第10話 止まった英雄
【ギルド側視点】
ドレイクは、朝から機嫌がよかった。
王都の北、三十キロの採掘場。魔晶石の露天掘りで、グランツ騎士王国で三番目に大きい鉱区だ。半月前から魔獣が出て、掘り手が二十人死んでいる。騎士団が片付けに行くことになり、十二機で出撃した。
先頭がRX-09。二番手がRX-07H。ドレイクの機体だ。
「なあ、こういうのさ、なんで原作じゃイベント化されてなかったんスかねえ?」
外部通信に、返事はなかった。
「だって考えてみてくださいよ。鉱山に魔獣が出て、騎士団が片付ける。これ普通にクエストでしょ。報酬もらえるやつでしょ」
「原作では、鉱山は資源の供給点として扱われていただけだからな......」
ソヴリンから、レオンハルトの声が返ってきた。
「クエストは置かれていない。置く必要がなかったのだろう」
「もったいねえなあ。運営、分かってねえわ」
言ってから、ドレイクは操縦席の中で肩を回した。
機体が重い感じは、まだある。六日前からだ。踏み込むと左が沈む。ただ、拠点帰還の登録は済んでいるとシズクが言っていたし、出力の数字は正常値の範囲内だと毎朝聞いている。
だから問題ない。レオンハルトがそう言ったからだ。
ドレイクは、子供のころからゲームをプレイし始めて十二年この人について戦ってきた。言われた通りに前へ出て、言われた通りに敵を潰してきた。それで一度も負けていない。正しいと信じて疑わなかった。
ややもすると、採掘場の縁が見えてきた。
すり鉢状の底に掘り下げた穴で、段々になった斜面に、掘り手の小屋と巻き上げ機が並んでいる。その小屋の半分が壊れていた。
穴の底には、何かが群れていた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
牙獣種。原作の図鑑名は角狼と記載されていた個体。
体長は三メートル。四つ足で、額から後ろへ角が伸びている。群れで動き、速い。序盤のフィールドで、プレイヤーが初めて「数で来る敵」を経験する相手だった。
もちろん騎兵で苦戦する敵ではない。
装甲を噛んでも歯が立たず、角で突いても凹みもしない。踏めば潰れる。十二年前、誰もが最初の一週間で片付けた相手だ。
「シズク、数は?」
「三十一。斜面の上にもう八。合計三十九です」
「十二機で足りるな」
レオンハルトはそれだけ言って、ソヴリンを前へ出した。
王剣を抜く。白金の装甲が朝日を返して、採掘場の底から見上げる角狼の群れが、一斉に向きを変えた。
「ドレイク。左翼を潰せ」
「イエッサー!」
「重装突撃」
ドレイクは声に出して、ベヘモスのペダルを踏み込んだ。
意志力が六十、減る。全出力が一点に乗る指令だ。向こうの世界では、一回の戦闘で三度使っても、拠点へ帰れば機体は新品に戻っていた。だから誰も、この指令が膝に何をしているかを考えたことがない。
一歩目。ドッ。
二歩目、三歩目。斜面を駆け下りる。重装突撃機の六十八トンが、段々になった地面を削って加速する。この感覚が好きだった。重い機体が速度に乗った時の、押し出される感じが。
四歩目で、左の膝が沈んだ。
ギギッ――ガコン。
音が、演習の時と違った。
「あれ――」
演習では、沈んでから四秒で復帰していた。復帰できたのは、平らな地面で、次の一歩を出さずに止まったからだ。
今は斜面を駆け下りている。六十八トンが前へ出ている途中だった。
膝が沈んだ側へ、全部の重さが回った。
ベヘモスの左脚が、膝から先を残して折れた。
メリメリッ――バキィッ。
機体が左へ倒れ込み、肩から斜面に突っ込んで、段を二つ削りながら滑り落ちた。操縦席が叩きつけられる。シートのベルトが肩に食い込んで、息が止まった。
ズシィン。
止まった時、ドレイクは横向きになった操縦席の中で、天井を見上げていた。
天井ではなく、壁だった。機体が横に倒れている。
【魔導炉:緊急停止】
【左脚部:切断】
【操縦席:変形/ハッチ開放不能】
表示を三回読んだ。
「……はあ?なんだよこれ?」
ハッチのレバーを引いた。動かない。もう一度引いてみた。やはり動かない。
倒れた時に、操縦席の枠が歪んだ。歪んだ枠に噛まれたハッチは、レバーでは開かないのだ。
騎兵の操縦席には、緊急脱出がある。座席の下の赤い把手を引けば、ハッチの固定を火薬で吹き飛ばす。十二年、一度も使ったことがない。使う必要がなかった。
壊れたら拠点に戻れば直るのだから、座ったまま帰ればよかった。
仕方なくドレイクは座席の下へ手を伸ばし、把手を、引いた。
バンッ。
ハッチが外へ吹き飛んで、朝の光が入ってきた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
地面に降りた瞬間、ドレイクは世界が間違っていると思った。
採掘場の斜面が、高い。
さっきまで、この斜面は「三歩で下りられる段差」だった。今は、見上げる崖だった。段の一つが自分の胸の高さまである。
小屋が大きい。巻き上げ機が大きい。地面の石が、拳ほどもある。
全部、同じ大きさのままだった。変わったのは、見ている高さだ。
十二年、ドレイクは十一メートルの高さから世界を見てきた。
足が動かなかった。歩こうとして、歩幅が合わない。騎兵の一歩は七メートルある。その歩幅で考える癖が、十二年かけて体に入っていた。
自分の脚で一歩出すと、七十センチしか進まなかった。
そして、武器もない。
騎乗職は、基本的に生身の武器を持たない。持つ意味がない。操縦席の中で十二年を過ごす職業だ。腰にナイフを下げている乗り手を、少なくともドレイクは一人も知らなかった。
斜面の上から、角が見えた。角狼の群れ。
三メートルの牙獣が、段の上からこっちを見下ろしていた。
騎兵の装甲に歯が立たない相手だ。踏めば潰れる相手だ。十二年前、最初の一週間で片付けた相手だ。
だが今は違う。恐ろしい獣と目の高さが、同じだった。
ドレイクは後ろへ下がった。下がったつもりで、半歩しか動いていなかった。これはゲームだ。そう思っていても、目の前にいるのは恐ろしい魔物に感じてしまう。
角狼が段を降りた。地面を蹴る音が、思っていたより軽かった。騎兵の足音は、三秒に一回、重い打撃音で鳴る。この獣の足音は、タッ、タッ、と速い。
「お、おい」
声が、自分のものに聞こえなかった。
「おい、待て、俺は――」
角狼の爪が、地面を掻いた。
ドレイクは、その音を知っていた。装甲に当たる音なら、十二年聞いてきた。カァン、と硬く跳ね返る音だ。
当然、肉に当たる音は、知らない。
獣が跳んだ。
ドレイクは両腕を顔の前で交差させた。十二年間、一度も使ったことのない構えだった。誰に教わったわけでもない。体が勝手にやった。
その瞬間、彼は筋力の数字を思い出した。
八十に届いていない。攻略wikiの定石どおり、レベルアップのポイントは全部マギア側へ振ってきた。生身は捨てていいと書いてあった。書いてあったし、十二年、それで正しかったのだ。
今は、数字が、何の役にも立たない。ドレイクは、うっすらと目を閉じた。
――だが、攻撃は当たらなかった。
横から、何かが角狼を払ったのだ。
ガンッ。
獣が三メートル飛んで、段の縁に当たって転がった。起き上がろうとして、後ろ脚が曲がったまま動かず、斜面を滑り落ちていった。
ドレイクは腕を下ろした。
目の前に、腕があった。騎兵の腕ではない。細くて、関節が三つある。先に鉤状の金具が付いている。
整備用のアームだ。
見上げると、PL-21Mが立っていた。全高十・五メートル。騎士団でいちばん出力が低く、いちばん出番がない機体。両肩から整備用のアームが四本出ていて、そのうちの一本が、角狼を払った。
「大丈夫ですか?」
拡声器から、聞いたことのない声がした。
聞いたことがないのではなかった。聞いたことがあるが、覚えていなかった。
「……お前、誰だ」
「スパナですよ」
「スパナ?」
「整備の、スパナです!」
ドレイクは、その名前を知っていた。毎朝レオンハルトが言う名前だ。整備は済んでいる、スパナがやっている、と。
だが顔を知らなかった。
整備支援型のアームが、ドレイクの前に下ろされた。手のひらほどの受け皿になっている。
「乗ってください。上まで運びます」
「いや、大丈夫だ。一人で歩けるって」
「歩幅が合ってません!」
その指摘は、図星だった。
ドレイクは諦めて受け皿に乗った。アームが持ち上がって、斜面の上まで運ばれる。十メートルの高さに戻った瞬間、採掘場が「三歩で下りられる段差」に戻った。
戻ったが、戻らなかった。
さっきまで、自分の目の高さで見た段がある。胸の高さまであった段だ。あれが、本当の高さだった。
「スパナさ」
「はい」
「なんで、お前が来た?」
「近くにいたので」
「お前の機体、戦えねえだろ」
「そうですね、事実、戦えません」
アームが、ドレイクを段の上へ下ろした。
「でも、降りた人は、守らないと――」
ドレイクは、その言葉の意味が分からなかった。
降りた人。騎兵から降りた人間のことだ。ゲームなら、降りるのは格納庫の中だけだった。戦場で降りることは、ない。
ないはずだった。
整備支援型機体は、それ以上何も言わず、斜面の下へ戻っていった。アームを四本広げて、倒れたベヘモスの左脚を探している。
切れた脚を、拾おうとしていた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
角狼は、残りの十一機が片付けた。
時間はかかったが、損害はなかった。騎兵の敵ではない相手だ。それは最初から分かっていたことで、終わってみれば分かっていた通りだった。
シズクは記録を取っていた。
【討伐:角狼39/損害:騎兵1機(RX-07H/左脚部切断・操縦席変形)】
【搭乗者:無傷】
【回収:左脚部/整備支援型が現地で回収】
無傷と書いた。
書いてから、少し手を止めた。無傷ではないものを、記録する欄がなかった。
シズクはゲームのアバターに眼鏡をかけていた。現実でもかけている、と本人が言ったことがある。黒髪を肩で切り揃えて、耳にかけずそのままにしており、顔が半分隠れる。
管制服は支給品のままで、襟も袖も詰めていない。アバターは初期値に近い。見た目に課金する意味が分からないと言った女だ。
ドレイクが覚えているのは、顔ではなく彼女の手だった。
記録を取る時、左手で紙を押さえ、右手で書く。書きながら、顔を上げない。十二年、一度も上げなかった。
「シズク」
レオンハルトがソヴリンから降りてきた。王剣を鞘に納めながら、採掘場の底を見下ろしている。
「ベヘモスは直りそうか?」
「脚部の切断と、操縦席の変形です。……私にはわかりかねます」
「スパナに聞いたか?」
「聞きました。脚の付け根の受け金具を、三十年前の型に合わせて削り直す必要があると。工具はあるが、技能が足りないと言っていましたね」
「足りないとは何だ」
「魔導整備のランクが、彼女はCだそうです」
レオンハルトは黙った。
シズクは続けた。言わなければ記録に残らないので、言った。
「必要なランクは、A以上だそうです」
採掘場の風が、巻き上げ機の縄を鳴らしていた。
「予備機を出すぞ。ドレイクにはPL-21Gを回す」
「ベヘモスはどうします?」
「置いていくしかあるまい」
シズクは端末の画面から目を上げた。
「置いていく、とは」
「運ぶ手段がない。六十八トンの機体を、脚一本で歩かせることはできない。吊るなら、同じ出力の機体を三機使って三日かかる。三日ぶんの燃料で、量産機が二機買える」
正しい計算だった。
数字の上では、何も間違っていない。
「……記録には、そのように残します」
「そうしてくれ」
レオンハルトはソヴリンへ戻っていった。
シズクは、斜面の下を見た。
整備支援型のアームが、切れた左脚を抱えている。十メートルの機体が、八トンの脚を四本のアームで持ち上げようとして、三度失敗していた。
四度目で、持ち上がった。
持ち上げて、どこへ運ぶのか、シズクには分からなかった。置いていく機体の脚だ。
整備支援型は、それを採掘場の縁まで運んで、置いた。
倒れたベヘモスの、脚のあった位置に合わせて。
シズクは記録の欄を一行増やした。
【左脚部:機体のそばに安置/整備担当者の判断】
判断、と書いた。命令ではないからだ。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
帰路の騎兵の列は、十一機だった。
ドレイクはPL-21Gに乗っていた。量産機の改修型で、出力はベヘモスの半分もない。踏み込むと軽い。軽すぎて、地面の感触が遠かった。
列の最後尾を歩きながら、ドレイクは六日前のことを思い出していた。
格納庫で、追放される男が言ったことだ。
――左膝のアクチュエータが、踏み込むたびに〇・三秒遅れて沈んでる。
――全力で踏み込み続けるなら、二十分目あたりで膝が抜ける。
だが現実には二十分ではなかった。
たったの四歩だった。
あの男は二十分と言った。言った時はまだ、二十分保つ機体だったということだ。六日かけて、二十分が四歩になってしまったのだ。
ドレイクは操縦席の中で、自分の両手を見た。
筋力八十に届かない手だった。
それから、通信を開いた。
「レオンハルトさん」
「なんだ」
「あの、六日前にクビにしたやつ、名前なんでしたっけ」
「……オサムだ」
「そうだ。オサムさんだ!」
言ってから、ドレイクは少し黙った。
「あいつ、どこ行ったんスかね」
「知らん。別のタイトルが始まるまで、どこかにいるだろう?」
「……始まらないっスよね、もう」
返事はなかった。
列の前方で、ソヴリンの放熱翼が、朝より少し熱を持っていた。三番と四番だ。
誰もそれを見ていなかった。
【グランツ騎士団 調律誤差4.5%/稼働限界まで、あと9日】




