三 : 最上攻め - (3) 長谷堂城
兼続率いる本軍は山形城方面へ進み、九月十四日には菅沢山に着陣し長谷堂城を包囲した。
長谷堂城は山形城より南西に約二里〈八キロメートル〉に位置し、西から山形城を攻める敵方の背中を脅かす最上方で最重要拠点の一つである。もし長谷堂城が落ちれば後顧の憂いなく山形城攻めに集中出来る事から、最上方としては絶対死守したい要衝だった。城は山の頂上に築かれ、周囲は深田の広がる地形と合わせ寄せ手に不利な構造となっていた。
最上義光も長谷堂城が上杉方の手に渡れば山形城は陥落したも同然の危機と自覚しており、重臣・志村光安を大将に猛将・鮭延秀綱を副将に派遣し、約千名の将兵で守り抜く体制を整えた。ただ、上杉勢は先日の畑谷城攻めで少なからず損害を出しているものの凡そ一万八千の軍勢を持ち、当時の城攻めで必要とされる目安“城方の三倍の兵力”を優に超えていた。
物見からの報告を受けた兼続は、楯机の上に広げられた絵図を前に渋い表情を浮かべる。
「……さて、どうしたものか」
数を頼みに力攻めすれば、多数の死傷者を出すのは必至。上杉勢も城の弱点や歩きやすい箇所を探すなど模索しているが、攻め口を見出せずにいた。
図面を睨みながら、閉じた扇子を肩でポンポンと叩きながら考え込む兼続。要害堅固な城を攻める際は兵糧攻めや井戸の水を涸らす金堀り等が常道なれど、兼続は最上攻めを早急に完了し関東侵攻へ移行したい思惑があり長谷堂城に割く刻が惜しい。但し、拙攻で将兵を多く損じては今後の作戦に悪影響を及ぼす。足軽など下級職の兵は補充が利くのに対し、部隊を率いたり誰より先んじて敵中へ斬り込み味方を鼓舞させたりする将は経験を重ね育てる関係で喪うのはかなりの痛手だ。しかも将は場数の多さである程度は成長するが、才の優劣で戦力を大きくも小さくもなる。千の兵を指揮する、若しくはそれに匹敵する一騎当千の猛将は非常に稀少で、実績ある勇士が浪人になれば幾つもの大名家が挙って仕官の誘いを出す程である。秀吉が天下統一を果たし日ノ本から戦は無くなったが、その後の朝鮮出兵や秀吉没後の政情不安定で需要は常に高止まりしていた。
暫し熟慮していた兼続は、方向性が定まったらしく顔を上げる。
「一気呵成に落とす。各々方の奮戦に期待する」
「ははっ!!」
はきと告げた兼続に、居並ぶ将達が揃って頭を垂れる。多くの者の顔色が強張っていたのを、兼続は見逃さなかった。
犠牲覚悟で我攻めを選んだのは、時間に替え難いと判断したからだ。別動隊もこの先合流する予定な為、山形城を攻め落とせるだけの兵数は揃っている。それより厄介なのは義光が隣国の伊達政宗へ救援を求める可能性がある点だ。政宗の母・義姫は義光の同母妹で、豊臣家恭順を巡り政宗を毒殺しようと試みるも失敗し伊達家から出奔する程に関係は悪化しているものの、実母の最上家が存亡の危機にあるとなれば兵を送る可能性も充分に考えられる。長谷堂城さえ落とせれば山形城攻略に全力を注げる事から、伊達勢が到着する前に決着をつけてしまおうという算段だった。
斯くして、最上攻めの成否を占う長谷堂城攻防戦の始まろうとしていた――。




