第18話 止め方は、背中にある
転移から三十日目。整備記録の日数は、四千四百十日になっていた。
砂丘の稜線を越えた時、十二号が足を止めた。
継接の肩から見下ろす先に、地面が裂けていた。砂漠のただ中に、幅百メートルほどの谷が口を開けて、その底へ向かって斜面が落ちている。谷の突き当たりが、機都の外門だった。
門は閉じていなかった。両開きの鉄扉が片方だけ内側へ倒れ、その手前に、三つの巨体が立っている。
門の奥から、黒い煙が一本、風に流されずに昇っていた。燃えているのは潤滑油だ。匂いが、ここまで届く。
「あれが、門番機にございます」
十二号の声が、ふだんより低く平らになっていた。
「門番機。守りの号の者たちにございます。全高は六メートル、四百十二号より四百十四号まで。門を守る以外のことは、何もできぬように作られております」
「何もできないのか?」
「はい。守ることしか、教わっておりませぬゆえ――」
俺は解析眼を向けた。
【対象:機人 筋力A/器用C/敏捷D/体力A/魔力C】
数字はそれだけだ。俺がいつも読める範囲だった。
ただ、数字の外で、三体の動きが気になった。四角い胴体に、短く太い二本脚。腕は膝まで届くほど長く、拳の甲に打ち込み用の突起がついている。頭はなく、胸の上に水平のセンサー帯が一本だけ走っていて、それが白く光ったまま動かない。
そのうちの一体が、右腕を振り上げた。
そして振り下ろす。門の脇の岩壁を殴る。引く。次に左腕を振り上げる。また、振り下ろす。
「ミィル、数えてくれ」
「数える? 何を数えろっていうの?」
「あの腕が一回上がってから、次に上がるまで、だ」
「えっと……いち、にい、さん、しい。……四だ。四つで戻ってくる」
「他の二体はどうだ?」
「同じ。同じ四つだよ。三匹とも、ぴったり揃ってる」「俺のカウントと同じか」
揃っている、という点が答えだった。
敵を見て動いているなら、拍子が揃うはずがない。同じ命令を繰り返しているだけだ。
原作の第二章、『機王の目覚め』には、こいつと同型の門番機が出てくる。
あの章は、魔晶石を十個渡せば機王が目を覚ますだけの、短いお使いイベントだった。門番機は暗転の間に眠らされて、戦闘は一度もない。攻略掲示板には、門番機を倒すと機人の好感度が下がる、という報告が一行あって、倒した人間が少なくて話が終わっていた。
原作では、このイベントは受注した本人にだけ起きる個別の出来事だった。誰かが機王に話しかけて、はじめて動く。受ける者がいなければ、機王は何も起こらないまま、イベントの手前で眠っている。
今は違う。受ける者がいなくても、時間は進む。誰も来なかった三十日が、そのままこの現象に通じていた。
その下に、誰も気に留めなかった書き込みが、もう一行あった。
『背中に蓋がある。開かない。テクスチャか?』
俺は、その蓋を知っている。
「フィーネ、止められるか」
「止めるだけなら、足を払えば倒せます。ですが、あれは機人なんですよね。倒したら、壊れませんか?」
「壊れる。壊したくない。壊したら、中の人間が死ぬからな」
「中の、人間?」
「違うか、十二号」
「……いえ。違いませぬ」
十二号は、谷底を見下ろしたまま続けた。
「我らの体には、肉も血もございませぬ。されど、名はございます。四百十二号は、門の外に咲いた小さな花を、毎朝見に出る者にございました」
門の足元に、動かない機人が四体、仰向けに倒れていた。
腕が肩から引きちぎられた者。胸の装甲が内側から割れた者。どれも、外へ出ようとして門番機に止められたのだろう。倒れた姿勢が、砂を向いていなかった。空を見ていた。
フィーネの手が、操縦桿の上で一度、握り直された。
ハッチの縁から覗いた横顔に、昨夜までの青さは残っていなかった。腹に飯を半分入れただけで、人の顔はここまで戻るということだ。
「背中の蓋、って言いましたよね」
「ああ。四本のボルトで留まってる。ただの六角じゃない。六つ葉の星形だ」
「ビットがなければ、外せませんね」
「もちろん、持ってる」
俺は工具袋の底から、小さな革の包みを出した。
六つ葉のビットが、三十本ほど入っている。ゲーム中、十二年かけて溜まったものだ。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
斜面を下る間、足の下で砂が崩れた。
ザリッ、ザリッと、ツギハギの足裏が砂を噛んで、谷の底が近づく。三体の門番機が、同時に顔のない胸を向けた。センサー帯が白から赤へ、赤から眩しい白へ、一度だけ点滅した。
「来ます!」
一体目が走った。
歩幅は小さいのに、一歩ごとの地響きが重い。右腕が振り上がる。四つ数えるうちの一つ目だ。
「左へ切れ! 叩かせろ、受けるな!」
「叩かせるんですか!」
「拍子を合わせる! 腕が戻ってくる間だけ、背中が空く!」
ガンッ。
拳が、ツギハギの左の前腕装甲を打った。受ける位置は、六十二ミリの第三装甲ではなく、その少し外側だ。厚みが三十ミリしかない箇所で、衝撃だけ逃がして装甲を残した。フィーネの腕は、俺の指示の一つ先を、もう動かしていた。
軸足旋回。
ツギハギの左脚が地面に杭を打ったように止まり、体が半回転する。
門番機の体も一緒に回った。叩いた腕を引き戻す間に、背中の半円の蓋が、こちらへ向く。
「ミィル、掴まれ!」
「えっ、えっ、どこによ!」
「ここだ!」
彼女の手を、肩の冷却管へ叩きつけるように握らせて、俺は肩から跳んだ。
門番機の背中に、肩から着地する。鉄の背が、足の下で上下に揺れた。蓋は、直径一メートルほどの半円で、四隅に星形の穴が空いていた。
ビットを差す。ラチェットを回す。
カチ、と一回転。
上がっていた腕が落ちる。
四つのうちの二つ目だ。振動で体が浮いた。蓋にしがみつく指が、ずるりと滑る。
三つ。四つ。
引いた腕が、もう一度上がる。
背中が、いちばん揺れない瞬間が来る。拍子の頭、腕が最も遠くに持ち上がる刹那だ。
カチ、カチ。
二本目。三本目はさらに簡単だった。振動が身体に染みたせいで、拍子の頭を指が覚えた。
四本目のボルトだけ、頭が潰れていた。錆びて、六つ葉の谷が丸くなっている。
「浸透油!」
小瓶を逆さにして、ボルトの根元に一滴垂らす。十五を数える間に、染み込む。その間に拍子が三周した。
叩き込むようにビットを差して、全体重をかけて回した。
ギッ。
四本とも抜けた。
蓋が、背中から外れて、後ろへ落ちる。
中は空洞だった。
直径三十センチほどの穴の奥に、赤く塗られた太い把手が一本、横に倒れて収まっている。
機人が、自分の背中に手を回しても届かない場所だ。
届かないように作ってある。他人の手が必要な位置に、わざわざ止め方が入れてある。
把手を、握って引いた。
フゥゥ……ン。
内側で、炉が息を抜くような低い音がした。
センサー帯の白が、すっと灰色に落ちる。上がりかけていた腕がそこで止まって、ゆっくり下に垂れた。門番機は、膝を折り、両手を砂について、頭のない上半身を前に倒した。
眠ったように、見えた。
「一体、停止! 次、右からだ!」
「右ですね! 二体目、こちらを向いています!」
フィーネはもう、二体目の腕の根元を押さえていた。
ツギハギの両手が、門番機の前腕を左右から挟み込んで、向きを力ずくで捻る。背中が俺の方へ回る。説明をしなくても、彼女は分かった。
二体目の処理は、早かった。
ボルトが錆びていなかった。四本とも、拍子の頭で一回転ずつ外れた。把手を引くと、一体目と同じ音が出て、同じ姿勢で止まった。
残ったのは三体目である。
三体目は、ツギハギを見ていなかった。
俺たちの方ではなく、門の方でもなく、その手前に立っている十二号を見ていた。
十二号が、斜面を下りてきていた。いつの間にか、ここまで来ていた。
「十二号! 下がれ!」
「下がりませぬ」
彼は、三体目の振り下ろした腕の下へ、体を入れた。
右腕が降りてくる。十二号の左の前腕が持ち上がって、それを受ける。ミシ、と、装甲が内側へ凹む音がした。
「十二号!」
「お待ちを。我は、手を貸しておるのではございませぬ」
声は平坦なままだった。体は、拳の重みで半歩、砂に沈んでいた。
「我らの掟では、長の許しなく同胞を止めることは、適いませぬ。ゆえに、整備長殿の手による停止と、記録してくださいませ。我は、そこに立っていただけにございます」
理屈としては、ただの言い訳だった。
ただ、その言い訳を使えるのは、百四年、掟の中で使者を務めてきた者だけだった。
「分かった。記録に残す。三十秒、そこで立ってろ」
背中に回る。ボルトは三本、すぐに抜けた。四本目は、また頭が潰れていた。
浸透油は、もう使い切っている。
俺は、ビットの尻にハンマーの柄を当てて、一度だけ叩いた。
六つ葉の谷が、鉄の中に噛み込んだ。そのまま回す。
ガリッ。
外れた。
把手を、引く。
フゥゥ……ン。
三体目の腕が、十二号の左腕に乗ったまま、止まった。
門番機の重みが前腕から抜けて、十二号は片膝をついた。凹んだ装甲を、右手で撫でる。
「……整備長殿。記録は」
「後でゆっくり書け。とりあえず、その腕を診せろ」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
外門を抜けた先は、下りの坂だった。
岩を螺旋に刳り抜いた縦坑が、地の底へ向かって、ぐるりぐるりと降りていく。幅は二十メートルほどあって、ツギハギが通れる。壁面に、薄青い筋が血管のように走っていた。魔晶石の脈だ。光は弱い。
降りるにつれて、空気が冷たくなった。
音が、どこにもなかった。
機都の底に着いた時、それが分かった。
そこは、巨大な空洞だった。直径は二キロあるか、ないか。円筒の壁面に、段々畑のように街が積み重なっている。高さは見上げて数えきれない。段ごとに通路があって、通路に沿って、小さな窪みが並んでいた。
窪みの中に、機人が一体ずつ、立っていた。
身じろぎもしない。目の灯が消えていた。
数百、いや、千を超えている。
「――節約にございます」
十二号が、先に言った。
「魔晶石の配給が、半分を割りました。灯を落とし、立ったまま、動かずにいる者が、増えております。壊れたのではなく、待っておるのです」
「待ってる、って」
「補給が戻るのを。それとも、戻らぬのを」
フィーネが、ツギハギの操縦席から身を乗り出して、窪みの列を見上げていた。唇が少し震えていた。
「……人、なんですね」
「ああ」
「ここにいるのは。全部、人です」
ミィルは何も言わなかった。
ただ、肩の上で、尖った耳が下を向いていた。彼女の鼻先は、空洞の底に立ちこめている匂いを、何度も拾っていた。
「オサム。この魔晶石、匂いがおかしい」
「どんな」
「樹液。……腐った樹液。森の奥の、根のところの匂い。もう、生きてない木の」
それは、あとで聞く話だった。
今は、まず、目の前の人を診る。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
機都の底に、記録の間があった。
円筒の壁一面に、細い金属の帯が、何万本もぶら下がっている。カーテンのように重なって、帯の一本一本に細かい刻みがある。ツギハギを降りた俺たちが歩くと、帯が触れ合って、乾いた小さな音を立てた。
その中央に、低い台座があった。
一体の機人が、座っていた。
全高は二メートル十。ほかの機人より大きい。黒に近い鉄色の体に、関節の継ぎ目ごとに金の象嵌が走っている。顔の板には、縦に細いスリットが一本。左手が自分の右肩を、握り締めるように支えていた。
右半身は、動かない。
座った姿勢のまま、肩から指先まで、重さを預けきっていた。
「……来たか」
声は低く、一音ごとに間があった。
「噂の、整備長、であるな。……名を、聞こう」
「オサムだ。鍛島修。お前が一号だな」
「いかにも。……この都の、長、一号である。……門の三体を、止めたと聞いた」
「止めただけだ。壊してない。腕の凹みはあるが、全員、直せる」
「……記録しておこう」
一号の左手が、肩から離れて、台座の脇の帯に触れた。
刻む動きは、見えなかった。ただ、帯の上に、細い線が一本、増えていた。
「三体の名は、四百十二号、四百十三号、四百十四号である。……壊さずに止めた者の名は、オサム。……これまで、門番機を止めた者はおらぬ。倒した者もおらぬ。……皆、通り過ぎた」
「通り過ぎた?」
「話を聞かず、……蓋を探さず、……我らを、背景と見た」
その言い方に、批判の響きはなかった。事実の列挙だった。
一号の隣に、もう一体、小柄な機人が立っていた。
百六十センチ。真鍮色の関節が剥き出しで、顔の板は三枚が入れ替え式になっていて、今は無表情の一枚が嵌まっている。右の膝だけ、新しい部品の色が違っていた。
「六号であります。一号様の整備を、仰せつかっております」
若い男に近い声が、きびきびと響いた。
「四十日の計算をしたのは、当機であります。一号様の炉の出力が、日に〇・七パーセント落ちております。記録します。昨日より、〇・七パーセント」
「診せてくれ。胸を開けていいか」
六号が一歩、前に出ようとして、一号の方を見た。
一号の左手が、ゆっくり持ち上がって、自分の胸の中央を叩いた。コン、と鈍い音が響く。
「許す。……整備は、同じ号の者にしか、許されぬが。……我が号は、もう、我一人である。……掟の外にある、触れよ」
俺は、その胸に手を置いた。
掌に、鉄の体温が伝わる。思っていたよりも低かった。
打音点検。
ハンマーの柄で、胸の左を叩く。コン。澄んだ音が返る。主炉の音だ。ここは問題ない。
次に、胸の右下。
コ、ン。
鈍い。
音が、中で詰まっている。
「六号。ここを開けるぞ。補助炉の点検口は」
「胸の右下、四本のボルトの内側であります。ですが」
「ですが?」
「一号様は、補助炉で記憶を保持しております。補助炉を落とすと、記録が揮発します。当機は、そう記録しております」
六号の声が、低くなった。
「ご本人の三百十二年分のうち、帯に写してあるのは、最初の二百二十年のみ。最近の九十二年は、一号様の中にしかありません」
俺は、手を胸に置いたまま、一号の顔を見た。
スリットの奥で、光が少しだけ揺れた。
「……選べ、整備長」
一号が、低く言った。
「補助炉を止めて、機械として、直すか。……それとも、止めずに、人として、直すか」
「違いは」
「前者は、四時間である。……後者は、おそらく、一昼夜かかる。……そして、失敗すれば、前者より、悪い。……だが、我が記録は、残る」
一昼夜、補助炉を動かしたまま、その隣の濾過板を入れ替える。
整備士の言葉では、活線作業という。電気を落とせない設備を、電気が流れたまま触る仕事だ。針の穴を通すような手順が要る。一歩間違えれば、本体ごと止まる。
やったことは、ある。十二年、ギルドのソヴリンで、数えきれないほど。
ただ、人間を相手にやったことは、一度もなかった。
濾過板の縁を、指でなぞる。
樹脂が焦げて、黒く固まっていた。さっきミィルが言っていた匂いが、板の隙間から立つ。腐った樹液の、根の匂い。
「これは、ただの詰まりじゃない。魔晶石の質が落ちてる。直しても、また詰まる。止めて直すなら、直してそれで終わりだ」
「……それで、整備長は、どちらを選ぶ」
選ぶことは、もう、決まっていた。
止めて直した機体が、直す前と同じ性格のままで動いたことは、ほとんどない。十二年、ソヴリンの再起動のたびに、癖が一つずつ消えていくのを見てきた。レオンハルトはそれを個体差と呼んだ。俺は、個体が薄くなっているのだと思っていた。
「止めない。動かしたまま、直す」
六号の顔の板が、がたん、と一枚、入れ替わった。
目を丸くした顔だった。
「六号。バイパスの配管、今持ってこられる分を全部見せろ。濾過板の予備もだ。それと、一号」
「……聞こう」
「始めたら、話し続けてくれ。寝たら、記録が飛ぶ。三百年ぶんの話を、一晩で全部聞かせてもらうぞ」
一号のスリットが、一度、ゆっくり細くなって、また元に戻った。
「……三百十二年、整備されるとは、記録しておらぬ」
低い声が、わずかに、笑ったように聞こえた。




