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十二灯館は、誰の罪を照らすのか  作者: 綾見 恋太郎


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第八章 ななつ灯して、声を奪う

 声は、顔よりも人を縛る。

 顔は暗がりで曖昧になる。

 鏡に映れば左右が変わる。

 湖面に落ちれば輪郭が揺れる。

 黒い服を着せ、髪をまとめ、遠くから見せれば、人は簡単に別人になる。

 けれど声は違う。

 声には、その人間の癖が残る。

 息の混ぜ方。

 語尾の落とし方。

 笑う前の間。

 怯えたときの高さ。

 名前を呼ぶときの湿り。

 だからこそ、声を奪われた人間は、自分を証明するものを一つ失う。

 十二灯館で第七灯が消えたとき、犯人が奪おうとしていたのは命だけではなかった。

 神楽坂小夜子から、神楽坂小夜子であるための声を奪おうとしていた。

     *

 湖上回廊のモニターには、まだ赤い文字が残っていた。

 ――ななつ灯して、声を奪う。

 ――次の名を、準備してください。

 それは予告だった。

 今までの表示は、どれも発表に近かった。

 西園寺雅治はすでに死んでいた。

 葛城慎一郎は毒に倒れたあと名前を置かれた。

 烏丸鏡花は階段下に落とされたあと。

 蓮見詩穂は書庫で窒息死したあと。

 鳴海栞は花の中で死者のように置かれたあと。

 御子柴瑠璃子は湖面の影として消えたあと。

 灯は、その出来事の意味を後から発表していた。

 だが第七灯だけは違った。

 先に言葉が置かれた。

 次の名を、準備してください。

 まるで、犯人がこちらに選ばせようとしているかのようだった。

 次に誰を被害者と呼ぶのか。

 誰の名を置くのか。

 誰を、第七灯にするのか。

 真壁彰は、湖上回廊から温室へ戻る途中で、何度もその文面を反芻した。

 次の名を、準備してください。

 準備するのは、犯人か。

 それとも、真壁たちか。

「小夜子さんから目を離すな」

 真壁は言った。

 二階堂壮也は、すでに小夜子のそばにいた。

 小夜子は温室の入口近くで、両手を胸元に押し当てたまま震えている。

 彼女の視線は、湖と鳴海栞の間をさまよっていた。

 鳴海は白い花の中から移され、温室の出入口近くに横たえられている。完全には回復していない。九条雅紀が状態を確認していた。

 烏丸鏡花の処置も必要で、九条は二つの生存者の間を行き来しなければならない。

 西園寺。

 葛城。

 蓮見。

 三人の死者。

 烏丸。

 鳴海。

 二人の重傷者。

 瑠璃子。

 失踪者。

 そして小夜子。

 次の灯の前に立たされようとしている女。

 十二灯館は、人数を減らしているのではない。

 役割を増やしている。

 死者。

 重傷者。

 失踪者。

 証言者。

 容疑者。

 見立てられる者。

 生きている者も、無傷ではいられない。

「小夜子さん」

 二階堂が柔らかく声をかけた。

「今から、あなたが見たことをもう一度確認します。急がなくていい。わからないことは、わからないと言ってください」

 小夜子は小さく頷いた。

「はい」

「湖面に見えた影は、御子柴さんだと思った」

「はい」

「でも、直接見たのは水面だけ。回廊の上に立っていた人物は見ていない」

「……はい」

「黒い布が見つかった。靴もあった。でも死体はない」

 小夜子の唇が震える。

「瑠璃子さんは、生きていますか」

「まだ決めない」

 真壁が答えた。

 小夜子は真壁を見る。

「決めない、ばかりですね」

「決めた瞬間に、犯人の言葉になる」

「でも、決めないと、何も……」

「決めるのは最後でいい」

 真壁は低く言った。

「今は、置かれた名前を外す」

 小夜子はその言葉を理解できたのか、できなかったのか、ただ視線を落とした。

 その仕草が、瑠璃子に少し似ていた。

 いや、似て見えた。

 黒い服。

 まとめた髪。

 薄い顔色。

 湖面の反射。

 声が震えれば、声さえも混ざる。

 真壁は、自分の目が犯人に利用されかけていることを感じた。

 似ているから疑うのではない。

 似て見える条件を作られているから疑う。

 その違いを忘れてはいけない。

「小夜子さん」

 九条が言った。

 鳴海の脈を確認しながら、視線だけを小夜子へ向けている。

「気分は悪くないですか」

「え?」

「頭痛、吐き気、めまい、視界のぼやけ。口の渇き。手足のしびれ。変な匂いがする感じ」

 小夜子は戸惑ったように瞬きをした。

「大丈夫です」

「本当に?」

「はい」

 九条は少し眉を寄せた。

「水は飲んだ?」

「飲んでいません。二階堂さんが、触らないようにって」

「食べ物は」

「何も」

「花に触った?」

 小夜子の視線が、一瞬だけ温室の白い花へ動いた。

「触って……いないと思います」

「思います?」

「鳴海さんが倒れていたとき、近づこうとして、二階堂さんに止められて……そのとき、葉に少し触れたかも」

 九条は立ち上がった。

「手を見せて」

 小夜子は素直に両手を出した。

 指先が震えている。

 爪の周囲に、薄い白い粉のようなものが付着していた。

 真壁は息を止めた。

「九条」

「触らないで」

 九条の声が鋭くなった。

 二階堂が一歩下がる。

「小夜子さん、その手で顔を触りましたか」

 小夜子は自分の手を見た。

 その表情がゆっくり変わっていく。

「わかりません」

「目をこすった?」

「たぶん……」

「口元は?」

「わからないです」

 九条はハンカチを取り出した。

「手を下ろさないで。そのまま」

「私、何か」

「まだわからない」

 九条の声は冷静だったが、目は冷たくなかった。

 死体を見る目ではない。

 生きている人間が、まだ戻れるうちに戻そうとする目だった。

「小夜子さん。息は苦しくない?」

「大丈夫です」

「視界は」

「大丈夫……です」

 その直後、小夜子はふらついた。

 二階堂が反射的に支えようとして、手を止めた。

 触れていいのか。

 毒か薬品か。

 その一瞬の迷いが、小夜子の身体を揺らした。

 真壁がハンカチ越しに肩を支える。

「九条!」

「座らせて。直接肌に触るな」

 小夜子は床に膝をついた。

 息が荒い。

「違う……私、違います」

 また、その言葉だった。

 私じゃない。

 違う。

 自分を保つために出る否定。

 小夜子は両手で顔を覆おうとした。

 九条が止める。

「手で顔を触らない」

「でも、変なんです」

「何が」

「声が」

 小夜子は喉を押さえた。

「自分の声じゃない」

 二階堂の顔色が変わった。

 温室の空気が、急に重くなる。

「小夜子さん、俺の声は聞こえますか」

 二階堂が訊いた。

「聞こえます」

「真壁の声は」

「聞こえます」

「自分の名前を言えますか」

 小夜子の目が揺れた。

「私は……」

 唇が動く。

 だが声が続かない。

 彼女は喉を押さえ、苦しそうに息を吸った。

「私は……」

「ゆっくりでいい」

 二階堂が言う。

 小夜子は唇を震わせた。

「御子柴……」

 真壁の背筋に冷たいものが走った。

 二階堂が即座に言った。

「違う。急がなくていい。言い直せる」

「違う、違うんです」

 小夜子の呼吸が乱れる。

「私は、瑠璃子さんじゃない。違う。私は……私は……」

「神楽坂小夜子」

 真壁が言った。

 短く、はっきりと。

 小夜子が顔を上げる。

「あなたは神楽坂小夜子です」

「……神楽坂」

「そうです」

「小夜子」

「そう」

 小夜子はその名前を繰り返した。

「神楽坂小夜子。神楽坂小夜子。私は……」

 言いかけて、また顔が歪む。

「でも、鏡の中では、瑠璃子さんが私を見ていたんです」

「いつ」

 真壁が訊く。

「さっき。温室のガラスに。私が立っていたのに、映っていたのは瑠璃子さんで……」

「それは反射です」

 鳳恭介が静かに言った。

 彼は温室の奥から戻ってきていた。手には配線の一部らしきものを持っている。スピーカーを切ったのだろう。

「温室のガラスは、外と内の明度差で、室内の姿を強く映します。小夜子さんが自分の姿を見たとき、湖上回廊に見えた御子柴さんの影と重なった可能性があります」

「でも、声も……」

「声?」

 鳳が聞き返す。

 小夜子は震えながら頷いた。

「瑠璃子さんの声で、私の名前を呼んだんです」

「どこから」

「わかりません」

「スピーカーか」

 二階堂が周囲を見た。

 鳳は首を振った。

「温室内のスピーカーは切りました。ただ、館全体に音声装置があるなら別です」

 そのとき、玄関広間の方から声がした。

 女の声だった。

「小夜子」

 全員が動きを止めた。

 小夜子の顔から血の気が引いた。

「瑠璃子さん……?」

 声はもう一度、呼んだ。

「小夜子」

 御子柴瑠璃子の声に似ていた。

 いや、似ていると思わされた。

 声は、廊下の奥から聞こえたようでもあり、温室のガラスから響いたようでもあり、湖の方から返ってきたようでもあった。

 真壁は即座に言った。

「返事をするな」

 小夜子は震えた。

「でも」

「返事をするな」

「瑠璃子さんが」

「まだ瑠璃子さんと決めるな」

 声が三度目に呼んだ。

「小夜子」

 今度は、少し泣いているように聞こえた。

 小夜子の目から涙が落ちる。

「行かなきゃ」

「だめです」

 二階堂が前に出る。

「小夜子さん、ここにいて」

「だって、瑠璃子さんが呼んでる!」

「呼んでいるように聞こえるだけです」

「でも、あの声は」

「声も偽装できます」

 二階堂の声は強かった。

「録音、加工、反響。声は人を証明するものだけど、奪うこともできる。犯人はそれをやってる」

 小夜子は首を振る。

「違う……あれは瑠璃子さんの声です。私、わかるんです。ずっと聞いてきたから」

「ずっと?」

 真壁が訊いた。

 小夜子の表情が止まる。

「ずっと、というのは」

「子どもの頃から……」

 その場に沈黙が落ちた。

 小夜子は、自分が何を言ったのか理解していないようだった。

 二階堂が静かに訊く。

「小夜子さん。あなたは御子柴さんと、いつからの知り合いですか」

「え……」

「今回の追悼会で付き添いとして来た、と聞いていました。最近の関係では?」

「そうです」

「でも、今、子どもの頃からと言いました」

 小夜子は顔を歪めた。

「違う……違います。私じゃない。今のは、私じゃなくて……」

「誰の記憶ですか」

 真壁が問う。

 小夜子は喉を押さえた。

「わからない」

 呼吸が速くなる。

「瑠璃子さんが……私の中で、喋ってるみたいで……」

 九条が真壁を見る。

「薬物の影響が出てる」

「錯乱か」

「うん。幻聴、混乱、自己認識の揺れ。触れた白い粉か、吸入したものか。早く安全な場所へ移す」

「どこが安全だ」

「この館の中にはない」

 九条の声は冷たかった。

 そのとき、七つ目の灯が消えた。

 温室の外ではなかった。

 玄関広間側の外壁にある灯。

 小夜子が声のした方へ一歩踏み出しかけた瞬間、ふっと闇になった。

 同時に、温室のモニターではなく、玄関広間の大モニターが赤く点いた。

 廊下越しに、その光が見えた。

 文字が浮かぶ。

 ――ななつ灯して、声を奪う。

 白い名前。

 ――神楽坂小夜子。

 ――第七灯、消灯。

 さらに一行。

 ――呼ばれた者は、呼んだ者になる。

 小夜子が声にならない悲鳴を上げた。

 いや、悲鳴を上げようとした。

 だが音が出なかった。

 喉だけが震えた。

 声が奪われた。

「九条!」

 真壁が叫ぶ。

 九条はすぐに小夜子の前に膝をつき、呼吸を確認した。

「気道は開いてる。声が出ないだけ。パニックもある。小夜子さん、息はできています。ゆっくり吸って」

 小夜子は喉を押さえ、目を見開いている。

 涙が頬を伝う。

 声が出ない。

 助けを求める声も、自分の名前を言う声も、瑠璃子ではないと否定する声も出ない。

 真壁はモニターを見た。

 呼ばれた者は、呼んだ者になる。

 小夜子が瑠璃子の声に呼ばれた。

 小夜子が自分を瑠璃子だと言いかけた。

 小夜子の声が奪われた。

 犯人は、小夜子から小夜子の証明を奪った。

「この表示、誰が出した」

 真壁は低く言った。

 答える者はいない。

 鳳が天井と壁を見ている。

「表示は連動しています。第七灯の消灯と同時に、館内モニターへ送られている」

「制御室は」

「おそらく管理室か、展示室の裏です。ただ、遠隔ではなく事前プログラムかもしれません」

 二階堂が言う。

「声の方は?」

「別系統かもしれません。音の反響が強すぎる」

 二階堂は小夜子の前にしゃがんだ。

「小夜子さん。俺の手を見てください」

 小夜子は涙に濡れた目で二階堂を見る。

「声は出さなくていい。頷くだけで答えて。瑠璃子さんの声は、玄関広間から聞こえましたか」

 小夜子は首を振りかけて、止まる。

 わからない。

 そういう顔だった。

 二階堂は言い直す。

「わからないなら、首を横に振らなくていい。わからない、でいいです」

 小夜子は小さく頷いた。

 わからない。

「声は、あなたの頭の中から聞こえたように感じましたか」

 小夜子は目を見開いた。

 それから、ゆっくり頷いた。

 九条が顔を上げる。

「幻聴もある」

「薬か」

「可能性が高い」

「白い粉」

「まだ断定できない。でも、神経系に作用してる」

 真壁は小夜子の手を見る。

 指先の白い粉。

 温室の葉。

 鳴海の周囲に散らされた花弁。

 犯人は第五灯の現場に、第七灯の仕込みを混ぜていた。

 鳴海を発見させ、小夜子を近づけ、葉に触れさせる。

 そのあと瑠璃子の失踪で小夜子を追い詰める。

 声を聞かせる。

 自分が誰かわからなくさせる。

 声を奪う。

 順番がつながっている。

「犯人は、小夜子さんを湖へ走らせたかった」

 二階堂が言った。

「瑠璃子さんの声で呼んで、薬で判断力を削って、湖面の影と混ぜる。小夜子さんが走れば、次は小夜子さんが瑠璃子さんに見える」

 鳳が続ける。

「そして小夜子さんが湖上回廊に立てば、反射でさらに入れ替わる」

「瑠璃子さんが沈んだようにも、小夜子さんが沈んだようにも見える」

 真壁は言った。

「どちらが消えたのかわからなくなる」

 小夜子は震えながら涙を流していた。

 声が出ない。

 それでも、必死に首を振っている。

 違う。

 私は違う。

 私は瑠璃子じゃない。

 声がなくても、その否定だけは伝わってきた。

 九条が彼女の肩に、布越しに手を添えた。

「大丈夫。あなたは神楽坂小夜子です」

 小夜子の目が九条を見た。

「声が出なくても、名前は消えません」

 九条の声は淡々としていた。

 だが、その淡々さが今は救いだった。

「俺たちが覚えています」

 小夜子の顔が崩れた。

 声のない泣き方だった。

 真壁はその様子を見て、胸の奥に怒りが沈んでいくのを感じた。

 殺すだけなら、まだわかる。

 いや、許せるという意味ではない。

 だが殺人者の論理として、対象を殺すことには直線がある。

 この犯人は違う。

 生きている人間から、自分の名を剥がす。

 別人の記憶を流し込み、声を奪い、反射と録音で輪郭を壊す。

 それは、人を殺す前に、人を壊す行為だった。

「小夜子さんを安全な場所へ」

 真壁は言った。

 九条が即座に答える。

「階段下は烏丸さんがいる。温室は危険。食堂は葛城さんの現場。書庫は蓮見さんの現場。玄関広間は西園寺さんの現場」

「応接室しかない」

 二階堂が言う。

「応接室へ移す。全員集める」

「瑠璃子さんは」

 二階堂が訊いた。

「まだ探す。ただし、今すぐ湖には行かない」

「なぜ」

「小夜子さんを連れ出させるための罠が続いている。今動けば、また見えるものを作られる」

 鳳が静かに頷いた。

「応接室なら、窓が少ない。反射を減らせます」

「よし」

 真壁は決めた。

「鳳さん、先導を。反射する鏡、ガラス、裏導線を見てください。二階堂は小夜子さん。九条は鳴海さんの状態を確認してから、烏丸さんへ戻る。氷室さんと朽木さんは応接室へ」

 小夜子は立とうとして、ふらついた。

 二階堂が布越しに支える。

「声は出さなくていいです。頷くだけでいい」

 小夜子は頷いた。

 その瞬間、玄関広間のスピーカーから声がした。

 今度は、小夜子の声だった。

「私は、御子柴瑠璃子です」

 小夜子が凍りついた。

 二階堂の目が見開かれる。

 真壁の全身に怒りが走った。

 スピーカーは続けた。

 小夜子の声で。

「私は、御子柴瑠璃子です。私は、御子柴瑠璃子です。私は――」

「切れ!」

 真壁が叫ぶ。

 鳳が走った。

 二階堂は小夜子の耳を塞ぐように支えた。

 小夜子は声にならない悲鳴を上げ、身体を折る。

 自分の声が、自分ではない名前を名乗っている。

 声を奪われるとは、そういうことだった。

 声が出ない小夜子の代わりに、館が喋る。

 小夜子の声で、瑠璃子の名を置く。

 犯人は、ここまでやる。

「小夜子さん!」

 二階堂が必死に呼ぶ。

「聞かないで。あれはあなたじゃない。録音です。切り貼りです。あなたじゃない」

 スピーカーの声が途切れた。

 鳳が戻ってくる。

「一部を切りました。ただ、館内のどこかに別の再生装置があります」

「今の声は」

 二階堂が訊く。

「小夜子さんの声です。おそらく、さっきの会話を録音して合成した。名前の部分だけ別の音声を重ねているかもしれない」

「さっきの会話?」

 二階堂の顔が青くなる。

「俺たちの会話を、録られてる」

「人感センサーだけではありません」

 鳳は硬い声で言った。

「どこかで音を拾っています」

 真壁は周囲を見た。

 温室。

 回廊。

 玄関広間。

 展示室。

 スピーカー。

 モニター。

 録音装置。

 センサー。

 犯人はこの館を使っている。

 館そのものを、盗聴器にし、拡声器にし、鏡にし、罠にしている。

「会話を減らす」

 真壁は言った。

「必要なことだけ話す。推測は口にしない。名前は特に」

 二階堂が頷いた。

「了解」

 小夜子は二階堂に支えられながら、声のないまま泣いていた。

 九条がその前に立つ。

「小夜子さん。手を洗います。粉を落とす。目と口は触らない」

 小夜子は小さく頷く。

「それから、あなたの声は戻る可能性があります。薬の作用なら、一時的かもしれない。だから、今喋れなくても慌てない」

 小夜子は九条を見た。

 九条は続ける。

「あなたは神楽坂小夜子。今は紙に書けるなら書く。頷けるなら頷く。それで十分です」

 小夜子の涙がまた落ちた。

 真壁は、二階堂へ視線を向ける。

 二階堂は小夜子を支えながら、何かを堪えていた。

 この事件は、二階堂の領域を攻撃している。

 言葉。

 声。

 発表。

 切り取り。

 名乗り。

 さきほどから犯人は、二階堂の専門を使って人を傷つけている。

 そして二階堂は、それでも言葉で支えるしかない。

「二階堂」

「何」

「折れるな」

 二階堂は一瞬だけ真壁を見た。

 それから、薄く笑った。

「言い方、雑」

「悪い」

「でも、効いた」

 真壁は頷いた。

 そのとき、応接室へ向かう廊下の先で、氷室圭吾の声がした。

「待ってください。ここは……開かない」

 全員が振り返る。

 氷室は応接室の扉の前にいた。

 扉を押している。

 開かない。

「鍵がかかっているのか」

 真壁が訊く。

「いえ、内側から何かで塞がれているようです」

 鳳が近づき、扉の隙間を見た。

「違います」

「何が」

「この扉は、開かないようにされたのではありません」

 鳳の声が低くなる。

「向こう側から、誰かが押さえています」

 廊下の空気が凍った。

 応接室は、使っていないはずだった。

 安全地帯にしようとした部屋。

 窓が少なく、反射が少ない場所。

 そこに、誰かがいる。

 内側から扉を押さえている。

 真壁は扉の前に立った。

「誰だ」

 返事はない。

 扉の向こうで、かすかな呼吸音がした。

 男の声が、掠れて漏れた。

「……開けるな」

 氷室の顔が真っ青になった。

「今の……」

「誰だ」

 真壁が問う。

 氷室は震えながら答えた。

「私の声です」

 真壁は氷室を見た。

 氷室は目の前にいる。

 では、扉の向こうの声は何だ。

 録音か。

 別人か。

 それとも。

 応接室の内側から、もう一度声がした。

 今度は、氷室圭吾の声で。

「開けるな。館が、閉じる」

 真壁はゆっくり息を吐いた。

 第八灯。

 次は、館の管理者が館に閉じ込められる。

 犯人はもう、次の部屋で待っている。


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