第十二章 とおあまりひとつ、言葉を殺す
言葉は、人を助けるためにある。
少なくとも二階堂壮也は、そう信じていた。
違う、と言うため。
待て、と止めるため。
逃げろ、と叫ぶため。
大丈夫だ、と嘘でもいいから誰かの呼吸を整えるため。
人は混乱すると、事実より先に言葉を探す。
何が起きたのか。
誰が死んだのか。
誰を信じればいいのか。
自分はまだここにいていいのか。
その全部に、言葉が必要だった。
だから二階堂は、場に言葉を置いてきた。
乱れた場所に、順番を作るために。
けれど十二灯館では、その順番こそが犯人に奪われた。
言葉は、人を助けるためにある。
だがこの館では、言葉が先に人を殺した。
*
第十灯が消えたあと、真壁彰は九条雅紀を抱えるようにして階段下から動かした。
九条は意識を失ってはいない。
ただ、視線が定まらなかった。
目を開けているのに、見ているものが合わない。
階段を見れば床が傾き、血を見れば名前が浮かび、誰かの声を聞けば死体の位置が重なる。
白い霧を吸わされた影響で、平衡感覚と視界が乱されている。
それでも九条は、壊れた機械のように断片を吐き出していた。
死体の向きが違う。
血が先じゃない。
名前が、あとから来てる。
助けた順に、壊してる。
真壁はそれを拾った。
拾うしかなかった。
読む者が読めなくされても、読んだ断片だけは残る。
それを捨てたら、九条が倒れた意味まで犯人に奪われる。
「二階堂」
真壁は言った。
「玄関広間に戻す。円を作る。固まりすぎるな。離れすぎるな」
「わかってる」
二階堂の返事は早かった。
早すぎた。
真壁はその声に、微かな硬さを聞いた。
モニターには、すでに次の文句が出ていた。
――とおあまりひとつ、言葉を殺す。
名前はまだ表示されていない。
だが全員が、二階堂壮也を見ていた。
次はこの男だ。
そう言葉にしなくても、もうわかっていた。
二階堂はその視線を受けても、いつものように笑おうとした。
だが、うまくいかなかった。
口元だけがわずかに上がり、すぐ落ちた。
彼はそれをごまかすように、小夜子の前にしゃがんだ。
「小夜子さん、歩けますか」
神楽坂小夜子は声を失ったまま頷いた。
彼女は二階堂の袖を掴んでいた。
掴む力が強すぎる。
布が皺になり、指先が白くなる。
声を奪われた人間が、声の代わりにそこへ縋っている。
「大丈夫です。俺の袖、持ってていいので」
小夜子は泣きそうな目で、もう一度頷く。
「ただし、俺が止まれと言うまで止まらない。誰かが呼んでも、声がしても、モニターが光っても、止まらない」
小夜子は頷く。
「鳴海さん」
二階堂は次に、壁にもたれている鳴海栞を見た。
鳴海は青白い顔で、しかし意識ははっきりしていた。
温室で“死なないように”置かれた女。
第七名を知っている女。
第七保管室という言葉に反応した女。
疑わない理由はない。
だが、今は生存者でもある。
「歩けますか」
「はい」
鳴海は小さく答えた。
「朽木さん、支えてください」
朽木怜二は一瞬だけ躊躇した。
その躊躇を二階堂は見逃さなかった。
「嫌ですか」
「いえ」
「嫌なら言ってください。無理に支えさせる方が危ない」
「できます」
朽木は硬い声で答え、鳴海の腕を取った。
その手つきは、丁寧だった。
だが、人を支える手ではなく、証拠品を壊さないように扱う手だった。
鳴海もそれに気づいたのだろう。
わずかに身を硬くした。
「鳳さん」
二階堂は言った。
「歩けますか」
鳳恭介は左肩を押さえ、足を引きずっていた。
「歩けます」
「その“歩けます”は信用しないので、真壁の近くにいてください」
「厳しいですね」
「今、優しくする余裕ないんで」
「合理的です」
「それ、九条さんにも言われそう」
わずかな会話だった。
だが、そこに人間の気配があった。
恐怖の中に、一瞬だけ息を継ぐ隙間ができる。
犯人は、その隙間を見逃さなかった。
館内スピーカーが鳴った。
低いノイズ。
全員が硬直する。
二階堂の声が流れた。
「全員、玄関広間へ。止まらない。俺の声だけ聞いてください」
ついさっきの声。
生存者たちをまとめるために、二階堂が言った言葉。
それが館内に反響した。
続いて、別の二階堂の声。
「俺の声だけ聞いてください」
また繰り返す。
「俺の声だけ」
そこで一拍、妙な間が入った。
次に流れた声は、継ぎ接ぎされていた。
「俺の声だけ、聞いてください。ほかの声は、聞かないでください。俺が、次の名を選びます」
小夜子が声のない悲鳴を上げた。
朽木が立ち止まる。
鳴海の顔から血の気が引く。
氷室が床の上で呻く。
鳳が二階堂を見る。
九条は真壁に支えられながら、焦点の合わない目を閉じた。
二階堂本人は、動かなかった。
顔だけが、静かに白くなっていく。
「切り取りだ」
真壁が言った。
「今のは切り取りです」
二階堂は続けた。
しかし、その声はいつもより低かった。
「俺はそんなこと言ってない」
朽木がかすれた声で言う。
「ですが、声はあなたです」
「声は、もう証拠にならない」
「都合がいいですね」
二階堂の目が一瞬だけ細くなった。
だが言い返さなかった。
言い返せば、また切り取られる。
犯人はそれを待っている。
「全員、動く」
真壁が低く言った。
「今の声に止められるな」
「でも」
朽木が言いかける。
「動け」
真壁の声が鋭くなった。
「ここで止まったら、犯人の順番になる」
二階堂は小夜子の手をそっと袖から外し、彼女の前に立った。
「小夜子さん。今のは俺の声です。でも俺の言葉じゃない」
小夜子は泣きながら頷く。
「信じなくていいです」
二階堂は続けた。
「ただ、今は歩いてください」
小夜子は震えながら立ち上がった。
声を奪われた彼女は、二階堂の言葉を信じたのではない。
言葉ではなく、二階堂が自分の前に立っているという事実を信じた。
それだけだった。
*
玄関広間へ戻る道は、短いはずだった。
だが、その数十メートルが果てしなく長かった。
真壁は九条を支え、ゆっくり歩いた。
九条の足取りは乱れている。
床は平らなのに、彼の身体だけが船の上にいるように揺れる。
「右」
真壁が言う。
「右って、どっち」
九条が小さく返した。
冗談ではなかった。
彼は本当に、方向を掴めていない。
「俺の肩に体重を預けろ」
「重い」
「今さら遠慮するな」
「遠慮じゃなくて……気持ち悪い」
「吐くなら言え」
「言ったら止まるだろ」
「止まる」
「だから言わない」
「言え」
九条は黙った。
その沈黙が答えだった。
真壁は九条の身体を支える力を強める。
二階堂は前方で全員の配置を見ていた。
声を奪われた小夜子を自分の斜め後ろに置き、鳴海と朽木をその反対側に置く。
鳳は中央寄り。
氷室は真壁と九条が一度置いた担架代わりのカーテン布に乗せられ、鳳と朽木が交互に手を貸す。
誰も完全には信用できない。
けれど、誰かの手を借りなければ進めない。
それが、館の作った地獄だった。
玄関広間に入ると、西園寺雅治の死体がまだ柱陰に横たわっていた。
最初の死体。
最初の名前。
胸元の血は黒く沈み、鏡の中だけがまだ赤を残している。
二階堂はすぐに指示した。
「鏡に背を向けない。いや、違う。鏡に映ったものを見ない位置に。真壁、布」
「ある」
真壁は展示パネルの横にかかっていた古い暗幕を外し、鳳とともに鏡へかけた。
鏡が隠れる。
それだけで、広間の空気がわずかに変わった。
誰かに見られている感覚が少し薄れる。
だが、完全には消えない。
モニターは残っている。
灯も残っている。
死体も残っている。
「円を作る」
真壁は言った。
「中央に怪我人。外側に動ける者。ただし誰も死角に入らない」
二階堂がすぐに補足する。
「真壁と九条さんがこちら。鳳さんはこの柱の前。鳴海さんと朽木さんは向かい。小夜子さんは俺の隣。氷室さんは中央。誰かの背後に立たない。壁に触らない。床の印から出ない」
床の印。
さきほど真壁が即席で置いたものだった。
展示パネルの支柱、倒れた椅子、布、ランプのコード。
安全と判断した範囲を、物で囲った。
犯人の順番ではない。
真壁たちが作った順番。
それでも脆い。
全員が恐怖で息を詰めている。
小夜子は声を出せず、鳴海は時折呼吸を乱し、氷室は痛みに呻き、鳳は肩を押さえ、九条は目を閉じて座っている。
朽木は立ったまま、何度もモニターを見る。
「座ってください」
二階堂が言った。
「立っている方が落ち着きます」
朽木は答えた。
「立っている方が、飛び出しやすい」
朽木は黙った。
「座ってください」
二階堂はもう一度言った。
朽木は苦い顔で座った。
その瞬間、館内スピーカーが鳴った。
また、二階堂の声。
「座ってください」
今言ったばかりの言葉。
全員が二階堂を見る。
続いて、スピーカーの声が継ぎ足される。
「座ってください。そこが、あなたの席です」
食堂の記憶が蘇る。
葛城慎一郎。
席札。
グラス。
毒。
――席を分けた者は、次の名を選ぶ。
朽木が跳ねるように立ち上がった。
「やはり、あなたは!」
「座るな!」
今度は二階堂が叫んだ。
全員が凍る。
二階堂自身も、自分の叫びに一瞬遅れて気づいた。
スピーカーが、その声を拾った。
「座るな」
館内に二階堂の声が響く。
「座るな。立て。動け。そこから離れろ」
継ぎ接ぎされた声が、次々と命令に変わる。
座ってください。
座るな。
立て。
動け。
離れろ。
全員が混乱した。
何を聞けばいいのか。
どの二階堂が本物なのか。
本物が目の前にいるのに、声が四方から来る。
小夜子が両耳を塞ぐ。
鳴海が泣き出す。
氷室が「やめろ」と呻く。
朽木が後ずさる。
鳳が立ち上がりかける。
九条が目を閉じたまま、低く言った。
「生の声だけ」
真壁は九条を見る。
九条はまだ目を開けない。
「録音は反響する。生の声は、息がある」
二階堂がその言葉を拾った。
「全員、俺の口を見てください!」
彼は自分の喉ではなく、口元を指した。
「スピーカーじゃない。俺の口が動いているかを見てください。俺が今ここで言っている言葉だけ聞く。聞こえた声じゃなくて、見えている口で判断してください」
小夜子が泣きながら二階堂の口元を見る。
鳴海も顔を上げる。
朽木はまだ疑っている。
しかし、視線は二階堂の口へ向いた。
二階堂はゆっくり言った。
「誰も、動かない」
スピーカーがすぐに言葉を重ねる。
「動け」
二階堂は負けずに、もう一度言う。
「誰も、動かない」
「離れろ」
「誰も、動かない」
「次の名を選べ」
「誰も、動かない」
言葉と言葉の押し合いだった。
生きた二階堂の声と、館に奪われた二階堂の声。
同じ声が、逆の意味を持ってぶつかっている。
二階堂の額に汗が浮かぶ。
彼は場を制御する男だった。
だが今、場は彼の声を食っている。
自分の言葉が、自分の敵になっている。
それでも彼は、口を動かし続けた。
「真壁」
彼は言った。
「スピーカーを探す余裕は?」
「ない」
「だよね」
「今は喋り続けろ」
「きっついな」
「お前の仕事だろ」
二階堂は少しだけ笑った。
今度の笑みは、かろうじて本物だった。
「ブラックすぎる」
その瞬間、モニターが赤く点いた。
玄関広間の大画面。
文字が浮かぶ。
――とおあまりひとつ、言葉を殺す。
白い名前。
――二階堂壮也。
全員の視線が、画面へ動きかけた。
真壁が叫ぶ。
「見るな!」
だが、遅かった。
何人かは見た。
小夜子も見た。
鳴海も見た。
朽木ははっきり見た。
名前が置かれた。
二階堂壮也。
名前が、赤い画面に固定された。
まだ消灯ではない。
だが、置かれた。
スピーカーの声が変わる。
今度は二階堂の声ではない。
無機質な女の声。
「言葉を置いた者が、次の罪を置く」
画面が切り替わる。
映ったのは、録画だった。
食堂の映像。
葛城がグラスを飲む直前。
二階堂が席順を決めている場面。
映像は短く切られていた。
二階堂が葛城を指さす。
葛城が席に着く。
葛城が水を飲む。
倒れる。
切り替わる。
温室。
二階堂が小夜子を止める。
小夜子が葉に触れる。
後に声を失う。
切り替わる。
湖上回廊。
二階堂が小夜子に「見たものを教えて」と訊く。
そのあと小夜子が瑠璃子の名を叫ぶ。
切り替わる。
今。
玄関広間。
二階堂が「俺の口を見てください」と言う。
そのすべてが、一本の映像に編集されていた。
まるで二階堂が、被害者を順番に誘導しているように。
朽木が立ち上がった。
「これは……」
「編集だ」
二階堂は言った。
声が震えていた。
「見ればわかるでしょう。繋がりがおかしい。前後が切られてる」
「しかし、あなたがそこにいる」
「いるよ」
二階堂は吐き捨てるように言った。
「俺はいた。全部にいた。だから何だ」
その言葉は、自分自身を傷つけた。
彼は本当に、全部にいた。
場を制御するために。
人を守るために。
けれど映像の中では、その存在が罪に変わっている。
言葉は切り取られ、配置は意味を変え、助ける手は誘導の手に見える。
犯人は二階堂を殺していない。
言葉を殺している。
この男の言うことを、誰も信じられなくするために。
「二階堂さん」
鳴海が震える声で言った。
「あなたは、本当に……」
二階堂は鳴海を見た。
その表情に、傷が走った。
彼は鳴海を疑っている。
鳴海も彼を疑っている。
それでも、今まで互いに生き残るために会話してきた。
その細い糸が、切れかけている。
「違う」
真壁が言った。
「二階堂は犯人じゃない」
朽木がすぐ反応する。
「なぜ言い切れるんです」
「言い切っていない」
「今、言いました」
「犯人が置いた形では違う、と言っている」
「詭弁です」
「詭弁でいい」
真壁は朽木を見る。
「でも今、二階堂を犯人だと置いたら、犯人の順番に乗る」
「いつまでそれを言うんですか!」
朽木の声が割れた。
「西園寺さんが死に、葛城さんが死に、蓮見さんが死に、瑠璃子さんは消え、烏丸さんは倒れ、鳴海さんは毒を吸い、小夜子さんは声を奪われ、氷室さんは閉じ込められ、鳳さんは落ちかけ、九条さんも薬を吸った! そして今、二階堂さんの映像が出た! まだ名前を置くなと言うんですか!」
「言う」
真壁は即答した。
朽木は息を呑んだ。
「言います」
真壁は声を落とす。
「名前を置いた瞬間、人はそれ以外のものを見なくなる。犯人はそれを使っている」
二階堂は黙っていた。
いつもなら、ここで言葉を添える。
場を和らげる。
朽木の怒りを別の方向へ逃がす。
小夜子を安心させる。
鳴海の疑いを受け止める。
だが今、二階堂は黙っていた。
自分の言葉が、また切り取られることを恐れている。
場を制御する男が、場の中心で言葉を失っている。
小夜子が二階堂の袖を掴んだ。
声は出ない。
ただ、首を振った。
違う。
そう言っている。
二階堂は彼女を見た。
「ありがとう」
かすれた声だった。
そのとき、モニターの映像がまた切り替わった。
今度は、展示室の説明パネルが映った。
鳴海栞が作った説明文。
二十年前の事件概要。
公式記録。
死者六名。
死亡位置。
発見順。
その文章の上に、二階堂の声が重なる。
「犯人は、文章を書く人間だ」
これも、二階堂が言った言葉だった。
温室か、書庫か。
彼が犯人像を語った言葉。
続いて、別の言葉。
「会話の切り取り方が、資料展示の説明文と似ている」
鳴海が息を呑んだ。
モニターの文字が変わる。
――二階堂壮也は、鳴海栞を次の名に置いた。
鳴海の顔が凍る。
生存者たちの視線が、二階堂と鳴海の間で揺れる。
犯人は、二階堂が鳴海を疑った言葉を使い、今度は鳴海に向けて刃にした。
鳴海は壁に手をついた。
「私を……」
二階堂がすぐ言った。
「違う。俺は今、あなたを犯人だと断定していない」
「でも、疑っているんでしょう」
「疑ってる」
二階堂は言った。
その正直さに、鳴海の顔が歪む。
「でも、疑いと名前を置くことは違う」
真壁は、二階堂を見た。
戻ってきた。
わずかに。
二階堂はまだ怖がっている。
だが、言葉から逃げるのをやめた。
「俺はあなたを疑ってる。鳳さんも疑ってる。氷室さんも、朽木さんも、瑠璃子さんも、小夜子さんも、極端に言えば九条さんも真壁も、自分自身も疑ってる」
朽木が顔をしかめる。
「何を馬鹿な」
「馬鹿じゃないです。疑うっていうのは、相手を犯人にすることじゃない。違う可能性を残すことです」
二階堂の声は震えていた。
だが、通った。
「犯人は、俺に誰かの名前を置かせたい。俺の言葉で、鳴海さんを犯人にしたい。あるいは、俺自身を犯人にしたい。だから俺は、置かない」
スピーカーがすぐに反応した。
二階堂の声が流れる。
「俺は、置かない」
そして継ぎ足される。
「俺は、置かない。だから、真壁が置く」
真壁の名前が出た瞬間、空気が変わった。
次の灯。
第十二灯。
最後の灯。
真壁彰。
まだ早い。
まだ十一灯も消えていない。
だが犯人はもう、最後の名前を匂わせた。
二階堂が息を呑む。
「真壁」
「乗るな」
真壁は即座に言った。
「今はお前の章だ」
「章とか言うな」
「お前の灯だ」
「それも嫌だ」
「じゃあ、お前の言葉だ」
二階堂は一瞬、黙った。
それから、小さく頷いた。
「わかった」
その瞬間、外で第十一灯が消えた。
ふっと。
何の音もなく。
もう誰も見に行かない。
見なくてもわかった。
館内のモニターに白い文字が出る。
――二階堂壮也。
――第十一灯、消灯。
続いて。
――言葉を置く者は、置いた言葉に殺される。
小夜子が泣いた。
鳴海が目を閉じた。
朽木は呆然と画面を見た。
氷室は荒い息をした。
鳳は唇を噛んだ。
九条は目を閉じたまま、低く言った。
「死んでない」
二階堂が九条を見る。
九条はまだ視界が定まらないまま、続けた。
「二階堂は、死んでない」
「見ればわかるよ」
二階堂は苦笑しようとした。
今度は少しだけ成功した。
「違う」
九条は言った。
「第十一灯は、殺す灯じゃない。信用を殺す灯」
真壁が頷いた。
「そうだ」
二階堂は画面を見た。
自分の名前。
自分の声。
自分の言葉。
全部が、犯人の手で並べられている。
彼はしばらく黙っていた。
それから、深く息を吸った。
「じゃあ、俺がやることは一つだね」
真壁は見る。
「何だ」
「信用されようとしない」
二階堂は言った。
「俺の言葉を信じろ、じゃない。俺の言葉を検証しろ、に変える」
真壁の目が細くなる。
二階堂は続けた。
「今後、俺が何か言ったら、必ず誰かが復唱して確認する。俺の言葉を一人で走らせない。口頭だけで指示しない。目で確認する。紙に書く。身振りも使う。俺の声が流れたら、口元を見る」
鳳が頷いた。
「有効です」
「犯人は音声を切り取れる。でも、同時に全員の視線と筆跡までは切り取れない」
鳴海がかすれた声で言った。
「紙も、使われます」
「使われます」
二階堂は認めた。
「だから、紙も一人で書かない。二人で見る。書いた時刻を確認する。誰の手から誰に渡ったかも確認する」
朽木が言った。
「そんなことをしている間に、次が」
「だからこそです」
二階堂は朽木を見る。
「急げば、犯人の順番に乗る。俺はさっき、それで何度もやられた。席順も、声も、映像も」
彼は自分の胸に手を当てた。
「俺の言葉は、もう一人では信用しないでください」
小夜子が首を振った。
声は出ない。
それでも、彼女は二階堂を信じたいのだろう。
二階堂は少しだけ表情を和らげた。
「ありがとう。でも、だめです」
優しい拒絶だった。
「信じる代わりに、見てください。俺が何をしているか。誰といるか。何を触ったか。何を言ったか。俺も、皆さんを見る」
そのとき、真壁は気づいた。
二階堂は、信用を殺されたあとで、信用ではない方法を提示した。
信じるな。
確認しろ。
それは、真壁がずっと言ってきたことと同じだった。
ただ、二階堂の言葉で言い直された。
犯人に殺された言葉を、自分の手で拾い直したのだ。
モニターがちらついた。
赤い文字が揺れる。
まるで、犯人がわずかに苛立ったように。
そして、新しい文字が浮かんだ。
――では、最後の名を置きましょう。
玄関広間の空気が凍った。
真壁は顔を上げる。
外には、まだ最後の灯が残っているはずだった。
第十二灯。
まだ消えていない。
だが、モニターは先に文字を置く。
――十二灯、すべて消える。
――最後の罪を背負う者。
白い文字が、一文字ずつ表示されていく。
真壁。
二階堂が叫ぶ。
「見るな!」
だが、全員が見た。
見てしまった。
――真壁彰。
名前が置かれた。
まだ灯は消えていない。
まだ事件は起きていない。
だが最後の名前だけが、先に置かれた。
二階堂の顔が歪んだ。
「真壁……」
真壁は画面を見た。
自分の名前。
赤い背景。
白い文字。
犯人役にされる最後の灯。
そこで、不思議なほど怒りは湧かなかった。
ただ、冷えた。
身体の芯が静かになる。
「早いな」
真壁は言った。
二階堂がこちらを見る。
「何が」
「犯人が焦ってる」
鳳が顔を上げる。
「焦っている?」
「二階堂が言葉を取り返した。だから、最後の名前を早めに置いた」
九条が目を閉じたまま、かすかに笑った。
「順番を、乱した」
「そうだ」
真壁はモニターを見据えた。
「今、犯人が順番を間違えた」
その言葉に、生存者たちは息を呑んだ。
真壁の名前は置かれた。
だが、灯はまだ消えていない。
事件もまだ起きていない。
つまり、初めて犯人の“発表”が現実より先走りすぎた。
死体より先に名前を置くどころではない。
まだ死体も、被害も、状況もないうちに、名前だけを置いた。
二階堂が小さく言った。
「説明が、先走った」
「そうだ」
真壁は頷いた。
「ここから反撃できる」
その瞬間、館の外で風が強く鳴った。
最後の灯は、まだ点いている。
湖面には、消えた十一の灯の反射が揺れている。
残された一つの灯だけが、黒い水の上で細く震えていた。
真壁彰の名前は、すでに置かれた。
だが真壁は、まだそこに立っていた。
死体でも、犯人でも、役でもなく。
ただ、自分の名前を奪われる前の人間として。
「二階堂」
「何」
「ここからは、お前の言葉を使う」
二階堂は、まだ青い顔のまま、少しだけ笑った。
「検証してからね」
「もちろんだ」
真壁は全員を見た。
「今から、犯人が置いた最後の名前を外す」
モニターの赤い光が、広間全体を染めている。
西園寺の死体。
葛城の死。
烏丸の呼吸。
蓮見の紙片。
鳴海の沈黙。
瑠璃子の不在。
小夜子の声。
氷室の鍵。
鳳の傷。
九条の断片。
二階堂の言葉。
すべてが、ここへ集まっている。
ひとかたまりになることを、犯人は許さなかった。
だから真壁たちは、傷だらけのまま、別々に奪われたものを持ち寄った。
死体。
言葉。
建物。
声。
名前。
その全部を、今度は犯人ではなく、こちらの順番で並べ直す。
最後の灯は、まだ消えていなかった。




