三十三、足りぬな」
「八十——」
「騎兵の整備には、八十が要ると聞いた。帝国の工房にも、そういう記録がある。……だから私は、騎兵を直せぬ。砲の尾栓を打ち、砲身を鋳て、その程度の工房長なのだ」
ゲーム上の整備資格は、修理職がLv.80に達した時に解放されるスキルだった。
NPCの工房長は、どの町でもLv.47と表示されていた。飾りの数字だった。プレイヤーが近づいても、一度も動かなかった。
今は、動いている。動いて、止まる。上限四十七のまま、二十年かけて。
「俺は、上限が九十九だった」
「……聞いた。あの子が、そう言ったからな」
「上限は、言葉通りの上限じゃない。外れる可能性がある」
「超えることができるのか――?」
「ああ。俺の場合の条件は、四千日以上の整備だ。毎日、休まず、同じ仕事を、同じ丁寧さでやることで達成できた」
ヴァルナは、顔を上げた。
焼けた目の奥が、ほんの少しだけ、揺れた。
「私は、あとさらに二十年かかる、ということか?」
「あと一年か、あるいは十年かもしれん。俺は一人でやった。お前には、教える奴がいるだろう? もし魔導騎兵の整備をしたいなら、あきらめないでコツコツやることだ」
その時、背後から声が飛んだ。
「ちょっと待たんか!」
ガウス爺だった。
腕を組んだまま、ヴァルナの背中を睨んでいる。
「おい、ロッシュ。さっきから黙って聞いとれば、砲身を鋳造で作る、と言ったな」
「言った」
「鍛造にせんかったから、割れたんだ。四十年前に、わしの師匠が言っとった。砲身は鍛え上げるものだと。鋳物は、根本が弱くなるでな」
「それは、貴殿の師の主張であろう。私の師は、こう言っていた。鍛造は継ぎ目から割れる、鋳造は、均一に割れる、と」
「均一に割れる、など、聞いたことがないぞ」
「ヴェルトン殿こそ、継ぎ目が割れる、など、実際に見たことはあるか」
「あるとも! 四十年前に、わしの目の前でな!!」
二人の声が、格納庫の天井に反射して、どんどん大きくなる。
ガウス爺の指が、ヴァルナの鼻先を指している。ヴァルナの腕は、エプロンの腰の工具を握っていた。ハンマーの柄が、握りの中で鳴っている。
「どっちも、間違ってる」
俺が言うと、二人が同時に黙った。
「鍛造も鋳造も、関係ない。割れた原因は、冷えないうちに撃ち続けたことだ。どんな鉄でも、同じ場所を同じ温度で、千回以上叩かれたら、疲れるもんだ」
「……では、四十年の議論は?」
「お前たちは材料の話をしてた。撃ち方の話をしてなかった。どっちも、半分ずつ正しい。半分ずつ間違ってるということだ」
二人は、顔を見合わせた。
ガウス爺の方が先に、鼻から長い息を抜いた。
「……半分ずつ、か。なんとも、すっきりせぬ腹の立つ答えだな」
「ふん。同感だ」と、ヴァルナも渋い顔をした。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「まあ整備はやってやる。ただし、条件がある」
俺はヴァルナの目を見た。
「一つ。残り九門の祝砲を、今日から止めさせろ。止められないなら、俺が行って止めるぞ」
「陛下の許しなく、止めることは無理だ」
「じゃあ、俺が止めてこよう。許しは、お前が後から取れ。砲身は、許可より先に割れるからな」
「……私が、陛下にか。うむ……分かった」
「二つ。俺が診る間、要塞の工房員を全員、俺の下につけろ。六人でも、六十人でも多ければ多いほうが良い」
「六十人は、おらぬ。できて二十三人だ」
「二十三人でいい。三つ目はな――」
俺はヴァルナを見た。
「俺が診るのは、砲だけだ。帝国の旗じゃない。戦役が始まるなら、始まる前に、砲を全部直す。始まったあとに、どの旗の下で撃たれるかは、俺の仕事じゃないし、責任は取らん」
ヴァルナは、静かに頷いた。
その横で、フィーネが小さく、口を開きかけて、閉じた。
「フィーネ」
「……いえ。分かっています。整備は、国を選ばない」
「そうだ」
「ただ、その、私の家は、帝国との国境で、大勢を亡くした家で。……少しだけ、考える時間をください」
「いくらでも考えろ。ただ、出発は明日だぞ」
彼女は、うつむいて、小さく笑った。
それから、顔を上げた。
「はい、考えました。……行きます。乗り手が、国を選んではいけない日があると、今、分かりました」
ツギハギを見上げる彼女の目が、昨日より少し、強かった。
食事のせいではない。選んだ人間の目だった。
その時、町の入口の方で、馬の嘶きがした。
全員が振り向いた。
帝国の旗の下から、一頭の軍馬が、泡を噴きながら駆けてくる。乗り手は、鎧の肩を砂で白くした若い兵だった。境界杭の外で、馬から転げ落ちるように降りて、膝をついた。
「ロッシュ工房長! 緊急にございます!」
ヴァルナが、杭の外へ走った。
兵は、息も整わないうちに、叫んだ。
「第四砲が、先ほど、割れました! それと、国境の向こう側に、聖王国の巡察隊が、……砲声を聞いて、進軍を始めたと!」
ヴァルナの顔が、一瞬で灰色になった。
「……誰が、撃った!? 撃ったのは、どちらの砲だ」
「撃っておりません、工房長。割れただけです。ですが、聖王国側は、そうは見ておらず」
戦争は、整備事故から始まる。
それは、原作のどこにも、書かれていなかった。
俺は、工具袋を肩にかけ直した。
「フィーネ。ツギハギを出すぞ。サク、お前の足が要る。先行して、聖王国の巡察隊の位置を調べてきてくれ」
「分かりました」と、サクの平らな声が即座に返った。
「六号、お前は俺の隣だ。ミィル、水筒に水を満たせ。ガウス爺——」
「何だ」
「町の留守を頼む。ヨナ、ミナ、それともう一人、爺さんの言うことを聞いてしっかりやれよ」
「は、はい!」
三人の声が、揃った。




