第13話 修理完全完了
その報せを持ってきたのはミィルだった。
夜明け前に彼女は谷の縁の木に登って、そこで風に聞いていた。森霊の精霊術は、生きているものにしか効かない。そのため木と草と風には効く。
「整備屋。鉄が来るよ」
台の上に飛び降りて、彼女は指を八本立てた。
「八つ。……ううん、九つかな。一つだけ、すごく白いのがいる」
「白いのは見えるのか?」
「見えない。木が嫌がってる。なんだか熱いって」
放熱だ。
八枚の放熱翼を持つ機体は、この世界に一機しかない。
俺は工房の壁の紙を外した。ボルト二本で十二人が食える、と書いた紙だ。
裏に書いた。
――あと、何時間あるのか。
「ノイズ」
「ハイ」
「境界の外、どのくらいだ?」
「谷の入り口まで、十一キロ。巡航で、二時間十分、です」
二時間十分。
ツギハギを全部ばらして、組み直すには足りない時間だと思えた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「ツギハギを全部ばらすんですか?」
フィーネが工具箱を抱えたまま言った。声が裏返っていない、それが彼女の成長だと思う。
「ああ、ばらす」
「二時間で、戻せますか」
「戻せないな」
「……戻せないのに、ばらすんですか」
「元に戻すためじゃない」
俺は十メートルの機体を見上げた。
右腕はPL-21Gのもので、左脚の装甲はベヘモスから剥がしたものだ。胸の配線は二十メートルぶん引き直してある。
十二年、誰も触らなかった機体に、この十日で他人の鉄が入った。
「こいつは、部品が揃ってない状態でも動いてる。合わない部品を、無理やり噛ませて動かしてる。――だから、本当の出力が出ない」
「無理やり、ですか」
「どこかが我慢してる。我慢してる場所が一つでもあると、炉は上を回さない。安全装置ってわけだ」
ガウス爺が油布で手を拭いた。
「それを一つずつ、探して合わせると」
「合わせる。全部」
「二時間でか!?」
「二時間で、だ」
爺はしばらく俺を見ていた。
それから、工房の外へ歩いていって、大声を出した。
「町の者! 手が空いとるやつは全員来い! この鉄を磨くぞおおっ!」
返事があった。
一つではなかった。
ツギハギは、総部品が千二百十四点ある。
そのうち、十二年前の初期状態からこの機体に付いていたものは、わずか四百八十点しかない。残りは全部、俺がこの十日で拾ってきた他人の鉄だ。
ばらす順番は決まっている。外側から、荷重のかかっていない方へ。逆をやると、自重で歪んでしまう。
俺は床に白い線を引いた。頭から爪先までの形に、十メートル分の線を引く。
外した部品は、全部その線の、元あった位置に置く。
「地面に機体の絵を描いとるのか」
「置き場所を間違えると、戻せない」
「紙に書けばよかろう」
「紙は風で飛ぶ。地面は飛ばん」
ガウス爺は何か言いかけて、やめた。
やめて、自分の足元にもう一本、線を足した。工具を置く場所の線だった。四十年前の工房の方式だ。
二百六十人の町で、そのうち四十七人が格納庫に入った。
ほとんどが鉄のことは知らない。鋤と桶と荷車しか触ったことがないような人たちだ。俺は彼らに、一つずつのタスクしか頼まなかった。
「この部品を、この布で、こっちの向きに拭く。一分で一個を目安にしてくれ」
「そんだけか?」
「それだけだ。気を付けるのは――向きだけ守ってくれ、あとで組み合わせるときに余分な手間になるからな」
油の膜は、拭く向きで残り方が変わる。向きが揃うと摩擦が揃う。摩擦が揃うと、動きの渋さが揃う。
渋さが揃った部品は、炉から見ると「一つの機体」に見える。
前に会った長老会の婆さんも来ていた。
杖を壁に立てかけて、床に座り込んで、継手を一つずつ拭いている。手の甲に染みがある。重みをもった七十を越えた手だ。
「婆さん。無理はするな」
「はん若造が偉そうに、こんなもの、荷車の輪を拭いとるのと同じだわ」
「ま、そういわれりゃ同じだけどな」
「なら、無理ではないわな?」
彼女は拭いた継手を、線の内側に置いた。
向きが揃っていた。一度言っただけで、揃っていた。
ミィルは洗い桶の前から動かなかった。
百二十リットルを三十分で使い切ると、そのたびに水を呼んでくれた。
「わたし、ここから動けないんだけど?」
「動かなくていいんだ」
「ずっと水出してるだけだよ」
「水が止まったら、全部止まるぞ」
彼女は口を尖らせたまま、手のひらを桶にかざし続けた。
尖らせた口の端が、少し上がっていた。
バルドが戻ってきたのは、残り一時間半のときだった。
馬で来た。山羊ではなかった。荷車に四トン分の乙が積んである。
「取り置きを、引き取りに参りました」
「今日はまずい。騎士団が襲ってくる!」
「存じております。街道で見ました」
「お前、それ見て、わざわざこっちに来たのか」
バルドは荷車から飛び降りて、襟の札に触れた。商人の札だ。
「私は誇りをもって十九年、鉄屑を買ってきました。――買った先が無くなると、次に買う場所がなくなります。私は、商いの話をしていますので」
「そうか、商売のな――」
「はい。商いの話です」
彼はにやりと笑うと、荷車の幌をはいだ。
乙の下に、甲が積んであった。継手が六百個。ボルトが九百本。全部、径ごとに分けて縛ってある。
「隣町の墓場で買い集めました。……値は、生き延びてからで結構ですよ?」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
残すところあと二十分で、最後の一つに行き当たった。
左の肩だ。
ベヘモスから剥がした装甲板が、三ミリ厚い。三ミリぶん、肩の受けが押し返している。
押し返しているあいだ、炉の動力が十分にいきわたらない。
これを削るには時間が足りない。当て板で逃がすには、逃がす先がない。
「ノイズ」
「ハイ」
「この三ミリ、どうにかなるか?」
「なりません」
「もう少し何かいい案とかないのかよ」
「計算は、〇・〇二秒で、終わりました。残りは、整備長を、待っていました」
俺はグラインダーに手を伸ばして、途中で止めた。
削れば三十分かかる。三十分後には、ソヴリンが谷の中にいるだろう。
そこで、思い出した。
十二年前。工場の夜勤で、同じことがあった。厚い板が入ってしまって、締められなくて、終電が無くなる時刻だった。
あの時、俺は板を削らなかった。発想を変えて、受けの方を、叩いたのだ。
思い出すなり、俺はハンマーを取った。
肩の受け金具に当て木をして、三ミリぶんの逃げを、内側へ打ち込む。鉄は削らなくても、動く。叩いた場所は弱くなる。弱くなるが、今日だけなら保つだろう。
七回叩いた。
七回目で、装甲板が音もなく座った。
そして、整備画面が出た。
【XG-00 全部位の整合を確認】
【残存不整合:0】
よし、ゼロだ。
十二年、一度も見たことのない数字だった。
画面が、続けて出た。
【修理職 上限到達条件を再判定】
【判定基準:高難度制覇 → 継続整備記録】
【通算整備日数:4,380日】
【上限解放 ――承認】
【隠し上位職 整備長 ――解放】
格納庫が、静かになった。
四十七人が手を止めて、天井を見ていた。何が起きたのか誰も分かっていない。俺にも、半分しか分かっていなかった。
「ノイズ」
「……ハイ」
「お前、最初から俺を整備長って呼んでたよな?」
「ハイ」
「なんでだ」
「表示が、そう、なっていたからです」
「いつの話だ」
「あの日の、最後、です。……世界が、落ちる、三十秒前。整備長の、職名が、一度だけ、切り替わりました」
サービスが終わる、その三十秒。
誰もログイン画面を見ていなかった時刻だ。全員が王都にいて、最後のレイドの戦果を数えていた。
「お前は、それを見たのか」
「見ました。……誰にも、言えません、でした。整備長が、墓場に、来るまで」
十二年の最後の三十秒に、たった一度だけ出た表示。
それを、埋まったままの機体が、ずっと覚えていた。
整備画面の下に、もう一行あった。
【完全整備 ――実行可能】
「ノイズ。これは何だ」
「整備長の、職能、です」
「使ったことがない」
「誰も、使ったことが、ありません。――解放した人が、十二年、いなかったので」
フィーネが俺の横に来た。工具箱を抱えたままだった。
「オサムさん。今の、何が起きたんですか」
「上限が外れたみたいだ」
「上限とは?」
「俺はレベル九十九で止まってた。十二年、止まってた。――だが条件が、変わったらしい」
変わった理由は分かっている。
この世界では、高難度レイドを制覇したかどうかなんて、誰も見ていない。見ているのは、何日直したかだ。
四千三百八十日。
誰も評価しなかった数字が、ここでだけ、通った。
「ノイズ」
「ハイ」
「完全整備を使うぞ」
「……整備長」
「なんだ」
「十二年、待ちました」
声が、崩れていなかった。
片言でも、カタカナでもなかった。一息で、最後まで喋っていた。
俺は手のひらを、ツギハギの胸に当てた。
冷たい鉄だった。十二年ずっと冷たかった鉄が、手のひらの下で、一度だけ脈を打った。
装甲の継ぎ目から、光が漏れた。
溶接の線に沿って、細い光が走っていく。右腕の付け根で一度止まって、俺が彫った署名の渦を一周してから、肩へ抜けた。
十メートルの機体が、首をかがめるのをやめた。
天井にぶつかる。ぶつかる前に、格納庫の屋根が自分から外れた。四十年前の継手が、順番に抜けていっただけだ。
朝の光が、まっすぐ落ちてきた。
【総合出力:――】
数字が出なかった。
出ない、ということは、量産機を基準にした目盛りの外に出たということだ。
「フィーネ」
「はい」
「ツギハギに乗れ」
「了解です!」
彼女は梯子を使わなかった。
肩の装甲を蹴って、二歩で操縦席に入った。十日前には、できなかった動きだ。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
RX-09は、谷の入り口に立っていた。
白金の装甲が朝日を返している。背中の放熱翼が八枚、扇のように開いていた。三番と四番だけ、開き方がわずかに浅い。
十二年、俺がその角度を見ていた。
「オサム」
外部通信が入った。感情の乗らない声だ。
「来い。お前を連れて帰る。町は焼くがな」
「断固として断る」
「これは交渉ではない」
「知ってたわ」
俺は谷の底から、十一・五メートルを見上げていた。
隣にツギハギが立っている。十メートル。一・五メートル低い。
「レオンハルト。闘りあう前に、一つだけ言っとくぞ」
「言ってみろ」
「お前の機体、三番と四番の翼が、戻らなくなってる」
「……」
「俺は、追放される三日前から言ってた。十二年で一番いい調律だったのに、そこだけ直せなかった。部品が無かったからだ」
「そんなもの、問題ない」
何が問題ない、だ。
十二年、この男はそれで全部を片づけてきた。だが今は違う。
ソヴリンが王剣を抜いた。
そして――ツギハギが、前に出た。
最初の十秒で、三度撃ち合った。
王剣が肩の装甲を削り、ツギハギの右腕が王剣を押し返した。着けなおしたPL-21Gの腕だ。量産機の腕だが、ゲーム上で一番の魔導剣を受けても、折れなかった。
押し返せた理由は、出力ではない。
受ける角度だ。片脚を軸に回って、正面を向け続ける。あの膝の死んだPL-07で彼女が編み出した型が、今は正式な技能の名前を持っている。
回りながら受けると、力は正面で止まらずに横へ流れる。
「オサムさん! まだ上がります!」
「使え! 全部使っていい!」
十二年、俺はこの言葉を一度も言えなかった。
全部使っていい、と言える機体が、無かったからだ。
ソヴリンの肩の魔導砲が、二門同時に光った。
避けられる距離ではない。フィーネは避けなかった。左腕を上げて、胸の前に入れた。
左腕はベヘモスの装甲を貼った腕だ。六十八トンの英雄機の、肩から剥がした一枚。
二発を受けて、装甲が砕けた。
砕けた破片が落ちる前に、下から新しい面が出てきた。
俺は、自分の見ているものが分からなかった。
「……オサムさん。腕が――?」
「待て」
「生えてます!!」
「待てって言ってるだろ」
装甲は、生えてはいない。
砕けた面の内側から、二枚目の層がせり上がってきている。せり上がった分、肘の内側の肉が薄くなった。――材料を、別の場所から回している。
「ノイズ。今、何をした」
「損傷部位へ、材料を、再配分、しました」
「そんな機能、聞いてないぞ?!」
「報告、していません。……いままで、できなかった、ので」
できなかった。
この十二年、こいつは不整合を抱えたままだった。炉の回転数が上がれないので、自分を組み直す余力が一度も出なかったということだ。
残存不整合になって、初めて回り始めた機能だ。
俺は十二年、全部の機体を整備してきた。RXもPLもLZも、装甲が割れたら人が貼り替える。貼り替えるまで、その機体は穴が開いたままだ。
穴が塞がる機体など、ゲーム中俺は見たことがない。
「ガウス爺。四十年で、こんな機体を見たことがあるか?」
「見とらん」
「一機もか?」
「一機もだ。……あれは、整備士が要らん機体なのか」
「いや、それは要る」
肘の肉は薄くなった。腰から回した分、腰も薄くなる。
回し続ければ、いつか回す場所がなくなる。
「材料を動かしてるだけだ。自然に増えてるわけじゃない。――だから、後で全部、俺が戻す」
ソヴリンが結界を張った。正面に光の面が出る。あれは炉の出力を大きく食う装備だ。
食われた分、八枚の翼の仕事が増える。
ソヴリンの八枚の翼が、同時に立った。
「王権解放——発動」
意志指令だ。意志力を百、一度に食う。レオンハルトの上限は三百だから、一戦で三度使える計算になる。
炉の出力上限が外れる。白金の装甲の下から、熱が噴き出した。
ソヴリンの出力はSだ。ツギハギの比ではない。
計算が合わないのは、機体の方だった。
定格の二倍もの熱量で炉を回せば、その熱は放熱翼が引き受けることになる。ゲーム中の世界では、何度使っても拠点で全部戻ったが、今では戻らない。三番と四番が死んでいる八枚に、二倍の熱が二度乗る計算になる。
だが、ツギハギは避けず、フィーネが機体の両腕を交差させて、正面から受けた。谷の底が二メートル削れて、十メートルの機体が後ろへ下がる。下がらされたが、倒れなかった。
だが、音が変わった。
カン、ではない。
ゴッ、と鈍い音が、左の肩から返ってきた。
俺が叩いた場所だ。
三ミリの逃げを、受け金具の内側へ打ち込んだ。削らずに、七回叩いて座らせた。叩いた鉄は弱くなる。今日は保つと思った。
しかし、保たなかった。
「フィーネ! 左肩が落ちるぞ! 二発目は受けるな!」
「受けないと、谷に入られますよ!」
「分かってるが、なんとかしてくれ!」
俺は走った。
ツギハギの足元まで四十メートル。筋力九百八十の脚で、八秒だ。
「オサムさん、来ちゃ駄目ですって!」
「どけ! 膝を落とせ、片膝だ!」
ツギハギが片膝をついた。
十メートルの機体が、俺のために高さを下げた。下げるのに三秒かかる。三秒は、ソヴリンが王剣を構え直すのに十分な時間だ。
左の脹脛に手をかけて、登った。
腰の継ぎ目、胸の配線の束、鎖骨の受け。どこに手がかかるかは知っている。十日前に、俺がそこへ部品を入れた。
肩に着いた時、ツギハギが立ち上がった。
立ち上がるのを止めなかった。止めたら間に合わない。
十メートルの高さで、俺は左肩の上に膝をついていた。
下は見ない。見ると手が止まる。
「ノイズ! 左肩、残り何秒だ?!」
「次の、全力受けで、破断、します」
「受けなきゃいいんだな」
「受けなければ、保ちます」
「フィーネ、受けるな! 流せよ!」
「はいっ!」
ツギハギが回った。
軸足で回った。十メートルの機体の肩の上で、俺の体が外へ振られる。左手で冷却管を掴んで、右手だけで作業した。
王剣が、さっきまで俺のいた高さを通り過ぎた。風が頬を切った。
受け金具の逃げを、戻す。
叩いて潰した鉄は戻らない。戻らないから、埋める。
腰に挿した当て板の束を抜いた。〇・五ミリ。六枚。
八枚要る。二枚足りない。
工房まで戻れば、ある。工房は四十メートル下だ。
俺は、自分が掴んでいる冷却管を見た。
継手の座面に、銅の座金が二枚入っている。〇・五ミリだ。この管は三番目の冷却系で、今日はまだ熱が通っていない。
抜いた。
材料を、別の場所から回した。
さっき、この機体がやったのと同じことだった。
八枚入った。
レンチをかけて、締める。
「最大締付」
締める力を、一点に集める。ボルトが沈んで、受け金具が座った。
音が戻った。
カン、と硬い音がした。
「フィーネ! これで保つはずだ!」
「保つんですね!?」
「保つ! 後のことは俺に任せて、全部使っていいからな!」
ツギハギが、回りながら前へ出た。
肩の上で、俺は冷却管に両腕を巻きつけて、ぶら下がっていた。十メートルの高さで、鉄の上に人間が一人乗っている。
そこが、俺の操縦席だった。
俺は、ソヴリンの背中だけを見ていた。
三番と四番。
八枚のうち、二枚だけが、熱を逃がせていない。
――二枚が詰まると、残りの六枚に熱が寄る。寄った分、六枚の寿命が縮む。計算なら、〇・〇二秒で出る。
「レオンハルト!」
俺は叫んだ。
「もう一回使ったら、炉が焼け落ちるぞ!!」
「問題ない」
「問題あるんだよ! 拠点に戻っても直らないんだぞ、ここは!」
俺の言葉に返事はなかった。
そして、二度目の王権解放が、来た。
来て、途中で止まった。
三番の翼が、根元から裂けた。
四番が続いた。逃げ場を失った熱が六枚に寄って、六枚が同時に赤くなった。白金の装甲の継ぎ目から、蒸気が噴いた。
RX-09は、王剣を振り下ろす姿勢のまま、止まった。
倒れもしなかった。ただ、動かなくなった。
ツギハギが、その前に立っていた。
一・五メートル低い機体が、見下ろしているように見えた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
俺は何もしていない。
ボルトも抜いていない。工具も使っていない。谷の底に立って、見ていただけだ。
それでも、この結果は俺が十二年かけて作った。
操縦席のハッチが開いて、レオンハルトが降りてきた。
騎士の礼装のままだった。装飾が旗機の白金に合わせてある。似合っていた。
「……なぜ止まったのだ」
「整備してないからだ」
「整備は、班がやっている」
「六日前、スパナが三回報告してる。記録には残ってないがな」
レオンハルトの眉が、初めて動いた。
「報告は、受けていない」
「受けなかったんだ。お前が」
俺は手の油を拭いた。
「お前は数字で部下を管理してた。リアルでもそうだったんだろう。数字に出ない仕事は、無いことになる。――整備は、数字に出ない。直ってるあいだは、何も起きないからな」
彼は何も言わなかった。
言えることが無いのだと思う。ベヘモスの時と同じだった。
列の二番目で、|PL-21G《パラディオン・ギルド仕様》は一歩も出てこなかった。
獣人顔のアバターが、操縦席の縁に腕を乗せて、谷の底を見下ろしている。
「ドレイク」
「……はい」
「お前、出てこないのか」
「出たら、負けるんで」
「だろうな」
「それもあるんスけどねぇ......」
彼は一度、言葉を切った。
「今日出たら、たぶん俺、次に膝が抜けた時、誰にも言えなくなるんスわ」
意味は通っていなかった。
通っていなかったが、言いたいことは分かった。
残り八機も、同じように動かなかった。
一番後ろで、|PL-21M《パラディオン・整備支援型》が、アームを四本畳んだまま止まっている。
やはりハッチは開かなかった。
開かないまま、小さな包みが一つ、谷の底に落ちてきた。
俺はそれを拾った。
〇・五ミリの当て板が、二枚入っていた。
包み紙に、手書きで一行あった。
――残り二枚です。すみません。
顔を上げた時には、整備支援型魔導騎兵はもう、列の中へ戻っていた。
【ザルツ 住人260/稼働騎兵4/整備士3/井戸2/備蓄24日】
【グランツ騎士団 調律誤差――計測不能】




