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三 : 最上攻め - (5) 飛報

 慶長五年九月二十八日、夜。兼続は落胆の気持ちを抱えたまま寝所へ入った。

 兼続が弄した調略も流言も、不調に終わった。志村光安も鮭延秀綱も話すら応じず、従う将兵達も両名に全幅の信頼を寄せている。手詰まり感はあれど、内部の切り崩しは城内で厭戦《えんせん》気分が出てきてからが本番と自分へ言い聞かせる他なかった。

 寝床《ねどこ》に体を横たえようとした、その時――人の気配を感じ、反射的に刀へ手を掛ける。

「――旦那」

 闇の中から、聞き覚えのある声がした。誰か分かった兼続は身構えを解《と》き、声のした方へ顔を向ける。

「百足か。如何《いかが》した」

 上杉家お抱えの忍び集団“軒猿”の頭目たる百足は、主君・景勝の側に普段は居る。身辺警護と機密保持の最重要任務に従事しており、兼続が景勝の側から離れている時は信の置ける配下の者を遣わす事が常だ。にも関わらず百足本人が来るとは、一体どういう風の吹き回しか。

「殿より、『これを旦那へ』と」

 そう言い百足が差し出したのは、小さな紙縒《こより》。捻《ねじ》りを解《ほど》き文面に目を通した兼続は、驚愕の表情を浮かべ手が大きく震える。

「ば――」

 俄かには信じ難《がた》い内容に思わず声を荒らげようとするも、咄嗟《とっさ》に自制する。此処は陣中、幕一枚隔(へだ)てた状況で兼続が大声を出せば異変を察知した誰かが駆け付ける恐れがある。影の者として生きる百足の存在が知られる事や上杉勢の総大将たる兼続が慌てふためく様を他人に見られるのは非常に拙《まず》い。

 どんな危難《きなん》変事《へんじ》にも冷静に対処してきた兼続が激しい動揺を露《あら》わにするのは、百足が齎《もたら》した密書があまりに衝撃的過ぎたからだ。

『去る九月十五日、美濃・関ヶ原にて両軍交戦。我方《わがほう》、敗壊《はいかい》』

 端的な記述に兼続が思わず「馬鹿な!!」と叫びたくなるのも無理はない。双方十万に迫る大軍を擁する空前絶後の規模を誇る争いが、一度の交戦で決着が付くなぞ有り得ないからだ。

 ただ、密書の内容を裏付けるかの如く百足は兼続へ補足する形で事の顛末《てんまつ》を語る。

 九月十四日、家康は美濃・赤坂に着陣。八月二十七日に岐阜城陥落の一報を受けた家康は“このままだと自分抜きで戦が終結してしまう!!”と危機感を抱き、九月一日に大急ぎで江戸を出立。西軍側も家康の動向を把握すべく東海道筋に忍びを撒《ま》いていたが優れた伊賀忍びを多く召し抱えていたのもあり悟られる事はなかった。それ故、家康の所在を示す『厭離穢土《おんりえど》 欣求浄土《ごんぐじょうど》』の旗標が突如出現した際には、西軍側で激しい動揺が起こった。

 西軍の実質的な総大将・石田三成は大垣城にあり、他の軍勢も同城または近隣に陣を布《し》いていた。中山道《なかせんどう》を進む徳川勢の別動隊は到着しておらず、数的不利な状況で城攻めしても勝機は薄いと考えた家康は、得意の野戦へ持ち込むべく『東軍は大垣城を通過し大坂へ兵を進める』と虚偽の情報を流した。これを真に受けた三成は『秀頼公の居《お》わす大坂へ行かせまい!』と家康の西進を阻むべく関ヶ原で迎え撃つ算段を決めた。

 家康の目論見《もくろみ》通りになるも、三成には確かな勝算があった。関ヶ原北西の笹尾山に石田勢が入り、北から順に島津・小西・宇喜多・大谷の各勢が連《つら》なるように陣を布《し》き、東軍の行く手を阻む構えだ。さらに南の松尾山に小早川秀秋、南東の南宮山《なんぐうさん》に毛利秀元・吉川広家・安国寺恵瓊の軍勢があり、西進してきた東軍を包み込む態勢が整っていた。関ヶ原を南北に貫く軍勢が食い止めている間に毛利の大軍が背後から攻め、殲滅《せんめつ》させる。戦巧者《いくさこうしゃ》の家康であれど倒せると三成は自信を持っていた。

 翌九月十五日、暁闇《ぎょうあん》。濃い霧に包まれた中で木霊《こだま》した鉄砲の発砲音を契機に、戦端は開《ひら》かれた。

 いける――勝利の確かな手応えを得た三成は仕上げの手を打った。しかし、ここで想定外の出来事が起こる。出撃の合図である狼煙《のろし》を上げるが、松尾山・南宮山に動きは見られなかったのだ。

 家康もまた、勝つ為に策を講じていた。どちらへ与《くみ》する事に難色を示していた毛利輝元を西軍の総大将に担《かつ》ぎ上げた恵瓊の伸長を忌々しく感じていた吉川広家や毛利家重臣・福原広俊(ひろとし)などへ秘かに手を回し、本多忠勝・井伊直政達と『戦へ加わらなければ本領安堵』の密約を交わした。それを知らぬ秀元や恵瓊は広家へ出撃を迫るも、南宮山の麓《ふもと》に陣取る吉川勢が立ち塞《ふさ》がり行動へ移せずにいた。結果、南宮山近くに布陣していた長束正家・長曾我部《ちょうそかべ》盛親《もりちか》勢と合わせ凡《おそ》そ二万六千の軍勢は参戦せず終局を迎えている。

 片や、小早川秀秋。こちらは少々事情が異なる。北政所の兄・木下“肥後守《ひごのかみ》”家定《いえさだ》の五男に生まれた秀秋は秀吉、次いで小早川隆景の養子となり、慶長二年六月に隆景の死により小早川家の当主となる。豊臣家の血縁者たる秀秋は現在西軍に属すも、本心では東軍に加わる心算《つもり》だった。慶長三年一月、朝鮮から帰国した秀秋は“先の戦で不届きがあった”と一方的に糾弾され、筑前名島(なじま)三十万石から越前北ノ庄十五万石へ減封・転封を言い渡された。この決定は秀吉の病状悪化・死去で有耶無耶《うやむや》にされ、翌慶長四年二月五日付で筑前・筑後《ちくご》五十九万石に加増され復領している。この裁定に家康が主導的だった点、没収された筑前領を三成が代官として治めた点から、秀秋は家康に恩を抱き三成を憎んだ。

 上杉征伐に遅れて合流すべく東征していた最中に『内府ちがひの条々』が発布され、畿内に居た秀秋は不承不承西軍へ組み込まれた。伏見城攻めには参加するもその後は病を理由に戦線から離脱。暫くして美濃で決戦の機運が高まるや、秀秋は先に松尾山で駐留していた伊藤盛正(もりまさ)を強制的に追い出し、約一万五千(八千の説あり)の大軍で籠もった。

 小早川勢は拮抗する戦局を変えるだけの影響力を備え、東西双方から寝返り・引き留め工作が行われていた。家康は大幅な加増を約束し、旗幟《きし》不鮮明を訝《いぶか》しんだ三成は“畿内で二ヶ国・秀頼が成人するまで関白職就任”と思い切った条件を提示した。自らの決断で東西の勝敗が直結すると理解した秀秋は、どちらへ与するべきか迷っていた。

 たかが十九歳の若造が首鼠《しゅそ》両端《りょうたん》を持《じ》す状況に苛立ちを募《つの》らせた家康は、秀秋に決断を促すべく松尾山の麓から山頂へ向け威嚇の鉄砲を撃たせた。銃弾は小早川勢に届く距離ではなかったが、家康の怒りを感じ取った秀秋は震え上がり東軍へ味方する事を即決した。小早川勢は大谷勢へ襲い掛かるも、背信を想定していた吉継は予め備えていた部隊と連携し進撃を食い止めた。しかし……小早川勢造反の為に配置していた手勢の一部も同調、予期せぬ展開に軍略家《ぐんりゃくか》の吉継も持ち堪《こた》えられず、東軍勢の大波に呑まれた。大谷勢の壊滅を境に西軍勢は次々と敗走、最後まで戦い続けた三成も少ない供回りを連れ近江方面へ逃走した。

 勝敗が決した後、それまで息を潜《ひそ》めていた島津勢が関ヶ原に展開する東軍勢へ突撃する形で撤退を開始。中央突破は難しいと諦めた島津勢は方向展開し戦闘は終結したが、先の朝鮮出兵で無類の強さから“鬼石曼子《グイシーマンズ》”と敵方から呼ばれた義弘を始め死兵と化した軍勢が分厚い壁を構築する東軍勢を食い破る姿に家康も肝を冷やした。追撃した徳川勢にも差し違える覚悟で敵勢に立ち向かう“捨て奸《がまり》”戦法で井伊直政がこの時に受けた傷が元で死去するなど、手痛い被害を被《こうむ》っている。

 西軍八万超・東軍七万五千の大軍が衝突した関ヶ原の戦いは、半日の激闘の末に東軍勝利で幕を閉じた。この規模の戦が一度ではっきり決着が付いたのは、古今東西でも稀有な例だろう。

 百足から戦の経過を伝えられ、兼続は重い溜息を吐いてから「そうか」と弱々しく溢《こぼ》した。

 まだ大坂には総大将の輝元が“玉《ぎょく》”たる秀頼を抱えた状態で鎮座するも、“御家が滅ぶ危険を承知で家康の天下獲りを阻止する”気概《きがい》に欠けていた。総大将になるよう進言した恵瓊の行方《ゆくえ》は知れず、今後は家康に近い広家が毛利家の実権を握ると思われる為に和議の方向へ進むだろう。反家康の中心人物だった三成・秀家・恵瓊を失った今、西軍が戦を継続する芽は潰《つい》えた。それは同時に、兼続が目指していた構想も露と消えた瞬間だ。

 喪失感に襲われる兼続だが、ハッとして百足に訊《たず》ねる。

「殿は……殿は、何と申しておった?」

 脳裏に浮かんだのは、主君・景勝の顔だった。

 半ば強引に説き伏せる形で最上攻めを了承させた手前、関ヶ原の結果を受け景勝はどう思っているか。具体的な指示はあるか、家康に敵対する行動を執《と》った兼続に責任を取らせる心算《つもり》か、景勝の意思を知りたかった。

 縋《すが》るような目で問われた百足は、常と変わらぬ声で答える。

「『任す』と」

 その言承《ことう》けを聞いた兼続は主君らしいと思うと共に、気力が復活するのをヒシヒシと感じた。

 一見《いっけん》突き放したようにも受け取れるが、それは違う。兼続の発案であろうと自分が決めて託したからには、最後まで信じ切る。そうした強い想いを短い言葉から伝わってきた。主君が信じてくれている以上、家臣たる兼続も最善を尽くす他あるまい。

「……相分かった」

 密書を返した兼続は、吹っ切れたような表情をしていた。百足は用が済んだと判断し、闇の中へ消えていった。

 まだ、終わった訳ではない。中央の覇権争いの影響が地方へ波及するまで日時を要する。最果ての地とも称される奥羽なら猶更《なおさら》だ。兼続はその時間差に活路を見出《みいだ》した。

 今は兎に角、刻《とき》が惜しい。兼続は寝所を出て近習を呼ぶ。最上攻め完遂の微《かす》かな可能性に挑もうとしていた。


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