第13話 皇子の選択
迷いなく進む子どもを見て、ここまで入り組んだスラムを走って進めるのは流石と言えるだろう。なんの褒め言葉にもならなさそうだったが。そうして辿り着いたのは、廃墟のような場所だった。四方の壁も崩れかけ、屋根はなく、かろうじて建物があった痕跡を残しているような場所だった。中に踏み込んでみると、薄い布を敷いた場所に、女性がひとり横たわっていた。
(……なんだろう、どこかおかしいような……)
「おいあんた、ボサっとしてねぇで母さん助けてくれ! ずっと動けなくて、薬がいるからって、金集めてんだけど、ぜんぜん足りねぇって……」
「待ちなさい。お金は盗んだものよね? どのくらい盗んだの? 富裕層から盗んだ事は?」
何を言っているんだと困惑した顔をして、小さな声であると答えた。罰せられると思ったのかもしれないが、私にそんな権限はない。そもそも気付かなかった人間の責任でもある。けれど、富裕層の財布に入っている金額であれば、少なくともシェラード領で買える最も高価な薬でも最低一つは手に入る。
シェラード公爵領は薬だけであれば安価で手に入る。もちろんスラムの人間からしたら手の届かないような価格だが、それこそ富裕層ひとりから財布ごと盗めば買えてしまうくらいには手の届きやすい物だ。医者に診てもらうのは難しいかもしれないが、薬だけ手に入れようと思えばいくらでも手に入る。この子どもの様子からして、盗み慣れているように感じた。それでも治らないのであれば、不治の病か、あるいは……病そのものが嘘なのか。
ふと子どもを見てみると、丁度キラリと太陽光が瞳に反射して見えた。私はある可能性が頭を過り、慌てて子どもの顔をこちらに向けて覗き込んだ。驚いて見開いたその子の瞳は、鮮やかな紫色に輝いていた。
紫の瞳を持つ人間は非常に少ない。髪であればまた別だが、瞳となるとかなり限られる。この大陸で現在最も大きく、最も優れた技術力を持つ、この国の隣に位置する大国。帝国の皇族のみが持つ象徴、それが紫の瞳だ。詳しくは知らないが、紫の瞳は大陸中どこを探しても、帝国皇族にしか持ち得ない、受け継がれないものだ。
私は子どもを引き寄せて背に隠す。ごっそり隠し持ってきていた剣を引き抜き、母と呼ばれた女を蹴飛ばした。
「なっ……! お前、なにやってんだよ!!」
「静かにしなさい。いつまでも病人のフリしてないで、さっさと起きたらいかがかしら? 大罪人さん」
「……あぁ、どうしてバレたのかしらね。まだまだこの子どもで稼いでやるつもりだったのに……邪魔してくれる」
息を呑むような小さな音が聞こえたのは、きっと気のせいではないのだろう。こんなスラムで育って、健気に母親の薬代を稼いで渡していたのだ。自身の出自も、身分も知らなかったのだろう。帝国の皇族──その中で最も皇位継承順位の高い第一皇子。巻き戻る前から病弱で公の場に一度も出てきたことはなかったけれど、随分と後ろ暗い闇が隠れていたらしい。まぁ、極秘扱いだったと考えるのが妥当だろう。
全く次から次に問題を持ち込まれては困る。いや、そこまで問題は起きていないが、元々あった未解決の問題が多いのだ。今回だって少し遠回りだけど一番万人が納得する解決方法のために必要なものを探しにスラムまで来たのだ。こんなところで大国とのいざこざになりかねない重大案件を起こさないで欲しい。下手したら……いや、下手をしなくとも国際問題だ。
「はぁ……この女性はあなたの母親じゃありません。ただの罪人……いえ、誘拐犯です。あなたを駒として使いながら、大層良い思いでもしていたのでしょう? スラムに隠れていたのは、教養のない人間がお前を見たところで何も気付かないから。違うかしら?」
けれど、疑問もある。富裕層から財布を盗んだとて、中身はあくまで平民にとって少し多いくらい。一生遊んで暮らすような余裕はないはず。それにしては、子どもと違ってしっかり肉の付いた体に、少し汚れている程度の小綺麗な服。盗みだけでは到底足りない。
カラン、コロッ。何かが地面に落ちる音。そこには小さな石が落ちていた。そう、光を反射する宝石という名の価値のある石が。次から次へと小さな宝石が地面に落ちる。見れば宝石の元は子どもが流す涙だった。
違う、そんなはずがない。そう涙ながらに視線を逸らしてうわ言のように口にする子ども。流す涙が宝石だなんて、御伽噺の人魚姫のようだ。けれどこれは歴とした血統に由来する。帝国貴族のほんのひと握り、一部の人間に発言する異能の力。
帝国貴族との関わりから、稀にこの国の貴族にも異能の力が発言することはあるが、元より奇跡のような確率。前例はほとんどない。それでも、今思い当たることといえばそれだけ。どうやら行方不明の第一皇子は流した涙が宝石になる異能をお持ちらしい。
(なるほど、これで稼いでいたのか……ひとつ売れば相当な金額になる)
「まって……まってよ! ちがうよね? 母さんは……オレの母さんだろ!?」
「…………バカな子ども。こんな顔も似ていない女を、いつまで母親と信じ続けるんだ……お前は、私の息子じゃない! 金を貰って、良い暮らしするために育ててやってたんだよ! それなのにこんなスラムで過ごさなきゃならなかった……本当に割に合わない仕事だったよ!!」
信じたものが崩れ行く様は、酷く滑稽に見えて、残酷だ。それが一番信頼のおける人間であれば尚のこと。もう全てが疑わしく見えて仕方がない。崩れ落ちるように座り込んだ子どもの顔は、絶望という他なかった。
けれど生かしておくわけにはいかない。どの道皇族誘拐の末路は処刑だ。しかも逃げ込んだのが帝国内ではなく、隣国──しかもシェラード領。なんと面倒な。下手を打てばシェラード家も責任転嫁されて処罰されかねない。尋問だか拷問だかされた時に、逆恨みでシェラードにまで被害が出ては本末転倒。
尋問、もしくは拷問時の情報漏洩。
帝国との外交、国際問題。
ならば──
ここで殺すのが最善
「さぁ、もう話すこともないでしょう。大人しくしているのなら、優しく殺してあげましょう」
「まっ……!!」
子どもの制止の声は聞かない。届かせない。今私がやるべき事は、この女をここで殺すこと。なにも迷いはない、全てはシェラード家……ひいては私とルクスのため。多くの命をこの手にかけたのだから、今更躊躇うこともなにもない。
機械的に
無感情に
私は女の首を断ち切った。
後で父に知らせておかないと。この女の遺体も回収して、場合によっては帝国に引渡しもしなければならない。この皇子についても保護する必要がある。全く、保護対象の子どもが増えた。
サッと剣をひと振り。顔に跳ねた赤は、ハンカチで拭って捨て置いた。
「こんな奴を親だなんて思っていたんですか? バカな子ね……」
「ゆる、さない。オレの、オレの母さんを!!」
「違う。こいつはあなたの母じゃない。赤の他人……ただの罪人。何も心を痛めることなんてない」
「じゃあ……じゃあ、オレが今までやってきたことは、なんだったんだよ!! 沢山盗んで、殴られて……パンを奪った奴が、次の日スラムで虫が集ってて! 全部母さんのためで、そのためならなんだってやるって! 今まで……これじゃあ、オレがやってきたことって……」
人のために、そうして、自分の罪を正当化してきた。責任から、罪から、目を逸らして……逃げてきた。スラムで生きていくにはそれも仕方がない。それを否定はしない。けれど、この子はここに置いて行けない。然るべき手順で、正しい場所に……家族に、戻さなくては。
そのためには、責任も、罪も、逃げられない。
だってそれは……
結局、どこまで行っても、自分自身の決断だから
「そうやって、また逃げるの? また目を逸らすの? 良いわ、私はあなたと今日知り合っただけの他人だもの。私がやったことは、あくまで戸籍も名前もない罪人をひとり始末しただけ。このままあなたに駄賃だけ渡して、私は私の目的を果たしに行く」
「……そうかよ。好きにしろよ…………」
「それでも、あなたに選択する権利くらいはある。最後に聞いてあげましょう。選びなさい」
現実を直視して、正しい家族と再会するか
また逃げて、目を逸らして、ここで一生暮らすか
もしくは──
「どちらの覚悟もないなら、今ここで、私があなたを殺してあげる」
覚悟のない人間は、貴族になれない。責任を背負えないなら、常に逃げ続ける人生を選ぶなら、皇族には絶対になれない。それでも、今まで通りスラムの子どもとして生きていく程の気力もなくなってしまったのなら、それは明日以降に野垂れ死ぬだけ。ならば今、ここで楽になった方が良い。
(問題はない。ここで彼を殺してしまっても、巻き戻る前で彼は見つかっていないのだから、差異はない。身元不明の死人はスラムに溢れるほど転がっている。帝国の皇子がこんなスラムで殺されたなんて誰も思わない。何より彼──ルクスに害はない。殺すのは、一人も二人も同じこと……)
「さぁ、選びなさい」
「わかんねぇ……わかんねぇよ……オレが皇族? しらねぇよ。ずっとここで生きてきたんだ……今更お貴族様と同類になんてなれるはずねぇだろ……」
ごもっとも。既に教育を受けた貴族の子に比べて彼は到底及ばない。言葉遣いも、態度も、姿勢も、何もかもが足りない。今のまま貴族になれなんて無理な話。
「そのくらいこっちで面倒見てあげるわ。私が拾ったんだから、当たり前でしょう? 第一あなたを拾った後にそのまま帝国に丸投げするとでも思ったのかしら。できるはずないでしょうそんなこと」
「だとしても……オレの本当の親は……探してるのか? 今まで、そんな話聞いたこと……」
「ないでしょうね。けれど探してはいるはずよ。そこは保証してあげる。考えるのが難しいなら、あなたは私を利用すれば良いのよ。私も、あなたを利用してあげるわ」
正直言おう。子どもってここまで言わないと頷かないものなの? かなり譲歩している気がしなくもないし、私に彼を利用できるほどの力量はない。それでも、流石にここまで言えば着いてきてくれるのではないかと淡い期待を込める。
(これでダメならもう無理。あの子蹴飛ばして探し物再開してあげましょう!)
「……分かった。連れてってくれ。親に……本当の親に会わせてくれ!」
「やっと頷いてくれましたか。良いですよ、あなたを連れて行って、きちんと貴族としての礼儀と勉学くらいは見てあげます」
「さぁ、行きましょう」




