三 : 最上攻め - (6) 攻めるか退くか
慶長五年九月二十九日、正子〈午前零時〉頃。兼続による緊急の呼び掛けで軍議が開かれた。皆眠ってたらしく寝惚け眼の者も少なくない。
「皆の衆。夜更けに参集を命じたこと、申し訳ない」
開口一番に非礼を詫び軽く頭を下げる兼続。顔を上げた兼続は明瞭な声で告げる。
「たった今、報せが届いた。去る九月十五日、美濃で天下分け目の戦が行われ、味方は敗れた」
兼続の口から発せられた衝撃の内容に、一同の眠気も吹き飛んだ。動揺を表す者もある中、続け様に語る。
「この事は、今この場に居る者しか知らぬ。将兵達に秘匿とした上で、我等は乾坤一擲の大勝負に打って出る」
箝口令を布くのは分かるとして、兼続は皆の想像とは異なる意向を示す。何を考えているか理解が追い付かない全員の耳目を集める中、自らの腹案を披露する。
「本日、陽の出と同時に総攻めを致す。どれ程の損害が出ようとも、落とすまで攻める。そして――明日、最上と無二の戦に臨む」
厳かに言い渡した方針に、全員が息を呑む。無謀・無茶は重々承知、御味方大敗を受け最上攻めを達成するにはこの策のみと兼続は信じていた。
上杉勢の障壁となっている長谷堂城さえ落とせれば、最上家の本拠・山形城攻めの懸念は霧散する。しかも義光は後詰めで城から出ており、従前の数的優位を活かせば勝利も夢ではない。義光が関ヶ原の結果を知る前に、または掴んでも大勢を覆す事が不可能な状況にまで叩いてしまえば、此方が「知りませんでした」とシラを切れば済む。最上領約約二十四万石を併呑すれば上杉家は百五十万石近くと奥羽で群を抜いた規模となり、自らの政権基盤がまだ固まりきっていない家康は遠国への遠征を避けるべく譲歩を引き出せる可能性がグッと高まる。成功の見込みは極めて薄いが、御家存続の望みが高まる事を考えれば賭けるに値する作戦だと兼続は確信していた。
兼続の献策に対し、発言する者が現れる。
「旦那、一つお訊ねしてもよろしいですか?」
「何なりと。常陸介殿」
許可を得た水原親憲は、落ち着いた口調で質した。
「直ちに退き陣の支度を始め、夜が明けぬ内に長谷堂城から離れる。損失を最小限に抑えるべきなら最良と存ずるが、如何に」
親憲の口述に数名がギョッとした顔を浮かべる。質問の体ではあるものの、兼続の方針と真っ向から相反する献言だ。
周りの反応に意も介さず親憲は語を次ぐ。
「初戦の失敗を受け埴土対策を講じ再び総懸かり致しましたが、効果はありませなんだ。力攻めでは死傷者を増すだけと判断なされた旦那は離間を試みるも、城方にそうした兆しは見られませぬ。内部より手引きの確約を得ておらぬのに三度突撃しても、結果は同じでは? 中央の情勢が混沌としているならまだしも、内府勝利が確たるものになったからには、成し遂げる望みが低い戦を続けるのはどうかと。ここは執着を捨て撤退すべきです。数は減らせど我等はまだ二万を超す軍勢がございます。天下を完全に掌握しておらぬ内府も無益な戦は避けたいでしょうから、武力を維持する方が交渉の余地はあるように勘案致しますが……如何ですかな?」
理路整然と自論を述べる親憲。それに対し、兼続は奥歯をギリッと強く噛み締める。
双方共に“御家の為”という点では一致している。違いは“最上攻めを完遂するか断念するか”の二択でどちらに重きを置いたかだ。親憲に兼続を追い落とす害意の無い分だけ余計にタチが悪い。それを表すように親憲の推す退却案に賛同する空気へ徐々に傾きつつある。
この流れは非常に不味い。兼続の策は博奕が過ぎる。中央の戦で味方が負けた結果を踏まえれば親憲の策が手堅い、という雰囲気が醸成し始めている。総大将の一存で押し通す事も可能だが、一軍を率いる将が納得せぬまま戦に臨めば本来の力を発揮出来るとは到底思えない。将の精神状態は兵の士気に直結するからだ。何としても流れを引き戻さねば。
暫し黙考する兼続に、皆は総大将がどう返すか固唾を呑んで待っている。息を一つ吐いた兼続は徐に口を開く。
「常陸介殿の懸念、実に御尤も。兵を損ずる前に退くのは、一理ある」
同意を示した事で前言を翻すかと皆が思った直後、それを打ち消すように「然れど」と続ける。
「これまで一方的に攻め立ててきた我等が急に陣を引き払えば、敵は必ず怪しむであろう。機密を隠したまま兵達に退却を命じれば、『何か悪い事があったか?』と動揺を招く恐れもある。将兵達が不安を抱え戦うのは弱卒同然なのは皆もよく存じておろう。故に、我等は“逃げる”のではなく“勝って凱旋する”のだ」
胸を張り堂々と話す兼続。その語り口に撤退論へ傾いていた諸将も考え直す空気に変わった。
「内府への手当ては如何するお心算で? 自らに味方していた最上家を滅ぼしたとあらば、内府の心象は確実に悪くなりますぞ」
強硬策を貫く兼続へ、親憲は厳しく追及する。
今の段階で三成を始めとする奉行衆や大老・秀家の生存は不明だが、誰の目にも明らかな敗北を喫した以上は中枢から放逐されるだろう。片や天下獲りの大一番を制した家康は自らを頂点とする新たな権力体制を構築し、諸大名に此度の戦の結果を受けた賞罰を行うのは必然だ。勝利に寄与した者には加増、逆に刃を向けた者は減封・改易、若しくは――切腹・斬首。唯でさえ徳川追討の首謀者の一人と見做されているのに東軍方の最上家を滅亡させたとなれば、罪を重ねるようなものだ。幸いな事に最上家は虫の息ながらまだ在り、今から直ちに撤退すれば“未遂”で終わる。あとは関東へ侵攻しなかった事を“徳川家へ敵対する意志は無かった”と弁解し、平身低頭此方の過ちを詫びれば御家の断絶を回避する望みはある――親憲はそう言いたいのだ。
手堅さを求めるなら、親憲の策を採るべきだ。次の天下人たる家康の機嫌を損ねる行動は慎むべきであり、御家断絶という最悪の結末は何としても阻止すべく手を尽くす。常人ならそう考えるだろうが、兼続は違う。
「――ならば、最上攻めを取り止め平蜘蛛の如く詫びて、内府が御家存続を認める保証は?」
「それは……」
舌鋒鋭く切り返した兼続に、親憲も答えに窮す。
ぶっちゃけた話、敵方の大名を残すか潰すかは家康の胸三寸だ。こちらがどれだけ誠心誠意謝罪しようとも、家康の気分次第でコロリと変わる。それならいっその事――。
「内府より“御家安堵”の確約を得るまで、我等は降伏せぬ。それが私の存念だが、如何に?」
キッパリと宣言した兼続は、同席する将達に問う。唐突に意見を求められ、皆戸惑いを見せる。
兼続の提唱する策は『反省の色が見られない』と受け留められる危険を孕んでいるのは誰もが承知している。かと言って、許しを乞うても赦される見通しは不透明だ。寧ろ必要以上に下手へ出た場合、家康は“恐るるに足らず”と判断し厳しい処分を下す方へ傾く可能性が高い。上杉家の矜持と武威に賭けて安易に膝を屈すべきではないとする兼続の考えは謙信より薫陶を受けた譜代の臣達の心に刺さるものだが……早急に詫びを入れるか、ギリギリまで虚勢を張るか、判断に迷うというのが一同の思いか。
どちらも甲乙付け難いと口を閉ざす者が大勢を占める中――突如重苦しい空気を一掃するように豪快な笑い声が響いた。
声の主は……前田慶次郎。
「確かに、旦那の仰る通り! あの狡い“狸”が一度噛み付いた相手に寛大な処置をするとは思えぬ。恩賞を配るのに会津百二十万石は垂涎もの。必ずや陥穽に嵌めるべく息を潜めていることであろう。そも“狸”は化かす獣、『化かされた!』と喚いたところで『誑かされる方が愚か』と片付けられるがオチよ。そして何より……尻尾を巻いて逃げるのは吾の性に合わん!」
最後は慶次郎の私見ではあるものの、大半の者は共感を示した。“狸”とは齢を重ね下っ腹が出てきた家康を揶揄する表現で、秀吉の蔑称たる“猿”と並び禁句とされていた。それでも痛快に扱き下ろした慶次郎の言葉は戦塵の中で暴れるのを生き甲斐にしてきた武者達の心に火を点けるのに充分過ぎる説得力があった。
猶も戦略的撤退をすべきと考える親憲へ、「常陸介殿」と慶次郎が声を掛ける。
「中央の戦いで内府が勝った今、心象を悪くする振る舞いは慎むべきとの御気持ち、よく分かり申す。然れど、弱目を見せれば付け入られるのが乱世の習い。最上を攻め滅ぼす事で上杉の武力を示し、交渉で御家安堵を引き出す脅しと捉えれば、強ち悪い手ではないように吾は思うが……如何だろうか?」
真面目な口調で諭す慶次郎。対する親憲は自分とは異なる観点に驚いていた。
次の天下人たる家康とは将来降伏を前提とした協議に入るが、冒頭から上杉家から非を全面的に認めては侮られる恐れがある。外交は駆け引きであり、自らの首を絞める危険を冒してでも強気に臨まねば欲する結果を得られない時もある。脅しをちらつかせ譲歩を迫る手法も存在すると慶次郎は促した形だ。
親憲は顎に手を当てて黙考する。先の兼続が話した内容と合わせ、どちらが御家の為になるか見極めようとしているのだろう。
稍あって、親憲は「うん」と一つ頷いてから口を開く。
「……まだ終わっておらぬのにあれこれ事後の事を憂いていても埒が明きませんな。眼前の戦に勝てるよう最善を尽くしまする」
神妙な面持ちで応える親憲。自らが推した即時撤退策を取り下げた事で、方針は定まった。
心の底から賛同している訳ではないが団結を優先してくれた親憲に、兼続は内心で頭を下げた。総大将の披露した策に真っ向から反対するのは勇気が要る上に他の家臣から“和を乱す”と誤解される恐れもある一方、成功の見込みが薄い作戦に対する不安や疑問を親憲が代表して指摘してくれた事で解消された。深く考えず上の言うままに全員が従うより余程健全である。
議論は尽くされ、急遽決まった総懸かりへ間に合わせるべく諸将は自陣へ戻って行く。最後まで残っていた慶次郎が退出するのを見届けた兼続は、床几に座ったまま深い溜息を吐いた。その顔は極めて厳しいものだった。




