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【連載版】私を振った婚約者が、いちばん遅く失恋した【全5話】  作者: 堀吉 蔵人


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第四話 返事を求めない


 リュシアンが応接間へ入ると、母と叔母が食卓に見立てた紙を挟んで座っていた。


 叔母は毎年、寒さが緩む頃に親しい者を集めて食事会を開く。今年は夫の膝の具合が悪く、招く人数を減らすのだという。


「ちょうどよかったわ、リュシアン。あなたはここね」


 叔母の指が、紙の端を叩いた。その隣に、サラの名があった。


 リュシアンは椅子の背に手を置いたまま、母を見た。


「今、その話をしていたの」


 母は紙を自分のほうへ寄せた。


「サラさんをお呼びするのはやめましょう。あの子には、もうこちらへ来ないと言われているのよ」


「ですから、うちへお招きするの。あなたのお家には来づらいでしょうけれど、昔から知っている者同士で食事をするくらいなら」


 叔母は脇の便箋へ目を落とした。書きかけの招待状が、一枚だけほかのものと分けて置かれていた。


「もう、誰かに届けさせましたか」


「まだよ。席を決めてからと思って。サラさんのところへは、わたくしが少し言葉を添えるつもりなの」


「それは出さないでください」


 思ったより大きな声が出た。


 叔母が顔を上げた。リュシアンは椅子を引き、腰を下ろした。立ったまま頼めば、この話だけを片づけて出ていくようになる気がした。


「すみません。ですが、僕と会わせるために、彼女を呼ばないでほしいんです」


「あなたたちを困らせるつもりはないのよ。二人きりにしようというのでもないわ。皆で話しているうちに、自然に言えることもあるでしょう」


 その席にサラが座っているところを、リュシアンは一瞬、思い浮かべた。


 叔母の話に微笑み、料理が運ばれてくると少し身を引く。誰かが聞き取れずにいれば、顔を向けて、同じことをもう一度言ってくれる。


 会いたいと思った。


 膝の上に置いていた手を、ゆっくり握った。


「僕が来ることは、招待状に書いてあるんですか」


「まだ、そこまでは。先に書けば、身構えてしまうかもしれないでしょう」


「それでは、来てから困ることになります」


 叔母は口を閉じた。母が、書きかけの便箋を招待状の束から離した。


「婚約のことは、聞いていますよね」


「ええ。残念なことになったって。ただ、詳しいことまでは。あれほど仲がよかったのだから、少し時間が経てばと思っていたの」


「僕が、ほかの方を好きになったと言って、終わりにしてもらいました」


 叔母の手が膝へ下りた。


 リュシアンは、紙の上のサラの名を見ていた。自分の隣にあることが、以前なら当たり前だった。


「それなのに、今までと同じように会いに来てほしいと言いました。彼女が断ってからも、借りていた本を一冊、返しませんでした。返すときに話がしたいと言えば、会ってもらえると思って」


「リュシアン」


 叔母の声に、初めて咎める響きが混じった。


「はい」


「それは、いけないわ」


「そうです」


 言い訳を尋ねられていないのに、何か説明したくなった。あのときは、失いたくなくて。どうしたらよいかわからなくて。


 リュシアンは一度、唇を結んだ。


「本は返しました。そのとき、やり直したいとも伝えました。彼女には、断られています」


 叔母は母を見た。母は小さく頷いた。


「わたくしも、来てほしいと頼んでしまったの。断る手紙を、あの子に書かせてしまったわ」


「……そうだったのね」


 叔母が書きかけの招待状を取り上げた。


「わたくし、二人とも意地を張っているのだとばかり思っていたわ。あなたが近頃、ずいぶん静かだから」


「僕のことを心配してくださったのは、わかっています」


「せめて一度、きちんと話せたらと思ったのよ」


「もう、話を聞いてもらいました」


 リュシアンはそこで息を継いだ。


「何度も、同じ返事をさせたくありません」


 叔母はしばらく便箋を見ていたが、やがて二つに折った。


「出さないわ。お約束します」


「ありがとうございます」


「それなら、サラさんのお席は……」


 叔母の指が座席の紙へ戻った。名を消すのをためらうように、そこで止まった。


「書き直しましょうか」


 リュシアンが言うと、母が新しい紙を一枚渡してくれた。


 七人分の席を書き写した。自分の隣には叔父が座ることになった。叔母が、膝を伸ばせるよう端の席がよいと言い、リュシアンは自分の名を一つずらした。


「出入りもしやすいほうがいいですね」


「ええ。あの人、手を貸そうとすると、大げさにするなって怒るのよ」


 叔母の声が少し、いつもの調子に戻った。


 書き終えた紙を渡しても、胸のつかえは取れなかった。たった一つ名を写さないだけのことが、ひどく長く感じられた。


 叔母は人数を数え直し、書きかけの招待状と古い座席の紙を、折って自分の鞄にしまった。


「帰ったら、これは処分するわ。間違えて届けさせては困るもの」


 リュシアンは頷いた。


 * * *


 食事会の日、リュシアンは父母と一緒に叔母の家へ出かけた。


 玄関で叔父が杖を落としたので、拾って手渡した。腕を貸そうかと尋ねると、椅子を少し近づけてくれと言われた。


 食堂までの間にも何度か立ち止まった。リュシアンが先回りして扉を開けると、叔父はようやく礼を言った。


「まだ走って逃げられると思っていたが、いよいよ捕まったな」


「何から逃げるんですか」


「お前の叔母の小言だよ」


「聞こえていますよ」


 後ろから叔母が言い、父が笑った。


 食卓には、七人分の皿が並んでいた。リュシアンは叔父の椅子を引き、自分もその隣へ座った。


 最初の料理が下げられた頃、向かいに座る年配の親戚が、春の予定を尋ねてきた。


「今年はお祝いがあると思って、楽しみにしていたんだがね。残念なことだった」


 母の手が止まった。叔母が何か言おうとしたので、リュシアンは先に口を開いた。


「僕から解消を申し出ました。先方には、迷惑をかけました」


「そうか。まあ、二人にしかわからないこともあるだろう」


「サラには、悪いところはありません」


 声が強くなりかけた。少し息を置いてから、続けた。


「僕が決めて、あとから考えを変えて、困らせました。今は、話がついています」


 親戚はリュシアンの顔を見て、そうか、ともう一度言った。


「では、この話はよそう」


「はい」


 リュシアンは水を一口飲んだ。父が叔父に庭の木のことを尋ね、やがて、伸びた枝が隣の塀を越えた話になった。


 リュシアンも話を聞いた。叔父は同じ枝のことを二度説明し、三度目には、去年切っておけばよかったと付け加えた。


 帰り際、叔母が玄関まで見送りに出てきた。


「今日は、来づらかったでしょう」


「少し」


 そう答えると、叔母は困ったように笑った。


「無理をさせたかしら」


「いえ。叔父様にも、しばらく会っていませんでしたから」


「また顔を見せてちょうだい。あの人、ああ言いながら、あなたが来るのを楽しみにしているのよ」


 叔母は彼の外套の襟を直し、それから手を下ろした。


「あの招待状は、処分しましたからね」


「はい。ごちそうさまでした」


 馬車に乗る前に振り向くと、叔父が杖をついて玄関まで出てきていた。リュシアンはもう一度礼を言い、叔母が中へ連れ戻すまで待った。


 帰宅すると、父が玄関で外套を脱ぎながら言った。


「明日の会合の書類を、今夜見るつもりだが」


「僕も見ます。先週の分を持っていけばいいですか」


「ああ。少し時間がかかる。お茶を頼んでおいてくれ」


 リュシアンは従僕に二人分の茶を頼み、書類を取りに自室へ上がった。机の引き出しから紐で綴じた束を出し、日付を確かめる。


 最初の一枚には、自分が書き損じて、父に直された数字が残っていた。


 すぐ開けるように紙を挟んでから、父の書斎へ向かった。


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