第5話 この帳簿、どこから間違ってます?
一行ずつ確認すると宣言してから三日が経った。
私は受付と帳簿の往復で、ほぼ紙と一体化していた。朝は番号札を配り、昼は依頼書を捌き、閉館後は十二冊のどれかを開く。夢の中でも数字を足していた気がする。前世と何が違うのかと聞かれたら、紅茶が出てくるところくらいだ。
「アリサちゃん、今日のお茶菓子はクッキーだよ」
「ありがとうございます。そこに置いてください」
「帳簿の上に?」
「帳簿の上以外でお願いします」
ベルナードさんはこの三日間、閉館後もなぜか私の横に座っている。手伝うと言ってくれたのだけれど、彼に計算を任せると答えが毎回変わるので、今はお茶係に専念してもらっている。
「それで、何かわかったかい?」
「わかりました」
「おお!」
「わからないことがたくさんある、ということがわかりました」
「……それは、わかったって言うのかなあ」
言うんです。前世の上司は毎回これで納得してくれなかったけど。
◇ ◇ ◇
私は手元のメモを広げた。三日分の成果、という名の被害報告書だ。
「まず一つ目。依頼の仲介手数料が帳簿に載っていない月があります」
「載ってない?」
「依頼書の控えを数えると、先々月は四十件ほど依頼が完了しています。でも帳簿に記録された手数料は二十件分しかありません」
「残りの二十件は?」
「どこにも書いてありません」
「お金はどこに行ったんだい?」
「それを聞きたいのは私です」
金庫の残高と照らし合わせると、どうやらお金自体は入っているらしい。つまり誰かが受け取って、金庫に入れて、書くのを忘れた。収入が消えたわけではなく、記録が消えている。
「書き忘れなら、ほっとしたよ」
「ほっとしないでください。書いていないお金は、使われても気づけないお金なんです」
ベルナードさんの笑顔が凍った。いい傾向である。危機感は大事だ。
「二つ目。同じ支出が二回書かれています」
「二回?」
「屋根の修繕費です。同じ日付、同じ金額、同じ業者名で二行。しかも書いた人の字が違います」
「ああ、それは私が払った後に、別の人がもう一回書いたのかもしれないねえ」
「本当に一回しか払ってないなら、帳簿の上では修繕費が倍になってます。逆に本当に二回払ってたら、業者さんに一回分返してもらわないといけません」
「どっちなんだろう」
「領収書は?」
「……どこかにあると思うよ?」
どこかにある、は前世でも聞き飽きた言葉だ。だいたいどこにもない。
◇ ◇ ◇
「そして三つ目が、いちばん困っているものです」
私は付箋だらけになった三冊目を開いて、ある一行を指さした。
支出欄に金額だけが書いてある。項目名は空白。支払先も空白。日付だけがかろうじて読める。
「これ、何のお金ですか」
「さあ……」
「次のページにもあります。その次にも。数えたら、この一年で三十件以上ありました」
「さ、三十件……」
「金額も小さくありません。全部足すと、それだけで毎月の赤字のかなりの部分を占めます」
ベルナードさんは帳簿を覗き込んで、眼鏡を押し上げて、また覗き込んだ。
「うーん。誰かが急いでいて、書き忘れたんじゃないかなあ」
「三十回も?」
「三十回も……」
彼の声が少しずつ小さくなっていく。
私は空白の行をもう一度見つめた。書き忘れならまだいい。でも前世の経験が言っている。中身を書かない支出というのは、だいたい二種類しかない。本当に忘れたか、書きたくなかったかだ。
「ギルド長。この中に、心当たりのあるものはありませんか」
「えっ」
一瞬だけ、ベルナードさんの目がクッキーの皿のほうへ逃げた。
「……い、いや。ないよ。たぶん」
「たぶん」
「たぶん、ない、と思う」
わかりやすい。この人は嘘をつくのが絶望的に下手だ。
ただ、それが悪意の嘘には見えなかった。叱られるのを怖がる子どもの顔に近い。今ここで問い詰めても、たぶん余計に縮こまるだけだろう。
私は小さく息を吐いて、メモに一行書き足した。「空白の支出、要確認」。
「わかりました。一件ずつ調べていきます」
「アリサちゃん……その、この帳簿は結局どこから間違ってるんだい?」
いい質問だった。私は十二冊を見回して、正直に答えた。
「最初からです」
「最初から!?」
「表紙に月が書いてない時点で、もう間違ってます」
ベルナードさんががっくりと肩を落とした。私はその横で、四冊目の帳簿を開いた。
赤字の原因は、きっとこの間違いのどこかに埋まっている。掘り当てるまでは、紙の山と付き合うしかない。




