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十二灯館は、誰の罪を照らすのか  作者: 綾見 恋太郎


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12/16

第十二章 とおあまりひとつ、言葉を殺す

 言葉は、人を助けるためにある。

 少なくとも二階堂壮也は、そう信じていた。

 違う、と言うため。

 待て、と止めるため。

 逃げろ、と叫ぶため。

 大丈夫だ、と嘘でもいいから誰かの呼吸を整えるため。

 人は混乱すると、事実より先に言葉を探す。

 何が起きたのか。

 誰が死んだのか。

 誰を信じればいいのか。

 自分はまだここにいていいのか。

 その全部に、言葉が必要だった。

 だから二階堂は、場に言葉を置いてきた。

 乱れた場所に、順番を作るために。

 けれど十二灯館では、その順番こそが犯人に奪われた。

 言葉は、人を助けるためにある。

 だがこの館では、言葉が先に人を殺した。

     *

 第十灯が消えたあと、真壁彰は九条雅紀を抱えるようにして階段下から動かした。

 九条は意識を失ってはいない。

 ただ、視線が定まらなかった。

 目を開けているのに、見ているものが合わない。

 階段を見れば床が傾き、血を見れば名前が浮かび、誰かの声を聞けば死体の位置が重なる。

 白い霧を吸わされた影響で、平衡感覚と視界が乱されている。

 それでも九条は、壊れた機械のように断片を吐き出していた。

 死体の向きが違う。

 血が先じゃない。

 名前が、あとから来てる。

 助けた順に、壊してる。

 真壁はそれを拾った。

 拾うしかなかった。

 読む者が読めなくされても、読んだ断片だけは残る。

 それを捨てたら、九条が倒れた意味まで犯人に奪われる。

「二階堂」

 真壁は言った。

「玄関広間に戻す。円を作る。固まりすぎるな。離れすぎるな」

「わかってる」

 二階堂の返事は早かった。

 早すぎた。

 真壁はその声に、微かな硬さを聞いた。

 モニターには、すでに次の文句が出ていた。

 ――とおあまりひとつ、言葉を殺す。

 名前はまだ表示されていない。

 だが全員が、二階堂壮也を見ていた。

 次はこの男だ。

 そう言葉にしなくても、もうわかっていた。

 二階堂はその視線を受けても、いつものように笑おうとした。

 だが、うまくいかなかった。

 口元だけがわずかに上がり、すぐ落ちた。

 彼はそれをごまかすように、小夜子の前にしゃがんだ。

「小夜子さん、歩けますか」

 神楽坂小夜子は声を失ったまま頷いた。

 彼女は二階堂の袖を掴んでいた。

 掴む力が強すぎる。

 布が皺になり、指先が白くなる。

 声を奪われた人間が、声の代わりにそこへ縋っている。

「大丈夫です。俺の袖、持ってていいので」

 小夜子は泣きそうな目で、もう一度頷く。

「ただし、俺が止まれと言うまで止まらない。誰かが呼んでも、声がしても、モニターが光っても、止まらない」

 小夜子は頷く。

「鳴海さん」

 二階堂は次に、壁にもたれている鳴海栞を見た。

 鳴海は青白い顔で、しかし意識ははっきりしていた。

 温室で“死なないように”置かれた女。

 第七名を知っている女。

 第七保管室という言葉に反応した女。

 疑わない理由はない。

 だが、今は生存者でもある。

「歩けますか」

「はい」

 鳴海は小さく答えた。

「朽木さん、支えてください」

 朽木怜二は一瞬だけ躊躇した。

 その躊躇を二階堂は見逃さなかった。

「嫌ですか」

「いえ」

「嫌なら言ってください。無理に支えさせる方が危ない」

「できます」

 朽木は硬い声で答え、鳴海の腕を取った。

 その手つきは、丁寧だった。

 だが、人を支える手ではなく、証拠品を壊さないように扱う手だった。

 鳴海もそれに気づいたのだろう。

 わずかに身を硬くした。

「鳳さん」

 二階堂は言った。

「歩けますか」

 鳳恭介は左肩を押さえ、足を引きずっていた。

「歩けます」

「その“歩けます”は信用しないので、真壁の近くにいてください」

「厳しいですね」

「今、優しくする余裕ないんで」

「合理的です」

「それ、九条さんにも言われそう」

 わずかな会話だった。

 だが、そこに人間の気配があった。

 恐怖の中に、一瞬だけ息を継ぐ隙間ができる。

 犯人は、その隙間を見逃さなかった。

 館内スピーカーが鳴った。

 低いノイズ。

 全員が硬直する。

 二階堂の声が流れた。

「全員、玄関広間へ。止まらない。俺の声だけ聞いてください」

 ついさっきの声。

 生存者たちをまとめるために、二階堂が言った言葉。

 それが館内に反響した。

 続いて、別の二階堂の声。

「俺の声だけ聞いてください」

 また繰り返す。

「俺の声だけ」

 そこで一拍、妙な間が入った。

 次に流れた声は、継ぎ接ぎされていた。

「俺の声だけ、聞いてください。ほかの声は、聞かないでください。俺が、次の名を選びます」

 小夜子が声のない悲鳴を上げた。

 朽木が立ち止まる。

 鳴海の顔から血の気が引く。

 氷室が床の上で呻く。

 鳳が二階堂を見る。

 九条は真壁に支えられながら、焦点の合わない目を閉じた。

 二階堂本人は、動かなかった。

 顔だけが、静かに白くなっていく。

「切り取りだ」

 真壁が言った。

「今のは切り取りです」

 二階堂は続けた。

 しかし、その声はいつもより低かった。

「俺はそんなこと言ってない」

 朽木がかすれた声で言う。

「ですが、声はあなたです」

「声は、もう証拠にならない」

「都合がいいですね」

 二階堂の目が一瞬だけ細くなった。

 だが言い返さなかった。

 言い返せば、また切り取られる。

 犯人はそれを待っている。

「全員、動く」

 真壁が低く言った。

「今の声に止められるな」

「でも」

 朽木が言いかける。

「動け」

 真壁の声が鋭くなった。

「ここで止まったら、犯人の順番になる」

 二階堂は小夜子の手をそっと袖から外し、彼女の前に立った。

「小夜子さん。今のは俺の声です。でも俺の言葉じゃない」

 小夜子は泣きながら頷く。

「信じなくていいです」

 二階堂は続けた。

「ただ、今は歩いてください」

 小夜子は震えながら立ち上がった。

 声を奪われた彼女は、二階堂の言葉を信じたのではない。

 言葉ではなく、二階堂が自分の前に立っているという事実を信じた。

 それだけだった。

     *

 玄関広間へ戻る道は、短いはずだった。

 だが、その数十メートルが果てしなく長かった。

 真壁は九条を支え、ゆっくり歩いた。

 九条の足取りは乱れている。

 床は平らなのに、彼の身体だけが船の上にいるように揺れる。

「右」

 真壁が言う。

「右って、どっち」

 九条が小さく返した。

 冗談ではなかった。

 彼は本当に、方向を掴めていない。

「俺の肩に体重を預けろ」

「重い」

「今さら遠慮するな」

「遠慮じゃなくて……気持ち悪い」

「吐くなら言え」

「言ったら止まるだろ」

「止まる」

「だから言わない」

「言え」

 九条は黙った。

 その沈黙が答えだった。

 真壁は九条の身体を支える力を強める。

 二階堂は前方で全員の配置を見ていた。

 声を奪われた小夜子を自分の斜め後ろに置き、鳴海と朽木をその反対側に置く。

 鳳は中央寄り。

 氷室は真壁と九条が一度置いた担架代わりのカーテン布に乗せられ、鳳と朽木が交互に手を貸す。

 誰も完全には信用できない。

 けれど、誰かの手を借りなければ進めない。

 それが、館の作った地獄だった。

 玄関広間に入ると、西園寺雅治の死体がまだ柱陰に横たわっていた。

 最初の死体。

 最初の名前。

 胸元の血は黒く沈み、鏡の中だけがまだ赤を残している。

 二階堂はすぐに指示した。

「鏡に背を向けない。いや、違う。鏡に映ったものを見ない位置に。真壁、布」

「ある」

 真壁は展示パネルの横にかかっていた古い暗幕を外し、鳳とともに鏡へかけた。

 鏡が隠れる。

 それだけで、広間の空気がわずかに変わった。

 誰かに見られている感覚が少し薄れる。

 だが、完全には消えない。

 モニターは残っている。

 灯も残っている。

 死体も残っている。

「円を作る」

 真壁は言った。

「中央に怪我人。外側に動ける者。ただし誰も死角に入らない」

 二階堂がすぐに補足する。

「真壁と九条さんがこちら。鳳さんはこの柱の前。鳴海さんと朽木さんは向かい。小夜子さんは俺の隣。氷室さんは中央。誰かの背後に立たない。壁に触らない。床の印から出ない」

 床の印。

 さきほど真壁が即席で置いたものだった。

 展示パネルの支柱、倒れた椅子、布、ランプのコード。

 安全と判断した範囲を、物で囲った。

 犯人の順番ではない。

 真壁たちが作った順番。

 それでも脆い。

 全員が恐怖で息を詰めている。

 小夜子は声を出せず、鳴海は時折呼吸を乱し、氷室は痛みに呻き、鳳は肩を押さえ、九条は目を閉じて座っている。

 朽木は立ったまま、何度もモニターを見る。

「座ってください」

 二階堂が言った。

「立っている方が落ち着きます」

 朽木は答えた。

「立っている方が、飛び出しやすい」

 朽木は黙った。

「座ってください」

 二階堂はもう一度言った。

 朽木は苦い顔で座った。

 その瞬間、館内スピーカーが鳴った。

 また、二階堂の声。

「座ってください」

 今言ったばかりの言葉。

 全員が二階堂を見る。

 続いて、スピーカーの声が継ぎ足される。

「座ってください。そこが、あなたの席です」

 食堂の記憶が蘇る。

 葛城慎一郎。

 席札。

 グラス。

 毒。

 ――席を分けた者は、次の名を選ぶ。

 朽木が跳ねるように立ち上がった。

「やはり、あなたは!」

「座るな!」

 今度は二階堂が叫んだ。

 全員が凍る。

 二階堂自身も、自分の叫びに一瞬遅れて気づいた。

 スピーカーが、その声を拾った。

「座るな」

 館内に二階堂の声が響く。

「座るな。立て。動け。そこから離れろ」

 継ぎ接ぎされた声が、次々と命令に変わる。

 座ってください。

 座るな。

 立て。

 動け。

 離れろ。

 全員が混乱した。

 何を聞けばいいのか。

 どの二階堂が本物なのか。

 本物が目の前にいるのに、声が四方から来る。

 小夜子が両耳を塞ぐ。

 鳴海が泣き出す。

 氷室が「やめろ」と呻く。

 朽木が後ずさる。

 鳳が立ち上がりかける。

 九条が目を閉じたまま、低く言った。

「生の声だけ」

 真壁は九条を見る。

 九条はまだ目を開けない。

「録音は反響する。生の声は、息がある」

 二階堂がその言葉を拾った。

「全員、俺の口を見てください!」

 彼は自分の喉ではなく、口元を指した。

「スピーカーじゃない。俺の口が動いているかを見てください。俺が今ここで言っている言葉だけ聞く。聞こえた声じゃなくて、見えている口で判断してください」

 小夜子が泣きながら二階堂の口元を見る。

 鳴海も顔を上げる。

 朽木はまだ疑っている。

 しかし、視線は二階堂の口へ向いた。

 二階堂はゆっくり言った。

「誰も、動かない」

 スピーカーがすぐに言葉を重ねる。

「動け」

 二階堂は負けずに、もう一度言う。

「誰も、動かない」

「離れろ」

「誰も、動かない」

「次の名を選べ」

「誰も、動かない」

 言葉と言葉の押し合いだった。

 生きた二階堂の声と、館に奪われた二階堂の声。

 同じ声が、逆の意味を持ってぶつかっている。

 二階堂の額に汗が浮かぶ。

 彼は場を制御する男だった。

 だが今、場は彼の声を食っている。

 自分の言葉が、自分の敵になっている。

 それでも彼は、口を動かし続けた。

「真壁」

 彼は言った。

「スピーカーを探す余裕は?」

「ない」

「だよね」

「今は喋り続けろ」

「きっついな」

「お前の仕事だろ」

 二階堂は少しだけ笑った。

 今度の笑みは、かろうじて本物だった。

「ブラックすぎる」

 その瞬間、モニターが赤く点いた。

 玄関広間の大画面。

 文字が浮かぶ。

 ――とおあまりひとつ、言葉を殺す。

 白い名前。

 ――二階堂壮也。

 全員の視線が、画面へ動きかけた。

 真壁が叫ぶ。

「見るな!」

 だが、遅かった。

 何人かは見た。

 小夜子も見た。

 鳴海も見た。

 朽木ははっきり見た。

 名前が置かれた。

 二階堂壮也。

 名前が、赤い画面に固定された。

 まだ消灯ではない。

 だが、置かれた。

 スピーカーの声が変わる。

 今度は二階堂の声ではない。

 無機質な女の声。

「言葉を置いた者が、次の罪を置く」

 画面が切り替わる。

 映ったのは、録画だった。

 食堂の映像。

 葛城がグラスを飲む直前。

 二階堂が席順を決めている場面。

 映像は短く切られていた。

 二階堂が葛城を指さす。

 葛城が席に着く。

 葛城が水を飲む。

 倒れる。

 切り替わる。

 温室。

 二階堂が小夜子を止める。

 小夜子が葉に触れる。

 後に声を失う。

 切り替わる。

 湖上回廊。

 二階堂が小夜子に「見たものを教えて」と訊く。

 そのあと小夜子が瑠璃子の名を叫ぶ。

 切り替わる。

 今。

 玄関広間。

 二階堂が「俺の口を見てください」と言う。

 そのすべてが、一本の映像に編集されていた。

 まるで二階堂が、被害者を順番に誘導しているように。

 朽木が立ち上がった。

「これは……」

「編集だ」

 二階堂は言った。

 声が震えていた。

「見ればわかるでしょう。繋がりがおかしい。前後が切られてる」

「しかし、あなたがそこにいる」

「いるよ」

 二階堂は吐き捨てるように言った。

「俺はいた。全部にいた。だから何だ」

 その言葉は、自分自身を傷つけた。

 彼は本当に、全部にいた。

 場を制御するために。

 人を守るために。

 けれど映像の中では、その存在が罪に変わっている。

 言葉は切り取られ、配置は意味を変え、助ける手は誘導の手に見える。

 犯人は二階堂を殺していない。

 言葉を殺している。

 この男の言うことを、誰も信じられなくするために。

「二階堂さん」

 鳴海が震える声で言った。

「あなたは、本当に……」

 二階堂は鳴海を見た。

 その表情に、傷が走った。

 彼は鳴海を疑っている。

 鳴海も彼を疑っている。

 それでも、今まで互いに生き残るために会話してきた。

 その細い糸が、切れかけている。

「違う」

 真壁が言った。

「二階堂は犯人じゃない」

 朽木がすぐ反応する。

「なぜ言い切れるんです」

「言い切っていない」

「今、言いました」

「犯人が置いた形では違う、と言っている」

「詭弁です」

「詭弁でいい」

 真壁は朽木を見る。

「でも今、二階堂を犯人だと置いたら、犯人の順番に乗る」

「いつまでそれを言うんですか!」

 朽木の声が割れた。

「西園寺さんが死に、葛城さんが死に、蓮見さんが死に、瑠璃子さんは消え、烏丸さんは倒れ、鳴海さんは毒を吸い、小夜子さんは声を奪われ、氷室さんは閉じ込められ、鳳さんは落ちかけ、九条さんも薬を吸った! そして今、二階堂さんの映像が出た! まだ名前を置くなと言うんですか!」

「言う」

 真壁は即答した。

 朽木は息を呑んだ。

「言います」

 真壁は声を落とす。

「名前を置いた瞬間、人はそれ以外のものを見なくなる。犯人はそれを使っている」

 二階堂は黙っていた。

 いつもなら、ここで言葉を添える。

 場を和らげる。

 朽木の怒りを別の方向へ逃がす。

 小夜子を安心させる。

 鳴海の疑いを受け止める。

 だが今、二階堂は黙っていた。

 自分の言葉が、また切り取られることを恐れている。

 場を制御する男が、場の中心で言葉を失っている。

 小夜子が二階堂の袖を掴んだ。

 声は出ない。

 ただ、首を振った。

 違う。

 そう言っている。

 二階堂は彼女を見た。

「ありがとう」

 かすれた声だった。

 そのとき、モニターの映像がまた切り替わった。

 今度は、展示室の説明パネルが映った。

 鳴海栞が作った説明文。

 二十年前の事件概要。

 公式記録。

 死者六名。

 死亡位置。

 発見順。

 その文章の上に、二階堂の声が重なる。

「犯人は、文章を書く人間だ」

 これも、二階堂が言った言葉だった。

 温室か、書庫か。

 彼が犯人像を語った言葉。

 続いて、別の言葉。

「会話の切り取り方が、資料展示の説明文と似ている」

 鳴海が息を呑んだ。

 モニターの文字が変わる。

 ――二階堂壮也は、鳴海栞を次の名に置いた。

 鳴海の顔が凍る。

 生存者たちの視線が、二階堂と鳴海の間で揺れる。

 犯人は、二階堂が鳴海を疑った言葉を使い、今度は鳴海に向けて刃にした。

 鳴海は壁に手をついた。

「私を……」

 二階堂がすぐ言った。

「違う。俺は今、あなたを犯人だと断定していない」

「でも、疑っているんでしょう」

「疑ってる」

 二階堂は言った。

 その正直さに、鳴海の顔が歪む。

「でも、疑いと名前を置くことは違う」

 真壁は、二階堂を見た。

 戻ってきた。

 わずかに。

 二階堂はまだ怖がっている。

 だが、言葉から逃げるのをやめた。

「俺はあなたを疑ってる。鳳さんも疑ってる。氷室さんも、朽木さんも、瑠璃子さんも、小夜子さんも、極端に言えば九条さんも真壁も、自分自身も疑ってる」

 朽木が顔をしかめる。

「何を馬鹿な」

「馬鹿じゃないです。疑うっていうのは、相手を犯人にすることじゃない。違う可能性を残すことです」

 二階堂の声は震えていた。

 だが、通った。

「犯人は、俺に誰かの名前を置かせたい。俺の言葉で、鳴海さんを犯人にしたい。あるいは、俺自身を犯人にしたい。だから俺は、置かない」

 スピーカーがすぐに反応した。

 二階堂の声が流れる。

「俺は、置かない」

 そして継ぎ足される。

「俺は、置かない。だから、真壁が置く」

 真壁の名前が出た瞬間、空気が変わった。

 次の灯。

 第十二灯。

 最後の灯。

 真壁彰。

 まだ早い。

 まだ十一灯も消えていない。

 だが犯人はもう、最後の名前を匂わせた。

 二階堂が息を呑む。

「真壁」

「乗るな」

 真壁は即座に言った。

「今はお前の章だ」

「章とか言うな」

「お前の灯だ」

「それも嫌だ」

「じゃあ、お前の言葉だ」

 二階堂は一瞬、黙った。

 それから、小さく頷いた。

「わかった」

 その瞬間、外で第十一灯が消えた。

 ふっと。

 何の音もなく。

 もう誰も見に行かない。

 見なくてもわかった。

 館内のモニターに白い文字が出る。

 ――二階堂壮也。

 ――第十一灯、消灯。

 続いて。

 ――言葉を置く者は、置いた言葉に殺される。

 小夜子が泣いた。

 鳴海が目を閉じた。

 朽木は呆然と画面を見た。

 氷室は荒い息をした。

 鳳は唇を噛んだ。

 九条は目を閉じたまま、低く言った。

「死んでない」

 二階堂が九条を見る。

 九条はまだ視界が定まらないまま、続けた。

「二階堂は、死んでない」

「見ればわかるよ」

 二階堂は苦笑しようとした。

 今度は少しだけ成功した。

「違う」

 九条は言った。

「第十一灯は、殺す灯じゃない。信用を殺す灯」

 真壁が頷いた。

「そうだ」

 二階堂は画面を見た。

 自分の名前。

 自分の声。

 自分の言葉。

 全部が、犯人の手で並べられている。

 彼はしばらく黙っていた。

 それから、深く息を吸った。

「じゃあ、俺がやることは一つだね」

 真壁は見る。

「何だ」

「信用されようとしない」

 二階堂は言った。

「俺の言葉を信じろ、じゃない。俺の言葉を検証しろ、に変える」

 真壁の目が細くなる。

 二階堂は続けた。

「今後、俺が何か言ったら、必ず誰かが復唱して確認する。俺の言葉を一人で走らせない。口頭だけで指示しない。目で確認する。紙に書く。身振りも使う。俺の声が流れたら、口元を見る」

 鳳が頷いた。

「有効です」

「犯人は音声を切り取れる。でも、同時に全員の視線と筆跡までは切り取れない」

 鳴海がかすれた声で言った。

「紙も、使われます」

「使われます」

 二階堂は認めた。

「だから、紙も一人で書かない。二人で見る。書いた時刻を確認する。誰の手から誰に渡ったかも確認する」

 朽木が言った。

「そんなことをしている間に、次が」

「だからこそです」

 二階堂は朽木を見る。

「急げば、犯人の順番に乗る。俺はさっき、それで何度もやられた。席順も、声も、映像も」

 彼は自分の胸に手を当てた。

「俺の言葉は、もう一人では信用しないでください」

 小夜子が首を振った。

 声は出ない。

 それでも、彼女は二階堂を信じたいのだろう。

 二階堂は少しだけ表情を和らげた。

「ありがとう。でも、だめです」

 優しい拒絶だった。

「信じる代わりに、見てください。俺が何をしているか。誰といるか。何を触ったか。何を言ったか。俺も、皆さんを見る」

 そのとき、真壁は気づいた。

 二階堂は、信用を殺されたあとで、信用ではない方法を提示した。

 信じるな。

 確認しろ。

 それは、真壁がずっと言ってきたことと同じだった。

 ただ、二階堂の言葉で言い直された。

 犯人に殺された言葉を、自分の手で拾い直したのだ。

 モニターがちらついた。

 赤い文字が揺れる。

 まるで、犯人がわずかに苛立ったように。

 そして、新しい文字が浮かんだ。

 ――では、最後の名を置きましょう。

 玄関広間の空気が凍った。

 真壁は顔を上げる。

 外には、まだ最後の灯が残っているはずだった。

 第十二灯。

 まだ消えていない。

 だが、モニターは先に文字を置く。

 ――十二灯、すべて消える。

 ――最後の罪を背負う者。

 白い文字が、一文字ずつ表示されていく。

 真壁。

 二階堂が叫ぶ。

「見るな!」

 だが、全員が見た。

 見てしまった。

 ――真壁彰。

 名前が置かれた。

 まだ灯は消えていない。

 まだ事件は起きていない。

 だが最後の名前だけが、先に置かれた。

 二階堂の顔が歪んだ。

「真壁……」

 真壁は画面を見た。

 自分の名前。

 赤い背景。

 白い文字。

 犯人役にされる最後の灯。

 そこで、不思議なほど怒りは湧かなかった。

 ただ、冷えた。

 身体の芯が静かになる。

「早いな」

 真壁は言った。

 二階堂がこちらを見る。

「何が」

「犯人が焦ってる」

 鳳が顔を上げる。

「焦っている?」

「二階堂が言葉を取り返した。だから、最後の名前を早めに置いた」

 九条が目を閉じたまま、かすかに笑った。

「順番を、乱した」

「そうだ」

 真壁はモニターを見据えた。

「今、犯人が順番を間違えた」

 その言葉に、生存者たちは息を呑んだ。

 真壁の名前は置かれた。

 だが、灯はまだ消えていない。

 事件もまだ起きていない。

 つまり、初めて犯人の“発表”が現実より先走りすぎた。

 死体より先に名前を置くどころではない。

 まだ死体も、被害も、状況もないうちに、名前だけを置いた。

 二階堂が小さく言った。

「説明が、先走った」

「そうだ」

 真壁は頷いた。

「ここから反撃できる」

 その瞬間、館の外で風が強く鳴った。

 最後の灯は、まだ点いている。

 湖面には、消えた十一の灯の反射が揺れている。

 残された一つの灯だけが、黒い水の上で細く震えていた。

 真壁彰の名前は、すでに置かれた。

 だが真壁は、まだそこに立っていた。

 死体でも、犯人でも、役でもなく。

 ただ、自分の名前を奪われる前の人間として。

「二階堂」

「何」

「ここからは、お前の言葉を使う」

 二階堂は、まだ青い顔のまま、少しだけ笑った。

「検証してからね」

「もちろんだ」

 真壁は全員を見た。

「今から、犯人が置いた最後の名前を外す」

 モニターの赤い光が、広間全体を染めている。

 西園寺の死体。

 葛城の死。

 烏丸の呼吸。

 蓮見の紙片。

 鳴海の沈黙。

 瑠璃子の不在。

 小夜子の声。

 氷室の鍵。

 鳳の傷。

 九条の断片。

 二階堂の言葉。

 すべてが、ここへ集まっている。

 ひとかたまりになることを、犯人は許さなかった。

 だから真壁たちは、傷だらけのまま、別々に奪われたものを持ち寄った。

 死体。

 言葉。

 建物。

 声。

 名前。

 その全部を、今度は犯人ではなく、こちらの順番で並べ直す。

 最後の灯は、まだ消えていなかった。


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