第36話 失敗した依頼にも、価値があるんです。
翌朝、ギルドの奥の小部屋に、合同依頼の四人とレオンハルトさんが集まった。
私が呼んだのだ。正確には、レオンハルトさんだけは「呼んでいない」と言い張っているけれど、昨日のうちに「明日の朝、振り返りをします」と伝えたら、ちゃんと来てくれた。
「振り返り?」
ガーランドさんが怪訝そうな顔をする。
「昨日の合同依頼で、何がうまくいって、何がうまくいかなかったのか。全員で話して、記録に残すんです」
「依頼は失敗したんだぞ。今さら話したって、月光草は戻ってこねえ」
「戻ってきません。でも、次の依頼は変えられます」
前世の会社では、プロジェクトが終わるたびに振り返り会議をやらされた。正直、形だけの会議も多かった。でも、本気でやったときの振り返りは、次の仕事を確実に良くしてくれた。
私は大きな紙を壁に貼って、三つの欄を作った。
うまくいったこと。うまくいかなかったこと。次に変えること。
「では、うまくいったことから。どなたでも」
◇ ◇ ◇
最初に手を挙げたのは、剣士さんだった。
「見張りの手旗です。鹿のときは手で、魔物かもしれないときは笛で。おかげで午前中は落ち着いて採集できました」
「書きます」
次に弓使いの子。
「判断係の一呼吸! 昨日はリリアンが一呼吸待ってくれたから、あたしも慌てずに確かめられた」
「書きます」
リリアンさんが、少し照れくさそうに続けた。
「帰り道を先に確かめておいたこと。南の斜面を見つけてなかったら、逃げられませんでした」
「書きます」
ガーランドさんは腕を組んだまま、ぼそりと言った。
「……袋を置いて逃げたこと。籠を抱えたまま斜面を登ってたら、あいつは転んだまま起き上がれなかった」
「書きます」
最後に、全員の視線がレオンハルトさんに向いた。
「……尾根に人がいたこと」
それだけ言って、彼はそっぽを向いた。自分のことだと言わないあたりが、この人らしい。
「書きます」
うまくいったことの欄が、あっという間に埋まった。
「では、うまくいかなかったことです」
◇ ◇ ◇
こちらは、なかなか手が挙がらなかった。
失敗を口にするのは、成功を口にするよりずっと難しい。前世でも同じだった。振り返り会議の「うまくいかなかったこと」の欄は、いつも最後まで空白だった。
沈黙を破ったのは、意外にもリリアンさんだった。
「撤退の出口を、一つしか決めてなかったことです」
全員が彼女を見た。
「西の出口がだめになったとき、私は南を知ってたから逃げられました。でも、もし知らなかったら、どこに逃げればいいのか誰にもわからなかったです。逃げ道は、二つ以上決めておくべきでした」
「……書きます」
それをきっかけに、ほかの人たちも口を開きはじめた。
「見張りの位置が東の岩場だけだった。西の奥は、木が邪魔でよく見えなかった」
「尾根に誰かいるって、俺たちは知らなかった。知ってたら、合図の送り先が増えた」
「熊が出るなんて、誰も考えてなかった。危険度二って数字を、全員が信じすぎてた」
最後の一言を言ったのは、ガーランドさんだった。
私は、その言葉をそのまま紙に書いた。
危険度二という数字を、全員が信じすぎていた。
一番信じすぎていたのは、その数字を決めた私だ。
◇ ◇ ◇
壁の紙が、三つの欄とも埋まった。
次に変えること。撤退路は二つ以上決める。見張りは谷の両側に置くか、置けなければ死角を事前に共有する。近くで別の冒険者が活動している場合は、ギルドを通じて互いに知らせる。そして、危険度は固定の数字ではなく、直前の情報で見直す。
「……で、この紙をどうするんだ」
ガーランドさんが腕を組んだまま聞いた。
「掲示板に貼ります」
「は?」
「全員が見られるように。昨日の合同依頼で何が起きて、何がうまくいって、何がうまくいかなかったか」
ガーランドさんの顔が、みるみる険しくなった。
「おい待て。失敗を貼り出すってのか。俺たちの恥を、ギルド中に晒すってのか」
「恥じゃありません」
「恥だろうが。依頼に失敗したんだぞ」
「失敗した依頼にも、価値があるんです」
私は壁の紙を指さした。
「この紙には、銀葉の谷に鉄殻熊が出たことが書いてあります。撤退路を一つしか決めていないと危ないことが書いてあります。見張りの死角のことも。全部、次に銀葉の谷に行く人が知っておくべきことです」
「……」
「もしこれを隠したら、次に谷に行く人は、昨日の私たちと同じ目に遭います。危険度二だと信じて、撤退路を一つだけ決めて」
前世の会社で、同じ失敗が何度も繰り返されるのを見てきた。誰かがミスをして、それを恥だと思って隠して、半年後に別の誰かがまったく同じミスをする。原因は、いつも同じだった。
「隠した失敗は、必ず繰り返されます。だから、貼り出すんです」
ガーランドさんは長いこと黙っていた。
それから、レオンハルトさんのほうをちらりと見た。
「お前はどう思う、元Sランク」
「……失敗の記録は、成功の記録より役に立つ」
レオンハルトさんは、静かにそう言った。
「成功は運でもできる。失敗には、必ず理由がある」
ガーランドさんは、ふん、と鼻を鳴らした。
「……勝手にしろ。ただし、俺の名前は書くなよ」
「書きます。最後尾で剣士さんを担いだって」
「それは書くな!」
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、掲示板に新しい区画を作った。
「危険情報」。
その一番上に、昨日の振り返りの紙を貼る。その横に、北の森で魔物が集まっていた地点の赤い印の地図。西の丘の蛇と蜂の巣と牙猪の記録。南の丘の沢沿いの「雨のあと三日、不可」。
これまで私の帳面の中だけにあった情報が、初めて全員の目に触れる場所に並んだ。
ベルナードさんが、少し心配そうに掲示板を見上げた。
「アリサちゃん。こういうのが本部の監査で見つかったら、失敗だらけのギルドだって思われないかい」
「思われるかもしれません」
「それでもいいのかい?」
「失敗を隠して、同じ事故を繰り返すギルドよりは、ずっといいと思います」
ベルナードさんは少し考えてから、ゆっくりと頷いた。
「……そうだね。前のギルド長も、きっとそう言うよ」
夕方、掲示板の前に人だかりができていた。
鉄殻熊の話は、もうギルド中に広まっていたらしい。冒険者さんたちは振り返りの紙を読みながら、あちこちで話し込んでいた。
「撤退路は二つ以上、か。考えたこともなかったな」
「見張りの死角ってのは、たしかにあるよな」
「銀葉の谷に鉄殻熊って、本当かよ。俺、来週あっちの依頼受けるつもりだったんだぞ」
その人だかりの中から、フーゴさんがカウンターにやってきた。講習に一回だけ出ると言っていた、Cランクの剣士さんだ。
「おい、受付」
「はい」
「あの危険情報ってやつ、俺も書いていいのか」
「もちろんです。何かありましたか?」
フーゴさんは頭をかきながら、ぶっきらぼうに言った。
「三日前、東の沼の北側で、見たことねえ足跡を見つけた。でかいやつだ。気味が悪いから、引き返してきた」
「引き返したんですか」
「……講習で、数えられねえ足跡を見たら引き返せって言われたからな」
私は思わず笑顔になって、新しい紙を取り出した。
失敗した依頼の記録が、次の誰かの命を守る。そして、それを見た誰かが、自分の見たものを書き足してくれる。
小さな情報が、少しずつ集まりはじめていた。
ただ、一つだけ気になることがあった。
北の森の赤い印。銀葉の谷の鉄殻熊。そして今、東の沼の見慣れない足跡。
掲示板に並んだ三つの異変を見比べて、私は小さく首をかしげた。
この一か月で、本来いるはずのない場所に、本来いるはずのない魔物が現れたのは二度。もしあの足跡もそうなら、三度目になる。




