第三話 はじめて、私の家で
読書会の前日、私は応接間の椅子を三度並べ直した。
窓際へ寄せると、一人だけ眩しくなる。暖炉を囲めば、端の人に声が届きにくい気がした。小さな卓を二つ持ってきてもらったところで、母が戸口から顔を出した。
「何人いらっしゃるのだったかしら」
「私を入れて、四人よ」
母は六脚ある椅子を見た。私も見た。
「お母様もいらっしゃるかもしれないと思って」
「もう一人は?」
答えがなくて、笑ってしまった。どちらに座るほうが楽かと考えるたび、椅子を足していたのだ。
余分な二脚を壁へ戻してもらい、机の上の紙を見直した。お茶、菓子、本を読むところ。忘れないように書いたものが、紙の裏まで続いている。
歴史物語の続編には、細く切った紙を五枚挟んであった。王妃が女官に相談する場面、庭師に嘘がばれる場面、それから私の好きな、夜更けの台所の場面。
声に出して読む時間を確かめようと、最初の紙のところを開いた。
途中で時計を見た。これでは、全部読んだら菓子を食べる時間がなくなる。
五枚のうち二枚を抜いた。やはり庭師のところなら皆が笑うだろうかと考え、一枚戻しかけて、やめた。
その夜は、寝る前まで紙の端を眺めていた。
* * *
翌日、いちばん早く来たマノンは、卓の上を見るなり手袋を外した。
「これは、どこへ置けばいい?」
包みの中には、彼女の家で何度かいただいた薄い焼き菓子が入っていた。
「お菓子なら用意したのに。わざわざごめんなさい」
「私も食べたかったの。お皿を借りてよろしい?」
私が侍女を見るより先に、マノンは空いた椅子へ腰を下ろした。包み紙を丁寧に広げ、割れている一枚を見つけると、その半分を私へ差し出した。
「並べる前だから、数には入れなくていいわ」
まだ皆が揃っていない、と言いかけて、受け取った。端が少し焦げていて、そこが香ばしかった。
ほどなく、エリーズとジュリーも着いた。エリーズは、前の会で胡桃入りの菓子を半分ずつ食べた友人だ。今日は歴史物語の一冊目を抱えている。
「続きのお話を聞く前に、これを返さなくてはと思って」
「急がなくてもよかったのよ」
「読み終わったの。最後の言い訳、本当に長かったわね」
マノンが笑った。私も笑いながら本を受け取り、棚へ戻そうとして、ひとまず卓の端へ置いた。エリーズはもう、好きだった箇所を探し始めていた。
お茶が運ばれてきたところで、私は続編を開いた。
「今日は三つほど、読もうと思っているところがあるの。最初は――」
「待って。私、まだそこまで読んでいないわ」
ジュリーが自分の本を持ち上げた。栞は、私の挟んだ最初の紙よりずっと前にある。
「ごめんなさい。届くのが遅れたの?」
「いいえ。王妃様がまた侍従長に相談しようとしたので、そこで閉じてしまったの」
私は開きかけた頁に指を置いた。
「また、同じ失敗をしそうで?」
「そう。前の巻で、あんな目に遭ったでしょう。女官も止めればいいのにと思って」
机の上の紙が目に入った。皆が楽しめそうなところを選んだつもりだった。最初から止まってしまうとは考えていなかった。
「別の本にしましょうか。赤い本もあるし、短い話なら――」
「サラは、続きが気にならなかった?」
マノンが尋ねた。
「気になったわ。だから読んだのだけれど」
「私は、王妃様が誰に相談すればよかったのか聞きたい。あの時点では、女官だって手紙を隠していたでしょう」
エリーズが一冊目を開いた。あれはいつ渡された手紙だったかしら、と言う。
私は本を替えるために浮かせた腰を、椅子へ戻した。
「女官は、王妃様が心配すると思って隠したのよね。でも私は、あそこは渡してほしかった」
「そうなの? サラは女官のほうが好きだと言っていたから、かばうと思ったわ」
「好きだけれど、あの手紙を預ける相手には選ばないわ」
ジュリーが笑って、自分の本にも指を挟んだ。
「では、誰に預ける?」
「庭師」
「あの人、字が読めないではないの」
「だからいいのよ。途中で中身を読んで、余計な心配をしないでしょう」
言い終わらないうちに、マノンが声を上げて笑った。
けれど、エリーズは首を傾げた。庭師なら手紙をなくしてしまうかもしれない、鉢の下に敷かれたらどうするのか、と。
私も、あの人ならありそうだと思った。それでも侍従長よりはいいと答えると、今度はジュリーが侍従長のよかったところを挙げ始めた。
意外で、続きを聞きたくなった。
お茶のお代わりを尋ねようとしていたことを、そのときは忘れていた。
* * *
台所の場面を読もうと本を持ち上げたのは、だいぶあとになってからだった。
ジュリーは続きを知っても構わないと言ったが、私は首を振った。
「ここは、そこまで読んでからのほうが好きになると思うの。今日はやめておくわ」
「では、来月までに読むわ。途中で腹が立っても、閉じないようにする」
「閉じてもいいけれど、どこで閉じたか覚えていてね。聞きたいから」
私は挟んだ紙を抜いた。一枚目から三枚目まで、どれも使わなかった。
代わりにエリーズが、読み終えたばかりの一冊目から、王妃が女官の手を洗ってやるところを探していた。私も好きな場面だったが、そこに至るまでを皆に説明しなくてはと口を開きかけた。
「見つけたわ」
エリーズが顔を上げた。
「私が読んでもよろしい?」
「ええ。お願い」
私は本を閉じた。
声に出して聞くと、よく知っている文でも、思っていたところと違う場所で息が入る。王妃の返事が妙に早くて、女官が慌てた理由が少しわかった気がした。
ジュリーが笑いを堪え、隣で肩を揺らした。私もつられて笑った。
侍女が空いた皿を下げに来たとき、私は椅子に座ったまま、読み声を聞いていた。卓の端の皿へ手を伸ばすマノンには、こちらにも一枚、と頼んだ。
読み終わると、エリーズは喉を押さえた。
「思ったより、喉が渇くのね」
「お茶にしましょう。私も、すっかり冷ましてしまったわ」
カップに口をつけると、本当に冷たかった。お代わりをお願いして、それでようやく時計を見た。
予定の紙では、もう三つ目を読み終えているはずだった。机の上には、開いたままの一冊目と、ほとんど進んでいない続編が並んでいた。
帰りの馬車が来るまで、私たちはその二冊の間を行ったり来たりした。
玄関で皆を見送ってから、マノンだけが手袋を取りに戻った。私は応接間で、椅子の背に掛かっていたものを渡した。
「来月は、うちでいいかしら。今日のお菓子を焼いた人が、感想を待っていると思うの」
「ええ。もう少し端を焦がしても、私は好きよと伝えて」
「叱られたと思われないかしら」
「では、私が自分で言うわ」
彼女が帰ったあと、私は卓に残った本を重ねた。
準備の紙の余白は、いつの間にか別のことで埋まっていた。皆の挙げた本の名前。ジュリーに借りると約束した一冊。エリーズの話していた店の場所。
それを捨てずに、引き出しへしまった。
棚へ戻しかけた続編を、もう一度開く。台所の場面の少し前で、女官が王妃を待っていた。
今日は、読む声を出さなくてもよかった。私は窓に近い椅子へ座り直し、靴の先を少し伸ばした。
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