再会
数日後。二人は募っていく罪悪感と狂おしいほどの執着に耐えきれず、個人売買サイトに表示されていた位置情報を頼りに、その場所へと向かった。
辿り着いたのは、きらびやかな高層ビル群の巨大な影に遮られた、異臭の漂う古いアパートだった。割れた窓、剥がれかけた壁、そして鼻を突く生ゴミと排気ガスの匂い。
「……本当に、ここなのか?」
和樹が恐怖に怯え、スーツの袖を濡らす汚れた空気に顔をしかめながら、錆びついた鉄の扉を叩いた。
軋んだ音を立てて出てきたのは、ヨレヨレの使い古されたジャージを着た、顔色の悪い不健康そうな男だった。髪は油でギトギトに立ち乱れ、部屋の奥からはタバコと饐えた油の臭いが漂ってくる。床にはコンビニのゴミが散乱し、およそ子供を育てる環境には見えなかった。
「なんだ、あんたら。何の用だ」
「わ、私たちは、あの子の……」
里奈が震える声で言いかけると、男は全てを察したように鼻で笑った。
「……あァ、なるほどな。この子の『元オーナー』様か」
男は二人を小馬鹿にするように奥の部屋へと通した。そこには、かつて里奈が数ヶ月もかけて吟味したオーガニックコットンの最高級ベビー服の姿はなかった。代わりに、薄汚れて黄ばんだバスタオルに包まれたアリスが、埃っぽい畳の上に転がされていた。
「おい、お前。客だぞ」
奥のこたつに座っていた、同じくボサボサの髪をした女が、じろりと鋭い視線で里奈たちを睨みつけた。
「何よ、何の用?」
「こいつらが、一度捨てた『不良品』をわざわざ拝みに来たんだってよ。ご立派なこった」
男が下品に笑いながら、地べたに転がっていたアリスを足蹴にするように乱暴に揺さぶる。
アリスは泣かなかった。ただ、乱暴に揺さぶられた衝撃で薄く目を開け、じっと元母親を見つめ返した。
「この子さ、飯の時以外は驚くほど静かなもんだぜ。手がかからなくて本当に助かるわ。さすが元値が張る『高級品』は違うよな」
男がタバコに火をつけ、満足げに煙を吐き出した。紫煙がアリスの小さな頬をかすめ、彼女は小さく身をよじる。
「まぁ、初期化されてねえからたまに変な目でこっちを見てくるのが癪だけどよ。顔の造形は良いし、女の子だからな。少し大きくなったら、いくらでも割のいい稼ぎ口(仕事)はある。5万じゃ安すぎるくらいの優良投資物件だったぜ」
夫婦の会話には、アリスに対する愛情など微塵もなかった。聞こえてくるのは「お前」「これ」「物件」という、命を完全に道具としてしか見ていない言葉の数々。
里奈の胸の奥から、経験したことのない激しい衝動が突き上げてきた。
「アリス……!」
思わず駆け寄ろうとした里奈の細い腕を、和樹が強い力で掴み、引き留めた。
「里奈、ダメだ……! 戻るんだ」
和樹の声は、懇願するように震えていた。
「僕たちにはもう、あの『2人目』がいる。この子はもうこの人たちのものだ…!」
ハッと我に返った里奈は、繋ぎ止められた腕のまま、アリスの小さな手元を見た。
アリスは、自分を「安物」として扱い、タバコの煙を吹きかける男の、爪の間に泥の詰まった汚れた指を、その小さな手で必死に握りしめていた。
かつて里奈が「左右の長さが数ミリ違う、完璧じゃない」と蔑み、返品の理由にしたあの指が。今は生き延びるために、自分を道具としか思っていない人間に、懸命に縋り付いている。
「……っ!」
里奈は言葉にならない悲鳴を飲み込み、和樹の手を振り払って、逃げるようにアパートの階段を駆け降りた。
路地裏に停めてあった車のシートに深く身を沈めた里奈は、激しく震える手で、チャイルドシートに座る「完璧な2人目」を見た。
2人目は、ノイズ一つない静寂の中で、仕様書通りに穏やかな黄金比の微笑みを浮かべている。泣きもせず、怒りもせず、親のライフスタイルを一切邪魔しない理想の子供。
だが、その完璧な微笑みは、今の里奈の目には、血の通わないプラスチックの造花のようにしか見えなかった。




