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十二灯館は、誰の罪を照らすのか  作者: 綾見 恋太郎


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第十三章 十二灯、すべて消える

 最後の灯は、なかなか消えなかった。

 それが、かえって恐ろしかった。

 消えるとわかっているものが、まだ消えない。

 来るとわかっているものが、まだ来ない。

 人間の神経は、出来事そのものよりも、その直前に削られる。

 息を止める。

 指先が冷える。

 喉が乾く。

 見たくないのに、見てしまう。

 聞きたくないのに、耳だけが勝手に開いていく。

 十二灯館の玄関広間に残った者たちは、もう誰も椅子に深く座ることができなかった。

 円を作る。

 真壁彰がそう決めた。

 固まりすぎれば、一度に狙われる。

 離れすぎれば、一人ずつ奪われる。

 だから、互いが見える距離で円を作る。

 人間が人間であることを、視界で確かめ合うための円だった。

 だが、その円は弱かった。

 中央には氷室圭吾が横たわっている。

 額と腕に血の滲んだ布を巻き、煙を吸った喉で浅く呼吸していた。時おり咳き込むたび、体が痛みに跳ねる。

 少し離れたところに、九条雅紀が座っていた。

 目は開いている。

 だが焦点が合っていない。白い霧を吸わされたせいで、視界と平衡感覚を狂わされている。自分の膝に置いた手を見ているようで、その指先さえ遠くにあるような顔をしていた。

 鳳恭介は左肩を押さえ、足首をかばっていた。

 建物に落とされかけた男は、もう壁にも床にも不用意に視線を向けないようにしている。見れば読める。読めば疑われる。読まなければ危険が増える。その矛盾の中で、彼は静かに息を潜めていた。

 二階堂壮也は、小夜子の隣にいた。

 神楽坂小夜子は、声を失っている。

 喉を押さえたまま、二階堂の口元を見る癖がついてしまっていた。声を信じることを禁じられた夜、彼女は唇の動きだけで人の言葉を追っている。

 鳴海栞は壁に凭れていた。

 温室で“死なないように”倒れていた女。第七名を知っている女。資料に触れ、説明文を書き、館の言葉を整えていた女。顔色は悪く、まだ呼吸は浅い。けれど、その目だけは妙に醒めていた。

 朽木怜二は、円の端に座っている。

 彼はもう、誰も信じていない顔をしていた。信じないことで自分を保っている。だが、それも長くは続かないだろう。恐怖は疑いに似ている。疑いは怒りに似ている。怒りは、人を簡単に動かす。

 そして真壁は、円の外側に立っていた。

 立つな、と二階堂が言った。

 目立つ、と鳳が言った。

 犯人が待っている、と九条が言った。

 それでも真壁は立っていた。

 自分の名前が、すでに置かれているからだ。

 ――真壁彰。

 赤いモニターに表示された白い文字。

 まだ十二番目の灯は消えていない。

 まだ新しい死体は出ていない。

 まだ真壁が犯人だと示す物証もない。

 なのに、名前だけが先に置かれた。

 犯人が初めて、順番を間違えた。

 その一点だけが、真壁たちに残された細い糸だった。

「真壁」

 二階堂が低く呼んだ。

「何だ」

「立ってると、画面と並ぶ」

「わかってる」

「わかってて立ってるの、最悪なんだけど」

「座れば、俺の位置を犯人に決められる」

 二階堂は言葉を飲み込んだ。

 言い返せないからではない。

 言い返す言葉を、選んでいた。

 彼の言葉は一度殺された。

 切り取られ、継ぎ接ぎされ、被害者を誘導した証拠のように流された。

 だから二階堂は、もう不用意に喋らない。

 喋る前に、真壁を見る。

 九条を見る。

 鳳を見る。

 自分の口元を小夜子に見せる。

 言葉を、一人で走らせない。

 それが第十一灯のあと、二階堂が取り戻した戦い方だった。

「確認する」

 二階堂は言った。

「今、真壁は自分の意思で立っている。犯人の表示に従って立っているわけじゃない。そういうことでいい?」

「そうだ」

「全員、聞きましたね」

 二階堂は円の中を見渡した。

「いま俺が言ったことは、俺一人の判断じゃない。真壁本人が答えた。以後、真壁が立っていたから犯人だ、という言い方は保留にしてください」

 朽木がかすかに笑った。

「保留ばかりですね」

「保留できる間は、生きています」

 二階堂は返した。

 その言葉は、強かった。

 ほんの少し前なら、朽木はさらに噛みついただろう。

 だが今は、黙った。

 疲れている。

 全員が疲れている。

 死者の数を数えるのにも、傷ついた者の名前を思い出すのにも、もう力が要る。

 西園寺雅治。

 葛城慎一郎。

 蓮見詩穂。

 死者三名。

 烏丸鏡花。

 鳴海栞。

 神楽坂小夜子。

 氷室圭吾。

 鳳恭介。

 九条雅紀。

 二階堂壮也。

 傷つけられた者たち。

 御子柴瑠璃子。

 消えた者。

 そして、真壁彰。

 最後の名を置かれた者。

 十二人全員が、もうどこかを失っていた。

     *

「九条」

 真壁は呼んだ。

 九条はゆっくり顔を上げた。

「何」

「見えるか」

「見える」

 短い返事。

 だが嘘だった。

 真壁にはわかった。

「どれくらい」

「三つくらい」

「何が」

「お前が」

 二階堂が思わず顔をしかめた。

「それ、見えてないやつじゃん」

「だから見えるって言った」

「屁理屈も弱ってる」

「うるさい」

 九条は目を閉じた。

 額に汗が滲んでいる。

 吐き気を堪えているのだろう。何度か喉が動く。けれど吐かない。吐けば、さらに体力を削られるとわかっているからだ。

「九条」

 真壁はもう一度呼んだ。

「何」

「断片をもう一度言えるか」

 二階堂が顔を上げた。

 鳳も、視線だけを向ける。

 九条は少し沈黙した。

「今?」

「今」

「あとでいいだろ」

「あとが来る保証がない」

 九条は目を閉じたまま、低く息を吐いた。

「死体の向きが違う」

「どの死体」

「西園寺さん。鏡の中で見た向きと、実際の身体の向きが違う。鏡に映るために置かれてる。死んだ場所じゃない。見つけさせる場所」

「次」

「葛城さん。毒は飲んだんじゃない。触った。席じゃなくて手。席札か、縁か、指に移るもの。水は発表用」

「次」

「烏丸さん。落ちたんじゃない。落とされたように見せられた。死なせる落下じゃない。少女の役を着せるため」

 小夜子が目を伏せた。

 声は出ない。

 だが、その言葉が胸を刺したのは見て取れた。

「蓮見さん」

「紙に埋められた。窒息。けど紙で死んだんじゃない。息を止める場所に置かれた。第七名の紙片。G七」

 鳴海の指がぴくりと動いた。

「鳴海さん」

 真壁が言うと、九条は少し間を置いた。

「死なないように倒れてた」

 広間が静かになった。

 鳴海は目を伏せた。

「温室は、閉じ込める場所じゃない。見つけてもらう場所。毒か薬剤は、死なない量。位置も整いすぎてる」

 二階堂が鳴海を見た。

 鳴海は何も言わない。

 言わないことが、何かを隠しているようにも、ただ傷ついているようにも見える。

「瑠璃子さん」

「水にはいない」

 小夜子が顔を上げた。

 九条は続ける。

「少なくとも、湖面の影は死体じゃない。布か反射か、どちらにせよ名前を映す仕掛け。死体はない」

「小夜子さん」

「声を奪われた。けど、声だけじゃない。声を置かれた。自分の声で、別の名前を名乗らされた」

 小夜子の目に涙が浮かぶ。

 二階堂が彼女の口元を見て、ゆっくり頷いた。

 声がなくても、今ここにいる。

 それを確認するように。

「氷室さん」

「閉じ込められた。けど、閉じ込めるだけならもっと簡単でいい。第七保管室の鍵を握らせるため。管理者に、知らない秘密を持たせるため」

 氷室は苦しそうに目を閉じた。

「鳳さん」

「落とされたんじゃない。落ちる位置へ誘導された。鳳さんの知識を、状況証拠に変えるため。建物の罠は、建物だけの人間じゃない。言葉と一緒に使われてる」

 鳳は小さく頷いた。

「九条」

 真壁が言う。

 九条は、うっすら目を開けた。

「俺は、読めなくされた」

「それだけか」

「死体を読ませない。判断力を削る。俺の声を所見として切り取る。生きてる人間と死体を同時に置いて、選ばせる」

 九条は息を吸った。

「助ける手を見てる」

 その言葉に、二階堂が反応した。

「そこ、もう一回」

「犯人は、誰が誰を助けるか見てる。助けた人間の動きが、次の疑いになる。二階堂が席を決める。二階堂が小夜子さんを支える。真壁が氷室さんを助ける。鳳さんが建物を読む。俺が烏丸さんを処置する。全部、次の罠に使われてる」

 真壁は頷いた。

「二階堂」

 二階堂は自分の胸元を軽く押さえた。

「俺は、言葉を殺された。俺の声と映像を切り取られて、誰かを誘導したようにされた。でも、それでわかった」

「何が」

「犯人は、文章を書く人間だ」

 鳴海の肩が、わずかに動いた。

 二階堂は続ける。

「脅迫文じゃない。説明文。見た人に、どう理解すればいいかまで渡してる。『ひとつ灯して、客を呼ぶ』『ふたつ灯して、席を分ける』『記録にない名は、紙の下で息を止める』。全部、出来事を説明する文章になってる」

「資料展示に似ている」

 真壁が言う。

 二階堂は頷いた。

「似ている。特に、結論を先に置く癖がある。死体より先に名前。事件より先に意味。見たものより先に説明」

 鳴海が小さく言った。

「私を疑っているんですね」

 二階堂は彼女を見た。

 口元を、小夜子にも見えるように。

「疑っています」

 鳴海は息を呑んだ。

「でも、あなたを犯人だとはまだ置きません」

「どうして」

「犯人がそれを望んでいるかもしれないからです」

 鳴海の目が揺れた。

「それに」

 二階堂は続けた。

「あなたが第五灯で“死なないように”置かれた理由が、まだ二通りある」

「二通り?」

「犯人だから、自分を被害者に見せるため。あるいは、犯人があなたに罪の名を着せるため」

 鳴海は何も言わなかった。

 言えなかったのかもしれない。

 その沈黙の中で、玄関広間のモニターが一瞬だけちらついた。

 赤い画面。

 白い文字。

 ――真壁彰。

 まだそこにある。

「最後の灯は消えない」

 鳳が言った。

 全員が彼を見た。

「何か見えたか」

 真壁が訊く。

 鳳は外壁の方を見た。

 玄関広間から直接は見えない。

 けれど、湖面に映る灯の列が、窓ガラスの端に揺れている。

「十二番目の灯は、消える仕掛けが違うかもしれません」

「どういうことですか」

 二階堂が問う。

「これまでの灯は、個別に消えていました。ですが最後の灯だけ、消える前に名前が表示された。犯人は、最後の灯を消すタイミングを人間の動きに連動させている可能性があります」

「人間の動き?」

「真壁さんが、犯人役として動く瞬間」

 広間の空気が、また冷えた。

 鳳は続ける。

「凶器を拾う。死体を発見する。隠し扉を開ける。誰かを追う。そういう動きに合わせて、最後の灯が消える。すると、真壁さんの行動と第十二灯の消灯が結びつく」

「つまり、俺を動かしたい」

 真壁が言った。

「はい」

 鳳は頷いた。

「だから、いま真壁さんが立っているのは危険です」

「でも座っても危険だ」

「そうです」

 鳳は苦く笑った。

「この館は、そういう作りにされています」

 そのときだった。

 館内に、短いベルの音が鳴った。

 全員が身を硬くする。

 音は玄関広間の奥、展示室の方から聞こえた。

 小さな金属音。

 チン、と。

 食堂にあった銀のベルに似ていた。

 葛城の死を思い出させる音。

 誰も動かなかった。

 二階堂が小さく言う。

「動かない」

 全員が彼の口元を見る。

「今の音には動かない」

 スピーカーがすぐに鳴った。

 二階堂の声で。

「今の音には動かない」

 続いて、継ぎ接ぎされた声。

「動かないと、死にます」

 小夜子が肩を震わせる。

 氷室が呻く。

 朽木が立ち上がりかける。

 二階堂が生の声で言った。

「朽木さん。俺の口を見て」

 朽木は動きを止めた。

「座ってください」

 スピーカーが重ねる。

「座ってください。そこが、あなたの席です」

 葛城の恐怖。

 朽木の顔が歪む。

 けれど彼は、今度は座った。

 汗が額を伝っている。

「よし」

 二階堂は言った。

「できています」

 朽木は怒ったように二階堂を睨んだ。

「子ども扱いするな」

「してません」

 二階堂は即答した。

「恐怖の中で止まれた人を、確認しただけです」

 朽木は目を逸らした。

 その顔に、かすかな羞恥が浮かんでいた。

 人は恐怖の中で、褒められることさえ痛い。

 けれど、それでも彼は座った。

 犯人の声に従わなかった。

 それは小さな勝ちだった。

 その直後、展示室のモニターが点いた。

 赤い光が、玄関広間の横から漏れる。

 誰も動かない。

 真壁は言った。

「二階堂。読め」

 二階堂は、画面の方向を見た。

「遠い。全部は見えない」

「鳳さん」

 鳳が少し身を起こした。

「鏡が塞がれているので、ここからは角度が悪いですね」

「見に行くな」

 真壁は言った。

「行くなら、全員で動く」

 すると、モニターの文字が音声で読み上げられた。

 無機質な女の声。

 ――第七保管室を開けてください。

 氷室が息を呑んだ。

 鳴海の顔が凍る。

 小夜子は声のないまま、目を見開く。

 続いて音声。

 ――鍵は、真壁彰が持っています。

 広間の空気が止まった。

 真壁は自分のポケットに手を入れなかった。

 入れれば、その動きが意味を持つ。

 二階堂が真壁を見る。

「確認していい?」

「俺は持っていない」

「ポケットに触って確認する?」

「しない」

 二階堂は頷いた。

「全員、聞きましたね。真壁は自分の意思でポケットを確認しません。いま“鍵を持っているかもしれない”という表示に従って動かないためです」

 朽木が言った。

「ですが、本当に持っているかもしれない」

「なら、他人が確認します」

 二階堂は言った。

「ただし一人ではしない。二人で見る。真壁の許可を取る。手元を全員に見せる。確認する人間も、事前に宣言する」

「そこまで」

「やります」

 二階堂の声は硬かった。

「俺の言葉が殺されたあとだからこそ、やります」

 真壁は二階堂を見た。

 この男は戻ってきている。

 削られたまま。

 傷ついたまま。

 それでも、別のやり方で場を制御し始めている。

「鳳さん、見届けを」

 二階堂が言った。

「僕ですか」

「あなたは手を出さない。見るだけ。九条さんは動けないから、視線だけ。小夜子さんにも見えるようにします。朽木さん、あなたが確認してください」

 朽木はぎょっとした。

「私が?」

「真壁を一番疑っているからです」

「私は別に」

「疑っていますよね」

 朽木は黙った。

「疑っている人が確認する方が、公平です。ただし、勝手に触らない。俺が言葉で誘導したと言われないよう、手順を真壁が言ってください」

 二階堂は真壁を見る。

「真壁。手順を」

 真壁は頷いた。

「朽木さんが俺の上着の左右ポケットを確認する。中身があれば、取り出す前に全員へ見せる。二階堂は俺にも朽木さんにも触れない。鳳さんは見届け。九条は……」

「聞いてる」

 九条が目を閉じたまま言った。

「聞いてるから、あとで嘘つくなよ」

 二階堂がほんの少し笑った。

「怖いなあ」

「うるさい」

 その短いやり取りで、空気がほんの少し緩む。

 だが、緩んだ瞬間こそ危険だった。

 朽木が慎重に立ち上がる。

 真壁の前へ来る。

 手が震えていた。

「確認します」

 彼は言った。

「どうぞ」

 真壁は両手を少し開いた。

 何も持っていないことを示す。

 朽木が右ポケットに触れる。

 空。

 左ポケット。

 何かがあった。

 朽木の手が止まる。

 広間の全員が息を止めた。

「何かあります」

 朽木が言った。

 二階堂の顔が変わる。

「取り出さないで。形は?」

「小さい。金属……鍵かもしれない」

 真壁は目を閉じそうになった。

 いつ入れられた。

 いや、考えるより先に手順だ。

「朽木さん。そのままポケットの口を広げてください。鳳さん、見えますか」

 鳳が身を乗り出す。

「見えます。真鍮の札がついています」

 氷室が呻く。

「第七保管室の……」

 二階堂が低く言った。

「まだ決めない」

 朽木が震える手で、ゆっくり鍵をつまみ上げた。

 全員に見える高さで止める。

 それは、氷室が壁の中で握らされていた鍵と同じ形だった。

 いや、同じではない。

 札の刻印が違う。

 ――第十二保管室。

 真壁の名前が置かれたあと、真壁のポケットから出た鍵。

 第七ではない。

 第十二。

 朽木の顔が恐怖と興奮で歪む。

「これは……」

「俺が入れたものじゃない」

 真壁は言った。

 だが、その言葉がどれほど弱いかもわかっていた。

 犯人にされた者は、必ずそう言う。

「いつ入れられた」

 二階堂が言った。

 その声は、真壁を庇うためではない。

 確認のための声だった。

「真壁に近づいた人間は?」

「全員です」

 朽木が言った。

「この状況で、誰が誰に近づいたかなど」

「近づきました」

 鳴海が小さく言った。

 全員が彼女を見る。

「先ほど、温室で……真壁さんが私を支えたとき」

「そのとき、あなたは真壁のポケットに触れましたか」

 二階堂が問う。

 鳴海は首を振る。

「覚えていません」

「覚えていない、ですね」

「はい」

 二階堂は頷いた。

「記録します。鳴海さんは、温室で真壁に接触した可能性を認めた。ただし鍵を入れた記憶はない」

 鳴海の顔が強張る。

「そういう言い方をすると、私が」

「だから記録として言い直しています」

 二階堂は穏やかに言った。

「あなたを犯人にしていない。可能性を置いています」

 九条が目を閉じたまま言った。

「真壁にも、鍵が入れられた可能性を置く」

「そうだね」

 二階堂は頷いた。

「真壁が持っていた可能性と、誰かに入れられた可能性を両方置く」

 朽木が苛立ったように言った。

「では何も決まらない」

「決めるために、今は増やす」

 二階堂の声が低くなった。

「九条さんの言い方を借りれば」

 九条がかすかに笑った。

「使用料を取る」

「あとで請求して」

 その瞬間、玄関広間の大モニターが切り替わった。

 赤い画面。

 白い文字。

 ――証拠品一、鍵。

 続いて映像。

 真壁が鳴海を支える場面。

 次に、真壁が氷室を壁内から引き出す場面。

 次に、真壁が鳳を穴から引き上げる場面。

 映像はすべて短く切られている。

 真壁の手元だけが映る。

 誰かを助けている手。

 しかし編集された映像では、その手が何かを奪い、何かを隠し、何かを渡しているように見えた。

 ――助ける手は、罪を移す手。

 朽木が呻いた。

「これは……」

 二階堂が即座に言った。

「映像の前後が切られている。全員、画面だけで判断しない」

 しかし、今度は二階堂の言葉も弱かった。

 自分が同じことをされたばかりだからだ。

 切り取りだとわかっていても、見せられた映像は脳に残る。

 真壁の手。

 鍵。

 支える動作。

 助ける動作。

 罪を移す手。

 犯人は、九条の言った「助ける手を見ている」という断片を、そのまま真壁へ返してきた。

 助けた人間ほど疑われる。

 真壁は、もっとも多く助けた。

 だから最後の犯人役にされた。

「面白いな」

 真壁は低く言った。

 二階堂がぎょっとする。

「真壁?」

「犯人は、俺の手を使いたい」

「だから何」

「なら、俺はもう何も触らない」

 真壁は両手をゆっくり上げた。

「ここから先、俺は誰にも触らない。鍵にも触らない。死体にも、ドアにも、モニターにも、凶器にも触らない」

 鳳が顔を上げる。

「しかし、何かが起きたら」

「二階堂が手順を言う。鳳さんが構造を見る。九条が見たものを言う。俺は指示だけ出す」

 二階堂が眉を寄せる。

「それ、俺の言葉を使うことになる」

「だから検証する」

「俺の言葉も殺されたばかりなんだけど」

「死んだ言葉を使う」

 二階堂は黙った。

 それから、少しだけ笑った。

「無茶言うなあ」

「得意だろ」

「得意じゃない。慣れてるだけ」

 小夜子が二階堂の袖を掴んだ。

 彼女は声を出せない。

 だが、その手は少しだけ強くなっていた。

 鳴海は真壁のポケットから出た鍵を見つめている。

 氷室は震えながら「第十二……」と呟いている。

 朽木はもう、誰を疑えばいいのかわからない顔をしている。

 鳳は床と壁を見たい衝動を堪えている。

 九条は目を閉じたまま、必死に吐き気を逃がしている。

 生存者たちは、心身ともに限界だった。

 それでも、まだ円は崩れていなかった。

 犯人は、それを見ていたのかもしれない。

 あるいは、もう次の仕掛けに任せていたのかもしれない。

 外で、最後の灯が揺れた。

 窓ガラスの端に、その反射が映る。

 まだ消えていない。

 だが、灯の輪郭が細く震えている。

 鳳が小さく言った。

「風ではありません」

 真壁は顔を向けた。

「何が」

「最後の灯。揺れ方が違う。内部で何かが動いています」

「消えるのか」

「おそらく」

 二階堂が言う。

「何に連動してる?」

 鳳は少し考えた。

「鍵かもしれません」

「鍵?」

「第十二保管室の鍵を、どこかに差し込むと消える。あるいは、逆に鍵が持ち出された時点で一定時間後に消える」

「じゃあ、鍵を触らなければ」

「すでに取り出されました」

 朽木の顔が青ざめる。

「私が……」

「朽木さんのせいではない」

 真壁は言った。

「手順通りに確認した」

 しかし、朽木は自分の手を見ていた。

 震えている。

 疑っていた相手のポケットから証拠を取り出した。

 その行為自体が、犯人の順番かもしれない。

「私は……」

「朽木さん」

 二階堂が口元を見せて言った。

「あなたは確認した。犯人が見せようとしたものを、こちらの手順で見た。そこは違います」

「何が違うんです」

「勝手に掴まされていない」

 朽木は答えなかった。

 だが、鍵を持つ手を少しだけ下ろした。

「鍵は床に置くな」

 真壁が言った。

「手に持ったまま、全員に見える位置で」

「私が持つのですか」

「嫌なら鳳さんが見る」

「僕は触りません」

 鳳は即答した。

 自分が触れれば、それもまた罪になる。

「なら朽木さん。持っていてください。ただし、動かない」

 朽木は頷いた。

 そのとき、モニターがまた点いた。

 ――第十二保管室は、死体の下。

 全員の視線が、西園寺雅治の死体へ向いた。

 柱陰。

 第一の死体。

 胸の血は黒く沈んでいる。

 その死体の下に、第十二保管室。

 あり得ない。

 だがこの館では、あり得ないことほど用意されている。

 鳳が顔を強張らせた。

「床下です」

「死体の下に、床下収納か」

 真壁が言う。

「おそらく。玄関広間の柱陰に、旧式の保管庫がある。死体は、その上に置かれた」

 二階堂が低く言う。

「最初から」

「はい」

 鳳の声も低くなった。

「西園寺さんの死体は、第一の死体であると同時に、最後の扉を隠す蓋だった」

 広間が凍りついた。

 最初の死体が、最後の保管室を隠していた。

 第一灯と第十二灯が繋がる。

 犯人は最初から、最後の場所を死体で塞いでいた。

「開けろってことですね」

 朽木が言った。

「死体を動かして、床下を開けろと」

「そうでしょうね」

 二階堂が答える。

「開けた瞬間、真壁が現場を荒らしたことになる」

「そして、真壁さんのポケットから鍵が出ている」

 鳳が続ける。

「真壁さんが第一の死体の下に隠された保管室を開けた。そう見える」

「俺を犯人にするには十分だな」

 真壁は言った。

 二階堂が苦い顔をする。

「楽しそうに言わないで」

「楽しんでない」

「声が落ち着きすぎ」

「怒ると順番を間違える」

 二階堂は黙った。

 九条が目を閉じたまま言った。

「死体を動かすな」

「理由は」

「現場が壊れる」

「それだけか」

「違う」

 九条は息を吸った。

「西園寺さんの身体の下に何かあるなら、身体の置かれ方に意味がある。動かす前に、記録。向き。手。血の広がり。鏡との関係。床の継ぎ目。全部」

「できるか」

「俺は見えない」

 九条は苦しげに言った。

「だから、見たものを言わせる」

 真壁は頷いた。

「鳳さん、床。二階堂、映像と文章。朽木さん、鍵を見せたまま。鳴海さん、展示資料との違いを。氷室さん、保管室の心当たり。小夜子さんは……」

 小夜子が真壁を見た。

「見ていてください」

 二階堂が代わりに言った。

「声が出なくても、見ていてください。誰が何をしたか。あなたが見ていたことは、あとで必ず意味を持ちます」

 小夜子は涙を拭い、頷いた。

 犯人は、ひとかたまりになることを許さなかった。

 だが今、彼らは別々の役割で一つの円を作っている。

 触れない真壁。

 喋るが検証される二階堂。

 読めない九条。

 疑われた鳳。

 声を失った小夜子。

 鍵を持たされた朽木。

 保管室を知らない氷室。

 資料を知る鳴海。

 全員、傷ついている。

 全員、完全ではない。

 だからこそ、一人ではなくなった。

 その瞬間。

 最後の灯が消えた。

 ふっと。

 音もなく。

 外壁に残っていた十二番目の光が、闇に沈んだ。

 湖面には、消えた灯の反射だけが一瞬遅れて揺れた。

 まるで、光が死んだことを水だけがまだ知らないように。

 玄関広間のモニターが赤く染まる。

 白い文字が浮かぶ。

 ――十二灯、すべて消える。

 続いて。

 ――真壁彰。

 ――第十二灯、消灯。

 そして最後に。

 ――犯人役、確定。

 広間の空気が、音を立てずに壊れた。

 朽木が後ずさる。

 氷室が呻く。

 鳴海が息を呑む。

 小夜子が声のない悲鳴を上げる。

 鳳が立ち上がりかけて痛みに顔を歪める。

 二階堂が真壁の前に出ようとする。

 九条が、目を開けようとして失敗する。

 全員の恐怖が、真壁へ向いた。

 犯人役、確定。

 それは証明ではない。

 ただの表示だ。

 ただの言葉だ。

 だが、十二の灯がすべて消えたあとでは、その言葉は判決のように見えた。

 真壁は動かなかった。

 両手を上げたまま。

 誰にも触れず。

 鍵にも、死体にも、床にも、モニターにも触れず。

 ただ、赤い画面を見た。

「確定してない」

 二階堂が言った。

 声が震えていた。

 それでも、言った。

「まだ何も確定してない」

 朽木が叫ぶ。

「では、なぜ真壁さんの名前が!」

「犯人が置いたからです」

 二階堂は答えた。

「それだけです」

「それだけ?」

「それだけです」

 二階堂の声は、今度は震えなかった。

 小夜子が彼の口元を見ている。

 九条が、目を閉じたまま言った。

「死体より先に名前を置くな」

 真壁は九条を見る。

「俺の台詞だ」

「貸した」

「返さないぞ」

「あとで請求する」

 九条の声は弱かった。

 だが、生きていた。

 その声で、真壁の中の何かが定まった。

 十二の灯は消えた。

 真壁の名は置かれた。

 犯人役は確定したと、館は告げた。

 だが、まだ終わっていない。

 むしろ、ここからだった。

 真壁はゆっくり息を吸った。

 そして、言った。

「全員、聞いてください」

 二階堂がすぐに補助する。

「真壁の口元を見てください。これは録音ではありません。今ここで喋っています」

 小夜子が頷く。

 鳴海も顔を上げる。

 朽木は恐怖と疑いに震えながらも、真壁の口元を見た。

 真壁は言った。

「今、犯人は俺の名前を置きました。だが順番を間違えています」

 誰も動かない。

「鍵は出た。保管室の表示も出た。死体の下に何かあると示された。だが、まだ誰も鍵を使っていない。死体も動かしていない。保管室も開けていない。つまり、犯人はこれから俺にやらせたいことを、先に“確定”と表示した」

 二階堂が頷いた。

「説明が先走った」

「そうだ」

 真壁は続ける。

「この事件は、殺しの順番ではなく、見つけさせる順番で組まれている。西園寺さんの死体は最初に見せられた。でも本当に最初に殺されたとは限らない。葛城さんは席で死んだ。でも毒は水ではない。烏丸さんは落ちたように見えた。でも落とされたように見せられた。瑠璃子さんは沈んだように見えた。でも死体はない。鳴海さんは死んだように置かれた。でも死なないように倒れていた」

 鳴海の顔が歪む。

 真壁は見た。

 そこに恐怖がある。

 罪悪感もある。

 だが、それが犯人のものか、被害者のものかはまだ置かない。

「そして今、俺は犯人のように置かれた」

 真壁は赤いモニターを見る。

「なら、次に見るべきは、俺が犯人かどうかじゃない」

「何を見る」

 朽木が掠れた声で問う。

 真壁は答えた。

「誰が、俺を犯人に見せたがっているかです」

 その瞬間、館内スピーカーが鳴った。

 今度は真壁の声だった。

「俺は犯人じゃない」

 広間に真壁の声が反響する。

 続いて、継ぎ接ぎされた声。

「俺は犯人じゃない。だから、鳴海さんが犯人だ」

 鳴海が息を呑む。

 二階堂が叫ぶ。

「口元を見て!」

 真壁は喋っていない。

 全員がそれを見た。

 小夜子が激しく頷く。

 鳳が言った。

「録音です」

 九条が続ける。

「今の真壁は喋ってない」

 朽木も、震えながら頷いた。

「……口は、動いていなかった」

 初めて、犯人の切り取りが、その場で破れた。

 真壁は静かに言った。

「よし」

 たった一言。

 だが、広間の空気が変わった。

 まだ恐怖はある。

 疑いもある。

 死体も、傷も、失踪も消えていない。

 けれど生存者たちは、今、初めて犯人の声に従わなかった。

 見た。

 確認した。

 名前を置かなかった。

 その瞬間、モニターが激しくちらついた。

 赤い画面が乱れる。

 白い文字が崩れる。

 犯人役、確定。

 その文字が一度消え、また現れ、ノイズに溶けた。

 鳳が呟く。

「電源ではない。制御信号が乱れている」

 二階堂が言った。

「犯人が予定していた反応と違った?」

「かもしれない」

 真壁は、初めて一歩前に出た。

 二階堂が反射的に言う。

「動くなら宣言して」

「前へ一歩出ます。何にも触れません」

 二階堂が全員へ言う。

「真壁が前へ一歩出ます。手は上げたまま。何にも触れません。全員、確認してください」

 真壁は一歩だけ進んだ。

 誰も止めなかった。

 スピーカーも鳴らなかった。

 外では、十二の灯がすべて消えている。

 湖面には、その残像だけが揺れている。

 真壁は言った。

「次は、死体を動かす前に、死体の下を見る方法を考える」

 鳳が顔を上げた。

「床の構造なら、隙間から確認できるかもしれません」

 九条が目を閉じたまま言った。

「死体は動かすな。血の端を見る。床板の継ぎ目に血が入ってるか」

 二階堂が言った。

「言葉も見る。第十二保管室という表示が、他の表示と文体が同じかどうか」

 鳴海が、震えながら言った。

「展示室の説明文と……照合できます」

 全員が彼女を見た。

 鳴海は顔を上げる。

「私が書いた文と、犯人の文が似ているなら。似ている部分と、似せきれていない部分があるはずです」

 二階堂が静かに頷いた。

「それを、あなた自身が言いますか」

「はい」

「自分に不利になるかもしれない」

「わかっています」

 鳴海の声は震えていた。

 だが、逃げてはいなかった。

「でも、もう名前を奪われるのは嫌です」

 小夜子が彼女を見た。

 声を奪われた女と、名前を隠してきた女。

 二人の視線が一瞬だけ重なった。

 真壁は頷いた。

「なら、次で並べ直します」

 二階堂が言った。

「次の章だね」

「章と言うな」

「さっき真壁も言った」

「俺はいい」

「横暴」

 短いやり取り。

 だが、それは確かに生きている人間の会話だった。

 十二の灯は消えた。

 真壁の名前は置かれた。

 犯人役は確定したと、館は告げた。

 けれど、円はまだ崩れていなかった。

 傷ついた者たちは、傷ついたまま互いを見ていた。

 声を失った者は目で頷き、

 言葉を殺された者は検証を求め、

 死体を読めなくされた者は断片を残し、

 建物に疑われた者は構造を指し、

 犯人役にされた者は、まだ何にも触れずに立っている。

 十二灯館は、すべての灯を消した。

 だが、その闇の中で、ようやく犯人の置いた順番だけが見え始めていた。


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