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ヴェルナー伯爵の縁談<2>

『……そう言えば、サリのお父上の具合はどうだったのです?』

 ヴェルナー伯爵の問いに、ありあはやや顔を曇らせた。

『う……ん、いつもの事なんだって。季節の変わり目になると、昔の怪我が痛くなって、体調が悪くなるって』

 半人前だけど、一応、治癒魔法をかけて、良くなったって喜んでもらったわ、とありあは少し微笑んだ。

『昔の傷を完治っていうのは難しいって、サニリアさんも言ってた……』

 もっと修行して、力を使いこなせるようにならないとね、とありあはヴェルナー伯爵に言った。

『でも、しばらく……サリ、実家に戻るって……』

 ありあが、明らかに元気をなくしたのを見たグラントは、ぽんぽん、とありあの頭を軽く叩いた。


***


「グラント~……」

「……だめだ。しばらくは外出を控える約束だろう」

「でもぉ~」

 執務室での恒例行事?を尻目にヴェルナー伯爵は淡々と業務をこなしていた。

「サリがどうしてるのか、気になるんだもの……」

 しょんぼり、とありあが頭を垂れた。大きな黒い瞳が潤んでいる。グラントの顔が強張るのがヴェルナー伯爵から見えた。

(あの顔をされて……どこまで持つんでしょうね、陛下……)


 ……と思った途端に、はあ、という溜息がグラントの口から洩れた。


「……一人で行くな。誰か付き添いを頼め」

 ぱあっとありあの表情が明るくなった。

「行っていいの!?」

「……仕方ないだろう」


 ――ちょっと陥落するのが早すぎやしませんか、陛下!?


 ……「ありがとう、グラント!」と満面の笑みで抱きつくありあに、苦笑するグラントを見て、ヴェルナー伯爵も溜息をついた。


***


「サリ! お父さんの具合はどう?」

「ア……サーリャ様!?」

 水汲みを終えたサリは目を丸くした。手にした桶を足元に置く。質素な木造の家の前に停まる、荷台付きの馬車。毛艶のよいロバが、はむはむと道草を食んでいた。その馬車から飛び降りてきたのは……ごくごく普通の町娘の格好の、ありあ。

 ぽすっとサリを抱き締めたありあは、にっこりと笑った。

「あのね、サニリアさん直伝の薬蕩持ってきたの! きっと身体楽になると思って……」

「サーリャ様……」

 本当に……この御方には敵わない。こんな一使用人の自分にすら……心を砕いて下さるのだから。

 はあ、という深い溜息と共に、荷台の席から男性が降りてきた。こちらもまた、質素なベストにズボンといった下働きの使用人の格好だが……サリの目は更にまん丸になった。

「……どうしても、サリに会いたい、と誰かさんに駄々を捏ねられましてね……」

「あの……ヴェル……」

 しっと男性が人差し指を立てた。緑色の瞳がウィンクをする。

「……ジェードですよ、庭師の。今日はそれで」

「は、はい……」

 あの、どうして、こんなところに伯爵様が。しかも、アーリャ様と一緒って!?


 首を傾げるサリに、ありあがサリから手を離し、笑いながら言った。

「ヴェ……ジェードは逃げてきたのよ、お父さんから!」

「は?」

 サーリャ様、と『ジェード』が苦笑した。 

「お父さんがね、結婚しろって言って……連日執務室にすっごい美人が押しかけて来てるんだって」

 ヴェルナー伯爵が眉を顰め、言った。

「サーリャ様……どこで、そんな情報を……」

「グラントがそう言ってた」

「……」

 片手で目を押さえて、ヴェルナー伯爵が呻いた。

「絵姿だけなら良かったんですが……ここ数日、ご本人が登場する事になって……」

「あ、あの……でもお父様は、その、ご心配されているのでは……」

 サリは少しだけ……痛む胸の奥を隠すように言った。陛下と同い年の伯爵には、未だ伴侶はいない。整った容姿に、陛下に継ぐ剣の名手。陛下の右腕であり、この若さで一国の宰相。ヴェルナー領という広大な領地を持つ伯爵……彼に嫁ぎたい、と思う貴族の娘は大勢いるはずだ、と思う。

「それでも……執務は滞るし、誰かさんの機嫌は悪くなるしで、大変なんですよ……」

 誰かさんにまで秋波を送った馬鹿娘もいましてね……とヴェルナー伯爵が言った。

「まあ……その方……」

 陛下がありあを溺愛しているのは、城の使用人なら誰でも知っている。側室を迎える気など微塵もない事も。

(普通、王様であれば……何人か側室もおられるわけだから、と思われたのね、きっと)

 おそらく陛下の怒りを買ったのだろう、その令嬢は……とサリは遠い目をした。

 ありあがぽん、とヴェルナー伯爵の肩を叩いた。

「ドンマイよ、ドンマイ! きっとそのうち、運命の乙女に巡り合うから!」

(……どんまい?)

 時々、ありあはサリには分からない事を言う。ありあが異世界育ちである事を知っているサリは、特には気にしていなかったが。

「……そうそう、サリ。お父上の様子はどうですか? あなたがいないと、とある御方が淋しがって我儘を言うのですよ」

 ありあの顔がぷくっと可愛らしく膨らんだ。

「だって! サリがいないと……淋しいんだもの」

「サーリャ様……」

 じんわりと胸が温かくなったサリだが……お客様を玄関前に立たせていた事に気がついた。

「ど、どうぞ、お入り下さい。お茶でよろしければご用意します……その、あまり高価なものではないのですが……」

 サリの足元に置かれていた桶を、ヴェルナー伯爵がひょい、と持った。

「あ、私がっ……」

 手を出そうとしたサリに、ヴェルナー伯爵が微笑んだ。

「こういう時は、男に任せるものですよ? サリ」

「は、はい……」

 サリの頬が、ほんのりと赤くなった。 


***


「これはこれは……むさくるしい所に、わざわざありがとうございました」

 簡素なベッドに寝ていた赤毛の中年の男性が、ゆっくりと身体を起こして、頭を下げた。げほっと咳き込む彼の背を、サリがゆっくりと擦る。

「お父さん、無理しないで? また薬蕩持ってきた下さったの。煎じてくるわね?」

 サリが台所に姿を消すと……ふう、と父親が溜息をついた。

「サリには苦労をかけているんです……私の身体が弱いばかりに、あの子は小さい時分から働きに出なければ、ならなくて……」

 ヴェルナー伯爵は、サリの父親をじっと見ていた。ありあは、ベッド際に行き、父親の手を取った。

「サリはお城になくてはならない人です。私もいつもお世話になってて……」

「ありがとうございます……こうして、父親の私まで気にかけて下さるとは、あの子は恵まれているのですね」

 ありあがふと、ヴェルナー伯爵を見ると……彼は壁に設えられた棚を見ていた。

「……ジェードさん?」

 ヴェルナー伯爵が、振り返った。

「ああ、すみません……あの箱が気になったもので」

 ありあも彼が指さす方を見た。木の棚の上に……宝石箱のような箱、が置いてあった。

(銀細工……かしら?)

 なんだか、この部屋には似つかわしくない、ような……? ありあは首を捻った。

「……あれは……亡くなった妻のもの、だったのです」

 ぽつり、と父親が言った。皺のある自分の手を、じっと見たまま。

「……見せていただいても、よろしいですか?」

 ヴェルナー伯爵の声に、父親は暫く黙りこみ……やがて小さく頷いた。ヴェルナー伯爵が棚に近づき、そっと丁寧に箱を手に取った。ありあも傍に行き、箱を見た。


「これ……ミレアさんに作ってもらった、指輪の細工みたい……」

 銀の細工に、古びて茶色に変わったビロード。鍵の部分には、紋章の様な模様。どうみても、『高級品』だ。

 ヴェルナー伯爵がさりげなく言った。

「鍵がかかっているようですが……」

「ああ、その鍵は壊れてしまって、開かないのですよ。中には妻の遺品も入っているのですが」

 ヴェルナー伯爵は、考え込んでいたが……意を決したように、父親に言った。

「この箱をお借りしてもよろしいでしょうか? ……城の職人になら、開ける事ができると思います」

「本当、ヴェ、ジェードさん!?」

「ええ。中をサリも見たいでしょうし」

 父親は……二人に再び頭を下げた。

「はい、承知いたしました。サリの事も、よろしく……お願いいたします。あの子は……もっと幸せになっていい娘、なんです……」

 ヴェルナー伯爵は、安心させるように、微笑みながら言った。

「もちろんです、彼女の事は大切にします。何せサリは……王妃様お気に入りの侍女ですから」

 ヴェルナー伯爵にウィンクされたありあは、「そうですっ!」と勢いよく、頷いた。


***


「……ありがとうございました、サーリャ様、ジェード様。おかげで父の具合も良くなったようです」

 ぺこり、とサリがお辞儀をした。ありあは、手を振って、サリの言葉を止めた。

「ううん、いいの。……早くサリに戻って来て欲しいし」

「サーリャ様……」

 サリが思わず涙ぐむと、ありあもくすん、と鼻を鳴らした。

「サーリャ様。そろそろ戻りませんと、誰かさんが捜索隊を派遣しますよ?」

 馬車の用意をしていたヴェルナー伯爵が、ありあとサリの近くに歩いて来た。

「はあい」

 ありあは、じゃあね、とサリに言って、馬車の方へと歩いて行った。ヴェルナー伯爵は、サリに微笑みかけた。

「では、サリ……早めに戻って下さいね。そうでないと、またお城を抜け出しかねませんから、あの御方は」

「はい」

 くすり、とサリも小さく笑った。ヴェルナー伯爵も会釈し、ありあの後を追った。


 二人を乗せた馬車が見えなくなるまで……サリは街道に立ち、手を振り続けた。


***


「……おかしいと思いませんでしたか、アーリャ様?」

 ヴェルナー伯爵が、手綱を操りながら、隣に座るありあに言った。

「おかしいって?」

 大事に箱を抱えたありあはヴェルナー伯爵の横顔を見上げた。彼の表情は……いつになく真面目だった。

「……サリの父親ですよ。確か、革職人、との事でしたよね」

「うん。そう言ってたけど……」

 ありあが思い出しながら言うと、ヴェルナー伯爵は眉を顰めた。

「……口調が」

「口調?」

 ありあは父親との会話を思い出した。特に変わったところはなかったけれど……。

「……丁寧過ぎるのです。まるで……何処かの貴族の前にでも、出た事があるような」

「……それって」

 ありあは手の中の箱を見た。そう言えば、これも……。

「その箱の紋章も……気がかりです。城に戻り次第、調べましょう」

「はい……」

 ありあは後ろを振り返った。町から少し離れた所にあるサリの家は、もう見えない。畑や草むらが広がる、牧歌的な風景があるだけだった。


(サリ……)

 ありあはヴェルナー伯爵に言った。

「……サリはサリだもの。だからまた、私の傍にいて欲しいの」

 ヴェルナー伯爵はありあの方に顔を向け……そうですね、と小さく笑った。

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