第1話 目覚めたのは、全てを失う前の世界
目を覚ます。
再び浮上した意識を周囲に向けると、そこは確かにかつて暮らした我が家だった。妙に頭が冴えている気もした。ふと、右手を掴まれている感覚に視線を向ける。
「おにい、さま……」
「セシリア……!」
そこにいたのは、確かに失ったはずの兄だった。
夢じゃなかった。
私の望んだ夢を、私の記憶が見せているだけかと思った。けれど確かに、兄の手の感触は本物だ。兄は安心したように私の顔を覗き込んで……泣いていた。
「セシリア……良かった。本当に…………」
どうして泣いているのか、なぜ私のベッドの横に座っていたのか、疑問は尽きない。ただ、私を心配してくれたのは、なんとなく分かった。
その後、私の部屋から聞こえてくる啜り泣く声に、使用人たちが慌てて部屋に入ってきた。そうして、すぐに屋敷中が大騒ぎとなった。
父、母と共にお医者様がやってきて、熱は下がったが少しの間は安静にと言われた。どうやら私は熱を出して寝込んでいたらしい。それも話によれば一週間程は高熱でほぼ意識のない中寝込んでいたそうだ。どうりで身体が重い訳だ。一週間、まともに食事も取れず寝たきりであれば身体も鈍って動きにくくなる。その上高熱で寝込んでいたのなら怠くて当然だ。
そしてどうやら、私が寝込んでいる間毎日のごとく看病をしていたのは、他でもないお兄様らしい。しかもその後もことあるごとに見舞いと称して私に会いにくる。昔の事ながらこんなに仲が良かっただろうかと疑問に思う。
私はというと、目を覚ました後は数日部屋で休ませてもらっていた。普段から大人しくしない私にしては柄にもないことをしている自覚はある。父と母は今回ばかりは特に反対することもなく、兄に至ってはむしろもっと休めと言われてしまった。
(そうも言ってられないのだよ)
ベッドから起き上がり、私室に置いてある姿見の前に立つ。記憶より低い背、小さい身体に短い手足。周りに見えるのは古い記憶にある自身の部屋。間違いなく、私が生まれ育った家だ。
何故こんなところにいるのか。誘拐なんて簡単な話ではない。いや誘拐も簡単ではないが。この家はもう既になくなっている。父も母も、お兄様も、もういないはずなのだ。けれど時間が経つ程、これが夢や幻ではないという実感が出てくる。私の前にあるのは、紛れもない現実だ。
家の様子、私が付けていた日記を読むと、自ずと現状が見えてくる。もう何年も前の、過去にいるようだ。今の私は十歳。兄がシェラード家に連れてこられてから、約三ヶ月程。なんとも言えないタイミング。
都合が良いと言えば良い時期だ。この時期、私はまだフリー……婚約者がいなかったはずだ。もう随分昔の事で記憶は朧げだが、私の婚約が決まったのは兄と親しくなって少し経ってから。まだ兄がシェラード家に来たばかりというのなら、まだあのバカ──第一王子との婚約は決まっていないはずだ。
嫌でも思い出す。何度も夢に見た、過去の記憶。私と兄、それぞれに婚約者がいた。私はこの国の第一王子、兄は我が家と縁のある侯爵令嬢。
第一王子は早く生まれたものの、正妃ではなく側室の子だった。側室といっても、国王が第一王子の妊娠を機に強引に側室に迎え入れた、いわば私生児のようなもの。シェラード家ではその傾向は薄いが、この国は未だ血統主義が強い。第一王子より、第二王子を次の国王にという声は、少なくなかった。
けれど国王は、どうしても第一王子に王位を継がせたかったらしい。そこで、私に白羽の矢が立った。建国以前から存在する高貴な家系、シェラード家。都合よく、タイミング良く、年の近い私がいた。そこで、私と婚約を結ぶことで、貴族連中を、無理矢理納得させたのだ。
なんという暴挙。なんという傲慢。蓋を開けてみれば第一王子は凡人な上に努力もしない。いわばただのバカだった。才能もない、努力もしない、面倒くさがりで自分で動きたがらない。こんな王がいてたまるものか。
兄はといえば、私と真逆の理由。言ってしまえば、第一王子と同じ理由だ。母は元から身体が弱かったようで、私を産んですぐ、子を成せない身体になった。医者が言うには、今でも普通の暮らしができているのが奇跡らしい。父は私と母が無事なら別に構わなかった。
ただそれでは公爵家を継ぐ者がいない。私が継いでも良いが、女では何かと貴族連中につつかれる。なんせこの国に四つしかない四大公爵家のひとつだ。そうして、親戚にあたるラウダー伯爵家から、養子として連れてこられたのが兄であるルクスだった。本当は私の婿養子にしようと思っていたらしいが、それも第一王子との婚約で消え去った。まぁ、これは兄が家に来て数年経ってから教えられたことだが。
ただ、兄は親戚とはいえ、公爵令息ではない。だから、父は仕方なしに父の叔母が嫁いだ侯爵家の令嬢との婚約を決めた。
そして、それが全て噛み合わなかった。いや、何もかもが悪い方向に噛み合った。
私の婚約者と、兄の婚約者が親しくなった。頭の痛い話だ。バカもここまでくると怒りを通り越して呆れるものだ。政略結婚の意味も分からないなんて。私が婚約者から外れて、困るのは向こうなのだから。
けれど頭が痛いのは兄の婚約者も同じ。なんでも兄がシェラード家の生まれでないと知るや否や兄を下に見るようになったらしい。全くバカな話である。ただの偶然でシェラード家の養子になどなれるはずもないのに。
なにか違いがあるとすれば、早々にバカの相手はやめようと切り捨てた私と、歩み寄ろうと努力した兄、たったそれだけだった。貴族の政略結婚としては、兄の方が正解なのかもしれない。それでも、私はいつまでもバカの相手を指定なれないと切り捨てたのだ。
その結果、兄は冤罪をかけられ、私も巻き込まれて婚約を破棄された。本当にバカだったのだ。けれど私にとって、自分の婚約破棄よりも、兄の冤罪の方が許せなかった。婚約破棄程度でシェラード家は揺らがないし、私も第一王子に愛着などない。だが、冤罪となると話は別。
許せなかった──なんの罪も犯していない兄が、罪に見合わぬ刑を言い渡されたのが。若くして、処刑されてしまったのが。母は病で失った後、父は兄の冤罪を晴らそうとして、消された。
家族も、家も、地位も、なにもかもを失った。あまりにも、失ったものが大き過ぎた。最後まで、最後の最期まで、許せなかった。私に残されたのは、ただひとつ。私自身という、私にとって軽い一つの命だった。
それは、一方的な逆襲のようだった。調べれば調べるほど、この国の腐敗が出てくる。こんな国、どうなったって別に構わない。罪を問われるべき貴族が大勢いる。それを消したところで、なんら不都合はない。
そうして、私は復讐を終えた。がむしゃらに復讐に走り続けて、たどり着いた先には、何もなかった。ただただ無だった。伽藍堂の私に、生き甲斐も、目的もない人生。
本当につまらなかった。
そんな日々……のはずだったのだが、気付けば私はここにいる。過去という、夢物語のような今にいる。理由は分からない。それでも、家族のためにも、私自身のためにも、傍観者になるわけにはいかない。前回をなぞるようなことは起こさせない。
さて、まず手っ取り早いのは、私と兄の婚約を回避することだろうか。いや、私が第一王子との婚約を回避すれば、兄は必然的に私と婚約することになるのではないか。元々父はそのつもりだったようだし、私もその気なら別に文句は言わないだろう。
そして、冷静に考えてみて思った。私がどれだけ壊れているのか。例え壊れていたとしても、壊れていないふりをしなければならないことも。元々私は感情がほとんどない機械的な人間だ。ルクスという人に出会ってそれは変わったが、前回国まで乗っ取ってしまったことでまた別の部分が壊れてしまったようにも感じる。
正直倫理や常識なんてどうでも良いが、無視をして周囲……特にルクスに迷惑がかかるのは困る。まず常識的な人間のフリはしておこう。そうしよう。もし常識や倫理の範囲内でルクスを守れないのなら、その時は無視すれば良い。
さて決めたは良いものの、一番の問題は王家だ。私は今フリーだが、兄──いや、ここで兄はおかしいか、ルクスと婚約してしまえば、婚約者のいる女性に言い寄るなんてバカな真似はしないだろう。多分、きっと、おそらく!!
そう、手っ取り早いのは私とルクスが婚約してしまうことだ。それで王家も諦める。私ではなく別の令嬢を探すか、大人しく第二王子を王に据えるだろう。
(そう……婚約してしまえば良いんだ!)
王家との婚約などシェラード家には必要ない。建国以前から存在する家系だ。これ以上の地位は必要ない。というか、王家の次に地位の高い四大公爵家のひとつであるシェラード家に、これ以上の地位を求めろというのなら、それこそ国取りの反逆だ。そんなものは必要ない。
そうと決まれば即行動! 迷っている時間も惜しい。今は即断即決が重要だ。身なりも気にせず部屋を飛び出そうとした瞬間、目の前の扉が開いた。そう、丁度良いタイミングで訪れたのは、ルクスだった。
「お兄様、私と結婚してくださいませ!」




