↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】私を振った婚約者が、いちばん遅く失恋した【全5話】  作者: 堀吉 蔵人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/5

第五話 春の予定

 

 春の服を出すために引き出しを開けたら、奥から小さな帳面が出てきた。


 薄い青の表紙で、角に花が描いてある。買った日のことを覚えていた。持ち物を書き出しておけば、新しい家へ移るときに困らないだろうと思ったのだ。


 最初の頁に、本、と書いてあった。


 その下には、母の刺繍した膝掛け、小さな鏡、手紙の箱。思いついた順に並べたので、細かいものの間に椅子が一脚入っている。


 窓のそばで本を読むのにちょうどよい、自分の部屋の椅子だった。あちらにも椅子ぐらいあるだろうに、と笑いかけて、口元が止まった。


 この春には、リュシアンと同じ家に住んでいるはずだった。


 頁の隅に、彼と相談すること、と書いてある。そこから先は白かった。相談する前に、春が来てしまったのだ。


 私は帳面を閉じた。


 窓の外で、庭師が鉢を運んでいた。冬の間は屋内にあったものだ。あまりに小さな鉢なので、両手に三つずつ持っている。


 見ているうちに、一つ落とさないかと気になった。彼が無事に並べ終えるまで、窓のそばに立っていた。


 * * *


 昼食のあと、母から伯母の手紙を見せてもらった。


 母の姉は、馬車で一日かかる町に住んでいる。春になったら来ないかと、毎年のように誘ってくれていた。去年の手紙には、来年は忙しいでしょうけれど、と添えてあった。


 今年は、そんなことは書いていなかった。庭の杏の木を切ろうとしたら夫に反対されたことと、隣家の犬がまた仔を産んだことが、便箋二枚にわたって書かれていた。


「お母様は、いらっしゃるの?」


「そうね。一週間ほど行ってこようかと思っているの」


「私も一緒に行っていい?」


 母はお茶を注ぐ手を止めた。


「もちろん。でも、読書会はいつだったかしら」


 私は頭の中で日にちを数えた。ちょうど重なる。今度はマノンの家で、皆がそれぞれ好きな短い物語を持ってくることになっていた。


「その週の日曜日だわ」


「では、出発を遅らせましょうか」


「お母様は、いつから行くつもりだったの?」


「火曜日。お父様が町へいらっしゃるから、途中まで一緒に」


 母はそれから、別の日でも構わないと言った。


 私は手紙の端を揃えた。会で読むつもりの本も、もう選んである。一度休んだら、皆がその本の話を終えてしまうかもしれない。


 それでも、伯母の庭を思い浮かべると、行きたかった。隅に古い煉瓦の塀があり、暖かい日にはそこへ椅子を出してもらえる。子供の頃、母と二人で豆の鞘をむいた場所だった。


「火曜日にしましょう。マノンには、今月は休むと書くわ」


「寂しくない?」


「少し。でも、次に会ったときに何を話したか聞けるもの」


 そう答えてから、私は伯母の手紙をもう一度開いた。


「杏の木は、まだあるのよね」


「あると思うわ。お義兄様が椅子を置いて動かなかったそうだから」


 母と顔を見合わせて笑った。伯父なら、やりそうだった。


 * * *


 マノンからの返事は、二日後に届いた。


 伯母の町に古い本を扱う店があるから、時間があれば見てきてほしい、と書いてあった。彼女の探している詩集の名もあったが、わざわざ寄り道をしなくてよいと、後ろに小さく付け足してある。


 私は紙の端へ、行ってみるつもりだと書いた。見つかったら、いくらまでなら買ってよいかも尋ねた。


 会で皆が読む短い物語は、帰ってから貸してくれるという。ジュリーはもう別の一冊を持ってくると言い出したそうで、会はまた長くなりそうだった。


 返事を書き終えてから、青い帳面を開いた。


 持ち物の続きを書こうとして、最初の頁にある椅子を見た。旅には持っていけない。


 そこはそのままにして、新しい頁へ、本を三冊、と書いた。


 服、手袋、マノンの手紙。それから、母に頼まれた裁縫箱。


 夕方、母が部屋へ来たとき、私は帳面を机に開いていた。


「その膝掛けも持っていくの?」


「ええ。馬車では、まだ寒いかもしれないでしょう」


 母は椅子に掛かった膝掛けを手に取り、縁を確かめた。自分で刺した葉の模様に、糸のほつれを見つけたらしい。


「ここだけ直しておくわね」


 私は頷いてから、母を呼び止めた。


「お母様。今日、これを見つけたとき、少し泣きたくなったの」


 帳面の表紙を撫でた。母は椅子へ座り、私の言葉を待った。


「春になれば、もう何とも思わなくなるかと思っていたわ」


「旅行は、もう少し後にする?」


「ううん。行きたいの。それとは別に、これを書いていたときのことを思い出して」


 母に帳面を渡すと、最初の頁を読んで、小さく息を吐いた。


「この椅子、どうやって馬車に載せるつもりだったのかしらね」


「荷物用の馬車を、一台多く頼もうと思っていたのよ」


「椅子のために?」


「本もあるもの」


 笑うと、目の縁が熱くなった。母は帳面を返し、私の頬に触れてから、膝掛けを持って立ち上がった。


「旅のほうは、三冊で収まりそう?」


 私は机に積んだ四冊を見た。


「まだ選んでいるところ」


「帰りに増える分も考えておいてね」


 母が扉を閉めたあと、私は薄い一冊を棚へ戻した。残したうちの一冊は、伯母にも読んでほしい本だった。


 * * *


 出発の日は、朝からよく晴れた。


 馬車へ乗る前に部屋を見回すと、窓際の椅子には何も掛かっていなかった。膝掛けは旅の鞄のいちばん上にある。


 玄関で待っていた母は、私の手荷物を見て眉を上げた。


「三冊?」


「三冊よ。帰るときのことは、帰るときに相談させて」


 母は笑って、先に馬車へ乗った。


 町を出るまで、私は窓から外を見ていた。知っている店の前を通り、リュシアンと歩いたことのある角も曲がった。あの日に話したことが少し浮かんだが、隣で母が外套の紐をほどくのを見て、荷物を膝へ寄せた。


 分かれ道で父の馬車を見送り、次の町で休憩した。馬車に戻ると、母は眠くなったと言った。


「着いたら起こしてちょうだい」


「その前に、お昼をいただくのでしょう」


「では、お昼にも」


 私は膝掛けの半分を母へ渡した。残りは自分の膝に広げ、鞄から本を取り出した。


 頁をめくる音と、車輪の音が続いた。


 夕方に着くと、伯母は私たちの顔を見るより先に、荷物はそれだけかと尋ねた。母は私を見て、今のところは、と答えた。


 杏の木は残っていた。伯父がその下の椅子に座り、片手を上げている。


 翌日の朝食で、伯母は町の市場へ案内しようと言ってくれた。私は頷いてから、マノンの手紙を出した。


「この本屋へも行ってみたいの。遠いかしら」


「市場の先よ。昼には閉まるから、先に寄りましょうか」


「ええ。帰りに杏の花も、近くで見たいわ」


 伯父が、椅子をもう一脚出そうと言った。


 私はお茶を飲み終え、部屋へ手袋を取りに戻った。机の上で開いたままの帳面に、本屋、と書き足す。すぐ下へ市場、と書いて、少し考えた。


 午後のところは、まだ空けておいた。


面白かったら評価、ブックマークいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。