消しゴム
沢田と妙子の距離は次第に近づいていき、時はそれを許してくれた。
しかし近づけば近づくほど、二人きりになることを選ばなかった。
しかし、それは突然形となって現れた。
学級にスタイルが良く美しく男子からも憧れの的であった豊子という、妙子の親友がいた。
親友との関係は切なくガラス細工のように繊細であり、豊子は妙子が沢田に恋心を寄せて、恋仲になりつつあるのに気づいていた。
同様に豊子も沢田に想いを寄せていた。
恋心としては自然なことであり、いくら豊子が沢田に気持ちを寄せようとも、彼の心には豊子の姿はなく、妙子へ向ける笑顔を豊子には見せることはなかった。
それは豊子にとっては辛く歯がゆいものであった。
妙子は豊子の気持ちがわかっていたので辛かった。
豊子は何とか沢田と妙子の間に入っていきたかった。
いろいろと悩んだあげく、帰宅を共にしようとした。妙子はいつものように沢田を誘った。
「沢田さん、今日も一緒に帰ろう」
「そうだね」
「そういえば、社会の先生は私の方ばかり見て怖いのよ」
「そうだね。あの狼みたいな顔だったらそう思うね」
そのような何気ない会話をしているところに、豊子が恥ずかしそうな表情を浮かべて入ってきた。
「沢田さん、私も一緒に帰ってもいいでしょ? 私も同じ方向なのよ」
「駄目よ。豊子。沢田さんと一緒に帰るのは私よ」
豊子は、子供が駄々をこねるように言った。
「どうして、妙子、そんなことを言うの? 沢田さん、三人で仲良く帰ってもいいでしょ? だって賑やかな方が楽しいから」
「そうだね、でも……」
沢田は声にならなかった。
彼の優しい気持ちがそうさせたのであって、それを見かねた妙子は、即座に豊子に言い放った。
女性心とは切ないもので、妙子は豊子に言い寄った。
「豊子、沢田さんが想っているのは私なの。ね、沢田さんそうでしょ?」
不安げに訴える妙子に沢田は何も言えず、妙子はとても腹立たしく思い、彼に言い放った。
「もう、沢田さんのことは嫌い」
「待って、妙子さん」
「もう知らない」
「沢田さん、妙子のことは気にしないで私と一緒に帰ろう。短気をおこしたら駄目よね」
妙子は沢田を置いて走って帰っていき、沢田は遠くなっていく彼女を追いかけようとしたが、豊子がそれを止めた。
仕方なく共に帰ることとなり、帰り際に見かける風景には、全く色が感じられなかった。
一方、泣きながら帰った妙子は、沢田が豊子と一緒に帰るのを想像するだけで、心の中に何か鋭いものが突き刺さるような思いになった。
沢田はその夜は妙子のことを考えると寝付けなかった。
時計の針はちょうど一時を指していた。
朝になり、いつも彼女とは一緒に通っていたので、気になり玄関先で待っていたが一向に妙子は来なかった。
玄関のドアを強く叩くと、妙子の母親が出てきて、学校に既に行ったことを沢田に告げた。
仕方なく学校へ向かい、いつもの坂道を登ると、門のところで彼女が待っていた。
そして、うつむきながら、彼の心に深く暗い影を落とすような声で話しかけてきた。
「沢田さん、もう豊子のことが好きになったの?」
「そんなことはないよ。妙子さんのことが好きだよ」
「本当? じゃあ、どうして昨日、私を置いて帰ったの?」
「妙子さんの方が走って帰ったじゃないか」
「もう、沢田さんのことは嫌いよ」
彼女はそう言いながら、片手のひらを口に置いて小走りで教室へ向かった。
しかし、沢田は追いかけることなく、何も言わず門に立ったままだった。
妙子が教室へ向かう姿を、ただ目で追いかけることしかできなかったのである。
彼も豊子の気持ちを考えると何とも言いようがなく、豊子に冷たくすればよかったのだが、それができなかった。
その日は教室内での席替えがあった。月に一度だけ席替えがあり、それまで隣同士だった二人は、妙子が前側の席になり、沢田の席はその斜め後ろになった。
距離にしては三メートル位後方である。
妙子は沢田に対して、よそよそしくしていた。それは彼が嫌いになった訳ではなく、寂しさから来る可愛らしさのようでもあった。
なぜなら、豊子と沢田が今度は隣同士の席になったからだ。
妙子は沢田のことが気になり、時折、授業中はさりげなく後ろを振り向いていた。
二人が仲良くしているのではないかと気になって仕方がなかったからだ。
沢田は彼なりに妙子のことが気になっていた。
前方に見える彼女の姿を、何よりいじらしく感じた。
沢田は妙子に小さな消しゴムを投げてみた。反応が知りたくて、今の状況をなんとかしようと思った。
消しゴムは妙子の頭にちょうど当たり、彼女はそのことに気づいた。
彼がちょっかいを出してきたことがわかり、ちらりと後ろを振り向いたのだった。
沢田は何もなかったように黒板を見ていた。
本当に見ていたのは妙子であって、彼女が心を揺り動かしているのではないかと気にしながら、黒板を見ているふりをしていたのだ。
彼女は授業が終わると彼に言い寄った。
「沢田さん、私に消しゴムを投げたでしょ。少しだけ痛かったのよ」
「いや、投げていないよ」
動揺する沢田に妙子は気づいて、一瞬だけ頬を毬のように膨らませて元に戻して、クスクス笑い出した。そして告げた。
「いいわよ。昨日のことは消しゴムで消してあげるから」
沢田は恥ずかしそうに呟いた。
「ありがとう。ごめんね」
「きれいさっぱり消したから、昨日のことは忘れてあげる。じゃあ今日も一緒に帰ろう」
「そうだね」
沢田は嬉しかった。
二人は手を繋いでその日は帰っていった。
すると、沢田は豊子の視線を感じた。遠くから、こちらを見ていたのがわかった。
彼女が何を考えているのか沢田にはわからなかった。




