第9話 ギルド長、それは優しさじゃありません!
空白の支出の正体は、思わぬところから転がり込んできた。
「あの、受付さん。これ、ギルド長に返しておいてもらえますか」
昼過ぎのカウンターに置かれたのは、小さな布袋だった。持ち主は先日話を聞いた包帯の剣士さんだ。腕の包帯はだいぶ薄くなっている。
「これは?」
「怪我のお見舞いだって、ギルド長がこっそりくれたんです。でもやっぱり受け取れなくて」
「お見舞い」
「狼討伐の報酬より多かったので」
報酬より多いお見舞い。
私の頭の中で、帳簿の空白の行がぱらぱらとめくれていく。金額だけ書かれて、項目名も支払先もない三十件以上の支出。
「……これ、ほかの人ももらってたりします?」
「え。あ、えっと」
剣士さんの目が泳いだ。この人も嘘が下手だ。リンドヴァルには正直者しかいないのだろうか。
「弓の二人も、解毒薬代だって言われてもらってました。あと、廃坑の見回りの人も」
「なるほど。ありがとうございます。とても助かりました」
「え、俺なにか余計なこと言いました?」
「いいえ。必要なことしか言っていません」
剣士さんは不安そうに何度も振り返りながら帰っていった。
私は布袋を握りしめて、奥の机のほうを見た。
ベルナードさんがお茶をすすりながら、窓の外の小鳥に手を振っていた。
◇ ◇ ◇
閉館後。私は布袋と、付箋だらけの三冊目の帳簿をベルナードさんの机に並べた。
「ギルド長」
「は、はい」
「空白の支出、心当たりありますよね」
ベルナードさんは布袋を見て、帳簿を見て、私の顔を見て、最後に天井を見た。
「……ばれちゃったかあ」
「ばれました」
「誰から聞いたんだい?」
「本人が返しに来ました。報酬より多いお見舞いは受け取れないそうです」
「そうかあ。いい子だなあ……」
しみじみしないでください。
「全部話してください。何にいくら使ったのか」
観念したベルナードさんが、ぽつりぽつりと話しはじめた。
危険な依頼で怪我をした新人さんへのお見舞い。報酬が安すぎて宿代が払えない子への上乗せ。装備が壊れた子への修理代。困っていると聞けば、そのたびに金庫からお金を出していたらしい。
「書かなかったのは、どうしてですか」
「書いたら、本部に見られるだろう? 規則違反だって怒られたら、もう助けてあげられなくなるからね」
「それで空白に」
「うん。それに、ちゃんと返してたんだよ。自分のお給料から少しずつ」
私は帳簿をめくる手を止めた。
「……少しずつ、って。どのくらいですか」
「ここ半年は、全部かな」
「全部!?」
「私はほら、独り身だし。ギルドの二階に住んでるから家賃もかからないし」
「そういう問題じゃありません!」
自分の給料を半年分まるごと注ぎ込んで、それでも追いつかなくて、帳簿に空白が増えていった。
この人は自分の財布で、ギルドの穴を塞ごうとしていたのだ。
◇ ◇ ◇
「アリサちゃん。私はね、ギルドは金を稼ぐためだけの場所じゃないと思ってるんだ」
ベルナードさんはいつもの垂れ目で、少しだけ寂しそうに笑った。
「帰ってくる場所でもあるんだよ。怪我をしても、失敗しても、ここに帰ってくれば何とかなる。そういう場所でいてほしいんだ」
いい言葉だと思う。本当に。前世の会社の誰かが一度でもそう言ってくれたら、私はもう少し長生きしたかもしれない。
だからこそ、言わなければならなかった。
「ギルド長、それは優しさじゃありません」
「え……」
「ギルド長がこっそり助けた分、本当の問題が見えなくなってたんです」
私は比較表を広げた。赤丸だらけの、安すぎる危険な依頼の一覧だ。
「新人さんが怪我をする原因は、報酬が安すぎることです。お見舞いを渡しても、次の日にはまた同じ依頼を受けて、また怪我をします。ギルド長が自分のお財布で支え続ける限り、仕組みはずっとこのままです」
「それは……」
「それに、ギルド長のお給料には限りがあります。全部使い果たしたら、次はどうするつもりだったんですか」
ベルナードさんは答えなかった。答えられなかったのだと思う。
「このままギルドが潰れたら、帰ってくる場所そのものがなくなるんです。今日お見舞いを受け取った子も、明日からは行き場がなくなります」
一人を助けるために、全員の居場所を削っていた。ベルナードさんがしてきたのは、そういうことだ。
長い沈黙のあと、ベルナードさんは深く頭を下げた。
「……ごめんよ、アリサちゃん。私は、目の前の子を助けることしか考えてなかった」
「謝るのは私にじゃありません」
「うん?」
「ご自分のお給料にです。半年分、ちゃんと取り返しましょう」
「取り返す!?」
「冗談です。半分くらいは」
私は空白の行の横に、ひとつずつ「見舞金」「報酬補填」と書き込んでいった。正体がわかれば、ただの空白も立派な記録になる。
「助けるのをやめろとは言いません。でも、こっそりはやめてください。困っている人がいるなら、困らなくて済む仕組みを作りましょう」
「仕組み、かあ」
「はい。それが、私の仕事ですから」
ベルナードさんは顔を上げて、少し照れくさそうに鼻をかいた。
「アリサちゃん、本当に頼もしくなったねえ」
「書類に埋もれてからです」
「その説明、毎回それだよね」
空白の支出のほとんどは、これで埋まった。
残っているのは、四件の本部経由の支払いと、それに並んだ揃いすぎた管理番号だけだ。




