第14話 未来への布石
「そうだったわ。あなたの名前を聞いても?」
「……知らない」
「そうなの? それならしばらく少年と呼ばせてもらうわ。下手に名前を付けられないの。不満なら自分で仮の名前を付けてください」
特に不満を言わないため、私はこの子を少年と呼ぶことにした。さて、ようやく本題に入れる訳だが、残念なことに私はスラムには明るくない。ここまで来るにも手を引かれて来てしまったから、帰り道もよく分からない。変えるにしても、このまま探しものを続行するにしても、少年の協力が必要だ。
シエル。私が探すもの。今隣に並ぶ少年と同じくらいの歳のはずだ。本来の目的は少年ではなく、シエルという子どもの捜索だった。なかなかに難儀な生い立ちだ。
元貴族。シエル本人と母親は普通に暮らしていたはずが、父親が何かやらかしたらしく、投獄。財産没収に貴族位の剥奪。母子二人で当てもなく彷徨って、たどり着いたのがこのスラム。実家も頼れなかったらしいが、その辺りの詳しい事情は知らない。使用人に軽く話を聞けば、シエルの家は既に貴族位を剥奪されていた。それも一年以上前に。もう話題にすら上がらない。
ただ、私が欲しいのはシエルじゃない。もちろんシエル本人も相当な策士だ。私とは比べものにならない程頭の回転が早い。
名前はエクス。前回、ルクスの処刑後に私の右腕として働いてくれた人物。彼は私に取引を持ちかけた。家の事情で結婚の道具にするため引き裂かれた恋人と、その子どもを探してくれ、と。もし見つけられたのなら、私の側近……右腕として仕えると。彼の頭脳は限度を知らない。ありとあらゆる知識を有し、恐ろしい程回転が速く、最短で最適の手段を導き出す。今後起こりうることも考慮して、味方に引き入れておいた方が良い。絶対に、敵に回してはいけない。
私が前回王になれたのは、彼の功績が大きい
「それで少年、君を保護して連れて帰るわけですが……その前に、君が白と呼んだ子どもの元へ案内してもらっても良いですか」
「そういや、そんな事言ってたな……」
「今日も相当無茶してスラムに来たんですよ。お目付役の護衛をスラムで撒いて来ましたから。何度もここに来るのは難しそうなので、今日中に用事は済ませたいんです」
「それ、大丈夫なのか……? まぁ良い。こっちだ」
愛も変わらず迷いなくスラムを進む。今の姿は薄汚れたスラムの子どもとなんら違いはないが、身分を考えるとゾッとする。このスラム、今後何かしら手を加えた方が良いかもしれない。
進む足取りに迷いはないが、心做しかスラムの中心部から離れているように感じた。比較的建物の原型が残っている物も多く、倒れている人も圧倒的に少ない。スラムにも階級とかがあるのかもしれない。
少しして、スラムにしては立派な家が建っていた。残念ながら見かけだけで、少し叩いただけでコロコロと建物の破片が落ちてくるので、今にも壊れてしまいそうだが。とても人が住める場所には見えないが、スラムの中ではまともな家だ。貴重な場所だろう。
「ここ、シロはここに住んでる」
少年は目の前の扉を指さしていた。少しだけ扉が開いていて、鍵が掛かっていないのは一目瞭然だ。いや、閉められる鍵がないのかもしれない。これでは防犯どころか、安心して休むことも難しいだろう。
貴族の生活から一転、スラムに住むこの国の底辺に転落した。環境への適応が早い子どもならまだしも、ずっと貴族として育ってきた人間にはあまりにも酷だ。前回見つけた時はここまで立派な家には住んでいなかった。その上、シエルの母親は既に亡くなっていた。エクスは見つけてくれただけでも充分と、取引を成立にした。けれど今なら、母親も助けられるのではないか。
こんな場所でノックなど意味はないだろうが、礼儀として叩いておこうかと思った矢先、無遠慮にも少年が扉を開け放ち、ズカズカと中へ入って行った。あまり無造作に扉を開けたわけではないが、パラパラと壁の一部が落ちてきているから、ノックはやめておいた。
「お邪魔します」
「シロ! おーい、シロー!! いるだろ!!」
「うるさいなぁ、またお前かよ。しかも誰連れてきたんだ。こんなところに用なんてないだろ。さっさと帰れ。それと毎回言ってるけど、僕はシエルっていう名前がある。シロじゃない」
奥から出てきたのは、確かに銀髪に空色の瞳の少年だった。会話の内容からすると、少年は割と頻繁にここを訪れていたのだろう。シエルは拒んでいるように見えて、どこか身内に見せる雰囲気も感じる。実は仲が良いのかもしれない。
ふとシエルが小さな瓶を持っていることに気がつく。見覚えのない薬だ。あまり詳しく聞いていなかったが、シエルの母親は風邪を拗らせて亡くなったと聞いた。薬らしき物を持っているのなら、まだ生きているのだろう。ずっと奥底でほんの少しだけ燻っていた不安が消えた気がした。それと同時に、嫌な勘が働いた。
「あなたがシエルね、初めまして。セシリア・シェラードと申します。突然で申し訳ないのだけど……その薬、ちょっと見せてもらえませんか?」
「なんだよお前……」
「なんか……オレの時と態度違くないか?」
余計な事は言うなと少年に微笑みに圧を含む。そういう勘はスラムでしっかり養われているようで、大人しく口を噤んでくれた。シエルは今後、エクスに協力を仰ぐために必要な大事な鍵だ。だからこそ、今ここでシエルが見つかった事は大きい。今のうちに引き入れておきたい。
「私は、この地を治めるシェラード公爵家の長女、セシリアです。色々聞きたいことも、言いたいこともあるのですが、先に聞かせていただきたいんです。この薬、どこで買いましたか?」
「ぁ……」
シエルが持つ小瓶を丁重に、優しくその手から奪う。小瓶の中身を少し出してみれば、その正体がよく分かった。粗悪品でもない、薬ですらない。少し舐めてみると、甘さと苦さが同時に不快感を生み出す。そして、独特の匂い。毒になりそうな物が入っていないだけマシか。
おそらく小麦粉に味をつけるために何かしら混ぜただけ。甘いのは砂糖かもしれない。しっとりとしたまとわりつくような感触は、小麦粉のそれだ。それっぽくは見えるが、本物の薬を知っていれば引っかからない。これを与え続けても、病は治らない。なんの効果もない。
「……スラムの入り口近く。婆さんが店やってるところ。スラムの子どもに薬売ってくれる奴は少ないから……」
「そう。申し訳ないけど……これ、薬ではないの。だから預からせて。こんな物を飲ませてはいけないわ」
「薬じゃ……あのババア、また騙しやがった!」
今は口が悪いことには目を瞑ろう。何も聞かなかった。私はそんな言葉遣い聞いてない。今後直すことだってできる。それより、この薬モドキだ。下手な物を与え続けてはかえって身体に悪い。だからといって放置するなんて選択肢はない。このままシエルの母親が死んで仕舞えば、私がここまで来た意味がなくなる。
これからシエルを保護したとして、その後母親が亡くなって仕舞えば元も子もない。巻き戻し前と何も変わらない結果だ。しかも私がここまで来て助けようとした事実があるいじょ、エクスの信頼が得られるかも怪しくなってしまう。前回はエクスから声をかけられた方が、今回は私が彼に取引を持ちかけなければならない。そのための鍵はシエルとその母親。どちらが欠けても前回と同じ……絶対に死なせるわけにはいかない。
「そうね、確かにスラムの住民に物を売ってくれる人は少ないかもしれない。それでも、それはダメ。気休めにもならないわ。シエル、私と取引をしない?」
「お貴族様が何言ってんだ。どうせ何か企んでるんだろ、胡散臭い。ズル賢い貴族が……」
「あら、あなたも少し前まで貴族だったでしょう? ズル賢い人間ばかりの貴族のひとり。その理論で言えば、あなたのお母様もズル賢い貴族だったのよ」
「なっ……!?」
あり得ないものを見たような表情。もしかしたら、貴族だった事は隠していたのかもしれない。それもそうか、スラムに元貴族がいるなんて、搾取してくださいと言っているようなものだ。
「隠せているつもりかもしれませんが、貴族からしたらお見通しです。あなた、わざと口を悪くしているみたいだけど……節々で育ちの良さが見て取れますから」
「お見通し……」
「まぁそんなこと、今はどうでも良いでしょう。本音を言えば、あなたは私にとって、ある人と話をするための取引材料のようなものなんです。とても価値のある取引……だからあなたに手を貸そうとしているんですよ。そうね……五年。五年間、あなたがシェラード家の使用人見習いとして働いてくれるなら、あなたのお母様の治療はしてあげる。教会にある最高の環境での治療よ、少なくとも五年間は治療を保証してあげる。費用も私が出すわ」
口に出しておきながら、とても胡散臭い。我ながら卑怯にも思う。けれど、今のシエルにはのむしかない。ここまで好条件はそうそうない。母親の薬の当ても無くなり、金もすり減る。スラムでの暮らしに、明日の保証はない。
どうせこのまま無謀に死に向かうのであれば、私の手を取って、少しでも生存率の高い方を取る。シエルという人間は、そういう性格だ。
「契約書。契約書を作れ、お母様のことも含めて。それなら、着いていく」
「この歳で契約書ね、私も人のことを言える歳ではないけれど……子どもらしくないわね。でも、嫌いじゃありません。交渉成立です。あなたのお母様を連れて、スラムを出ましょう」
しかし、シエルの母親は思ったより状態が悪かった。とても起き上がれそうにない。残念ながら、私も子どもで、とても運べるほどの力はなかった。
「あ、そういえばアットがいたわね」
「へっくしゅ! お嬢様……どこいったんですか!!」




