一 : 慶長四年 - (4) 傾奇御免の男
先日死去した前田利家に代わり、嫡男の前田利長が大老職に就いた。とは言え、唯一の対抗馬だった利家の喪失は大きく、家康の権力・影響力は日を追う毎に増していた。
月も改まり、四月。兼続はある人物を訪ねるべく、馬に揺られ京を目指した。
大名となれば仲の良い大名や文化人・豪商などと交流する機会も多いが、主君・景勝は周知の通り寡黙な人である。当世流行している茶の湯でも景勝は聞き役に徹していたので、生来の話し好きな秀吉や緘黙する相手でも茶席を成立させる千利休など限られた人が亭主の時のみ参加していた。尤も、二人は鬼籍に入った為に茶の湯の席から遠のいたのだが……。
兼続は理知的な性格もあり、若い頃より読書家で漢詩や連歌を詠んでいた。稀少な蔵書や興味のある本は自ら書き写し、朝鮮へ渡海した折も戦火を免れた漢籍を日本へ持ち帰った程である。その交遊関係は茶人・連歌師といった時好の文化人から西笑(“せいしょう”とも)承兌(“しょうたい”とも)・南化玄興などの仏僧と幅広かった。また、儒学者の藤原惺窩は『近年、戦陣にあって文を読む者は上杉謙信を筆頭に小早川隆景・高坂昌信(武田家家臣)・直江兼続・赤松広通のみ』と評している。
ただ、今日は公務や政治的な意図とは無縁な、私的なものである。
京の洛南にある目的地に着いた兼続は、近くの木に馬を留めた。簡素な柵に鄙びた草庵、南側にいくつかの木が植えられている。こう書けば世俗から離れた隠居人の住まいを連想するだろうが、半分正しい。異なるのは住人が娑婆にがっつり繋がる生活を送っている事だ。
外で人の気配を察知した住人は、縁側から草履を突っ掛けて出てきた。その姿を捉えた兼続は思わず瞠目する。
上背は五尺八寸〈約一七五センチメートル〉くらい、引き締まった体は筋肉で覆われているも……特筆すべきは髪型。頭の後ろで結ばれた髪は肩甲骨まで伸びている総髪も目を引くが、それより驚くのは黄色に染め上げられていた点だ。
「なかなか思い切った色ですな」
「堺には金髪や紅毛の南蛮人が闊歩していると聞き、少しでも近付きたいと思ってな。本音を言えば、碧眼にしたいくらいだ」
やや不本意そうに語る当人は実に楽し気である。
前田“慶次郎”利益、天文二年〈一五三三年〉生まれ(天文十年〈一五四一年〉生まれの説あり)生まれで六十七歳。織田家重臣・滝川一益(“かずます”の説あり)の一族を母に持ち、前田利家の長兄・利久と再婚したのを機に前田姓を名乗った。利家の三兄・安勝の娘を娶り前田家の跡継ぎ候補となるも、信長が「利家を当主にせよ」と命じた為に継承権は消滅。以降、前田家一門衆の一人として遇され、天正十二年の末森城の戦いや天正十八年の北条征伐に従軍し武功を挙げている。ところが、天正十八年以降に前田家から出奔。義父・利久が天正十五年に死去した事で前田家との繋がりが薄まるなど幾つか可能性はあるが、真相は不明だ。
その慶次郎、巷で“傾奇者”“婆娑羅者”として広く認知され、その型破りな外見や振る舞いは人々の度肝を抜いてきた。一方で和歌や詩文に通ずるなど文化人の一面も持ち合わせている。
「まぁ、立ち話もアレだ。取り敢えず上がってくれ」
そう言い、自宅へ迎え入れる慶次郎。本人は『一人暮らしの世捨て人故、見窄らしい点は甘受願いたい』と前以て断りを入れたが、台所や居間は掃除が隅々まで行き届いており“汚い”とか“散らかっている”とは感じない。茅葺き屋根に土の粗壁・板張りの床と簡素な造りではあるものの離れには当世流に設えられた四畳の茶室や桜・楓・公孫樹の木が植えられていたりと、見た目に反し風雅な暮らしを満喫している模様だ。
「茶にするか? それとも“コッチ”か?」
慶次郎は手をクイッと酒を飲む動作を示す。自分が飲みたいのだろうなと兼続は苦笑する。
「いや。今日中に帰って仕事を片付けたいから、“コッチ”はまた次の機会に」
「なんだ、つまらん奴だな。仕事熱心も結構だが、たまには息抜きも必要ぞ」
残念という口振りで応える慶次郎。鉄瓶に焙じた茶葉を入れ囲炉裏の自在鉤に吊るす傍ら、いそいそと徳利を持って来る。
「吾は飲みたい気分だから飲む。家主の特権だ」
茶碗に注ぎながら慶次郎はカラカラと笑いながら宣言する。この自由さ・磊落さこそ慶次郎の真骨頂であり唯一無二の魅力だ。
始めの内は互いの近況について遣り取りを交わす。場が温まった頃合で兼続は切り出した。
「加賀大納言のこと、お悔やみ申し上げる」
神妙な面持ちで述べる兼続に、慶次郎は意に介さず答える。
「お気遣い、痛み入る。なれど、吾は血も繋がっておらず勝手に出て行った身。ほぼ他人で弔意を受ける資格など在らず。ただ……」
そこで言葉を一旦切った慶次郎は、茶碗を置きポツリと述懐する。
「……最期まで忠義と筋を貫き通した、尊敬に値する漢だった」
そもそも、慶次郎が前田家を出奔したのは武家仕えの窮屈さや息苦しさに嫌気が差したからであり、利家と喧嘩別れした訳ではない。その証拠に出奔した者が他家で仕官するのを禁ずる“奉公構”を利家は出しておらず、出奔後に慶次郎と顔を合わす機会があっても普通に接していた。若かりし頃に同じく傾奇者だった利家は慶次郎の性格をよく理解し、縛られた身から解き放たされた事を最善の生き方だと思っていたのだろう。
湿っぽい雰囲気を振り払うかの如く、慶次郎は茶碗を手に取るや中身を一気に呷る。プハァと息を吐いたところで、徐に訊ねる。
「で、天下の山城守様が主君をほっぽり出し茶飲み話をしに来た訳ではあるまい。目的は何だ?」
酔っているとは思えぬ程に真剣な眼差しで質す慶次郎。刺すような視線をサラリと受け流し、兼続は自然体のまま口を開く。
「以前、我が主のことを『真の漢だ』と仰られたとか。それは今でも同じですかな?」
「あぁ。吾はこれまで数多の人を見てきたが、巫山戯てはならぬと思った唯一の人物ぞ」
兼続の問いに慶次郎は胸を張って断言する。
前田家を出奔して暫くした時のこと。秀吉が主立った大名を集めて開いた宴の席に紛れ込んだ慶次郎は、あろう事か猿面を被り頬被りした姿で現れた。嘗て秀吉は信長から“サル”の愛称・嫌悪する者達は“サル”の蔑称で呼ばれ、天下人になった今ではその呼び方をする者は(蔭で言うのは別として)居なかった。それを承知で慶次郎は敢えて秀吉の面前で猿の仕草をしたり参加する大名の膝に腰掛けたりと好き放題に振る舞ったが、景勝だけは素通りした。その理由について慶次郎は『あの威厳ある御方へおちゃらけた事は出来ぬ』と後に語ったとされる。秀吉から“どんな傾いた事も許す”と特別に認めた『傾奇御免状』を与えられた慶次郎も、景勝が発する荘重さに慎んだ形だ。
それを受け、何気ない風に兼続は投げ掛ける。
「慶次郎殿が畏敬される我が主に、仕えてみる気はございませんか?」
まるで雑談の流れの一環みたいに切り出され、流石の慶次郎も目を剥く。
これまで慶次郎を召し抱えたいと誘う話は幾つもあったが、悠々自適な生活を満喫したい思いが強く固辞してきた。肩が凝り息の詰まる宮仕えに倦厭している慶次郎へ兼続が面と向かって口説くと予想してなかったのは反応を見るに明らかだ。
「……お主、何を考えておる」
「いやなに。我が上杉家は会津へ移封した折に大幅な加増を賜り、相応の規模を揃えたくてな。優れた人材は喉から手が出る程に欲しい。慶次郎殿のような天下に鳴り響く勇士が加わってくれるなら猶の事。ただ、それだけです」
真意を糺す慶次郎へサラリと躱す兼続。暫し兼続へ鋭い視線を送っていた慶次郎だが、根負けしたように息を吐いた。
「君、臣を使うに礼を以てし、臣、君を事うるに忠を以てす」
孔子が記した『論語』の八佾第三の十九、魯の定公が孔子に主従の心得を訊ねた際の答えだ。要約すれば『君主は礼儀を以て家臣を扱い、家臣は忠義を以て仕えるべき』というもので、主君はその地位に胡坐をかかず適切に遇し、家臣も誠心誠意で尽くす。一見当たり前のように捉えられるが、主君が家臣を駒扱いしふんぞり返ったり家臣も主君を品定めし見下したり公然と反発したりする事が多々あった。それ故、仕えるに値しない主君へ家臣の方から暇乞いするのも珍しくなかった。戦いに重きを置き本を読む事を疎かにする武士が大半を占める中、『論語』の一文で通じ合う二人は知性が高い部類にあると言っていい。
「あの御方にお仕えするのは吝かではない。然れど、誰かの指図を受けるのはちと……」
「新たに上杉家臣団とは独立した“組外衆”を設け、各々が本領を発揮してもらう予定です」
難色を示す慶次郎に兼続は用意していた案を提示する。
兼続は景勝直属の組外衆を編成した上で、名の知れた浪人達をそこへ組み込み遊撃的役割を任せる構想を温めていた。所領を大きく拡げ余裕の生まれた事もあり外部の血を入れ、より強靭な軍へ進化させようというのだ。先代謙信の薫陶を受けた上杉家の将の下に配属しても戦術の浸透に時間を要する上に譜代と外様の間で衝突も予想される。無理強いし罅を生じさせるより別個の組でまとめた方が得策だと兼続は捉えた。
稍考え込んだ慶次郎は、試案がまとまると残っていた酒を飲み干して答える。
「……興の湧く話ながら、吾にも末のたずきがある。余生も含め、ちと熟慮したい」
落ち着いた口調で述べる慶次郎。ただ、兼続は確かな手応えを感じていた。慶次郎の性格を鑑みれば魅力に欠けると判断した時点で断っていた筈だ。それを考えれば、上々の内容だろう。即座に受諾すれば体裁が悪いのもあり、回答を引き延ばしたとも受け取れる。
「相分かった。良き返事を待っておる」
そう言い、兼続はニコリと微笑む。出された茶を空にしてから、兼続は辞去した。
馬上の人となった兼続は、今回慶次郎を訪問した狙いを相手も察したと解釈した。仕官の話は半分本音、残り半分は別の意図がある。先々を見据えた布石の一つ、その為に兼続は積極的に動いていた。
無駄足にならず良かったと内心安堵しながら、兼続は主の待つ大坂へ歩みを進めた。




