↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
35/35

第35話 全員無事に帰るまでが、依頼です。

南の斜面を上がってきた三人は、泥だらけだった。


リリアンさんが先頭。その後ろに剣士さん。最後尾に、ガーランドさん。


大岩の前までたどり着いた瞬間、剣士さんがその場にへたり込んだ。リリアンさんも膝に手をついて、肩で息をしている。ガーランドさんだけが、立ったまま谷のほうを振り返っていた。


「全員、いますか!」

「い、います……」

「怪我は!」

「ないです。たぶん」

「たぶんじゃなくて!」


私は三人の腕や足を順番に確かめていった。擦り傷はある。泥もついている。でも、血が流れているところはなかった。


全員、無事だった。


「よかった……」


気づいたら、私もその場に座り込んでいた。大岩に座り込むのは、今日二回目だ。


「受付さん、熊は……?」

「倒しました。レオンハルトさんが」


リリアンさんが顔を上げた。大岩の陰に腰を下ろしているレオンハルトさんを見つけて、目を丸くする。


「え、なんで、いつから」

「それ、さっき私も聞きました」


   ◇ ◇ ◇


剣士さんの息が整うのを待ってから、私は帳面を開いた。


「何があったのか、聞かせてください。最初から」


リリアンさんが、少し考えてから話しはじめた。


「二回目の笛が鳴ったので、撤退の合図を出しました。決めてあった通り、西の出口に向かって」

「はい」

「でも、走り出してすぐ、西のほうから木が倒れる音がして。足音が、こっちに向かってきてて」

「鉄殻熊ですね」

「そのときは何かわからなかったです。でも、遠ざかってなかった。近づいてきてた」


ガーランドさんの青空教室だ。鹿は遠ざかる。魔物は止まるか、近づいてくる。


「だから、一呼吸だけ止まって、考えました。西はだめだって」

「どうして南に?」

「朝、谷に入るときに、帰り道を探してたんです。講習で教わったから。そしたら南の斜面に、獣道があって。急だけど、登れそうだなって思って覚えてました」


私はペンを止めた。


講習の二回目。リリアンさんは赤い布に向かうより先に、帰り道を確かめていた。それと同じことを、本物の谷でもやっていたのだ。


「それで、南に変えたんですね」

「はい。でも、決めてた道と違う道に行くのが、すごく怖くて」


リリアンさんの声が、少しだけ震えた。


「もし間違ってたら、みんなを危ない目に遭わせちゃう。ガーランドさんみたいなベテランの人もいるのに、私なんかが決めていいのかなって」

「でも、決めたんですね」

「……ガーランドさんが、言ってくれたので」


全員の視線が、ガーランドさんに集まった。


ガーランドさんは腕を組んだまま、そっぽを向いていた。


   ◇ ◇ ◇


「何て言ったんですか、ガーランドさん」

「……忘れた」

「忘れてません。三刻も経ってません」


剣士さんが、おずおずと手を挙げた。


「僕、聞いてました。リリアンさんが南って言ったら、ガーランドさんが『判断係はお前だ。お前が南って言ったなら、俺は南に行く』って」


ガーランドさんの耳が、ちょっと赤くなった。


「それから、僕が袋を抱えて走ろうとしたら、『置け』って言われて。昨日決めた通り、袋は全部置いてきました。それで斜面を登ってる途中で、僕が木の根に足を取られて転んじゃって」

「えっ」

「そしたらガーランドさんが、後ろから僕を担ぎ上げて、そのまま登ってくれました」


剣士さんは、ガーランドさんのほうを向いてぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございました。本当に」

「……礼はいらねえ。最後尾は後ろのやつの面倒を見るもんだ。それだけだ」


リリアンさんが、ぽつりと続けた。


「ガーランドさん、ずっと一番後ろにいてくれたんです。熊が来るかもしれない方向を向いて。それで、『前だけ見て走れ、後ろは俺が見てる』って」

「……」

「だから私、振り返らずに走れました」


ガーランドさんは何も言わなかった。でも、腕を組んだ手の指先が、落ち着きなく動いていた。


私は帳面に、三人の話を一つずつ書き留めていった。


撤退条件、成立。判断係、決められた撤退路の危険を察知し、一呼吸の確認ののち変更。事前に確認していた別ルートへ誘導。最後尾、後方を警戒しつつ転倒者を救助。採集物は規定通り放棄。全員無事に帰還。


一行ずつ書くたびに、胸の奥が熱くなっていった。


安全講習で教えたこと。十か条。撤退条件。昨日の話し合いで決めた新しいルール。それが全部、今日、谷の中で形になっていた。


誰か一人の力ではない。リリアンさんの判断があって、ガーランドさんの背中があって、弓使いの子の笛があって、レオンハルトさんの剣があった。


   ◇ ◇ ◇


「おい、元Sランク」


ガーランドさんが、大岩の陰のレオンハルトさんに声をかけた。


「熊を引きつけてくれたのは、お前か」

「ああ」

「……おかげで、斜面を登る時間ができた。礼を言っとく」

「礼はいらない。新人の判断が早かった。それだけだ」


二人の間に、なんとも言えない空気が流れた。似た者同士、と言ったら二人とも怒りそうなので、言わないでおいた。


リリアンさんが、レオンハルトさんの前に進み出た。


「あの、レオンハルトさん。講習で教えてもらったこと、役に立ちました。帰り道を先に確かめること」

「……そうか」

「ありがとうございました」


レオンハルトさんは少しだけ黙ってから、リリアンさんの頭にぽん、と手を置いた。


一瞬だけ。すぐに手を引っ込めて、何事もなかったように立ち上がる。


リリアンさんは目をまん丸にして固まっていた。私も固まっていた。弓使いの子と剣士さんも固まっていた。ガーランドさんだけが、喉の奥でくっくっと笑っていた。


「……帰るぞ。日が暮れる」


レオンハルトさんは誰とも目を合わせずに、さっさと街道のほうへ歩き出した。


   ◇ ◇ ◇


ギルドに戻ったのは、夕方の鐘が鳴る少し前だった。


扉を開けた瞬間、奥からベルナードさんが飛び出してきた。


「アリサちゃん! みんなは!」

「全員無事です」

「本当かい!? よかった……よかったねえ……!」


ベルナードさんは五人の顔を一人ずつ確かめて、眼鏡を外して目元を拭った。


月光草は、大岩の陰に置いておいた最初の一袋だけしか持ち帰れなかった。予定の量には、まるで届かない。合同依頼としては、失敗だ。


それでも、私は依頼書の控えに、はっきりと書き込んだ。


依頼結果、採集未達。撤退条件に基づく中断。違約金なし。


参加者四名、全員帰還。


「ねえ、受付さん」


帰り際、リリアンさんが振り返って言った。


「依頼は失敗しちゃいましたけど、これって、成功ですよね」


私は少し考えてから、答えた。


「全員無事に帰るまでが、依頼です。だから、半分は成功です」

「半分?」

「残りの半分は、明日から考えます。どうすれば、全員無事に帰ってきて、月光草も持って帰れるか」


リリアンさんは呆れたように笑って、それから大きく頷いた。


「はい!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。