三 : 最上攻め - (8) 失敗のけじめ
直江家の陣所は蜂の巣を突いたような喧騒に包まれていた。主君兼続が殿を務める旨の宣言をした事は漏れ伝わっており、撤収作業と並行して戦支度が着実に進められた。騒がしさはあれどやるべき事を粛々と進める姿に、兼続は頼もしさを覚えた。
その直江家は、家紋が複数存在する。“亀甲に花菱”・“三つ盛り亀甲に三つ葉”・“三つ山”そして“雁金”。兼続が樋口家から婿養子になった事、兼続の妻・船の先夫・信綱も総社長尾家から婿養子になった事、船の祖父・親綱の代まで直江家は取るに足らぬ勢力だった事から、綯い交ぜのまま受け継がれたと推察される。陣の周りには異なる家紋の旗が林立していた。
「兵達の士気は?」
「頗る高いです」
兼続の問いに答えるは、坂田“采女”義満。元は須田家に仕えていたが、上杉家の会津移封を機に直江家へ転籍、須田家時代は主君・満親の下、越中東部の要衝・松倉城や北信濃支配の拠点・海津城と国境近くの最前線に居た。実戦経験豊富な強者の器量を買われ、当主景勝の側近くに侍る事の多い兼続に代わり直江家の軍事面を司っていた。
その報告に「そうか」と応える兼続。義満が大丈夫と言うなら問題はなかろう。あとは……。
「采女」
「はっ」
「明日は激戦となろう。兵達に美味い飯と酒を振る舞ってくれ」
農村から駆り出されたり臨時雇いで加わった雑兵は武家の者と異なり、“御家の為”に働く忠誠心は低い。戦前や滞陣中足軽対象から槍の使い方や鉄砲の操作手順を教わり訓練するものの、一般的に武勲と呼ばれる首級を挙げるのは極めて稀だ。報酬は従軍中に有り付ける盆正月か祭りの時くらいしか口に出来ぬ米や味噌を食べれるのと幾許かの銭が支払われるだけで、命懸けの危険を考えれば正直割に合わない。だからこそ雑兵達は合戦後の現地で金目になりそうな刀や鎧を死体から剥ぎ取ったり、侵略地で寺や民家から財を奪う掠奪・性欲を満たす為に女性を姦す・さらには民間人を攫い人買い商人に奴隷として売り渡す等の倫理に悖る行為に精を出し、本来禁ずる命を出すべき将も実情を知っていたので黙認していた。こうした蛮行は“新たに得た土地の民達が恨みを抱き、戦後統治に重大な支障を来す”と気付き、乱世後半になると報酬を上乗せする代わりに禁止する流れが定着した。厳しい戦いが予想される事から、景気付けに普段より豪勢な食事や酒を提供し末端の兵達のやる気を高めようと兼続は考えたのだ。
「人の手も必要となろう。皆も手伝ってやれ」
義満や他の将では足りぬと判断した兼続は、自らの小姓や近習達にも助力するよう命じた。皆が慌ただしく陣から出て行き、残るは兼続一人のみだ。
(さて……)
体良く人払いを済ませた兼続は、徐に懐から短冊を取り出し矢立ての筆を握る。願わくば後世に評価される句が詠みたいなと思惟を巡らそうとした、その時――!!
「陣中で吟詠とは、結構な御身分で」
突如陣幕が捲り上げられ、不躾な言葉が投げられる。皮肉が多分に込められた指摘に集中を遮られ現実に引き戻された兼続は声のした方へ目を遣ると……視線の先に居たのは前田“慶次郎”利益。
どうして慶次郎が兼続の陣に現れたのか。それも人目を避け時機を見計らい闖入する形で。おまけに当人は兼続が“そうする”と予見していた様子なのも引っ掛かる。
「『解せぬ』って顔に書いてあるぜ。山城守様よぅ」
不意の登場に慮外な展開も合わさり、兼続は内心戸惑っていた。対応の仕方が分からず口をパクパクさせる兼続を尻目に慶次郎は続ける。
「聡慧な吏僚ってのはな、高潔であるが故に往生際が良過ぎるきらいがある。その典型たる人物こそ、治部さ。正々堂々と雌雄を決する戦に固執した結果、味方に裏切られ負けた。山城守よ。御主、此度の最上攻め失敗の責めを自らの御首で贖罪する算段ではあるまいな?」
正に今考えている事を的確に言い当てられ、ドキッとする兼続。返答に窮し固まる間も慶次郎の語りは止まらず、「自刃か? いや、今腹を切っても味方を動揺させるだけだから、わざと敵中へ突貫し囮となるフリで討たれる魂胆か」と明日決行する予定だった流れも言及する。
頭が真っ白になった兼続は、無意識に思った事が口から滑り落ちた。
「何故、それを……」
自分の胸の内に留め、匂わせるような言動や態度も厳に慎んだ。実際、上杉家の将や兼続の身近に仕える臣も怪しんだり首を傾げたりする者は居なかった。“味方が逃げる刻を稼ぐべく猛追してくる敵勢へ斬り込み討死”を遂げれば、最上家は秀吉にもその才を認められ名を広く知られる直江兼続の首級を得られ、上杉家は大罪人の死で幕引きを図れる。最善の落とし処と思っていたからこそ、秘匿としてきたのだ。
ただ、その反応で全てを察した慶次郎は、鬼の形相でズカズカと兼続の元へ歩み寄り――掌で頬を叩いた。
「こんの……馬っ鹿野郎!! けじめのつけ方が違ぇだろうが!!」
雷のような咆哮が鼓膜を劈き、直後に平手で打たれた頬の痛みがじんわりと増幅していく。呆然と立ち尽くす兼続へ、慶次郎は胸倉を掴み猛烈な勢いで捲し立てる。
「己が命で贖うなんざ、凡俗の徒の発想だ!! 真の強者ってのはな、窮途末路であろうと突き進むもんさ!! この先徳川と生き残りを賭けた降伏交渉が控えてるのに、手前が勝手に死んでどうなる!? 生きて御家を救う、それこそ唯一の罪滅ぼしだろ!!」
慶次郎の怒りを孕んだ言葉の一つ一つが、ポッキリ折れた兼続の心を撲る。ただ、過ちを糾弾している訳ではなく、寧ろ消える寸前の炎を喝破で焚き付けようとしていた。
最上攻めの責任にばかり気を取られ、見落としていた危機へ強制的に目を向けられた兼続はハッとする。敵地からの敗走も難題だが、引き揚げを完了させてからが本番だ。天下獲りの覇者・家康への降伏、並びに改易阻止の交渉が控える。此度の内府追討に関する一連の動きで上杉家は“主導的役割を担った”と捉えられてもおかしくなく、百二十万石の大封は恩賞の元手に恰好の的である点も重なり、家康は改易させたいと思っているだろう。取り潰しを前提に話を進めたい勝者に幾つも悪い条件を抱えている敗者の立場では並大抵の事で御家存続は認められまい。
そもそも『“御家安堵”の確約を得るまで降伏せず』の方針を打ち出したのは兼続である。発起人が退場しては後を託された者が強気に徳川家と渡り合うなど到底無理な話で、御家安堵を勝ち取るなぞ百年河清を俟つに等しい。千坂景親や安田能元など優れた取次役が上杉家には居るも、戦国乱世を生き抜いた海千山千の食わせ者達を相手に怜悧な思考と巧みな弁舌で御家に益を齎した兼続こそ適任だろう。
胸倉を掴んでいた手をパッと放した慶次郎は、激しい剣幕そのままに続ける。
「御主には全て委ねた上で戻るのを待っている殿や生還を願う家族が在るだろ!! 大切な者達の想いを無碍にし自己満足で死ぬなんざ、絶対に許さねぇ!! あそこに描かれている雁金は偽物か!?」
言うなり指差した先には、雁金の紋が入った旗指物が風を受け翻いていた。まるで「自分を見ろ」と主張しているかの如く。
雁金……気品に満ちた姿で飛ぶ様は美しい鳥だが、越冬の為に遠い南方へ去っても春になれば群れと共に戻って来る習性から“無事に帰る”象徴とされた。そうだ、自分には帰りを待つ景勝や妻子が居るではないか。大切な存在を失念していた事を恥じると同時に、生への執着が甦る。
瞳に光が戻ったのを見届けた慶次郎は、何も言わず幕を撥ね上げ退出していく。不敵な笑みには「世話の焼ける奴だな」とはっきり書かれていたが、兼続は心の底より感謝した。雁金の紋に兼続は“必ず生きて帰る”と固く誓った。
最上や伊達が何するものぞ、此方は天下にその名を轟かす直江山城守である。風向きが逆になった途端攻めに転ずる輩なぞ、軽く蹴散らしてくれるわ。自信を取り戻し覚悟の決まった兼続は、鬼や悪霊も逃げ出す程の生気に満ち溢れていた。




