第10話 赤字の原因、見えてきました。
十二冊の帳簿を一行ずつ確認すると宣言してから、十日が経った。
最後の一冊を閉じたとき、私は思わずカウンターに突っ伏した。終わった。前世を含めても、ここまで誰にも褒められない達成感は久しぶりだ。
「アリサちゃん、お疲れさま。はい、ご褒美のケーキ」
「ギルド長……!」
「角のパン屋さんで一番高いやつにしたよ」
「その代金、どこから出しました?」
「わ、私のお財布からだよ! ちゃんと!」
疑ってすみません。でもあの見舞金の件のすぐ後なので、確認は大事なのだ。
ケーキを頬張りながら、私は大きな紙を一枚、机の上に広げた。前世でいうところの模造紙だ。異世界にもあってよかった。
「これから赤字の原因をまとめます」
「おお。ついに」
「ついにです」
◇ ◇ ◇
紙の真ん中に、大きく「毎月百八十万ゴルド」と書く。そこから三本の線を伸ばした。
「赤字の原因は、大きく分けて三つです」
「三つも」
「三つで済んでよかったと思ってください」
一本目の線の先に、「報酬設定の不備」と書き込む。
「まず一つ目。依頼の報酬額がでたらめです。安全な依頼の報酬が高すぎて、依頼料を上回っている案件がたくさんあります。差額は全部ギルドの持ち出しです」
「薬草採りとか、猫探しとかだね」
「猫探しの一万ゴルドは本当にどうかと思います」
「あれは依頼主のおばあちゃんが泣いてたから……」
「それとギルド長の見舞金と上乗せも、ここに入ります」
「うっ」
ベルナードさんが胸を押さえた。効いているらしい。
「これで毎月だいたい七十万ゴルドです」
「七十……」
二本目の線の先には「素材買取の損失」。
「二つ目。冒険者さんが持ち帰った魔物の素材を、ギルドが買い取っていますよね」
「うん。魔石とか、牙とか、毛皮とか」
「その買取部門が、毎月五十万ゴルドほど赤字です」
「え? 買い取ったものは商人さんに売ってるはずだけど」
「売ってます。でも、買った値段より売った値段のほうが安いものがあるんです」
「そんなことある?」
「あるから赤字なんです」
正直に言えば、ここはまだ原因がはっきりしていない。買取の記録と売却の記録を並べると損が出ているのはわかる。でもなぜそうなるのか、帳簿の数字だけでは見えてこなかった。
「ここは、もう少し調べる必要があります」
◇ ◇ ◇
三本目の線の先に、私は少し迷ってから「冒険者の配置ミス」と書いた。
「はいち、ミス?」
「冒険者さんと依頼の組み合わせが、ちぐはぐなんです」
私は聞き取り調査のメモを広げた。
「安全で報酬の高い依頼は、古株の冒険者さんたちが早い者勝ちで取っています。その結果、経験の浅い新人さんが危険な依頼に回されています」
「この前の、包帯の子みたいにね」
「はい。実力に合わない依頼を受ければ、失敗が増えます。失敗すれば依頼主への違約金や再発注の手間がかかります。怪我をすれば、しばらく働けなくなります」
「そして私が見舞金を……」
「そうです。それが一つ目の線に戻ってくるんです」
赤字の原因は、ばらばらに見えて実は絡み合っていた。報酬がおかしいから人の配置がおかしくなり、配置がおかしいから怪我と失敗が増え、その穴を優しさで埋めようとして、また報酬がおかしくなる。
「これが毎月だいたい三十万ゴルド。依頼の失敗による損失と、その後始末の分です」
ベルナードさんが指を折って数えた。
「七十と、五十と、三十で……百五十万。あれ、三十万足りないよ?」
「ギルド長、計算できたんですね」
「さすがにそのくらいはできるよ!?」
私は紙の端に、四本目の線を細く引いた。その先には何も書かず、小さな丸だけをつけた。
「残りの三十万ゴルドは、本部経由の四件です」
「ああ……完了報告のない、あの」
「はい。ここは原因がわかりません。わからないので、今は別にしておきます」
本部に問い合わせたところで、まともな答えが返ってくる保証はない。下手につついて閉鎖を早められたら元も子もない。前世で学んだ真理その三。上の部署に疑いを向けるときは、まず自分の足元を固めてから。
◇ ◇ ◇
完成した紙を、ベルナードさんはしばらく黙って眺めていた。
「アリサちゃん。私、十年もギルド長をやってて、こんな図は一度も見たことがなかったよ」
「見たことがないから、十年続いたんだと思います」
「辛辣だねえ」
「でも、見えたなら直せます」
これまで赤字はただの大きな数字だった。理由のわからない、どうしようもない怪物だった。
でも今は違う。怪物は三つに分かれて、それぞれに名前がついている。名前がつけば、対処のしようがある。
「一つ目の報酬は、依頼の危険度に合わせて決め直せば改善できます。二つ目の素材買取は、原因をもう少し調べます。三つ目の配置は……」
「配置は?」
「冒険者さん一人ひとりのことを、ちゃんと知る必要があります」
私はペンを置いて、カウンターの向こうの掲示板を見た。
何十人もの冒険者さんが毎日ここに来る。でも私は、彼らが何を得意としているのかをほとんど知らない。アリサとしての記憶にあるのは、名前と顔と、いつも頼む依頼の種類くらいだ。
「明日から、冒険者さんのことを調べます」
「また聞き取りかい?」
「はい。今度はもっと詳しく」
ベルナードさんは苦笑して、空になった私の皿にもう一切れケーキを載せてくれた。
「それも、自分のお財布からね」
「ありがとうございます。いただきます」
赤字の原因は見えてきた。あとは一つずつ片づけるだけだ。
三か月という期限が、それを許してくれるならの話だけど。




