第11話 徴発
朝のツギハギ工房に、列ができていた。
先頭は人の老人で、折れた鋤を抱えている。その後ろに荷車の車軸、壊れた水桶の金具、刃が波打った鉈。十日前は誰も来なかった場所に、今では七人が並んでいた。
ザルツの住人は少し増え、二百十二人になっている。十日で十二人増えた。増えた理由は水が出るようになったからで、水が出るようになった理由は俺が井戸の滑車を直したからだ。滑車の軸は、ボルト二本で留まっている。
ボルト二本で、十二人が食える。
俺はそれを紙に書いて壁に貼った。ガウス爺は「なんじゃそら。貼る意味が分からん」と言ったが、意味は俺にだけ分かればいい。
「整備屋、これ見てよ」
森霊族のミィルが小さい手で、台の上に鉈を置いた。刃が根元から先まで波打っている。
俺が手を伸ばす前に、彼女は刃に手のひらをかざした。緑の光が刃の上を走って、消えた。
「……直らないの!」
「まあ、鉄だからなあ」
「でも、形を思い出させるだけだよ。木はやってくれるのにさあ」
「木は生きてる。鉄は死んでる。死んでるものは、こっちが形を決めてやるもんだ」
俺は鉈を炉に入れた。
百二十歳の森霊が、頬をぷくっとふくらませて炉を睨んだ。子供っぽい。
「わしの頃はなあ」
ガウス爺が後ろから言った。
「波打った刃は、冷たいまま木槌で叩いて戻したもんだがな」
「割れるだろそれ」
「割れんかったぞ」
「割れたのを直してた側の意見じゃないか?」
爺は口を閉じて、しばらく黙ってから「……まあ、正直、割れたな」と小声で言った。
格納庫の奥でスリットの光が明るくなった。
「ノイズ」
「ハイ。整備長」
「何か言いたいのかお前」
「ガウス、サンの、記憶は、四十年、分の、ゆらぎが、あります。精度、三割。……ツギハギの、炉より、安定、しています」
それで褒めているつもりらしい。
フィーネが手の甲を口に当てて、肩を震わせていた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
やってくる足音を先に聞いたのはフィーネだった。
彼女は荷車の車軸を押さえていた手を離して、立ち上がった。
「オサムさん?」
「大丈夫だ、聞こえてる」
二つの音が混ざっていた。
一つは量産機の足音だ。十メートル級の魔導騎兵が、一定の間隔で地面を叩いている。重さが軽い。PL-21系の足音だろう。
もう一つは、音ではなかった。地面が十五秒おきに沈んでいる。何かを引きずっている音と、引きずられている側の重さだった。
谷の入り口に、十二機が並んだ。
その後ろに、曳かれているものがあった。
RX-07Hだった。
左脚が付いてはいるが、膝から下の装甲が外されたまま、骨組みが露出していた。接合部に鋼の帯が四本、外から巻かれている。応急の外部固定だ。歩かせるためではなく、落ちないようにするための処置で、歩いた瞬間に帯から外れる。
俺は十二年、その膝の形状を見ていた。
見ていた膝が、他人の手で縛られて、そこに立っていた。
先頭の機体から通信の増幅音が鳴った。
「――ザルツの住人に通達する。こちら、グランツ騎士王国近衛ギルド、第二分隊だ」
その声に聞き覚えがあった。
獣人のアバターが操縦席の縁に身を乗り出して、こっちを見下ろしている。赤い短髪と、折れた片耳。胸甲を着けていない。
「代表者を出せ。……って、言うんスけど、この村、代表いるんスかね?」
「俺だ」
「はい?」
「整備所の代表は俺だ。町の代表は長老会だな」
獣人が身を乗り出したまま止まった。
アバターの顔は十八から二十前後の若者だ。髪も目も現地人の色で、整った造りは一つもない。だが声は三十五だった。それはここに来てから、ずっと直らない。
「……もしかして、オサムさんっスか?」
「ドレイクか」
「え、いや、ちょっと待って。なんでここに――っつーか、生きてんスか」
「ログアウトできないんだ。そっちもだろう?」
ドレイクの口が半分開いた。
俺はその横を指した。
「それより、あの機体——」
「えっ?」
「ベヘモスだよ。誰が帯を巻いたんだ?」
ドレイクが言葉に詰まった。かわりに、後ろの機体から別の声が入った。
「記録には残しました」
眼鏡をかけた管制服の女が、二番目の機体の上部ハッチから半身を出していた。
手に紙束を持っている。この世界の紙ではない。ギルドの定型書式だ。
「お、シズクか」
「オサムさん。お久しぶりですね」
「六日前のは、お前の記録か」
「……どの記録でしょう」
「膝が抜けた時刻と、脚を置いた位置を書いたやつだ」
「……そうです」
「六日前に置いてきた機体を、なんで曳いてるんだ」
「ギルド長の判断です。採掘場は、ザルツへ向かう街道の途中にあります。徴発の道中で曳くのであれば、曳航の燃料は徴発の費用に含まれます」
「回収のために出す費用じゃなくなる、ってことか」
「はい。帳簿上、別の項目になります」
帳簿上。
六十八トンの英雄機が、項目の付け替えで戻ってきた。
シズクの手が止まった。
それから、彼女は紙束をめくって、読み上げる姿勢になった。顔を上げなかった。
「こほん。では本日の用件を申し上げます。グランツ騎士王国近衛ギルド長レオンハルト名義、徴発令第十一号」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
内容は三項だった。
一、ザルツ周辺鉱区の魔晶石全量。
二、町の備蓄食料のうち六割。
三、当地に在する整備技能者、二名の引き渡し。
三項目で、フィーネが息をゆっくり吸う音がした。
ガウス爺は動かなかった。爺は列に並んでいた七人を背中で押して、工房の中へ入れていた。七十二歳の動きとしては速かった。
「断 る」
俺が言うと、シズクは紙をめくった。
「理由を伺います。記録に必要です」
「一つ。鉱区は町の共有だ。長老会の決議がなきゃ動かん。二つ。備蓄六割は、ここの二百十二人が十二日で死ぬ量だ。三つ!」
俺は親指で工房を指した。
「整備士は物じゃないぞ?」
「……三点、記録しました」
ガウス爺が工房から戻ってきた。油紙の束を抱えている。四十年前の紙だ。
「辺境自治特例、第四条」
爺は紙を広げもせずに言った。暗記していた。
「王都から騎兵の足で三日を超える町は、徴発に先立って長老会の同意を要する。同意なき徴発は掠奪とみなす。――グランツ騎士王国法だ。お前さんらの王の法だぞ」
「……条文、確認します」
シズクが別の紙束をめくった。めくる手が速くなって、途中で止まった。
「……確かに、あります、ね」
「あるだろうな。わしが若い頃に、これで一度、騎士団を追い返したからのう」
「ただ――」
シズクは紙から顔を上げなかった。
「本令の末尾に、一行あります。読み上げます。――『抵抗ある場合は、武力をもってこれを執行する』」
谷が静かになった。
ドレイクの機体が、わずかに後ろへ下がった。
「……シズクさん。それ、読まなくてよかったんじゃねえスか」
「書いてあるので」
「書いてあっても、スよ」
「記録に残らない命令を実行すると、実行した人の責任になります」
シズクは、そこで初めて顔を上げた。
眼鏡のレンズに朝の光が入って、目が見えなかった。
「ドレイクさん。第二分隊長の判断として、どうしますか」
「……俺が判断すんスか、これ?!」
「隊長なので、一応」
「一応が余計なんスけど!!」
ドレイクはしばらく黙っていた。
それから、操縦席の縁を一度叩いた。
「オサムさん。あのさ――」
「なんだ」
「俺、やりたくねえんスけど。でもやんなかったら、俺が持ち帰るもん何もなくて、たぶん次の分隊長が来る。次のやつは、こんな話しねえと思うんスわ」
「だろうな」
「だから、一回だけ押させてください。一回押して、駄目だったって持って帰るから」
それは、この男が十二年かけて身につけた唯一の政治だった。
俺は少し考えて、頷いた。
「押してみろ」
「……押しますよ」
「どの機体で押す気だ?」
ドレイクが答える前に、後ろで鋼の帯が鳴った。
それは、ベヘモスだった。
曳き台の上で、六十八トンが前へ傾いた。騎乗している者がいる。誰が乗っているのかは見えなかった。十一・五メートルの機体が台から片脚を下ろして、地面を踏んだ。
地面が沈んだ。
帯が一本、はじけ飛んだ。
「ちょ――待て待て、それ乗るなって言ったじゃん!」
ドレイクの声が裏返った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
俺は音を聞いてすぐに走り出していた。
避ける方向ではない。寄る方向にだ。
この世界に来てから、自分の数字を一度だけ確かめた。筋力九百八十。敏捷四百二十。十二年、ポイントを全部こっちに振ってきた結果だ。
攻略wikiには、生身に振るなと書いてあった。全部マギアのスキルに振れと書いてあった。みんなそうした。俺はそうしなかった。理由は立派なものではない。整備時間で機体スキルが勝手に伸びたから、振る必要がなかっただけだ。十二年、誰も真似しなかった事だ。
ベヘモスの右脚が上がる。
影が伸びて、俺の上を通り過ぎた。踏み下ろされる先は俺のいた場所で、俺はもうそこにいない。
足裏が地面を叩いた。衝撃で膝から下が浮いて、着地のついでに左の脹脛の装甲に手がかかった。
登る。
六十八トンの機体は、登る側にとっては足場の多い鉄塔だ。装甲の継ぎ目、冷却管、点検ステップ。どこに手がかかるかを、俺は図面を見ずに知っている。十二年、毎晩ここを這っていた。
左膝の内側で止まった。
右の拳で装甲を一度叩く。
カン、と硬い音が返った。空洞ではない。
五センチ横を叩く。
コッ、と鈍い音になった。
打音点検。ここが点検ハッチだ。
留め具は三つ。一つ目を親指の付け根で押し込んで、二つ目を外へ弾き、三つ目は固着していたのでレンチの柄で叩いた。ハッチが落ちて、中の暗がりにアクチュエータの固定ボルトが見えた。
四本。
上から一番、二番。下に三番、四番。
俺はレンチを四番にかけた。
四番から抜く。先に上を抜くと、荷重が下に寄って工具が噛む。上から抜くのは、図面どおりの手順だ。図面どおりにやると、ここは抜けない。
四番が抜けた。
三番。
二番。
機体が不規則に揺れた。乗っている者が、何が起きているか分からずに姿勢を変えようとしている。揺れは膝を伸ばす方向に働いて、それは俺の都合に合っていた。
一番。抜いた。
「分解!」
アクチュエータが支えを失って、軸ごと内側へ落ちた。
六十八トンが、自分の重さで膝から崩れた。
崩れる方向も知っている。この機体は左膝が落ちると、必ず左前へ倒れる。重心が胸部装甲に寄っているからだ。だから俺は右へ跳んだ。
背中で地面を擦りながら、腹の上を機体の肩が通り過ぎた。
土が噴き上がって、谷の底が鳴った。
立ち上がって、懐中時計の砂を払った。
「三十秒だな」
誰に言ったわけでもない。
十二年見てきた機体に言った。
そして、十二機のうち、一機もそこから動かなかった。
「……あの」
シズクの声が、増幅音を通さずに聞こえた。彼女はハッチから身を乗り出して、紙束を落としていた。
「いま、何が起きましたか」
「ボルト四本抜いただけだが?」
「……それだけ、ですか」
「それだけだな」
俺は倒れたベヘモスの膝に戻った。
露出した接合部に、外から巻かれた鋼の帯が三本残っている。帯の下に、見覚えのないものが入っていた。
薄い板だ。
指で挟んで引き出す。〇・五ミリの当て板が、四枚重ねて入っていた。
俺は、それを一分ほど見ていた。
四枚だ。
三枚では足りず、五枚では噛む。四枚入れると、抜けた軸が自重で沈むぶんを食って、歩ける高さに戻る。それは図面に書いていない。工場でも、現場でしか伝わらない手だ。
「ドレイク」
「は、はい?」
「この帯とシム、誰がやったんだ」
「えっと……整備班ですけど」
「整備班の誰だ?」
「名前は……あー、あいつ、スパナっつって」
俺はそれを聞いて騎兵の列を見た。十二機のうち、一番後ろに小柄な機体がいた。|PL-21M《パラディオン・整備支援型》。騎士団でいちばん出力の低い機体だ。
だが、その機兵は動かなかった。上部ハッチが指の幅だけ開くのが見えた。
隙間から見えたのは、つなぎの肩と、前髪だった。
前髪が目にかかっている。切っていないのではなく、切らないようにしているのだと分かる長さだ。背は低い。操縦席の縁から頭が出ていない。
手には、工具を持っていた。
右手でレンチを握って、左手をその下に添えている。
添える必要のない持ち方だった。
添えるのは、右手だけでは力が足りない人間の持ち方だ。
「......スパナ、整備ランクはいくつだったかな?」
「Cじゃねえスかね。あいつ、サ終まで整備してたっぽいスけど、結局Aまでは上がれなかったみたいで」
「Cでこの技術はできないけどな」
俺はシムを手の中で四枚に広げて、また重ねた。
「これはAの仕事だ。――ランクが追いついてないだけで、手は届いてる」
後ろの機体は、やはり動かなかった。
その後、騎兵たちは引き上げの準備を始めた。だがその前に、算盤が一つ置かれた。
「ギルド長名義の判断基準に照らします」
シズクが紙束を開いた。声は事務のままだった。
「RX-07H、全備重量六十八トン。膝関節は内部から落ちており、鋼帯での再固定は不可。曳くには同出力の機体が三機、所要三日」
「三日ぶんの燃料は?」
「魔晶石で二千百ヴァル。……現在、分隊の携行量が二千四百です」
「帰り道が三百か」
「三百です」
ドレイクが操縦席の縁を掴んだ。
「待って、待ってくださいよ。じゃあどうすんスか」
「基準に照らすと、回収は不可です。――六日前と、同じ判断になります」
六日前と同じ判断。
同じ機体を、同じ理由で、二度捨てることになる。
ドレイクは何も言わなかった。言えることが何もないんだろう。
十二機が向きを変えた。曳き台の鎖を外す音が、谷に四回鳴った。引き上げは静かだった。
「オサムさん」
ドレイクが最後に残った。
彼の機体の左脚が、膝から下で動かなくなっていた。ベヘモスが倒れた時、巻き込まれて主軸が曲がっている。|PL-21G《パラディオン・ギルド仕様》が、片脚を引きずって谷の出口へ向かって、十歩で止まった。
「動かねえんスけどこれ、どうしたら?」
「主軸が曲がってる。歩かせたら折れるぞ」
「じゃあ、どうすんスか」
「置いていくしかないだろうな」
「はぁ?」
「捨てたものは、拾った者のものだ。町の掟だ。谷の内側に置いたものは町のものになる」
「……それ、あれもっスか」
ドレイクが顎で、倒れたままの六十八トンを指した。
「あれもだな」
「六十八トンっスよ!?」
「掟に重さは書いてない」
ドレイクは操縦席の中で、しばらく動かなかった。
それから、ハッチを開けて降りてきた。十メートルの機体から地面に降りるまで、梯子を三度持ち替えていた。
地面に立った彼は、俺より頭一つ大きかった。獣人のアバターだ。見た目は強い。
「あのさ、オサムさん」
「なんだ」
「六日前、言いましたよね。二十分で膝抜けるって」
「言った」
「実際、四歩だったんスわ」
「六日放れば、そうなるだろうな、自業自得だ」
ドレイクは、自分の両手を見た。
それから、動かなくなった自分の機体を見上げた。
「……直せますか。それ」
「なんとか直してみるよ」
「俺の機体スけど」
「置いていくんだろう?」
「……はい、ううう俺のベヘモスぅぅぅぅ!!!」
彼は歩いて谷を出ていった。
二キロ先に分隊が待っている。騎兵の一歩は七メートルある。彼の一歩は七十センチだ。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
日が落ちてから、置いていかれた機体の操縦席に入った。
中は散らかっていなかった。足元に工具箱が一つ、留め具で固定されている。開けると、レンチの番数が小さいものから順に並んでいた。
並べ方を見れば、使う人間の手が分かる。これは右利きだ。
箱の蓋の裏に、紙が貼られていた。
手書きの点検表だった。
【左膝部/応急処置の手順
一、点検ハッチを開ける(留め具三/三つ目は固着しやすい)
二、固定ボルトは下から抜く。上から抜くと工具が噛む
三、当て板〇・五ミリを四枚。三枚は足りない。五枚は噛む
四、鋼帯で外から固定。歩行は時速八キロまで
※この四本を外から抜かれたら、機体は自重で落ちます。
※隊長に三回報告しました。記録には残っていません。】
俺は、その紙を読み終えてから、操縦席の天井を見上げた。
その手順は、俺の整備順番だった。
下から抜く。四枚入れる。番数の小さい方から並べる。
どれも図面には載っていない。十二年、俺が夜勤で誰かに教えた手はずだ。
誰に教えたかは、思い出せなかった。工場の夜勤に、人は何人もいた。
「ノイズ」
格納庫の方へ通信を飛ばした。
「ハイ」
「この世界に、俺の工場から来たやつがいるか?」
「……データ、存在しません」
「分かってる」
「整備長。質問、です」
「なんだ」
「ソノ人は、整備長を、知って、イマスか」
「多分、知ってるだろうな」
紙を折って、胸にしまった。
「俺が、思い出せてないだけだ」
【ザルツ 住人212/稼働騎兵3(+修復待ち2)/整備士2/井戸1/備蓄12日】
【グランツ騎士団 調律誤差6.9%/稼働限界まで、あと5日】




