三 : 最上攻め - (7) 勝負手の結果
慶長五年九月二十九日、早天。三度目となる長谷堂城への総懸かりが敢行された。前回同様に泥濘対策を施し、さらに兼続は戦に先立ち“軒猿”を城内に放ち『誰某が上杉勢の攻めに呼応し引き込む心算だ』とする偽情報をばら撒かせた。敵方が疑心暗鬼に陥り、防戦の勢いを削ぎたい――関ヶ原の敗報を掴んでいる兼続は相手に知られるよりも先に早く最上攻めを完遂させたい気持ちに囚われ、崖っ縁に立たされている気分だった。
今度こそ攻め落とす。敵の本拠を目前に足止めを喰らわされている上杉勢は将兵共に戦意は軒昂で、味方が傷つき倒れてに怯まず猛撃を続けるも――。
「申し上げます!! 上泉主水様、お討死!!」
その報が届けられた際、兼続は思わず天を仰いだ。
上泉“主水”泰綱、後年“新陰流”と呼ばれる剣術流派の祖・上泉“伊勢守”信綱の孫とされる。北条家家臣だったが天正十八年に主家滅亡で浪人となり、諸国放浪を経て直江家に召し抱えられた。剣豪の血筋や経歴から兵法家(戦術を助言する軍師ではなく、個の武をひたすら磨き高める究道者)と認知され、その才を高く買った兼続だが将の器量を疑問視する者は家中で少なくなかった。どれだけ凄い武芸の腕を有していたとしても、一対一または一対複数なら通用しても雑兵十人が輪を囲み一斉に押し寄せればお手上げだ。故に、将の優劣は“個人の強さ”ではなく“兵を率いる巧さ”で評価され、武芸を修得するのは“将として邪道、無意味”とされ嫌厭されていた。図らずもそれが実証され、兼続も家中で名の通る泰綱の死が味方の士気に悪影響が及ぶのを恐れた。
ただ、兼続の心配は不要だった。将兵達は先に逝った味方の屍を乗り越え、勇猛果敢に金城鉄壁へ突き進む。刻が経過しようとも、上杉勢の攻めは鋭さを保ち続けた。
そして迎えた、日没。長谷堂城は――落ちなかった。
上杉家の威信と覚悟を賭して挑んだ三度目の総懸かりも、粘性の土壌と惜しみなく放たれる矢弾に阻まれた。塀の内へ入れさえすれば展開は変わっただろうが、結果論だ。僅かな望みを信じ博奕的な作戦に踏み切った兼続は、厳しい現実を直視する必要があった。
今日の失敗で、最上攻めを完遂する兼続の野望は露と消えた。多くの将兵を死傷させた責任はいつか負わねばなるまい。家中には家宰として強い権限を持つ兼続を快く思わない者が少なからず居るのは承知している。輝かしい経歴に深い傷が付いた事で一気に排斥論が高まるだろう。失脚で御の字、詰め腹を切らされる事も充分に有り得る。
しかし、兼続は自らの処遇について些末な事と気にも留めてなかった。目を覆いたくなる死傷者の数も重要だが、それより優先すべき懸案がある。その為に辛いながらも泰然と各陣から届く報告を受けていた。
総力を挙げ取り組んだ城攻めが不首尾に終わり失意のどん底にある上杉勢へ、追い打ちをかけるように悪い知らせが翌日舞い込んできた。
「申し上げます。雑兵達の間に『去る九月十五日に御味方大敗』の風聞が流れております」
士分の者を装った“軒猿”が、声を潜めながら兼続に伝える。何れ士卒達の間にも伝わると兼続は覚悟していたが、思っていたより早い。恐らくは味方に紛れ込んだ敵の間者による仕業か。領内から徴発、または一時雇いされた末端兵の身元を全て確認するなぞ不可能で、敵の忍びや下士卒が潜入するのは間々ある話だ。実際、上杉方も長谷堂城内や最上勢へ秘かに潜り込んでいる。主な役目は情報収集だが、虚報や都合の悪い知らせを広め攪乱する任務も兼ねていた。
とすれば……最上方にも関ヶ原の結果が届いたのであろう。援軍に赴いた伊達勢が掴んでいるかは不透明だが、間を置かず知る事になると見ていい。
「相分かった。緊急の軍議を催す。各将に集まるよう伝えよ」
「はっ」
兼続の命を受け、近習達は誰がどの陣へ行くか相談を始める。その間に“軒猿”は気配を消してその場から立ち去っていた。
無謀な強硬策を押し通した時点で、最悪の展開を迎えた際の処置も決めていた。心構えが既に固まっている兼続は、清々しささえ感じられる程に晴れやかな表情だった。
慶長五年九月三十日。上杉勢が本陣を構える菅沢山に主立った将達が集まった。前日の失敗に加え兵達の間で中央の戦にて味方大敗とする情報が周知の事実として広まっており、先行きを不安視している所為か重苦しい雰囲気に包まれていた。
全員が揃ったのを確かめ、総大将の兼続が切り出す。
「各々方、招集に応じて頂き、忝い。取り急ぎ話し合いを設けたい事態となった。……敵に、去る十五日に行われた決戦の結果が伝わった模様だ」
落ち着いた語り口で兼続が告げるも、諸将に動揺の色は見られない。各陣でも足軽達が噂しているのは把握しており、秘匿にしていても刻が経てば知られるものと理解していたからだ。
ただ、上杉勢にとって非常に拙い展開になった事に変わりはない。一部の将は不安な表情を浮かべている。
兼続は一拍の間を挟み、粛然と言い放つ。
「最上攻め完遂が絶望的となった今、これ以上敵地に留まるは危険である。明日より撤退する」
この中で最も最上家を滅ぼすべきと主張してきた兼続が、退却を宣言した。断腸の思いで決めたであろう総大将の心中を慮り、皆は神妙な面持ちで頷く。
「一番手は上田衆、続けて組外衆・揚北衆・旗本衆と引き揚げる」
「……お待ち下され。旦那は、如何するお心算で?」
割って入ったのは、水原親憲。兼続の名が出なかった事に疑問を抱いたのであろう。
それに対し、兼続はニコリと微笑みながら答える。
「殿は、我が与板衆が務める。率いるは勿論、私だ」
穏やかな口調でサラリと述べるも、有無を言わせぬ気迫が滲んでいた。その圧に押され、皆は言葉を噤む。
与板衆は兼続の妻・船の父で二代前の当主・直江景綱が居城とした与板や近隣の国衆で構成された部隊だが、兼続の代になり上杉家家宰の地位に就くとその格に相応しい陣容を整えるべく他国出身者や寺関係者を召し抱え、家中屈指の軍団に拡大していた。
撤退戦で最も難しいのは、部隊の最後尾を務める殿だ。“自領へ引き揚げる”と表現すれば聞こえはいいが、正味なところ“形勢が悪くなったから戦いを止め敵地から離脱する”のが真相である。自然、末端の兵は“死にたくない”という恐怖や不安から逃げ腰となり、統率の執れた軍事行動を行うのは容易くいかない。おまけに、敵は“遁走する奴等から目星い者を討って手柄を挙げたい”と嵩に掛かって攻め寄せる。勢いも気運も相手が上という状況で、味方を一人でも多く帰還させる任務を果たすという至上命題が求められる。厳しい戦を強いられる為に損害は大きく、殿の将が討死する事も間々あった。
最も過酷な役割を真っ先に手を挙げた兼続に、異論や助力の意見は出なかった。これを受け、兼続は皆が同意したと捉え軍議の締めに入る。
「では、そういう事で。皆々様、よしなに頼む」
方針が定まり、将達は足早に退出していく。皆、明日の退き陣に向けた準備を急ぎたいのであろう。一人また一人と去る中、最後まで残っていた前田慶次郎も兼続へ一瞥してから辞した。何か言いたげに映ったのは気になるも、兼続の方も退却戦に備えるべく自陣へ戻る事を優先した。
上杉家の旗本衆に本陣の撤収作業を命じ、兼続は直江家の陣所へ向かった。ただ、一刻を争う状況にも関わらず兼続に急ぐ素振りは見られず、爽やかさすら感じられる相貌を浮かべているのが妙に引っ掛かった。




