第12話 捨てたものは、拾った者のもの
ザルツの町の長老会は、井戸の横で開かれた。
議場はない。椅子もない。七十を越えた四人の町人が石に腰を下ろして、領主が立っている。それがザルツの長老会だ。
フィーネは領主の礼装を持っていない。持っていたものは全部、三年前に売ったそうだ。だから彼女は作業着のまま、背筋だけを伸ばして立っていた。
「谷の内側に残された騎兵は二機。RX-07H、|PL-21G《パラディオン・ギルド仕様》です」
彼女は一度、俺の方を見た。見ただけで、すぐ戻した。
「乗り手が自らの意思で降り、所有を放棄しました。町の掟に従い、拾った者の所有とします。――異議は」
長老の一人が片手を上げた。
「拾った者は誰だね?」
「整備所のオサムです」
「あの男は町の者か?」
「はい、町の者です」
フィーネは言い直さなかった。
石の上の四人は、しばらく顔を見合わせていた。それから一番年嵩の婆さんが、杖で地面を一度叩いた。
「十五年ぶりじゃな。この掟を使うのは」
「前は何を拾ったんですか?」
「荷車の輪じゃったかのう」
婆さんは立ち上がって、俺の顔を近くから見上げた。背は俺の胸までしかない。
「輪が一つで、町が二年持った。鉄の騎兵が二機なら、何年分じゃ?」
「分からん」
「分からんのか」
「直す前に年数を言う整備士など、信用しなくていい」
婆さんはしわくちゃの顔でひゃっひゃ、と少し笑って、杖で俺の脛を軽く叩いた。
痛くはなかった。筋力九百八十の脛だからな。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
行商人が来たのは、その日の午後だった。
その男は人の男で、荷車を二頭の山羊に引かせている。襟に金属の札を縫い付けていた。天職の証だ。
「商人のバルド・ハメルンと申します。この町、墓場があると聞いて」
「そうだ、あるぞ」
「十年前に一度参りました。あの頃は、売れる部品が一つもなくてね」
「今はあるからな」
俺はガウス爺を呼んだ。
爺は十日かけて、墓場の選り分けを体系にしていた。四十年前の工房の方式だ。
「甲は、磨けば使える部品。乙は、材料として売れる鉄。丙は、捨てる」
爺が木箱を三つ並べた。
「甲が二百十四点。乙が、重さで四トン」
「……四トン」
バルドの指が、襟の札に触れた。それから、荷車を見た。荷車は小さい。
「失礼ですが、全部は買えません。山羊が二頭なので」
「なら、何なら買えそうだ?」
「甲種で、軽いものを選びたいですね」
彼は箱の中を覗き込んで、途中で手を止めた。
手に取ったのは、親指ほどの金具だった。騎兵の冷却管の継手だ。磨いてある。
「これは」
「継手だ。磨いた」
「……なるほど、きれいに磨いてあるんですね」
「錆を落とさないと、売る時に値が三割落ちるだろう?」
「落ちます。落ちますが――はは」
彼は継手を目の高さに持ち上げて、しばらく回していた。
「この磨き方は、売るためのものじゃない。使うための磨き方ですよ?」
「同じことだ」
「違います。――私は十九年、鉄屑を買ってきました。売るために磨いた鉄と、使うために磨いた鉄は、手触りが違うんです」
彼は箱を下ろして、荷車の方へ歩いた。
戻ってきた時、手に革袋を持っていた。
「甲を全部、言い値で。乙は、次は馬で来ることにします」
「全部は積めんだろう?」
「積めません。だから、置いて帰ります。――取り置きの手付けです。他に売らないでいただきたい。頼めますか?」
ガウス爺が俺の横で、鼻から長く息を吐いた。
「わしの頃はな。こういう商人は、十年に一人だ」
「じゃあ十年分だな」
「ああ、十年分じゃ」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
俺は先に、ベヘモスを測った。
全高十一・五メートル。全備重量六十八トン。谷の入り口に左前へ倒れたまま、朝の霜をかぶっている。
膝の中を開けて、一時間で諦めた。アクチュエータの軸受けが、内側から落ちた時に座面まで持っていかれている。新しい軸受けを削り出すには旋盤が要るし、受け金具は三十年前の型に合わせて削り直す必要がある。四日では無理だ。
だから、使える部品を探すことにした。
「ガウス爺。この機体から、ツギハギに付くものを探すぞ」
「六十八トンあるぞ。腕も脚もついとるが」
「ツギハギは十メートルだ」
「……ああ」
爺は腕を組んで、倒れた機体を見上げた。
「一・五メートルも違うのか」
「一・五メートル違うと、腕一本で三トンは違う。肩の受け軸が持たんからな。付けた瞬間に、ツギハギの鎖骨から裂けるのは見たくないだろ?」
結局、六十八トンの英雄機から取れたものは四つだった。
冷却管が六本。配線の束が二十メートル。装甲板が三枚。それと、継手が四十二個。
「一番でかい鉄が、一番使えんとは、なんとも皮肉じゃのう......」
「でかいからだ。でかいものは、でかいものにしか付かない、当たり前なんだがな」
俺はベヘモスに油布をかけた。
直せる日が来るまで、錆びないようにしておくだけだ。いくら使えないといっても、それくらいはしてやれる。
PL-21Gの修理に入ったのは、その翌朝からだった。
こちらは左脚の主軸が曲がっている。ベヘモスが倒れた時に巻き込まれて、根元から先に向かって、ゆるく弓状になっていた。
そして、精密に計測した。最大振れ、一・八ミリ。許容は〇・三ミリだ。
「こっちは交換じゃな」
ガウス爺が言った。
「それが定石だ。曲がった軸は捨てればいい」
「代わりの軸がないぞ?」
「墓場を探せばあるだろう」
「探した。二十二本あった。じゃがなあ、全部、径が合わんのよ」
PL-21系の主軸は、ギルドの改修で太くしてある。墓場に埋まっているのは三十年前の無改修型で、八ミリ細い。入れても噛まない。
作ることもできない。――この町に旋盤はないのだ。
「ならどうする?」
「それでも使う」
「曲がったまま使うのか」
「曲がったまま、向きを変えて使えばいい」
爺の眉が寄った。
俺は紙に円を一つ描いて、その縁に点を打った。
「軸は丸い。曲がってるってことは、丸のどこかが一番外に出てるってことだ。その一番外に出てる点を――」
紙の円を指でくるりと回した。
「荷重が通らない向きに持っていく」
「……持っていくと?」
「荷重は膝の前後にかかる。曲がりの頂点を真横に回せば、頂点には荷重が乗らない。振れは一・八ミリのままだ。でも、潰す力はかからなくなる」
「それで保つのか」
「ま、保たんだろうな」
俺は爺の顔を見た。
「許容の〇・三ミリには一生戻らん。ただ、折れなくなる。折れなければ歩ける。歩くうちに、旋盤のある町を見つければいい」
爺はしばらく黙っていた。
それから、箱から油布を取って、軸を拭き始めた。四十年前の工房の人間の手つきだった。
「……わしの頃は、こういうのを邪道と言ったもんじゃがな」
「はは、まあ言っただろうな」
「そうじゃ」
爺は軸を持ち上げて、光に透かした。
「じゃがの、邪道で、村が一つ冬を越したのも見とるんよ」
軸を磨き始めて、半刻で手が止まった。桶が空になっていた。
「ミィル」
「なに」
「水」
「……わたし、水汲みの係じゃないんだけど」
「いや、係だ」
「えっ?」
ミィルは台の上に座って、小さな裸足の足をぶらぶらさせていた。
俺は親指で、炉と砥石台と洗い桶を順に指した。
「焼き入れに水が要る。砥石に水が要る。削った鉄粉を落とすのに水が要る。この工房、半日で水を百二十リットルは使う」
「井戸、あるでしょ?」
「井戸は町のだ。二百三十五人が飲む。工房が百二十リットル汲んだら、誰かが飲めなくなるだろ」
ミィルの足が止まった。
「……わたしが呼べば、井戸は減らないってことかあ」
「減らんな」
「なんで最初から言わないの!」
「今、言ったじゃないか」
彼女は台から飛び降りて、洗い桶の前にしゃがんだ。
手のひらを水面の高さにかざす。緑の光が桶の縁を一周して、底から水が湧いた。あふれる前に、彼女は手を止めた。
止めるのが、十日前よりうまくなっている。
「言っとくけど、わたし、鉄は直せないからね」
「知ってる」
「鉄に精霊はいないもん。返事もしないし」
「水がなきゃ、鉄は直らん」
ミィルは顔を上げた。
言われた意味を測っている顔だった。百二十年ぶんの何かを引っぱり出して、合わない、と思っている顔に見えた。
「……それ、わたしが直してるってこと?」
「工程の一つをやってる。工程をやってる人間を、整備士と呼ぶ」
「整備士」
「嫌なら別の呼び方でいい」
「いやだ」
彼女は桶に両手を突っ込んで、水を跳ね上げた。
「整備士がいい」
ガウス爺が、濡れた顔のまま俺を見た。
「わしの頃はな。精霊使いを工房に入れると、炉が祟られると言った」
「祟られたか」
「……桶が、四十年ぶりに満杯だ」
その後、位相を出すのに半日かかった。
軸を回して、ダイヤルを当てて、振れの頂点を見つける。それを九十度回して組み直す。ボルトの穴が合わないので、当て板を入れる。〇・五ミリを三枚。
なんとか、三枚で足りた。
夕方頃には、PL-21Gが立った。
左脚で地面を踏んで、体重を乗せて、一歩出した。歩幅が揃っていない。右と左で、七センチ違う。
七センチ違うが、歩くことはできた。
「オサムさん――」
操縦席からフィーネが顔を出した。
「変な歩き方じゃないですか、これ?」
「変な歩き方で正しいんだ」
「直らないんですか?」
「厳密には、直ってない。――折れないようにしただけだ」
フィーネは操縦席の中で、少し黙った。
「……それ、ずっとそうですよねえ」
「何が」
「オサムさんが直したもの、全部。元に戻ってるものが、一つもないって、ちょっと面白いです」
俺は手を止めた。
町のPL-07は膝を打ち直してある。井戸の滑車は軸を入れ替えてある。ランツァーの改造機は肘にボルトを四本足してある。ツギハギは、全身が他人の部品だ。
元に戻ったものは、一つもない。
「まだ、戻らんからな」
「はい」
「戻らんものを、なんとか無理くり動かしてるだけだ」
フィーネは操縦席の縁に腕を乗せて、谷の方を見た。
「仕方ありません」
「何がだ?」
「わたしの家も、戻りませんから」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
右腕を外す作業は、通しでとうとう夜になった。
PL-21Gの右腕は、この機体で唯一まともな部分だった。ギルドの改修で駆動が強化されていて、関節の遊びがほとんどない。
ツギハギの右腕は、肘から先が無い。十二年前から無い。
そして全高十・五メートル。ツギハギとの差は五十センチだ。五十センチなら、当て板で埋まる。
「ノイズ?」
「ハイ」
「PL-21Gの右腕を、お前に付けるぞ」
「……」
返事がなかった。
格納庫のスリットの光が、一度暗くなって、また戻った。
「ノイズ」
「整備長。……申し上げに、くい、ことですが」
「言え」
「ソノ部品は、当機の、部品では、ありません」
「分かってる」
「刻印回路の、署名が、違います。接続すると、当機は、異物と、判定します。……拒否、します」
「お前が拒否するのか?」
「当機の、意思では、ありません。仕様です」
仕様です。この世界で何度も聞く言葉だった。
俺は右腕の付け根を照明の下に引き出して、署名刻印を探した。
あった。付け根の内側、五センチ四方の浅い彫りだ。渦巻きと数字の列。PL-21系の製造署名が刻まれている。
「ノイズ」
「ハイ」
「お前の署名を見せろ」
「……整備長、それは......」
「いいから、見せろ」
整備画面に図形が出た。渦巻きの向きが逆で、外周の数字の列が三段多い。XG-00の署名だ。
俺はグラインダーを取った。
「整備長。何を」
「削る」
「アッ、待っ――」
ちゅぃぃぃぃぃぃぃん! と火花が上がった。
五センチ四方の彫りを、底まで削り落とす。削り跡を砥石で平らにして、油で拭いた。何も彫られていない鉄の面になった。
それから、ドリフトピンを持ち替えた。
渦を彫るのは三時間かかった。
外周の数字の列を三段増やす。深さは〇・八ミリ。浅いと読まれず、深いと鉄が割れる。手が震えると線が流れるので、途中で二度、手を止めて休んだ。
夜明け前に、彫り終わった。
「ノイズ」
「……ハイ」
「読め」
右腕を付け根に合わせて、固定ボルトを六本入れた。
接続。
整備画面に、長い空白が出た。
【部品照合】
【署名:XG-00系/適合】
【備考:製造記録なし】
「……整備長」
「なんだ」
「コレは、当機の、腕では、ありません」
「お前の腕だ。署名が書いてあるんだからな!」
「書いた、のは、整備長ジャナイデスカ」
「書いたから、お前のだ!」
ノイズは黙った。
長い沈黙だった。計算に時間がかかっているのではないと思う。計算なら、こいつは〇・一秒で終わらせる。
「部品は、どこから来たかじゃない」
俺は右腕の付け根を、手のひらで一度叩いた。
「どこに付いてるかだ。――お前は、全部そうだろう」
スリットの光が明るくなった。
十メートルの機体が、右腕をゆっくり持ち上げた。肘が曲がった。十二年、肘から先が無かった腕だ。
指が、一本ずつ動いた。親指から順に。順番が正しい。
「……整備長」
「動くか」
「動きます」
「どこか変か」
「変では、ありません。ただ――」
ノイズの声が、一度切れた。
「ただ、重い、です。右側だけ」
「向こうの腕の方が新しいからな。慣れろ」
「……ハイ」
それから、ツギハギは両脚を踏み直して、立ち上がった。
腕が二本、脚が二本。首が回る。腰が回る。全身が揃った機体が、格納庫の中で、天井にぶつからないように首をかがめていた。
整備画面に数字が出た。
【総合出力:量産機並】
性能は、魔導騎兵の量産機並まで上がった。
十二年前のXG-00は、量産機の十四倍の出力があった。
「ノイズ」
「ハイ」
「とうとう量産機並だぞ」
「ハイ」
「どう思う」
「……ツギハギの、カオが、ワルイのは、変わり、ません」
それで褒めているつもりらしい。
俺は工具を箱に戻して、格納庫の床に座った。座ってから、手が震えているのに気づいた。三時間、ドリフトピンを持っていた手だ。
「整備長」
「なんだ」
「本日の、睡眠は、ゼロ、時間です。倒れた、場合の、搬送手順を、確認して、おきますか」
「心配してるのか」
「記録を、取る、ためです」
床の冷たさが背中まで来た。
少し寝ることにした。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
【ザルツ 住人235/稼働騎兵4(+修復不能1)/整備士3/井戸2/備蓄20日】
王都では、同じ朝、別の数字が読み上げられていた。
RX-09の格納庫で、シズクは紙束を両手で持っていた。読み上げる相手は一人だ。
「調律誤差、7.4%。稼働限界まで、あと4日と推定します」
「推定か」
「確定値は出せません。計算式が、公開されていないので」
「誰が公開していない」
「……運営が、ですね。もともと拠点に戻れれば全快していたので、そもそも計算式など気にもしていなかったですから」
レオンハルトは白金の騎兵を見上げていた。
放熱翼の三番と四番が、もう常温に戻らない。整備班が三度剥がして、三度付け直した。四度目は誰も提案しなかった。
「第二分隊の報告を読んだ」
彼は紙を見ずに言った。暗記していたのではない。読む価値がないと判断したのだ。
「騎兵一機が、生身の人間に膝を落とされた。報告にはそう書いてある」
「はい」
「これは誤記だろう」
「誤記ではありません。わたしが見ました」
「見た、と書けば記録になるな」
「記録になります」
シズクは紙束を胸に寄せた。
「ギルド長。――もう一つ、記録に残したいことがあります」
「言え」
「あの町には、整備士がいます。わたしたちの機体を、十二年整備していた人が」
「当然、知っている」
「ご存じでしたら」
「だから潰す――」
シズクの手が止まった。
「……潰す、ですか?」
「あの町が噂になると、我々の騎兵が『直らない』と知られる。知られた時点で、グランツは終わる。周りの六か国が動くだろう」
「ですが、直せる人がいるんで――」
「直せる人間が一人しかいないなら!」
レオンハルトは、初めてシズクの方を見た。
「それは、我々が持っていなければならない。――あの男は連れて帰る。だが、町は要らない」
彼は格納庫の奥へ歩いた。
RX-09の足元で、整備班の一人が小さくなって作業をしていた。小柄な体が、左手を下に添えて工具を持っている。
「スパナ」
「……はい」
「本隊、八機で出る。お前もついて来い」
「わたし、戦えませんけど」
「お前は直す側だ。――四日以内に終わらせるぞ」
彼が出ていったあと、スパナはしばらく動かなかった。
それから、つなぎの胸のポケットに手を入れた。中は空だった。
点検表は、置いてきた機体の工具箱に貼ったままだった。
【グランツ騎士団 調律誤差7.4%/稼働限界まで、あと4日】




