第19話 手が届かない場所のために
部品庫は、記録の間の真下にあった。
棚が三十段、奥へ向かって続いている。炉心工房の隣だけあって、ここにあるのは魔導炉の部品ばかりだった。濾過板、冷却管、整流子、予備の炉心の殻。どれも手入れされて、棚ごとに油紙で包んである。
六号が歩くたびに、右膝の新しい部品が、カチ、と小さく鳴った。
「濾過板の予備は、九枚であります。補助炉用が三、主炉用が六。バイパスに使える配管は、これだけ」
台車に積まれた配管は、細くて短いものばかりだった。
予備の太い管は、半年前に使い果たしている、と六号が低い声で言った。
「ひとつ聞く。魔導炉に魔晶石を十個渡した奴は、いるか」
「三度、試しました。当機が。一号様が、渡せと仰せになったので」
「結果はどうだった?」
「濾過板が弾きます。魔晶石は、補助炉に入る前に、板の上で止まります。記録しています。三回とも、同じ位置であります!」
原作の『機王の目覚め』は、魔晶石を十個渡せばいいだけのおつかいクエストだった。
渡した瞬間に、一号の体力ゲージが満タンになり、右半身が動き出して、機王のイベントムービーが始まる。ゲームの中では、物は渡せば入る。入口の板が詰まっているかどうかを、ゲームは計算しなかった。
クエストの手順が、そのまま通るはずだった。
通らないのは仕様が変わったからではなく、物理がついてきたからだ。
だから俺は、ザルツを出る前の晩に、荷の底へ調律用の当て板を二十枚と、測り棒を一本入れておいた。十個渡せば動き出すのはゲームの中だけだと、出発する前から分かっていたからだ。原作のムービーは魔晶石を受け取った瞬間に一号を立ち上がらせたが、その手前で詰まっている板を誰かが掃除しなければ、石は入口で止まる。出発の朝、十二号に「なぜ、そのようなものを」と聞かれて、俺は「要る気がする」とだけ答えた。答えの中身は、今ここで、濾過板の上に乗っている。
「ねえ、ねえ、あなたのこと、六号さんって呼んでいい?」
棚の陰から、ミィルが顔を出した。
継接を降りてから、ずっと六号の後ろをついてちょこまかと歩いていた。小さい尖った耳が、六号の歩幅に合わせて小刻みに揺れている。
「構いませぬぞ。当機は六号であります」
「じゃあ六号さん。水を呼んであげるね。冷却するの、必要でしょ。ほら、こうやって、手のひらを……」
ミィルが手を差し出して、六号の前腕に触れた。水呼びの呪文を、古い言葉で唱える。
だが何も起きなかった。
水の気配が、六号の腕に触れる寸前で、すっと逸れた。
「あれぇ?」
「当機の体には、刻印回路と同じ干渉防止が、全身に施されております。精霊術は、効きません」
「え、効かないの? なんで返事しないの。水が、返事してくれないんだけど」
「当機は、機人であります」
「分かってるよ! でも、精霊って、どんなものにも一回は返事するもんなんだよ! 石にだって、岩にだって!」
「当機は、石でも岩でもありません」
「ううう……」
肩を落とした森霊の少女を、六号は無表情の面のまま見下ろしていた。それから、小さな声で言った。
「……お手伝いの意思は、記録します。水以外の形で、お願いしたいであります」
ミィルは顔を上げて、少しだけ耳を立てた。
六号の面が、一枚、入れ替わっていた。ほんの少しだけ、口の端が上がった顔だった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
作業は、夜明け前から始まった。
一号の胸の前面装甲を外すと、右下に補助炉の点検口が現れた。四本のボルトの内側に、直径十五センチほどの円筒の魔導炉が、青白く脈打っている。
その隣に、濾過板が差し込まれていた。黒く焦げて、縁が溶けた樹脂で固まっていた。
「手順を言う。一度で覚えろ」
台座の脇に、俺と六号が並んで立った。
十二号が、一号の背後に控えて、右の肩を支えている。動かない右腕が落ちて、補助炉の線に触れないようにだ。
「まず主炉の予備ポートから、バイパスを補助炉の負荷側へ引く。これで補助炉を止めても、記憶の電源は主炉から回る。ただし、バイパスを繋ぐ瞬間と、板を抜く瞬間に、電圧が揺れる。猶予は、そうだな十二秒だ」
「十二秒、でありますか」
「その間に、板を抜いて、新しい板を入れる。一枚入れるのに、片手で四秒。お前の右手と俺の左手で、同時にやるぞ」
「当機の、右手が――」
「お前だ。俺一人の手じゃ、間に合わん」
六号の顔の板が、がたり、と入れ替わった。不安げな顔だった。
「当機は、整備Cであります。人の整備長の補助に、足る水準とは」
「お前のCは、八十七年の積み重ねだ。足りる。ただ、一つ条件がある」
「条件」
「手が震えたら、震えたと言え。黙って震えるな。声に出せば、拍子を合わせられる」
彼は、少しだけ首を傾げた。
それから、機人らしくない、頼りない声で答えた。
「……震えます。すでに」
「よし。それなら大丈夫だ」
大丈夫ではない。ただ、そう言った方が手は動く。
「一号。話してくれ」
「……何から、話せばよい」
「最初からだ。三百十二年前の、最初の一日」
一号のスリットが、ゆっくり、上を向いた。
「我は、目覚めた。……暗い部屋に、いた。……扉が、なかった。壁に、手を当てて、……歩いた。……四日、歩いた」
俺は、バイパスの端子を主炉の予備ポートに差し込んだ。
カチ。
「……ほかに、誰も、いなかった。……五日目に、……二体目が、目覚めた。……我は、その者の、背中を、見た。……背中に、蓋が、あった」
ボルトを四本抜く。ゆっくり、一本ずつ。
「……蓋は、……自分では、開けられぬ位置に、あった。……手が、届かぬのだ。……何度やっても」
補助炉の端子に、バイパスの反対側を繋ぐ。
繋いだ。青い脈が、一瞬だけ強く跳ねた。
「……我は、それを、……作りの欠陥だと、……思った。……三百年、そう、思っていた」
「欠陥じゃなかったのか」
「……違う、と、……最近、思う」
六号の右手が、濾過板の取っ手に掛かった。
俺の左手が、反対側の取っ手に掛かる。
「六号。カウントを取る。いち、にの、でいく」
「はい」
「いち」
十二号が、片手で一号の右肩を支えたまま、小さく頷いた。
「にの」
引いた。
ズッ、と濾過板が抜けた。焦げた樹脂が糸を引いて、補助炉の口から引きちぎれる。
補助炉の青が、一気に暗くなった。
一号の声が、途切れた。
「……造り手、は……」
スリットの光が、ちかちかと瞬く。
十二秒の始まりだ。
「六号、板!」
「入れます!」
新しい濾過板を、斜めに差し込んで、真っ直ぐに起こす。
一枚目の溝に、板の縁が噛む。二枚目の溝。ここで引っかかった。縁の角度が、〇・五度ずれていた。
「一号、続けろ! 造り手が、どうした!」
「……造り……手は……我らに……背中に……」
「六号、板を戻せ! 半分だけ!」
「はい!」
板を半分引いて、角度を直す。
六号の手が、小刻みに震えているのが、板を伝って俺にも分かった。
「震えてるな」
「震えています!」
「ちょうどいい。拍子が取れる。呼吸に合わせろ。吸って」
「吸います」
「吐く、と同時に押せ」
「はい」
押した。
カチン。
板が、奥の溝に収まった。
補助炉の脈が、青から、白に近い青へと立ち上がる。
一号のスリットが、一度、真っ白に光った。それから、ゆっくりと、いつもの黄色に落ちた。
「……造り手は、……我らの背中に、蓋を、付けた」
言葉が、途切れずに続いた。
「……自分の手では、開けられぬ、位置に、……である」
「ああ」
「それは、……欠陥ではなかった。……誰かに、開けてもらうために、……そこに、あるのだ。……我らは、……互いの背中を、見るために、……作られた」
一号の動かなかった右手の指が、一本、ぴくりと動いた。
二本。三本。
拳が、ゆっくり、握られた。
十二号が、一号の肩から手を離して、一歩下がった。
六号は、板を押さえたまま、固まっていた。
「修理完全完了、もうどこも壊れていない」
誰も、何も言わなかった。
六号が、すぐに記録帯を取り出して、続きの作業に入った。
「濾過板の締結トルク、確認します。バイパスの撤去は、主炉が安定してから三分後であります」
「それでいい。続けろ」
彼の声は震えていた。ただ、手は動いていた。
それで十分だった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
翌朝、一号は自分の足で歩いた。
二メートル十の巨体が、台座から降りて、帯のカーテンの間を、ゆっくり歩く。右足を踏み出すたびに、金の象嵌が、静かに光を返した。
十二号が少し離れて付き添い、六号は歩調を計算して、数字を小さく呟いていた。
「整備長殿」
一号が、足を止めた。
「機都は、貴殿に、借りができた。……我らは、……同盟を、申し出る」
「同盟」
「機人は、……貴殿の工房に、炉心を、優先して、……供給する。……代わりに、……貴殿は、機都の、整備を、……」
「条件は一つだけ飲む。整備は、人を選ばない。機人にも、人間にも、エルフにも、同じ速さで診る。これは変えないぞ」
「……承知した。記録する」
それから、一号は、ミィルの方へ顔を向けた。
「ミィル殿。……貴殿が、森霊の、使者であるか」
「えっ、あたし? うん、そう、だけど」
「魔晶石の質が、落ちた。……原因は、森にある、と、……我らは、見ている。……貴殿に、……この石の匂いを、……もう一度、見てほしい」
ミィルは、手のひらにのせた小さな魔晶石に、鼻を近づけた。
鼻をひくつかせた。耳が、少しずつ下を向いた。
「……ごめん。やっぱり、森の、奥の匂いだ。根が、……根が、もう、生きてないんだ」
その言葉を、フィーネは何も言わずに聞いていた。
窓のない地下の空洞に、天井の亀裂から射す砂色の光が、一本だけ落ちていた。
その時、入口の方から、足音が近づいてきた。
カチ、カチ、と、右足首が鳴る足音だった。
十二号が、先に気づいた。
「整備長殿。来客にございます。三日前から、外門の砂の中で待っておいでになった者にて」
現れたのは、機人だった。
十二号とは違う。外装が艶のある白で、関節だけが黒い。背丈は百七十五センチほど。顔は固定された面で、口は動かない。声は、胸の中央の格子から出ているらしかった。
歩くたびに、右足首の軸が、カチ、カチ、と鳴る。
左腕が、肘から先、だらりと垂れていた。
「雪村朔です」
平らな声だった。感情が乗っていない分、言葉を選んで話しているのが分かった。
「斥候職、サクと呼ばれています。……整備の人がいると聞いて、三日前から、外で待っていました。入っていいか、分からなくて」
「入っていい。そこに座れ」
「ありがとうございます。……あの、腕を、診てほしいんです」
俺は、解析眼を向けた。
【対象:転移者 筋力D/器用C/敏捷B/体力C/魔力E】
六号が、横から声を落とした。
「整備長殿。この方は、当機の体と、構造が違います」
「ああ。自己修復の回路が、ないな」
「はい。機人の体でありながら、回路が、空であります」
「分かってる。診る」
左腕の肘に、掌を当てる。
アクチュエータの固定ピンが、一本、半分だけ抜けていた。そこから潤滑油が滲んで、関節の中へ砂が入り込んでいる。
俺は、予備のピンを一本、工具袋から出した。
洗う。差し込む。叩いて収める。
三分で終わった。
サクは、左腕を持ち上げた。
肘が、滑らかに曲がった。指が、一本ずつ、ゆっくり開いて、握り直された。
「……治った」
「治ってない。直しただけだ」
「えっ?」
「お前の体は、治る体じゃない。壊れたら、誰かに直してもらうしかない。六号の体なら、自分で治る回路があるが、お前のにはないようだ」
サクの面は動かない。ただ、胸の格子から出る声が、少しだけ揺れた。
「はぁ、ゲーム当初、種族をマシンにすれば、飯がいらないから、楽だと思ったんです。実際、今の状態で腹が減る人たちが、街道で倒れてるのを見て。……俺は、減らないから、助かった、って」
「ああ」
「でも、怪我が、治らなかった。三週間、腕が動かなくて。回復術師の人に頼んでも、全部、効かなくて」
「そうか」
それ以上、言わなかった。
その場で慰めるのは、俺の仕事ではない。直したから、次は、続きを聞くだけだ。
「……ついて行っても、いいですか」
サクが、顔のない面を、こちらへ向けた。
「俺、走るのは速いので。斥候の技能も、役に立つと思います。それに、時々、診てもらえると」
「燃料代がかからないのは、いいな」
「そこですか?」
「そこだろ、どー考えても」
六号が、記録帯に何か刻んでいた。刻み終わると、俺の前に立って、深く頭を下げた。
「整備長殿。お願いがあります」
「なんだ?言ってみろ」
「当機を、弟子にしていただきたいであります。当機は、自分の背中に手が届きません。ですが、貴殿の手は、届きます」
彼の顔の板は、無表情に戻っていた。
ただ、握り締めた両手の指が、震えていた。
「弟子は取らない。……整備は、二人一組だ。お前の背中は、俺が開ける。俺の仕事の後ろは、お前が見る」
「それは」
「相棒だ」
六号の顔の板が、一度、ばたりと全部入れ替わった。
最後に残ったのは、表情のある、泣き出す寸前のような顔だった。
「……記録します。この日付を、当機の、最初の日として」




