第四話 返事を求めない
リュシアンが応接間へ入ると、母と叔母が食卓に見立てた紙を挟んで座っていた。
叔母は毎年、寒さが緩む頃に親しい者を集めて食事会を開く。今年は夫の膝の具合が悪く、招く人数を減らすのだという。
「ちょうどよかったわ、リュシアン。あなたはここね」
叔母の指が、紙の端を叩いた。その隣に、サラの名があった。
リュシアンは椅子の背に手を置いたまま、母を見た。
「今、その話をしていたの」
母は紙を自分のほうへ寄せた。
「サラさんをお呼びするのはやめましょう。あの子には、もうこちらへ来ないと言われているのよ」
「ですから、うちへお招きするの。あなたのお家には来づらいでしょうけれど、昔から知っている者同士で食事をするくらいなら」
叔母は脇の便箋へ目を落とした。書きかけの招待状が、一枚だけほかのものと分けて置かれていた。
「もう、誰かに届けさせましたか」
「まだよ。席を決めてからと思って。サラさんのところへは、わたくしが少し言葉を添えるつもりなの」
「それは出さないでください」
思ったより大きな声が出た。
叔母が顔を上げた。リュシアンは椅子を引き、腰を下ろした。立ったまま頼めば、この話だけを片づけて出ていくようになる気がした。
「すみません。ですが、僕と会わせるために、彼女を呼ばないでほしいんです」
「あなたたちを困らせるつもりはないのよ。二人きりにしようというのでもないわ。皆で話しているうちに、自然に言えることもあるでしょう」
その席にサラが座っているところを、リュシアンは一瞬、思い浮かべた。
叔母の話に微笑み、料理が運ばれてくると少し身を引く。誰かが聞き取れずにいれば、顔を向けて、同じことをもう一度言ってくれる。
会いたいと思った。
膝の上に置いていた手を、ゆっくり握った。
「僕が来ることは、招待状に書いてあるんですか」
「まだ、そこまでは。先に書けば、身構えてしまうかもしれないでしょう」
「それでは、来てから困ることになります」
叔母は口を閉じた。母が、書きかけの便箋を招待状の束から離した。
「婚約のことは、聞いていますよね」
「ええ。残念なことになったって。ただ、詳しいことまでは。あれほど仲がよかったのだから、少し時間が経てばと思っていたの」
「僕が、ほかの方を好きになったと言って、終わりにしてもらいました」
叔母の手が膝へ下りた。
リュシアンは、紙の上のサラの名を見ていた。自分の隣にあることが、以前なら当たり前だった。
「それなのに、今までと同じように会いに来てほしいと言いました。彼女が断ってからも、借りていた本を一冊、返しませんでした。返すときに話がしたいと言えば、会ってもらえると思って」
「リュシアン」
叔母の声に、初めて咎める響きが混じった。
「はい」
「それは、いけないわ」
「そうです」
言い訳を尋ねられていないのに、何か説明したくなった。あのときは、失いたくなくて。どうしたらよいかわからなくて。
リュシアンは一度、唇を結んだ。
「本は返しました。そのとき、やり直したいとも伝えました。彼女には、断られています」
叔母は母を見た。母は小さく頷いた。
「わたくしも、来てほしいと頼んでしまったの。断る手紙を、あの子に書かせてしまったわ」
「……そうだったのね」
叔母が書きかけの招待状を取り上げた。
「わたくし、二人とも意地を張っているのだとばかり思っていたわ。あなたが近頃、ずいぶん静かだから」
「僕のことを心配してくださったのは、わかっています」
「せめて一度、きちんと話せたらと思ったのよ」
「もう、話を聞いてもらいました」
リュシアンはそこで息を継いだ。
「何度も、同じ返事をさせたくありません」
叔母はしばらく便箋を見ていたが、やがて二つに折った。
「出さないわ。お約束します」
「ありがとうございます」
「それなら、サラさんのお席は……」
叔母の指が座席の紙へ戻った。名を消すのをためらうように、そこで止まった。
「書き直しましょうか」
リュシアンが言うと、母が新しい紙を一枚渡してくれた。
七人分の席を書き写した。自分の隣には叔父が座ることになった。叔母が、膝を伸ばせるよう端の席がよいと言い、リュシアンは自分の名を一つずらした。
「出入りもしやすいほうがいいですね」
「ええ。あの人、手を貸そうとすると、大げさにするなって怒るのよ」
叔母の声が少し、いつもの調子に戻った。
書き終えた紙を渡しても、胸のつかえは取れなかった。たった一つ名を写さないだけのことが、ひどく長く感じられた。
叔母は人数を数え直し、書きかけの招待状と古い座席の紙を、折って自分の鞄にしまった。
「帰ったら、これは処分するわ。間違えて届けさせては困るもの」
リュシアンは頷いた。
* * *
食事会の日、リュシアンは父母と一緒に叔母の家へ出かけた。
玄関で叔父が杖を落としたので、拾って手渡した。腕を貸そうかと尋ねると、椅子を少し近づけてくれと言われた。
食堂までの間にも何度か立ち止まった。リュシアンが先回りして扉を開けると、叔父はようやく礼を言った。
「まだ走って逃げられると思っていたが、いよいよ捕まったな」
「何から逃げるんですか」
「お前の叔母の小言だよ」
「聞こえていますよ」
後ろから叔母が言い、父が笑った。
食卓には、七人分の皿が並んでいた。リュシアンは叔父の椅子を引き、自分もその隣へ座った。
最初の料理が下げられた頃、向かいに座る年配の親戚が、春の予定を尋ねてきた。
「今年はお祝いがあると思って、楽しみにしていたんだがね。残念なことだった」
母の手が止まった。叔母が何か言おうとしたので、リュシアンは先に口を開いた。
「僕から解消を申し出ました。先方には、迷惑をかけました」
「そうか。まあ、二人にしかわからないこともあるだろう」
「サラには、悪いところはありません」
声が強くなりかけた。少し息を置いてから、続けた。
「僕が決めて、あとから考えを変えて、困らせました。今は、話がついています」
親戚はリュシアンの顔を見て、そうか、ともう一度言った。
「では、この話はよそう」
「はい」
リュシアンは水を一口飲んだ。父が叔父に庭の木のことを尋ね、やがて、伸びた枝が隣の塀を越えた話になった。
リュシアンも話を聞いた。叔父は同じ枝のことを二度説明し、三度目には、去年切っておけばよかったと付け加えた。
帰り際、叔母が玄関まで見送りに出てきた。
「今日は、来づらかったでしょう」
「少し」
そう答えると、叔母は困ったように笑った。
「無理をさせたかしら」
「いえ。叔父様にも、しばらく会っていませんでしたから」
「また顔を見せてちょうだい。あの人、ああ言いながら、あなたが来るのを楽しみにしているのよ」
叔母は彼の外套の襟を直し、それから手を下ろした。
「あの招待状は、処分しましたからね」
「はい。ごちそうさまでした」
馬車に乗る前に振り向くと、叔父が杖をついて玄関まで出てきていた。リュシアンはもう一度礼を言い、叔母が中へ連れ戻すまで待った。
帰宅すると、父が玄関で外套を脱ぎながら言った。
「明日の会合の書類を、今夜見るつもりだが」
「僕も見ます。先週の分を持っていけばいいですか」
「ああ。少し時間がかかる。お茶を頼んでおいてくれ」
リュシアンは従僕に二人分の茶を頼み、書類を取りに自室へ上がった。机の引き出しから紐で綴じた束を出し、日付を確かめる。
最初の一枚には、自分が書き損じて、父に直された数字が残っていた。
すぐ開けるように紙を挟んでから、父の書斎へ向かった。
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